二九話
「初めまして、星越と申します」
東洋鉱、資材部担当である星越が朱膳寺家のリビングで会釈する。
身長は一七〇に満たない。
温和な顔と黒縁の眼鏡が柔らかい雰囲気に拍車をかける。
が、細い目の奥はガチガチの理系脳、数字と数式が詰まっている。
「お越しいただき恐縮です。代理の朱膳寺千景です。本日は遠いところありがとうございます」
「東洋鉱石工業で購買を担当します星越と申します」
スーツ姿の千景といつも通り作業着の星越が挨拶を交わす。
俺はというと、隣の部屋で成り行きに聞き耳を立てているところだ。
「まず、本日は本来お約束をしていた広重の不在をお詫びいたします。代わりまして私がご説明をさせていただきます」
丁寧に頭を下げる千景。
身長は一五〇を超え、化粧もしている。小学生には見えないが、大人とも言い難い。せいぜい高校生だろう。
どんなに着せても小学生の殿下と同い年とは思えない。恐るべし第二次性徴。
「いえいえ、体調不良ということですが、お加減はいかがですか?」
「お気遣いありがとうございます。快方に向かっておりますが、まだベッドから起き上がれない状態です」
「そう……ですか」
扉の隙間から覗き見ていると、俯く千景の様子に星越が神妙な顔をしている。
おや、あの堅物理系野郎がこんな顔をするなんて驚きだ。
それともロリコンの気でもあったのか。面白い。
「失礼しました。身内の恥をお許しください。早速ではありますが、お話に移らせていただきます」
「え、ええ。わかりました」
おお、星越を呑んでる。
これなら押し切れるかもしれない。交渉とは雰囲気を掴んだ人間が勝つ。
そういう意味ではこの上ないスタートといえる。
「では、まずこちらを」
千景が資料とシャーレに入ったサンプル鉱石を取り出す。
「調査機関に依頼をしました。かなり純度の高い灰重石、それも大きな鉱脈であることがわかりました……」
一〇分、二〇分と説明が続く。
その間、星越は鉱石を手に取り、指で擦ったり持参した資料と見比べたりしている。
俺のコネを使って調べたのだから石に不審な点はない。
出所、質、埋蔵量、どれをとっても国内では比肩しないはずだ。
「……以上となりますが、如何でしょうか?」
「ありがとうございます。こちらから質問がいくつかありますが、よろしいですか?」
「もちろんです」
星越が眼鏡のブリッジを押し上げる。
怖いのはここからだ。
「一つ目ですが、原石は現場から採取とありました。これが灰重石であるとの認識に至った経緯をお聞かせ願いたい」
「経緯……ですか?」
「ええ、灰重石は国内では非常に珍しい鉱物です。これを特定できる人間というのは相応の専門知識が必要です」
「つまり、御社の関係先か、ライバル企業の人間がかかわるのではないか、と?」
「おっしゃる通りです。我々の業界は特殊であり狭いもの、このような出来過ぎた話を鵜呑みにすることは難しい」
やはり疑問に思うのはそこだろう。
しかし、これは偶然だ。知識があったのも偶然。普通では起こり得ない。
こうした偶然という事象をガチガチの理系脳に理解しろというのはいささか厳しい。
「ご懸念は尤もかと存じます。ですが、ご安心ください。御社に不利益があるようなことは決してありません。これを発見した人間が以前、土石に関わる仕事をしていたのです。この鉱石が見つかった山は私共の所有、川遊びでの戯れに偶然見つけたもの」
「川で、ですか。それは納得できるお話です。原石が見つかるのも川や河川敷が多い。できれば発見した方のお名前をお教え願えませんか? 知っているものかもしれませんし、お答えによっては契約もしやすいものとなるでしょう」
「……そのものからは名前だけはご容赦を、と。ただ、かつて携わったものであり、御社を知っていることだけは伝えても良いと伺っています」
「かつて、ですか。わかりました。プライバシーもありますので、これ以上の詮索はやめておきましょう」
ふう。
このやりとりだけでも心拍数が上がる。
千景の言い方だとかなり年配に聞こえたはずだ。
まさか星越も名義上の死者から指名を受けたとは夢にも思わないだろう。まぁ、変に隠すと後々が怖いので、この辺りは本当のことを言えと指示してあった。
「二つ目ですが、買い取るにあたっての条件ですが……」
話題が次へと移り、懸念する点を星越は丁寧に一つずつ潰していく。
まるで頭の中に箇条書きとチェックボックスがあるようだ。
対する千景は手元のメモに書きだしている。これは俺の指示。
とりあえず書いているふりだけでもしておくと相手に舐められない。
「これで最後になります」
「はい」
二人のやりとりも終盤に差し掛かる。
ここまで約一時間。
商談にしては短い部類だが、相対するとかなり精神力と体力が削られる。気が抜けないか心配だ。
「先ほども申し上げましたが、この業界は狭くて深い。とはいえ、複数社存在します。どうして弊社なのでしょうか?」
星越の眼が一際細くなる。
まぁ、この質問も当然といえば当然の疑問か。選んだ理由といえば質が良いものならば単に高く買ってくれるからだ。しかし、それも俺からの情報。納得するのは難しい。
「弊社の本拠地は名古屋です。京都の近場でしたら五菱重工、富士重工も関西に拠点があります。それを名古屋の弊社を指名していただくは少し納得しがたい」
星越は口元に手を当て、少し悩んだような顔をする。
「あなたは先ほどから損はさせない、とおっしゃる。しかし、それは今の話だ。一年後、二年後、ひいては五年後の話をなさらない。全ては今現在のこと。これでは先のことまで見通すことはできません。加えて話が出来過ぎている。取引としては躊躇わざるをえないのが現状です」
「……いけませんか?」
「むっ」
千景の答えに星越の眉間に皺が寄る。
「私が求めるのは最大限の利益です。一年後、二年後、あるいは五年後のことを申し上げられないのは当然と考えます。現在、御社とはなんの取引もしておりません。ならば不確定要素の高い物事を口に出すのはそれこそ不信の根本となりましょう」
「……」
「御社がこの原石から最大限の利益を引き出していただけるのなら、私はお約束をさせていただきます。しかし、それができない今、なにを申し上げても机上の空論ではありませんか?」
千景が攻める。
タイミング、口調は非の付けどころがない。
この子は案外、こうした交渉ごとに向いているのかもしれない。
「五菱や富士は財閥系の複合企業、その一端です。本社の方針でいとも容易く条件を変えようとするでしょう。しかし、御社は専門商社であり、この分野の先駆者であると伺いました。より良いものを、より高い価格で買っていただける。それではいけませんか?」
口調の抑揚、声の強弱も上手い。なにより見た目や声に華がある。
ドアの向こうで思わず笑ってしまった。
殿下、負けてますよ。
「……失礼しました。お言葉、ご尤もです。おみそれをしました」
「いえ、出過ぎたことを申しました。平にご容赦を」
「改めましてよろしくお願いを致したく思います。東洋鉱石工業はあなた方、朱膳寺家のお手伝いをさせていただきます」
「こちらこそよろしくお願いします」
握手を以て契約が交わされる。あとは後日、正式な契約書に捺印をするだけ。
これで終わった。
そう思ったのだが、
「あの、不躾ですが千景さんはお幾つでしょうか?」
とんでもない質問を星越がする。
やばい、そんな質問をされるとは思いもしなかった。
「一一になります」
「は?」
いい歳したおっさんの目が点になった。
俺も同じだ。まさか、馬鹿正直に答えることもないだろうに。
「すみません、聞き違いではないですよね?」
「はい」
千景は笑顔だ。
アホが、そんな不利になること言わんでも。
「……っ、ははは。これは失礼、あまりにも堂に入っていたものですから」
「ありがとうございます」
「それにしても、この資料はどなたが? まさか、これもあなたがご用意なさった?」
「いいえ。それは件の石の発見者です」
「そうでしょうね。ここまでの資料を、失礼ながらその御歳の方が作られたのであれば、弊社の社員を全員ヒラに戻さねばなりません」
「恐縮です」
和やかな雰囲気で雑談が交わされる。
まずい、これもまずい。
ボロが出るのはこうした場面だ。
「この資料を作られた方はご年配……ではないようですね。先ほどかつて携わったと伺ったので私よりも年上を想像しましたが、これは違う」
「……」
星越の言葉に千景が無言で応じる。
千景も興味深そうなリアクションを取らないでくれ。
「資料からは、主に精製後の用途が強く反映されている。利益を追及する書き方は資材部か購買部を経て……おそらくは営業までの経験をされたことがある」
「そのようなことまでわかりますか?」
「ええ、私も年間何百という書類に目を通します。書き方や癖でだいたい想像ができます。そうですね……思ったよりも歳若いのかもしれない」
なにやらぶつぶつと考え込む。
この理系バカが、余計なことまで追求するな。千景も止めろ。
「なにか、心当たりでも?」
チラリ、と千景の瞳がこちらを向く。
あれは良くないことを考えている眼だ。
「あなたの交渉術、話し方はある男を思わせます。誘導……後出しでの情報、それに知識。しかし、いや、そんなことはない」
「思わせぶりですのね」
「……私が申し上げている男は、すでにこの世の人物ではないのです。今から数か月前、事故に巻き込まれて死んでいる。葬儀にも出席しましたから」
「そう……なのですか」
「ええ。しかし、大変似ている」
驚きだ。
星越が俺の葬式に出ていたなんて。
いや、それにしても鋭すぎる。
「差し支えなければ、その人のことを聞かせていただけませんか? その、自分に似ているといわれると気になってしまいます」
いよいよ千景の狙いが見えてきた。
俺の素性を引っ張り出す気でいるらしい。
「おかしな男です」
星越が笑う。
「最初の商談で、なにを考えていたのか腹の虫を鳴らす男です。静かな会議室で、盛大に鳴ったのを覚えています。よほど緊張をしたのか、それとも余裕がなかったのか、分かりかねるところではありました」
「お腹を? それは面白い方ですね」
千景が口元を隠しながらも明確に笑う。そして、俺の方をチラリと見た。
クソガキめ、あとで尻を叩いてやる。
「彼も非常に若かった。初対面の時は……今から二年ほど前、資材部から営業へ異動となり、配置換えの挨拶に来た時でした」
まるで懐かしむような星越に、こちらも苦笑いすらでてきた。
あの日のことはよく覚えている。
当時から東洋鉱は社内でも扱いづらかった。押しても引いてもどちらか一方では通じない。
予習には念を入れた記憶がある。
「硬軟織り交ぜた交渉は、若くして完成されたところがある。しかし、裏を返せばそれ以上発展の余地が少ない。あなたにはそのようになってほしくないですね」
「留意いたします」
やろう、言いたいことを言いやがる。
「千景さん、今日は完敗でした。しかし、次回はこのようにいかない。私も勉強して臨ませていただきます」
「……お手柔らかにお願いします。なにせ、若輩者ですので」
「私も、この歳になって息子よりも若い方に言いくるめられるとは思いもしませんでした」
そこで星越が立ち上がり、資料を鞄にしまう。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ」
千景が先導して星越を玄関まで見送る。
ようやく終わってくれた。
「はぁ……」
疲れた。自分で交渉する方がよっぽど気が楽かもしれない。
ぐったりと先ほどまで星越がいたソファーに座る。
「なに、そのダレた格好は?」
千景が戻ってきた。
小言は十分だ。
「日常会話ほどボロが出やすいものです。今後はお控えください」
「いいじゃない、あのくらい。お腹を鳴らした件、面白かったわ」
クソガキめ。
そんなんでこっちの弱みを握ったつもりか。
「惜しかった」
「はい?」
「星越さん、そう言ってたわ。あなたとならもっといい仕事ができただろう、って」
「……左様ですか。ですが、ご主人様。ゆめゆめ油断召されないほうが宜しいかと。足元をすくわれますよ」
「臣下の忠言、心にとどめておくわ」
会うことなどないのだろうが。
わずかな郷愁を笑い飛ばす