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二八話



 近衛本体を動かすなら証拠を用意しろ。

 鷹司の言葉を思い出す。


 近衛第七大隊長、京都を取り仕切る鶴来への疑念が消えない。

 そんな中でできることは何か。

 協力者も少ない状況下で頼ることができるのは、金の力しかなかった。


 鉱石の採掘事業で奔走する傍ら、時間を見つけてやってきたのは京都史の中心街。

 今日は休日らしく、どこも人で一杯だ。

 

「本日はお越しいただきありがとうございます」

「改まってなんやの?」


 目の前には京都支部で唯一話をしてくれる事務員の尾上がいる。

 非番ということでジーンズにポロシャツというラフな格好は、どこにでもいる普通の父親だ。


「暑い日が続いていますが、お体は大丈夫ですか?」

「大丈夫もなにも、もう京都に住んで三〇年や。もう慣れよった。にいちゃんは最近全然顔みいひんかったけど元気やの?」

「おかげさまで、私は大丈夫なのですが」

「なに、何かあったの?」


 そこで間を作る。

 同時に眉根を寄せて如何にも困った顔をし、


「以前、私が朱膳寺家へお仕えしているという話をしましたが、それは……」

「ああ、覚えてるで。千景ちゃんは元気か?」


 尾上が頷く。


「実は、現在当主の代行をされている方がお倒れになりました」

「そら大変や。ワシと茶ぁ飲んでてもええの?」

「今は小康状態ですので、なんとか。ですが、千景様はひどく憔悴してらっしゃいます」

「可哀想やわ。世の中残酷やで。神さんはなにみてんねん」


 尾上は朱膳寺の本家である西園寺家が経営していた銀行にいた。

 その銀行の取締役だった千景の父親に世話になっていたというだけあって、尾上は心を痛めてくれる。

 これなら話が切り出しやすい。

 

「今回は少しご相談がありまして……」

「なんや回りくどいな?」

「銀行内で関係者が相次いで亡くなり、朱膳寺家のご長男、当時の取締役までが事故死されたと伺いました。ですが、私が調べたところによると、あれは事故ではありません」


「……それが今更なんやの?」

「銀行関係者の死も同じです。病院のカルテを調べたところ、病死や心臓発作にされているだけで症状はすべて同じです」

「……」

「つまり、意図的な隠ぺいが行われた可能性があります」


 ごくり、と尾上がのどを鳴らす。

 この話の半分は嘘だ。しかし、俺の仮説では広重氏と千景の両親は同じ。


「今回、朱膳寺家の当主代行が倒れたのも同じ。これは果たして偶然でしょうか」

「……そないな偶然も、世の中にはあるやろ?」

「ええ、あるでしょう。しかし、こうは考えられませんか? できすぎている、と」


 尾上は何もいわない。

 あるいはいえないのか。


「今回、朱膳寺家はある大きな事業を進めていました。事業が成功した暁には散り散りとなった西園寺ゆかりの方々へお声がけしたい、名誉の回復を図りたいとおっしゃられていました」

「……そ、そうなんや」


「そこで考えたのです。西園寺家の没落で得をしたのは誰か、今回の朱膳寺家への妨害を画策したのはだれか。……三条家を筆頭とする京都三家ではありませんか?」

「っ!」


 尾上がこちらを向く。

 しかし、神妙な顔で首を左右に振った。


「さ、三条を疑うんはアカン。あの家に逆らっては京都で、いや関西では生きていけん。アンタも若いんやから、そこは飲み込まな……」

「ですが、今現在も旧西園寺家に関わった人々は三条家によって疎んじられている。尾上さん、あなたもそうなのではないですか?」


「ワ、ワシは近衛に、鶴来さんに拾ってもろうたし、それなりのことも……」

「そもそも西園寺家に何もなければ、あなたは銀行員として順調な人生を送れていたのではありませんか? その証拠に、銀行が破たんしてから奥様と離婚されている。お子さんはもうすぐ大学生。大変な時期ですね」


「そ、それがなんや! 倒産は時勢もある、仕方ないこと……」

「本当にそうですか?」


 尾上の言葉を遮るように被せる。

 彼のことはあらかじめ興信所を使って調べた。

 かつては愛妻家であり、家族関係も良好だった。しかし、今は離婚して家族とも離れ、アパートで独り暮らし。孤独が身に染みる頃だろう。


「あなたは事実から目を背けているだけです。餌をくれるから主人ではありません」

「わ、ワシになにしろいうんや?」

「朱膳寺家の事業は千景様が引き継いでいらっしゃいます。しかし、いつまた心臓病に襲われるかもしれません」


 テーブルの上にペンに偽装したレコーダーを置く。


「尾上さんは事務処理のほかに支部内の掃除も担当されていますね。もちろん、鶴来隊長の部屋も」

「っ! これ仕掛けろいうんか?」

「掃除の際、あなたはこれを部屋の隅に落としてしまいます。これは私からもらったもの。便利そうだったからそのまま使ったが、落としてしまった。よくある話です」


「……せ、せやかて」

「犯人は私です。あなたはなにも知らなかった」

「そんなんで通る……!」


 テーブルの下から封筒を渡す。

 手触りは分厚く、銀行員ならば懐かしいものだろう。


「受験を控えるお子さんも、喜ばれると思います。どうか……」


 目の前の小男は悩んでいる。

 悩むということは、もう決まっている。結論はあるのに、何かが邪魔をしている。


「うまくいけば、貴方の今後の待遇も変わるはずだ。私からも口添えしますよ」


 まるで自分が悪魔になった気分だが、この際気にしない。こちらも命がけだ。

 数分間の葛藤の後、尾上の眼が覚悟の色に染まる。


「わ、わかった。なるべくわからんように落とすんやな」

「はい。お願いします」


 何がでるかは分からない。

 しかし、これしか方法がなかった。



               ◆



 夕方、尾上との取引を終えて朱膳寺家に戻る。


「おかえりなさい」

「ただ今戻りました。異常はありませんでしたか?」

「警備会社の人もいたから、大丈夫よ」


 千景が笑顔を見せてくれる。

 幼児がえりの症状は起こったり起こらなかったりしているが、今日は良さそうだ。

 

 鉱石事業を千景が引き継ぐことになってから、朱膳寺家はさらに慌ただしくなる。

 それまで京都市内のビルに事務所を構えていたのだが、雑踏や人の多い場所での移動も危険と判断し、事務所の機能をすべて朱膳寺家に移した。


 幸い、交渉事も大きなものが終わっていたので実際に千景が行ったのは署名や捺印が大半。

 工場用地へは続々と資材が運び込まれ、政治家城山英雄が手配してくれた業者によって滞りなく進んでいる。

 そして、最も重要な取引先である東洋鉱石との直接交渉を明日に控え、これから千景と商談の詳細を詰めることになっていた。

 外出用のスーツから量販店で買った私服に着替え、リビングで千景と向かい合う。


「千景様、今回はかなり難しい交渉だと思ってください」

「もう何度も聞いたわ」


「ええ、ですが何度でも申し上げます。相手は、人間を見た目や経歴で判断してくれません」

「あら、いい人ではなくて?」

「むしろ逆といえます。まったく容赦がありません」


 東洋鉱石工業、通称東洋鉱の資材部担当は性格がねじ曲がった上に人間心理の裏側まで読んでくる男。

 俺が営業として新人だった頃も寛容さなど微塵もなく、会うのも嫌だった。


「正直、私が出ていきたいぐらいです。しかし……私は死んだことになっている。それに、今は近衛です。いろいろと問題があります」

「ふぅん」


 千景は腕を組んで怪訝な目をする。

 実際、今回の相手は商社にいた頃に交渉したなかでも手強かった。

 戦績としては三勝六敗八分けくらい。最後に会ったのは一年位前か。


「今日は会話のシミュレーションのおさらいをします」

「また一〇パターンも繰り返すのね。いい加減覚えたのだけれど」


「商売の世界では一つの失言がそのまま取引の不成立を招くことがあります。特に今回は初対面ですから用意、準備をしすぎるということはありません。できれば主導権を握った状態で終わらせたいくらいです」

「……難しいのね」

「最初の印象はそれほど、ということです。一〇年後まで覚えておくと就職に有利になりますよ」


 思い出したくもないのは俺自身は東洋鉱担当者との初対面の時だ。

 前日から緊張のあまり食事をとらずに臨んだ結果、商談中に腹を鳴らしたことをその後何年も弄られた記憶がある。


「分かったわ。始めましょう」

「その意気です」


 千景と会話のシミュレーションを始める。

 交渉は明日、不安が募る夜だった。



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