三六話
久々に訪れた京都支部。
深呼吸をし、隊長である鶴来の執務室をノックする。
「どうぞ」
「榊平蔵、出頭いたしました」
初日と同じように入室して敬礼をする。
鶴来もあの日と同じようなスーツ、手には本を持ち、視線すら寄越さない。
「中尉、辞令が出ている。受け取り給え」
鶴来の人差し指に呼ばれ、机を見れば辞令が置いてある。
視線を向けることもない。
「隊長、一つよろしいでしょうか」
「……」
「以前、鹿山翁より鶴来隊長の固有能力は匀切であると伺いました。物質、事象、ありとあらゆるものを均しく切る。故に匀切」
俺の言葉に、鶴来は目を向けようともしない。
無視されるが、かまわず続ける。
「しかし、今回の件でそれは違うのではないかと考えています」
先ほど尾上から受け取ったペン型のレコーダーを取り出し、再生ボタンを押す。録音時間は二四時間。
なのに、レコーダーから聞こえるのは足音や生活音のような雑音ばかり。
時折聞こえるのは尾上の声。
「ご存じのとおり、このレコーダーは尾上さんに依頼し、この部屋にわざと落としてほしいとお願いをしました」
「罪の告白ですか? 上司に対し、盗聴を仕掛ける。近衛といえど許されませんよ?」
「ですが、この録音にはあるべきものがない」
鶴来の言葉に被せる。
ここから先は許されるかどうかの問題ではない。
「先ほど尾上さんはうまくやれた、と言ってきました。なのに、録音されているのは生活音ばかり。これはどういうことでしょうか」
「尾上に担がれたのでしょう。無様な」
鶴来は本を読むことをやめない。
「確かにそうかもしれません。ならば、わざわざ録音などする必要がない。それも二四時間、きっちりとやる理由がありません。偽装ならば録音ボタンを押し、そのまま別の部屋にでも置いておけばいい。なにもなくても録音できなかった、で済むはずだ。わざわざ自分の生活環境に置く必要がない」
「……だから、なんですか?」
初めて鶴来がこちらに目を向ける。
顔色を伺うことはできないが、それでいい。
交渉舞台に引っ張り上げることに意味がある。
「私の結論はあなたの固有能力が暗示か、あるいは刷り込みに近い能力ではないか、ということです。録音も、あなたが尾上さんへそうするよう仕向けたからだ」
かすかに鶴来の眼が見開き、続いて薄くなる。
「あなたの固有が私の予想通りであるとするならば、すべてのことに説明ができる。京都府警も通り魔も、あなたが仕組んだのではないか」
どこまで、と言われると確証がない。
しかし、少なくとも通り魔候補には千景に当てはまる条件を植え付ける。
暗示ならば髪の長さや色、身長。刷り込みならば写真を用いる事が予想されるので貌の造りや黒子やあざが判断基準となるだろう。
「……ふっ、何を言い出すかと思えば。だったら、どうだというのですか? 証拠は、私を吊し上げる確固たるものがありますか?」
睨まれる。
その瞬間、胃がひっくり返るような不快感に襲われた。
「なるほど、視線ですか。ですが、わたしには通用しませんよ」
「……」
京都へ来た次の日、鶴来から睨まれて湧きあがった不快感。
あれの正体が暗示への抵抗だとするのならば、納得がいく。
しかし、俺自身、体がどんな防御反応をしたのかは定かではない。
未知の部分が作用した、そう考えるだけだ。
「それに、致命的な弱点もありそうだ。想像でしかありませんが、あなたの固有は強く作用させようとすれば単純な命令にしかならず、複雑なものは限度がある……」
違和感の二つ目は通り魔。
千景だけを直接狙うこともできただろう。
それをしなかったのは通り魔に見せかける必要があったからではないか。
しかし、それにしては雑な印象を受けるのは事件が起こりすぎているからだ。
ブラフならば一件や二件で構わないはず。加えるならば殺してしまう必要がない。
最初は危害だけであとから殺しに発展することも、ままある。
それをせず、最初から殺してしまうあたり精度の低さと複雑な命令ができないことの裏返しだと考えると納得ができる。
不自然に通り魔が終息したのは、直接千景を狙うため狭い範囲に集中させた通り魔予備軍が雲隠れによって見失ったからだだろう。
「榊平蔵、君の想像力には感服する。そんなものはない、ないんだ。暗示などない」
「……言葉と視線の両方とすれば、やはり暗示ですか。年季の入った紳士に見つめられるなんて気分が悪くては吐きそうですよ」
「……っ!」
鶴来の眼が驚愕に見開かれる。
ようやく尻尾をだしてくれた。
「私の刀は空跨ぎ兼光、固有能力は匀切です。申請もされており、確認済みです。何を疑うというのかね?」
「ならば私の前でお見せください。均しく切るというのなら……!」
最大限の殺気を込めて鶴来を睨み、”防人”安吉に手を置く。
直後、金属音が聞こえ、鶴来の手にしていた本と、俺の腕が落ちる。
気が付けば刀が頸動脈を浅く切っている。
首まで達しなかったのは腕を差し出したからだ。
「近衛を一刀で殺そうと思ったら首を狙う。頸椎の修復にはだいぶ時間がかかりますからね。その間にどうにかしたかったのでしょう。しかし、鶴来隊長、私は覚めた時も新潟での一件も、首を狙われているんです。ご存じなかったのですか?」
「……!」
喉元の傷痕を見せれば鶴来が唇を噛む。
どこまでがブラフかはわからないが、鶴来の固有能力が匀切ではないことが証明された。
「これからも鷹司副長や鹿山翁を欺き続けるのですか。無理なことは遅かれ早かれ破たんしますよ?」
顔だけは笑みを浮かべ、余裕を崩さない。
交渉とは尻尾を出した方が負けだ。
「私に暗示は効きません。ついでにいえば、敗血症も毒もです。口を封じたければ直接の行動に出るしかない。ですが、こうも読みやすいと思いませんでした。あなたは存外に臆病者のようだ」
口では嘲笑し、残る手で直虎さんから渡されているスマートフォンを取り出す。切断された腕からは血が流れ落ちるが気にしない。
「勿論、この部屋での会話もすべて録音しています。これを帝都で流したら……どうなりますかね?」
「……やってみればいい」
鶴来の眼には明らかな殺気がある。
しかし、目的はそこではない。
いくら追い詰めたところで俺と鶴来がやりあっても勝算は高くない。
技術や経験では圧倒的に劣る。今の一撃も予測が当たっただけ。重要なのはこの後にある。
「取引をしませんか?」
言葉を投げかければ、鶴来の眼が細くなる。
「……取引?」
「そう、取引です。私はここでの会話もあなたの能力も、一切他言しない。副長へもです。その代り今後、朱膳寺家には一切の手出しはしないで頂きたい。どうですか?」
「……」
「あなたならば京都三家へ直接働きかけもできる。手を出さないようにするのも簡単なはずです」
これまで近衛を利用してきたのは京都三家か、あるいは鶴来なのか。
もしかしたら、鶴来は京都三家の意向などどうでもいいのかもしれない。
「こちらはかなりの犠牲を強いられています。そのうえでのお話です。あなたにとっても悪くない取引だと思いますが、まだ信用していただけませんか? でしたら……」
スマートフォンを握りつぶす。
直虎さんへは後で謝ろう。
「最大限譲歩したつもりです。矢矧家の長子を使った暗殺は……あなたの仕業ではないにしても、通り魔で犠牲者を何人も出している。しかし、借りもあります。敗血症で倒れた私と千景にとどめを刺さなかった。まぁ、刺す必要がなかったのか、臆病なあなたが予想以上に早かった兵庫県警の動きを警戒したからなのかは分かりませんがね」
音はしないものの、視線が火花を散らす。
切りかかりたいのはこちらだ。はらわたが煮えくり返っているが、今優先すべきは千景と広重氏の将来。鶴来の固有はそれだけ危険だといえる。
「……」
「……」
互いに殺気を向けあう中、刀を動かしたのは鶴来だった。
突きつけていた刃を鞘に戻し、本を拾い上げる。
「京に君のいる場所はありません。さっさと帝都に戻ることですね」
もう眼はこちらを見ていない。
腕を拾い、切断面に押し当てればうぞうぞと筋繊維が伸びて修復を始める。
「失礼します」
敬礼をして部屋を出る。
怒りも憎しみもある。でも、今はこれでいい。
千景の将来が約束されたのだから。
◆
京都支部をでると、そこにはサングラスをかけた立花直虎さんがいた。
「お迎えにあがりました」
「光栄です。第六大隊長殿」
「なにを仰るか。榊殿こそ、第九大隊長への昇進ではありませんか」
鶴来から受け取った辞令には、空席になっていた第九大隊長への就任と日桜殿下の専属になった旨がしるされていた。
しかし、実感はない。なにせ、長がついても隊員は俺だけ。名ばかり隊長なのは明白だ。
「どうぞ」
「恐縮です」
停めてあった黒塗りの国産車へと誘導される。
助手席に座り、直虎さんが運転席へ座る。
そういえば、京都へ来た時もこうだった。
「あれからもう二月……」
「京都は如何でしたか?」
車がゆっくりと動き出す。
流れる街並みに妙な感慨を抱いてしまう。
「最悪です。人生初の野宿をしました。それに、警察に通報され、手錠までされた。汚点ですよ」
「随分と楽しい思い出ですね」
「まったくです」
苦笑いしか出てこない。
しかし、悪くなかったように思えるのはなぜか。
「手を振っていらっしゃいます」
直虎さんの言葉に、バックミラーを見ると尾上が見えた。
あの小男も忘れがたい瞬間の一人として記憶に残るだろう。
「…………直虎さん」
「何でしょうか」
「ご迷惑をお掛けしました。このお礼はいつか必ずします」
「榊殿は同志ではありませんか。それに、帝都に戻ることを考えればお願いをするのは私の方です。殿下を……よろしくお願いします」
「はい」
言葉を交わす間に、車はあっという間に京都駅へと着いてしまう。
車を降りる。
直虎さんとはここまでだ。
「ご武運を」
互いに敬礼をして別れる。
人でごった返す京都駅を進み、新幹線乗り場を目指す。
「遅いのよ」
「失礼しました」
新幹線改札の前に、白いワンピースを着た千景がいた。
差し出された手を取り、しばらく歩く。
「あそこでいい?」
「構いませんよ」
指さしたのはチェーン展開するコーヒーショップ。
二人で入り、千景はキャラメルフラペチーノ、俺はエスプレッソを注文する。
金を出そうとすると、千景が遮った。
「子供に奢られる趣味はありませんが」
「いいの。今日は私が出すわ。席を取っておくから、持ってきて」
「……はい」
一人で店の奥へと言ってしまう。
俺と千景のやりとりがどう見えたのかはわからないが、店員は微笑を浮かべていた。
「お待たせしました」
「どうも」
商品を受け取り、トレイを持って千景を探す。
「こっちよ」
嘆息し、千景の前に座る。
なぜか大学の頃を思い出してしまうやり取りだ。
「昇進したんですって?」
「どこでそれを聞いたのですか。トップシークレットですよ?」
「さっき。立花直虎って人から。ここまで送ってくれたのもその人よ」
直虎さんは千景を迎えに行ったついでに俺を送ってくれたらしい。
つくづく律儀な人だ。
「これからは直虎さんを含む第六大隊が千景様を守ってくださいます。安心なさってください」
「……そう。ストーカーみたいなことをされて夜中まで付け回されることも、もうないのね」
「多分に語弊がありますが、間違っていません。申し訳ありませんでした。私と関わったことであなたの人生は大きく歪んでしまいました」
「……いいのよ、平蔵。私はたぶん、逃げていたのね」
「千景様」
「私は自分が皇位継承権の保持者であることは知っていたわ。でも、ほとんど肩書みたいなもので必要ないと思っていたの。利用されるとも思わなかった」
「世の中は自分が思う以上に複雑です。望むもの、望まざるもの、どちらも存在し、容赦なく押し付けてきます」
今の言葉は千景に向けたものか、あるいは自らに言い聞かせるものか。
「ええ、そうね。今回でそれが分かったわ。だから、決めたの。逃げないって」
「……ご立派です」
「あなたがいなくても、いつか私は利用されていたでしょう。遅いか早いか、それだけだったわ」
千景は少し遠くを見つめる。
かつての、いやたった数か月前の自分を追っているかのようだ。
「私は皇位継承者になる。順位が低いままでも構わない。私ができることをするの。……だから、あの時のこと、覚えておきなさい」
「楽しみにしておきます」
あの時、とは三食昼寝付きのあたりだろうか。
この子も律儀だ。
「ねぇ、日桜殿下って、どんな人?」
不意に千景が聞いてくる。
「どんな人……といわれましても、ご存じのとおりあなたと同い年で、ちんちくりんのお子様です」
「ち…………。あなた、殿下に向かって少しひどいと思わない?」
「千景様も殿下ですよ。千景殿下」
「私は一九位、あの人は一位。次元が違うわ」
千景が頬を膨らませながらキャラメルフラペチーノを吸う。
「少なくとも、私にとっては同じです。お仕え出来て、光栄でありました」
「っ! ……馬鹿」
自らを卑下することはない。
立場なんてまやかしだ。大切なのは心、己を高め続ける信念に他ならない。
「最後まで見届けることのできない不忠をお許しください。ですが、何あれば必ず馳せ参じます」
最後に、と頭を下げる。
応じるように千景も姿勢を正す。
「榊平蔵、これまで献身、まことに大儀でありました。帝都に戻ってもお健やかに」
「有り難き幸せに存じます」
差し出された手の甲に唇を寄せる。
苦いエスプレッソを飲み干し、席を立った。
「ここで結構です」
「失礼します」
敬礼をして踵を返す。
別れが辛いと感じたのは初めてかも知れない。