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ボラの絵空

作者: 蕊 美守

序章 ボラ様

 吾輩はボラ様であられる。名前は兎も角、肩書きという言葉に敏感である。いち穴水町出身のこのボラ様には収入も栄誉もない。社会の深淵でひたすら泳ぐのみである。光も影もない。ブリ様のよに光が当たって出世してしまったら、ボラではいられなくなるのだ。それでも、人間様として生き続けなければいけない以上、いつまでもボラではいられない。そうして自分は厚かましく、光の当たる場所を求めて、田舎から世界に向けて発信する音楽を始めた。しかし、そこで待っていたのは、深刻で深淵なる、人形殿たちによるボラ虐待の現状であった。ムチという恐ろしい芸術家気取りの攻撃は、激しく自分を痛めつけた。付箋のつもりの文化が、結果的に交戦を導くという因果。この世界の産業構造に組まれている以上、プロだろうかアマだろうが、ボラだろうが、イカだろうが、美意識で自分を武装しないと、周りを弾圧しないと、サバっていけないのだ。それでも、僕は自分の作る音楽を感じていた。7年間、僕はプロの音楽プロデューサーとして、これを専業として生き続けた。公然とボラであり続けるプロという不可思議な現象が、多少なりとも、この閉塞された地域社会に少なからぬ波動・振動を導いたという事実をあえて否定しない。僕の仕事や肩書きを、利用流用しようとするバカヤロウどもが、近づいては離れ近づいては離れしていったことが物語っているだろう。カネカネコネコネくねくねした社会を嫌ってボラとして生きていこうと思ったのに、そんな人種と関わっていては、何の意味も理由も見出せない。そうして改めて、専業のボラとしてあらゆる活動を続けていく決意をしたのである。こういう生き様が、本当にこの世界の経済が破たんするような時代が訪れた時に、ここ(ろ)からやり直せるきっかけやヒントになり得ると、信じたくてやまないのだ。そうして僕は、しきりにメディアと接触を図るようになった。半魚人のボラである自分をローカルメディアが何度となく自分を取り上げた。「日米英で共作」と銘打った新聞記事は、かなりセンセーショナルで、あまりにボラ的に格好良過ぎたので、優良に販売されるにはあまりに惜しくて、無料で配布。やはりボラはボラであった。こういう露出をしているうちに、僕は変わり種として、食卓を賑わすようになっていた。煮ても焼いてもうまくないはずの僕の造りがある種の珍味になった瞬間である。こうした出世をしてしまっては、もうボラには戻れないのかなと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。相変わらず、僕はボラとして音楽活動を続けている。。



 本編 鳴かず飛ばずのボラの絵空

 余談はさておき、音楽家としての僕は鳴かず飛ばずでした。ボラだから、当たり前なのですが。。2011年から、作詞業の真似事を始め、業者に頼んで適当に当たり障りのない曲を何十万もかけて作ってもらっていました。ある時、英文詞のデモテープをアメリカの音楽SNSにアップしたところ、英文作詞家としての僕の感性にスイングしてくれたのか、世界中のインディーズミュージシャンが、コンタクトを取ってきてくれるようになりました。その後、彼らとは共作でたくさんの音源を作りました。こういった初動で、ワールドコラボレーションやコンピレーションという作業が、僕の作詞家・プロデューサー・プロモーターとしてのライフワークとなりました。いくつかプロデュースしたコンピレーションユニットの音源は、セールスにはなかなか結び付かなかったものの、参加している世界中のアーチストの多くのフアンの耳に届いたようです。意外にもインディーズならではの共存的な広がり方で、ヒットとまでは言い難いですが、僕なりに意義と意味を感じていました。その中で、僕の青春のすべてを捧げたといっても良い音楽ユニットが、ドイツ人・マルコと結成したゼイムスでした。アメリカ人の友人ジミーをゲストボーカルに迎えたこの3人は、今思えば最強で夢のようなユニットでした。ヒットシングル「サムシングフォーユー」は、1000枚のCDを配布し、動画もまもなく再生回数1000回以上になりそう。アメリカとイギリスで設けられた小さな国際音楽賞も受賞しました。そもそも音楽賞・国際賞なんて大半がうさん臭いものですが、皆がもらえるものじゃないという口実で、結構喜んで頂きました。メンバーは「俺たちの初めてのプラチナ賞だ!」と談笑していました。このメンバーでいつまでも創作を続けていられたら、と思うことは正直今でもありますね。

僕らが作った作品のメッセージは全部僕の言葉です。僕の投げかけに呼応して生まれたビートとボーカル。日本の音楽の大半は、曲先詞後で生まれるそうですが、海外とやるときは、絶対詞先がお薦めです。海外とやるときはコチラに主導権を持たないといけません。でないと、音楽的バックボーンや歴史とやらを武器に、適当に利用されてしまいます。彼らの目当ては僕らのスキルではなく、世界で一番CDが売れる日本の音楽市場に他ならないからです。国内メジャーアーチストの世界進出、これはただ世界に侵食されているだけのことで、彼らの能力が正当に世界で評価されているとは思えません。日本人が正当に世界で評価されるには、現地でやっているミュージシャンに、直接働きかけて金やコネなどでなく実力で確かめさせるしかないのです。そういった意味では、僕の孤独で果敢な挑戦は、必ずしも無駄ではなかったのかもしれないと思っています。ちなみに僕は、作詞家として音楽活動を始めるまでに、これといって音楽を聴いたことも無ければ、好きでもなく、尊敬するアーチストもいませんでした。偽らざる事実です。病気をした頃に、聴き込んでいたCDが一枚だけあって、それを朝も夜も、寝る時間以外ずっと聴いていました。このアルバムが出た頃、僕は人生最大の逆境と対峙していました。僕は大学の運動部に所属していて、競技や裏方に打ち込むという大義で、人並み以上のモラトリアムを満喫していました。それがある日、音を立てて崩れ落ちるよなハプニングに出くわしたのです。後輩のしでかした不祥事によって、僕はその責任一切合切を双肩に背負い、睡眠もとらずにとれずに後始末に日々を追われることとなったのです。そんな日々が1週間余り続き、とうとう心と体が猛烈な悲鳴を上げました。手足が鉛のように重くなり、精神は異様に高揚し、エネルギーが全身を覆って、でも動けないような説明のし難い興奮状態。精神分裂病、今でいう統合失調症の発症の瞬間でした。幻覚と妄想の中、財布に入っていた10万円を掴んで僕は、東京行きの列車に飛び乗りました。東京に住んでいる兄に救いを求めたのでした。結果兄の元へは辿り着けず、その前に意識を失って、警察に保護されたのです。そこで出会った兄の顔を分別できない程、精神構造が破壊されていました。保護されて石川県の自宅に着くと、僕は本格的に発狂し始めました。両親の顔が、牙の生えた獣のように僕を睨んでいるように見え、その声は雄叫びのように聞こえました。自分の鼓動の高まりが、まずます幻覚を助長しました。障子の僅かな隙間から怨念や邪気が入ってくるような気がして、ひたすら戸を閉め切って、布団の中に潜り込みます。家族の声が獣の雄叫びのように僕を襲い、自らの手足は硬直し、絶え間なく震えました。一秒の安静もない状態が、何時間も続くような錯覚。「なぜ救急車を呼ばないの?」と聞いても、両親の言葉が聞き取れない。後になって分かった事ですが、あの時の僕の体内時計は、100倍程のスピードで回転していたようです。。僕が2~3時間続けて見ていたように思える幻覚も、家族の感覚では、ほんの数十分の発作のように映っていたのだと思います。病院で打たれた麻酔注射で意識を失い、気が付いた時には、3日もの時間が流れていました。おまけに鉄格子の部屋の中にいました。冷え切った頭の真ん中に風が通り抜けるのを感じ、自分の人生が一度終わって、しばらくの間休まなければいけない事情にいることを何となく感じていました。この瞬間、僕は精神障がい者として、ありふれた幸せに背を向けて生きていかなければいけないのだろうと、計り知れない失望と、これまでの人生を全部否定したい気持ちに陥っていたのです。そうして、僕は毎日絶望の涙にくれて3年間の日々を母の胸で過ごすことになるのでした。この頃の両親の悲しみを思うと、こうしてキーを叩いている今の自分の涙すら偽物のように思えてくるのです。病気をしてからというもの、僕には根強い反骨意識が抜けきらないところがありました。できることなら、人にも社会にも優しい人間でいたいとそう願っていましたが。少しの溝や感覚のズレ、僕の思いでは相手の理不尽さと思っていた部分から、多くの人々と仲違えを続けてきました。多分、これから自分が成長して、社会的に成功したとしても、こういう意識は変わらないのかなと思ったりします。そうして大切だった人がひとりふたりと僕のもとを去っていき、ある時期から精神的に孤立していき、それをある種の美徳とさえ思うようになったのです。その辺りから、痛切な社会意識、正確に言うと社会批判意識を抱くようになったのです。自分の住む地域や人々への嫌悪感も抱いたのもこの頃です。当時自分が取り組んでいた文学や音楽でも、その傾向は顕著にみられます。戦争やテロへの警鐘が続いていく中、メディアや街中で流れる軽々しい音楽を耳にするたび、深刻に吐き気がしたものです。新聞を読めば、悲しい事件と、ある意味悲しい時鐘の情けない政権による戦争啓発的政策の発動記事、この国はどこに向かうのだろうと、人生半分近くに到達したためか、どんどん時代から遠ざかり迎合できない自分の無力さを感じるようになりました。病を通して、障がい者となり、20年の歳月が流れました。心は果てしなく疲弊して、自分が病んでいるという自覚すらないまま、人を非難し攻撃するような意識が当たり前になっていました。それだけ多くの人に裏切られてきたという気持ちが抜けきらなかったからです。そういった悪い繋がりや記憶は断絶しないとキリがなく、前に進むこともできない、そうひとから教授されました。なかなか実行できずにいましたが、最近ようやく一歩踏み出すことができました。理屈は簡単ですね。悪い人の輪の中にいたら、いい人の和の中に踏み込んでいくことはできないし、その逆も然り。結局いい悪いの線引きなんて自分にしかできない訳で、それを取捨選択できる権利も自由も自分にしか存在しないんですね。ある意味宗教的で政治的かもしれないけど、人間ある程度意にそぐわぬ人と向き合った後は、そういった関係を遠ざけ、心地よい関係を構築し、その中で生きていく自由があって、そういう覚悟で生きていくことも大切なんじゃないかと思うのです。そう思えるようになって、僕の人生は好転し始めました。自分を縛り付けていた枷をひとつひとつ解いていくことで、本当に、心も体も軽くなっていくのです。それはつまり、精神を患っている自分にとっては病からも解放されていった瞬間なのです。この感覚が一時的なものなのか、永続的なものなのかはまだわかりませんが、今この瞬間に感じている充足が続く限り、そんなに悲しい結末はいつまでもやってくることはないと信じたいですね。そう思うことで、今日や明日に踏み出せるなら、ある種の信仰すら肯定したい気持ちでもあります。人間は、他者からの暗示や、それを信じる思い込みの中で生きているといっても過言ではありません。そのために、人を見る目や言動を懐疑する気持ち、企業で言うならマーケティング的に動向を探って見極めるという動作が必要な時があります。それを怠ると、詐欺に遭ったり、恋愛や結婚がうまくいかなかったりすることがあります。人間鈍感で純粋を演じるのは自由ですが、本当に鈍感で純粋であってはいけません。そういうある意味あざとさみたいなものが、周囲の人間を結果的に優しく、心豊かに、また幸せに導くのかもしれません。そういう組織社会におけるヒールみたいなものの存在が結果として、この世界を中途半端かもしれないけど、平和のバランスに導いてくれているのかもしれないなと最近では思います。偏見や境界線のない世界や社会への転換が必要だとずっと思ってきました。こういう転換とか革新を訴えるための考えや、政治団体は山ほどいます。最近思うのが、日本が戦後70年戦争に巻き込まれずに、経済成長まで成し遂げられたのは、ある種唯一の被爆国で敗戦国だからという偏見と、ある意味この国だけは聖域だとする世界中の暗黙の境界意識によって、守られてきたからじゃないかと思うのです。そういう風に思えてから、国内のメディアが報じるあらゆる世界情勢の事象が、まるで戦争を警鐘し、そういう危機管理の意識を植え付けて、産業を潤す手段となっていることに気づいたのです。こういうマクロな感覚で騙されていると、人間完璧に気づかないままでいます。そういった意識への覚醒が、僕の不安を明確に払拭していきました。世界も社会も今のままでいいのです。良くない思想は淘汰されていきます。数字では表れない力で淘汰されていきます。こういうある意味哲学的な思想による暗示が、少しのひとの救いになり得るのなら、教祖でもマルチにでもなんにでもなりましょう。どれだけ優秀な官僚になっても、銀行員になっても、教職員になっても、だれ一人救えない人が大半です。社会そのものが人を助ける仕組みでは構築されていないからです。すべては金を生み出し、生活を自分で支えるだけの産業でしかないのです。社会全体に心のゆとりがないと、互助の考えなんてものすら皆無となります。そんな中生き残れない人は、死んでいくしかないのです。それでも債務は家族・親戚に残っていきます。そうやって、誰が何をして残そうが、世界の経済システムに組み込まれていくのです。誰も損をしない仕組み、だとしたら、有志の融資の中で懸命に生きるのも一つの人生の在り方ですね。持ちつ持たれつで生きている人生なら、深く向き合うのも、そのテイストかもしれませんね。

だけど、ボラは永遠に愛と夢と浪漫に逝きます。

 

※末筆

 明日生きていたら、おはようございます。

 まな板の上のボラより。。。


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