三一話
事業は計画通り進行中。
もう少しで京丹波の山裾に工場を建設が始まる。
順調なはずだった。
異変に気付いたのは偶然か必然か。
午前二時。
かなり綿密に行っていた夜中の見回りが功を奏した形となる。
なにせ京都府警をはじめとして、全域はほぼすべて旧華族と京都三家の支配下にあるといっていい。
公共機関が敵に回ることも考えられる。まだ動けない広重氏は心配だが最悪の場合、千景だけ連れて逃げなければならない。そう思っての見回りの強化だった。
「……人影、それもかなりの数」
夜回りで慣れた目に複数の人影が映る。
「厄介だな」
動きに統制があり、近衛の聴覚をもってしても足音や話し声はほとんど聞こえない。
つまり、相手はチンピラでも窃盗目的でもない。
真黒なゴーグルにヘルメット。都市迷彩の防弾ベストともなれば京都府警特殊対応班あたりか。
あるいは岐阜県に駐留する陸軍の特殊作戦群かもしれない。
窓から見えないように身を屈めて走る。
二階の奥、部屋に入ってベッドの上で安らかな寝息を立てるお姫様の頬を突いた。
「……な……によ。こんな夜中に」
「こんな時間に恐縮ですが……」
「わたし……小学生なんだけど」
伸ばされた手を叩く。
「申し訳ありませんが、待っている時間はありません」
「……強引、なのね。ちょっと待って」
戸惑うようにパジャマのボタンを外し始める。
アホが、何を勘違いしているんだか。
「脱いでどうしますか? 服を着て、外へ行く準備をしてください」
「えっ? 着る? 外?」
戸惑いが困惑に変わる。
急にオロオロし始めた千景に顔を寄せる。
「特殊部隊のお出ましです。陸軍か警察かはわかりませんが、数がいます」
「……そっちなの? もう……」
不貞腐れるのは勝手だが、ここからはスピードが命となる。
うかうかしていたら脱出できずに捕まってしまうだろう。
千景が着替える間、こちらも準備する。ブーツの紐を締め上げ、ベルトを一段階細く巻く。
「これを切っても構いませんか?」
「いいけれど、何に使うの?」
シーツを適当な大きさに裂き、続いて千景の持つスマートフォンのケースを外し、”防人”安吉で長方形に切る。平たいものを折り曲げ、額に当ててシーツを巻けば即席の鉢金になる。
京都支部で見た直虎さんの真似をした。
覚めたものにとって銃弾は粘膜にさえ当たらなければ痛いだけで致命傷にはならない。
しかし、防御すれば注意力は確実に削がれ、足が止まれば狙撃銃や大口径の火砲を集めてしまう。
相手方は近衛を、覚めたものの脅威を十分に認識しているだろう。
単純な戦力では覆しにくいのもわかっているはずだ。だとしたら狙うのは熱量不足での行動停止のはず。
俺がなすべきは部隊の全滅ではない。
追撃ができないくらいまで戦力を減らしてからの脱出。
「準備できたわ」
「でしたらこれをかぶっていてください」
ジーンズにシャツ、それに肌を隠すような上着をきた千景に近衛服の上着を渡す。
防弾、防刃繊維でできているので万が一撃たれたとしても即死はしないだろう。
この子には生きていてもらわなければ困る。
「私の背中から離れないでください」
「……あなたも離さないで」
薄暗い中でも千景の瞳は光を失っていない。
「行きましょう」
互いに頷き、部屋を出た。
まずは屋敷の外へ。
長い夜の始まりだった。
◆
真夜中の朱膳寺家に現れた襲撃者が何者かはわからない。
しかし、動きを見れば自ずと想像ができる。日本の特殊部隊は総じて優秀だ。
一対多数の専門家でもある裂海優呼曰く、統率が取れ、無駄な動きはない。
彼女ならこの光景を見ただけで相手がどこの、誰なのか分かったかもしれない。
「……」
完全防備に暗視ゴーグル、手には散弾銃。人間を仕留めるには十分すぎる装備といえる。
いくら近衛でも至近距離から一粒弾を受ければ肉が持って行かれる。鳥撃ちの散弾でも眼球が危ない。できれば食らいたくない部類だ。
「……」
一チーム三人。
少しだけドアを開け、鏡で室内を確認してから先頭が入り、残る二人が左右と後方を固める
動きからはかなりの錬度と連携を思わせる。
銃は厄介だが、後々を考えれば殺したくもない。軍や警察に遺恨があれば、殿下や鷹司にまで影響を及ぼしかねないからだ。
プランを決め、張り付いていた天井から降りる。
「!」
着地と同時に最後尾の一人を殴り倒し、次に気付いた真ん中を刀の柄で突く。
先頭に気付かれた。
振り返り、銃口をこちらに向けるが、この距離なら引き金を引くよりも刀の方が早い。
「っと、ストップだ」
居合の要領で散弾銃を半ばから切り落とす。
金属が床に落ちたが、下が絨毯で良かった。
「騒ぐな。手が滑るぞ」
”防人”安吉が防弾装備を突き抜け、柔らかい喉に到達する。
暗視ゴーグルを剥ぎ取り、耳のインカムを引っこ抜いた。
「所属はどこだ? 人数は?」
「……」
男の目には驚きが浮かんでいる。
その驚きがなにを示すものなのかはわからない。
「答えろ。ここで死にたいのか?」
皮膚を浅く切る。勿論殺す気はないし、命のやり取りなんて真っ平だ。
しかし、情報を手に入れるにはこれしかない。
「……っ!」
男は切られることも覚悟で身を捻り、腰のナイフへ手を伸ばす。
「バカが」
刃を翻し、峰打ちを首に叩き込む。
気を失い、倒れそうになる男の首根っこを掴んだ。
「千景様、もういいですよ」
「……大丈夫、なの?」
テーブルの下から千景が這い出て抱き着いてくる。
「申し訳ありません。こうした荒事は私もあんまり慣れないものですから」
「心配……させないで」
「申し訳ありません」
胸に顔をうずめる千景を撫でる。
しかし、このままではいられない。
「この分だと、外は封鎖されているかもしれませんね」
「どう……するの?」
「外に出ましょう。ここで戦っては思い出まで壊れてしまいますから」
「……うん」
「では、参ります」
千景を背負いながら、逡巡する。
真正面から出ては良い的だろう。
ならば――――。
「キッチンの裏口から出ます」
「ええ」
リビングを抜けてキッチンへと入る。
人影はなく、そのまま裏口の戸口へ手を伸ばすが、タイミングが悪かった。
やけにすんなりと開くと思えば、戸の向こうには一チームと遭遇してしまった。
辛うじて一人目を倒したが、後ろに控える一人が銃口をこちらに向ける。
「くっ!」
一瞬迷い、蹴り上げそうになった一人を押しのけて両腕で顔を覆う。
二回の衝撃と、腕の激痛を無視して、散弾銃を再装填する隙に”防人”安吉を振るった。
二人を倒し、周囲を見渡す。足音が近い。
「居場所がバレました。千景様……」
「腕は? 撃たれたのでしょう?」
「放っておけば治ります。それよりも、ちょっと」
「なに?」
左右を見れば、裏口の周辺には人影はない。
庭へ出ると千景を抱え上げ、楠木の太い枝に上らせる。
「少しだけお待ちください」
「あ、あなたは?」
「掃除をしてきますから」
千景を避難させ、周囲を警戒していると無数の赤い光が体に当たる。
レーザーポインターとは芸が細かい。照準のためではなく警告だ。お前をいつでも狙っているぞ。そんなメッセージを表している。
これが千景に向いていたら、そう考えると酷い話だ。
女の子を銃弾で引き裂くことが、どうして正しいのか。こいつらに問うてみたくなる。
金、野望か、どちらもか。
仕事である以上、彼らの行動は否定しない。
そうやって経済が回り、彼らにも家族がいて、今日を生きている。ならば、否定はすまい。
ただ、こちらも突き通すだけだ。
「はっ」
抜き身の”防人”安吉を闇に向ける。
朝日には、まだ遠い。