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二六話


 京都支部、いや鶴来との決別から数日。

 京都三家からの横槍、地元銀行からの嫌がらせにも屈せず順風満帆だったタングステン掘削、加工の事業だったのだが、朱膳寺家に緊急を知らせる一報が入ったのは昼過ぎのことだった。


「おじいさまが?」


 電話に出た千景が血相を変える。


「どうしたのですか?」

「た、倒れた……って」


 震える千景を支え、差し出された受話器を受け取る。


「お電話代わりました」


 連絡をしてきてくれたのは護衛を依頼した民間の警備員。

 広重氏は打ち合わせを終え、事務所として使っていたレンタルオフィスに戻ってくると、気分が悪い、と少し横になったらしい。


 しかし、一向に具合が良くならず、呼吸も荒くなり嘔吐したところで救急車を呼んだ。

 最初は炎天下での移動とあって最初は熱中症が疑われた。

 今現在は集中治療室にいるらしい


「……ありがとうございます。私と千景もこれから伺います」

 受話器を置き、腕に縋る千景を見つめる。

 小さな瞳には恐怖が映りこんでいた。



                  ◆



「予断を許さない状況です」


 病院に着き、広重氏がいる集中治療室の前で医師から説明を受けたのだが、出てきたのは厳しい言葉ばかりだった。


「意識が戻るかどうかは、五分といったところでしょう」

「そ、そんな!」

「ご家族は?」

「私たち二人です」


 千景に代わり返事をする。


「いつ容体が急変してもおかしくないと思ってください」

「……っ!」


 千景が息を飲む。

 無理もない。最悪の事態が今この瞬間に起こってもおかしくない状態を意味する。


「搬送されたときは熱中症が疑われましたが、朱膳寺さんは敗血症による全身性炎症反応症候群を発症しています」


 敗血症?

 それに炎症反応症候群?

 聞きなれない単語に俺もどうしていいのかわからない。


「朱膳寺さんは胃潰瘍を患っておられるようです。それが原因と疑われましたが、どうも症例と一致しない部分が多い。今現在は抗生物質の投与を行いながら血液循環を保つための輸液を行っています」


 小さな窓から見える広重氏の眼は閉じ、身じろぎすらしてくれない。

 ただ、心電図だけが命を示すように音を刻んでいる。


「今現在は原因の特定を進めている最中です。とにかく、敗血症のきっかけを探している状態です」

「そう……ですか」

「ご家族に心当たりはありませんか? 食事や普段の生活、何でも構いません」

「こ、これといって特には……」


 今は思考が働かない。

 原因なんて言われてもなにが結び付くのかすら今は想像ができなかった。


「お、おじいさま」

「しっかりしてください。貴女が弱気になってどうしますか」

「で、でも……」


 崩れる千景をなんとか支える。

 無理もない。

 自分の、最後となった家族がこうなってしまったら泣きたくなる気持ちもわかる。


「先生、治療をお願いします」

「勿論です」


 頭を下げ、医師を見送る。


「わ、わたし、どうしたら……」


 どうもこうも、俺にだって唐突すぎて整理がつかないくらいだ。

 落ち着け。まず、俺が落ち着け。

 客観視しろ。視点を切り替えろ。


「……千景様はここに居てください。入院に必要なものは私が取りに戻ります」


 普通なら家の人間がするのが一番いい。

 しかし、今の千景では難しいだろう。ならば、俺がやるしかない。


「……さ、榊も、ここに居てよ! もし、もし何かあったら、私、私どうしたら」

「大丈夫です。何かあれば連絡してください」


 ちょうど直虎さんから貰ったスマートフォンを取り出し、自局の番号をメモして渡す。


「落ち着いて、深呼吸です」

「……わかってる。わかってるわ」


 肩を叩き、なんとか立ち上がらせる。


「すぐに戻ります」

 千景をソファーに座らせ、走った。



                 ◆



「着替えと、あとは当座の金か」


 朱膳寺家へ戻り、家探しのごとく箪笥や引き出しを開ける。

 広重氏の着替えをカバンに詰め込み、自室としてあてがわれていた部屋に戻る。

 枕の中に入れておいた札束を引っ張り出し、ポケットにねじ込んだ。


 病院で金が必要になるのは退院の時が多い。それ以外は何とかなる。

 これから必要なのは看病や付き添いをする側だ。食べる必要もあれば寝る必要もある。

 家と病院の往復にも金がかかる。


「五〇万そこそこか。もう少し欲しいな」


 鷹司にもらった分と、金貨を換金した残りがこれだ。

 朱膳寺家にも通帳があるだろうが、管理は広重氏がしているはずだ。

 今はそこまで探す余裕がない。少しでも早く戻ってやらければならない。

 

 千景は思った以上に脆い。

 危ういバランスの上に成り立っていたのだと改めて気付かされる。


「……これからが大変だ」


 もし、広重氏になにかあれば進めていた事業が頓挫してしまう。同時に、千景は保護者を失う。

 これは朱膳寺家の崩壊どころか千景も将来を左右することになる。


「なんとかしないと……」

 気持ちを振り切るように朱膳寺家をでる。

 まだ何も失っていない、そう自分に言い聞かせながら。



              ◆



 不幸というのは突然やってくる。

 いや、トラブルは必然的に起こりうるもの。

 それはサラリーマン時代からの常。それを見越して動くのが営業の本分ではないのか。


「まさか、広重さんが倒れるなんて……」


 予期できなかったとは言い訳に過ぎない。

 しかし、こうも水を差すようなタイミングでなるものなのか。


時刻はすでに午前零時を回っている。

朱膳寺家から病院へ戻り、広重氏の入院手続きをしてからレンタルしているオフィスに行った。

事業を支えてくれる人達に状況を伝えつつも継続してほしい旨を説明して、また病院へと戻る。


集中治療室のまえで茫然とする千景を無理やり連れて家に戻ったのがつい一時間ほど前。

恐くて眠れないと言うので蜂蜜入りのホットミルクを飲ませ、頭を撫でているとすぐに寝息をたてた。寝室に押し込み、長かった一日が終わる。


「……疲れた」


一人天井を見上げながら考える。

起こってしまったことは取り返しがつかない。ならば次善策を見付けなければならない。

 しかし、この事業に広重氏は不可欠だ。

 顔役であり、交渉役。いわば社長のような存在が欠けてしまう事態に絶望感すら抱いてしまう。


「……どうする。何ができる」


 必要なのは広重氏の代役だ。

 しかし、かつて市議会議員まで務め、地域の顔役になっていた人と縁もゆかりも薄い人間では説得力に差が生まれる。

 ようやく説得した市役所や京都府が手のひらを反すことだってあり得る。


 どうする。

 どうしたらいい。

 答えが出ない。

 

 こんな時、サラリーマン時代だったらどうするか。

 自分の手に負えないときは上司を頼ったものだが、果たして。


「尻拭いをしてもらうのは抵抗があるな……」


 しかし、これ以上は権力が必要だ。

 深呼吸をして鷹司の携帯へとコールする。

深夜だか、そこは多目にみてほしい。


『私だ。直虎、こんな時間にどうした?』


 呼び出しに鷹司はすぐに出る。

 それもそのはず、この携帯は直虎さんのもの。


「すみません、私です」

『……榊……? どうして貴様がこれを?』

「直虎さんに頂きました。私のものは鶴来隊長に没収されてしまいましたので」


『……なるほど、それでか。いや、色々と得心がいった』

「得心?」

『こっちの話だ。それで用件はなんだ?』

「実は……」


 事のあらましを説明する。

 京都で起こった通り魔事件、逃げ込んだ避暑地での灰重石の発見、城山の力を借りての事業の発足と現在まで。


『事態が思った以上に進展しているな』

「申し訳ありません。私の独断です。処分は如何様にも」

『今はいい。……貴様の望みは何だ? そのための連絡だろう?』


「副長の力で朱膳寺家を保護できませんか?」

『……それは、いささか難しい。基本的に京都は第六大隊の管轄下だ。末席とはいえ、京都管轄の皇族を帝都にいる我々が保護すれば領分の侵害になる。』


「では、鷹司の家ではどうでしょうか。鷹司財閥の力ならば……」

『財閥は私の管理下にない。それに京都三家と対立するのは財閥としても得策とは言い難い。……そうだな、せめてその事業を軌道に乗せろ。そうすれば城山先生と共同でタングステン鉱脈の国有に動けるかもしれん』


 やはり事業の成功が大前提か。

 つまり、代役を立てるしかない。


「俺の死亡届を撤回できませんか? もしくは仮の身分でもかまいません。用意してもらえれば……」

『貴様の死亡届は大陸の手が及ばないようにしたものだ。いまさらどうにもならん。それに、仮の身分を用意する時間もない。代役は朱膳寺千景にやらせるしかあるまい。公人にして、簡単には狙えなくなるようにしろ」


「子供ですよ?」

『前例がないなら作れ。できるよう仕込むんだ』

「無茶をおっしゃいますね」

『そのくらいせねば、状況を打破することはできまい。やれ』

「……わかりました」


 やるしかないのか。

 あと、ここにきて気になる点がもう一つある。


「副長、朱膳寺広重氏は敗血症で倒れました。そういった病気を誘発することは可能でしょうか」

『敗血症、特定の病気を誘発か……』


「医者は原因がわからない、と」

『不自然ではあるな。疑いたくなる』


「私もそう思います。しかし、こう考えれば説明がつきませんか? 意図的に敗血症を発症させることができるなら、可能ではないかと」

『それは飛躍し過ぎだ。敗血症は様々な要因で起こる。それを引き起こすなど……いや、まて』


 鷹司の声音が変わる。

 こちらの意図を察したらしい。


『まさか、貴様はこの件に近衛が噛んでいるというのか?』

「固有か何かで敗血症や類似する症状を作り出せませんか?」


『バカをいえ。固有とて万能ではない。それに、そのような固有を持つのは近衛に確認されていない』

「虎という前例があります。毒を作り出せるというのなら、病原菌に関するものがあってもおかしくありません」


『今までに報告も前例もない』

「でしたら、未確認、あるいは申請をしていないとしたら?」

『……あり得なくはないが……まさか、鶴来殿がそこまで……?』


 信じられないという様子の鷹司。


「あくまで私の仮説です。しかし、これ以外に考えられない。それに、この固有があれば西園寺や千景の両親を含めての事故に見せかけての暗殺が可能です。京都府警と関係のある存在ならば、検死もねつ造できる」

『……にわかには信じがたい。だが、状況がそろい過ぎているのも確かだ』


 鷹司が考えこむ。

 慎重を期する問題であることは承知だが、黙っているわけにもいかない。


『榊、なにか確証がなければ、近衛本体として動くことはできない。鶴来殿は京都、いや旧華族という分厚い簾の向こうにいる。本体を動かしたいというのであれば証拠を用意しろ』


 やはりそうなるか。

 確かに、今の段階では憶測、邪推に近い。鷹司としても信じがたいだろう。


「わかりました。今は飲み込むことにします」

『……それがいい。それよりも榊、貴様は何が何でも朱膳寺千景を説得し、事業を継続させろ。それができれば私は鷹司の本体に掛け合うことにする』


「ありがとうございます」

『なにかあった場合は連絡しろ。こちらもできるだけの協力は惜しまない』

「はっ」


 細かな打ち合わせをして通話を切る。

 千景になんとか協力をしてもらうほか、今は道がなかった。



               

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