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三四話



「心音微弱! 輸液では血圧が回復しません!」

「脳波も弱まっています。隊長、これでは……!」

「輸血はまだか? くそっ、電気ショックの用意をしろ!」

「榊殿! お気を確かに!」


 ぼやける視界の向こうに直虎さんがいる。

 そうか、間に合ったのか。


「目を閉じてはいけません!」


 直虎さんの声とともに、体が跳ね上がる。

 不思議と痛みは感じない。


「もう一度だ! 電圧を最大まで上げろ!」

「しかし、それでは体が……」

「今は死なせないことが先決だ。人工心肺の準備をさせろ!」

「輸血、届きました!」


 跳ね上がる体、おぼろげな景色、直虎さんの顔。

 すべてが夢を見ているように揺らいでいたのに、熱が体に戻ってくる。


「……隊長!」

「今度はなんだ!?」

「し、心音、回復していきます!」

「なんだと?」

「の、脳波も異常域から正常域へ戻っていきます!」

「……榊殿?」


 体中が熱い。

 指先が、腕が、腹が、足が熱い。


「な、なんなのだ……これは……」


 もう、何も見えず、なにも聞こえない。

 真っ白な光の向こうに小さな影が見えた。



                ◆



 目覚めとは爽快であるべきだ。

 それが朝であれ夜であれ、眠りから覚めた時は心地良くありたい。


「……どこだ、ここ」


 体を起こす。

 頭はまだぼんやりとしているのに、体は妙な熱を持っている。


「……包帯」


 近衛服のシャツからスラックスまでが引き裂かれ、包帯が巻いてある。

 自分で切った内腿と、あの黒衣の男に強かに殴られた腹部は包帯の上にサラシで固定され、それでも血がにじんでいる。


「……新潟での事といい、よく生きてるな」


 手はミイラの如く、包帯で指が固められた状態になっている。これでは物も持てない。

 ベッドの周りには点滴が吊るされ、何本もの管が体のいたる所へつながれていた。


 周りを見渡せば、ここが病院ではないことがわかる。

 清潔ではあるものの、ベッドと点滴以外ない簡素な部屋は倉庫を思わせた。

 部屋に唯一あるドアがノックされる。


「……どうぞ」


 入ってきたのは直虎さん。

 いつもの近衛服に鉢金は以前、京都支部で見た時と同じだ。


「お気づきになられましたか」

「はい、今しがたですが。処置をして頂き、ありがとうございます」

「……意識があったのですか?」


 美人の眼が驚愕に見開かれる。


「わずかではありますが、必死に呼びかけていただいたのを覚えています」

「そう……ですか」


「お伺いしたいことがあります。千景様は? それに、ここはどこなのですか?」

「順番にお話ししましょう。ここは舞鶴の海軍敷地内です。朱膳寺千景殿はご無事です」

「……そうですか」


 胸を撫で下ろす。最大の懸念が消えた。


「続いて朱膳寺広重殿も大阪府警が保護いたしました。今は阪大付属の病院に移し、治療を継続しています」

「あの黒衣の男と京都府警、それに京都支部は?」

「京都府警は現在も非常線を敷いています。ですが、解除は時間の問題でしょう。京都支部はそもそも動いていません」


「……どういうことですか? あの黒衣の男は近衛では……」

「榊殿の仰る黒衣の男は兵庫県警が確保しました。ですが、現場に到着したときにはすでに事切れており……」

「死んでいた?」


 おかしい。

 俺は殺すまで殴っていないし、生きているのを確かめてから縛った。


「し、死因はなんですか?」

「頭部に銃弾を受けていました。おそらくは即死でしょう。撃った大陸製の自動拳銃もその場に残されていました」

「どういうこと……ですか?」


 疑問が頭を埋め尽くす。

 

「兵庫県警がお二人を保護したとき、黒衣の男はすでに事切れておりました。これは推測でしかないのでしかないのですが、黒衣の男を撃った犯人はお二人を尾行していたのではないかと思われます」

「……俺を殺さなかった……いえ、千景様を殺さなかったのは……」


「兵庫県警がお二人を保護したとき、榊殿はわずかに心臓が動いているだけの状態でした。朱膳寺千景殿についても一時的なショック状態でしたので、撃つ必要がなかったとも言えます」

「……」


 傍からみたら死んでいるような状況。

 しかし、撃つ必要がないから撃たない。

 本当にそうなのだろうか。疑問が残る。


「榊殿、私からお伝えせねばならないことがあります」

 

 真剣な瞳の直虎さんに思わず背筋を正してしまう。


「改まって言われると緊張しますね。心臓に毛でも生えていましたか?」

「その程度でしたらよかったのかも知れません。単刀直入に申し上げれるならば、榊殿は……異常です」


 茶化そうとしたのに直虎さんの瞳は揺るがない。


「現在時刻は午前九時、海軍基地へ運び込まれてから三時間しか経過していないにもかかわらず、あなたは目覚めた」

「……治療が適切だったのではありませんか?」


「榊殿の全身は敗血症による炎症反応によってショック状態にありました。加えて失血、体中の裂傷、一部は内臓を傷つけています。ここまでされては、近衛といえど助かりません」

「それは……私の固有能力が作用したからではないのですか? 伊舞さんの話しでは虎にやられた時も瀉血して治療したら治ったと……」


「あの時、榊殿は目を覚ますまでに一週間を要しております。しかし、今回は三時間。治療が適切であったにしても早すぎます。固有である脳内物質の分泌が過剰であったとしてもここまでの回復はあり得ないでしょう」


 直虎さんの言葉に頭が真っ白になる。

 まるで自分が人間であることを否定されている気分だ。


「これは私見ですが、脳内物質の過剰分泌は本来の固有……その一部ではないでしょうか。今回も血液を失い、体には重大な損傷を受けた榊殿の体は、極限まで身体機能を低下させての自己延命とみることができます」

「……本来、ですか」


「ええ。我々が輸血を始めた途端、それまでは微弱だった脳波が正常域まで回復し、心臓の脈動は強いものに戻りました。体表の傷はそのままですが、内部の修復はおそらく終わっているはずです。先ほど胃が蠕動をしておりました」


「食い物をよこせ、ってわけですか」

「今している点滴はすべて栄養点滴、それも四人分です」

「……じゃあ引っこ抜いても良いわけですね」


 針を抜いていく。数えてみれば二〇もあった。


「人間離れした私は……これからどうすれば良いでしょうか」

「内密にしておくのがよろしいかと存じます。憶測ではありますが榊殿は不死に近い状態にある」

「不死……不老ではないんですか?」

「そこまではまだ……」


 難しい顔で頭を振る。


「では、二人だけの秘密にしましょう」

「榊殿……」


 笑い飛ばせば、直虎さんは目を見開いた。

 親身になってくれるのはありがたいが、俺にとってはそこまで深刻ではない。


「不死も不老も、絶対ではありません。なにせ、この体は有機物です。外部からの補給がなければいずれは朽ちるでしょうし、高温や氷点下にあれば細胞そのものが耐えられない」

「ですが……」


「少なくとも、四〇億年後には太陽が寿命を迎え、白色矮星となる前に膨張して地球を飲み込みます。その時には死ねますよ」

「それは……謙虚と受け止めればよろしいですか?」


 苦笑いを浮かべてくれる。

 呆れか、はたまた諦めか。


「私の固有能力が脳内物質の過剰分泌だろうが、死ににくい体だろうが、大して変わりませんから」

「榊殿、ゆめゆめ油断召されるな。そう思っているのは貴方だけだ」

「……他言無用でお願いします。ご主人様も聞いておられますか?」


 扉の向こうへ声をかけた。

 潜むような小さな息遣いは一人しかいない。


「……いつから気づいていたの?」


 手首に包帯を巻いた千景が部屋に入ってくる。

 盗み聞きとは褒められた趣味ではない。


「最初からです。直虎さんはご無事です、とだけおっしゃいました。普通は命に別状はない、くらいは言っても良いと思います」

「……千景殿、わたしでは榊殿を欺くのは難しい。正直にされるが良いでしょう」

「そう……みたいね」


 つかつかと千景が近寄ってくる。

 姿勢を正したいが、そこまでの体力がない。


「体は……大丈夫なの?」

「聞いていた通りです。なんの問題もありません。千景様こそ大丈夫ですか?」


 直虎さんに視線を向ける。

 出歩くことを許しているくらいだから、深刻ではないのだろう。


「千景殿が失った血液は約一リットル。輸血をすると後々に響きますので、輸液に留めました。急激な運動をしない限り問題はありません」


 良かった。

 千景にはかなり危険な賭けをしたことを詫びなければならない。

 そう思っていたのに――――。


「あなたまで…………目を閉じてしまったら、私は……」


 泣かれてしまう。

 頭を撫でようとして手が包帯でぐるぐる巻きなのを思い出し、引っ込めた。


「千景様、まだ終わったわけではありません。早く事業を軌道に乗せ、御身の安全を確保しなければ、いつまた非常事態に見舞われるかわかりません」

「でも、あなたまでこんな目にあったのよ?」


 小さな瞳が涙に濡れる。

 参った。こんなとき、どうすればいいのかが分からない。

 自らの命を卑下するわけではないが護衛と主君、二つを対等に扱えはしない。


「先ほど聞いた通り、私は大丈夫です。事業を軌道にのせて地位を継ぎ、朱膳寺家当主として元服を迎えた暁には私を専属の護衛に指名してください。ついでに三食昼寝付きだと有り難いです」


 できるだけの笑顔で、口調を軽めにする。


「……」


 なのに、千景の表情は目まぐるしく変わる。

 悲しみのように眉を寄せ、喜びのように目じりを下げる。

 泣き出しそうに目が潤み、決意が涙腺を押し留める。


「……わかったわ」

「結構です。千景様、今しばらくお休みください。大変なのはこの後です」

「ええ。あなたも」


 一瞥に視線が絡まり、踵を返すと千景は行ってしまう。


「榊殿、最後の言葉は殿下にお伝えできません」

「これも秘密でお願いします」


 直虎さんが複雑な顔をしている。こんなのは戯れだ。かなうことのない未来だからこそ口にできる。

 体力がなくなり、ベッドに倒れた。


 もう少し眠ろう。

 明日と、千景のために。




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