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二五話


 ほぼ二週間ぶりに京都支部へ行く。

 すると、予想外の人がいることに驚いた。


「榊殿、息災であられたか?」

「直虎さん……、先日はありがとうございました」


 京都支部には白い近衛服、それに見慣れない鉢金をした立花直虎の姿。

 三人の部下を連れ、眼には殺気がある。


「物々しいですがどうかされたのですか?」

「対馬近海で不審船、潜水艦の目撃情報がありましたので装備を整え、これより哨戒に参ります」

「その頭のやつは……」


 黒い布に金属のプレートを付けた鉢金は帝都で目にしない。


「海軍より撃たれたと報告がありました。対物狙撃銃程度ならば遅れは取りませんが、ガトリングガンに代表される船舶用の重火器はかなりの脅威です。遅れをとらぬよう、万全の準備をしております」

「お、お疲れ様です」


 迫力に思わず後ずさってしまった。

 よくよく見れば、白い近衛服も肘や膝の部分に補強が見られ、より実戦に特化した形跡が見られる。

 船舶だろうが艦船だろうが、正直どんな装備を持っていてもこの人とは戦いたくない。


「榊殿、時間がありませんので手短に。どうか、こちらを……」

 胸のポケットから取り出されたのは最新のスマートフォン。

「先日、鶴来殿に渡されたとお聞きしましたのでご用意をいたしました」

「あー、いや、それは隊長から……」


 躊躇してしまう。

 鶴来からは勝手な真似はするなと釘を刺されている。


「鶴来殿には私からお話をいたします。なので、どうか」

「なにかあったのですか?」

「……受け取ってはもらえませんか」


 押し黙り、少し顔を赤くする。

 そこまで言われたら受け取らないわけにはいかない。


「わかりました」

 手を差し出すと、直虎さんはスマートフォンを操作し、そのまま手渡してくる。

「申しわけありません。ですが、雪解け水、どうか汲んでいただきたく存じます」

「……雪解け?」

「わ、私からこれ以上は申せませぬ。失礼!」

「んん?」


 受け取り、画面をみると、発信中の文字。

 その間に直虎さんは走って行ってしまう。

 ぽかんとしているとつながった。


『……なおとら?』


 聞こえたのはもはや懐かしいとさえ思える。

 こんなちんちくりんな声、一人しかいない。


「殿下?」

『……!』


 声をかけた瞬間、大きな音とがさがさというノイズが入る。

 無言でも殿下の行動と仕草くらいは予想できる。

 これは受話器を落としたのだろう。それにしても殿下の私室に電話なんてないはずだが。


「聞こえていますか? 慌てると余計にミスが増えますよ」

『……! っ? ……』

「殿下は利口ですが、あまり機転がきくタイプではありません。常日頃から想定外まで想定するのが仕事ですよ?」

『……! ……!?』

 

 楽しくなって口に出してしまう。

 こうして殿下にお小言をいうのも随分と久しぶりだ。


「だいたい、殿下のお部屋に電話はないはずですが、公務中ですか? 切りますか?」

『……な』

「なんですか?」

『……なおとらに、かってもらいました。けいたいでんわ』


 あの人は……殿下に対して鷹司以上に甘い。

 

『……さかきは、どうして?」 

「仕事のついでに会いまして、直虎さんのを頂きました。私のは鶴来隊長に預けてあります」

『……! だから……』

「だから? 殿下、もしかして私の携帯にかけましたか?」

『……はい」


「それは失礼をしました。京都に来てから少し経って預けることになりまして。ご連絡できず申し訳ありません」

『……だいじょうぶ、です」


 ようやく呼吸が落ち着いたのか、口調がいつもに戻る。


「しかし、どうして電話を? 緊急の用件ですか?」

『……い、いえ、すこし……』

「一つ推論です。寂しくなった、違いますか?」

『……っ!』


 息を飲むような呼吸音と何かを叩く音。

 図星か。


「あー、分かりますから床を叩かないでくださいね。大方、愚痴れる相手がいなくてフラストレーションが溜まっている、そんなところでしょう。まぁ、私が気軽だったことは確かでしょうから、気持ちはわからなくもありません。ですが殿下、みんな……」

『……ばか』


 通話が切れる。

 少しからかい過ぎただろうか。

 でも、安心もした。不機嫌だとも聞いていたのだが、大丈夫だろう。


「さて、俺は俺の仕事をしますか」


 鶴来との対決を控え、気合が入った。

 スマートフォンをスーツの内ポケットに入れ、執務室を目指す。




                 ◆



「榊平蔵、出頭いたしました」

「……よく来ましたね」


 労いか皮肉か、鶴来の言葉は感情が出ずわかりにくい。

 枯草色のスラックスにシルクのシャツ、サスペンダー姿は近衛には見えない。

 ついさっき、臨戦態勢だった直虎さんとは世界が違う。


「単刀直入に言いましょう。榊中尉、朱膳寺千景の護衛から外れなさい」

「……理由をお聞かせ願いえますか?」

「彼女に迫っていた脅威が排除されました。今日付けで任を解きます。帝都へ戻って結構ですよ」


 鶴来の言葉は淡々として、受け答えを拒絶するかのようだ。

 しかし、この程度では引き下がれない。


「お断りします」

「君に断る権限などない」

「お言葉を返すようですが、任を解くというのならば正式な書状をお見せ頂きたい」

「……」


 鶴来が黙するのを見越し、一歩前に出る。


「私は京都支部からの正式な書状によって召喚されています。解任するというのならば、また正式な書状があるはず。それを見せて頂きたいのです」

「……今はありません」

「なぜでしょうか?」

「書状の作成には日数がかかります。帝都は今、多忙を極めていると聞きます。少しでも早く戻れるようにというこちらかの配慮です」


 なかなか持って回った言葉だ。

 しかし、交渉というのはここからが重要となる。


「でしたら、その書状が出来上がるまで、護衛任務を継続させていただきます」

「その必要はありません。任を解くといった以上、君の役目は終わったのです」


「ではお伺いします。鶴来隊長、貴方は朱膳寺千景の脅威が排除されたとおっしゃいましたが、具体的な脅威とはなんでしょうか」

「機密に該当する。君が知る権利はない」

「知る権利がない? そう……ですか」


 思わず笑ってしまった。

 今思いついたにしては上出来かもしれない。なにせ、それっぽく聞こえる。

 しかし、詭弁であることは明白だ。


「では、私の任務が終わったことを証明していただきたい。帝都へ戻る以上、当然鷹司副長にはご連絡されたのですよね?」

「その必要はないだろう。こちらの任務が終わったことと、鷹司は何の関係もないのだから」


「貴方は、朱膳寺千景の護衛が終わったことも、私が帝都へ戻ることも証明できないままです。如何に近衛隊が超法規的な組織であっても然るべき手続きがある。私はその手続きに応じてきたのです。それが証明できないとは、自らの不正を告白しているようなものではありませんか?」


 ここにきて、一つ核心に至ったことがある。

 京都三家、旧華族と近衛京都支部が密接であることは疑いようがない。

 今回の呼び出しは朱膳寺家が進める事業へのハラスメントでほぼ確定だろう。

 そして、あの通り魔事件にも京都三家や支部が絡んでいる。

 

 狙いは千景、いや本当に見据えているのは鷹司の失脚と日桜殿下ではないのか。

 俺を呼んだのは買収し、京都に有利な情報を引き出すため。

 それが断られると継承権の低い千景の護衛として飼い殺し、通り魔に見せかけて殺害する。


 俺の失点は直属の上司である鷹司の失点であり、責任を取って副長職の辞任もあり得るとなれば近衛内で権力闘争が起こるだろう。

 そこで一番得をするのは誰か、その実利を得るのは誰かを考えると答えは自ずと出てくる。


「もう一度申し上げます。正式な書状がない限り、私は護衛任務を継続します」

「ならば早急に書状を用意しよう」


 どんな経緯で書状が作られるかはわからないが、正式なものである以上、簡単には発行できないはずだ。

 それまでに広重さんの事業を軌道に乗せる必要がある。


「榊中尉」

「まだなにか?」

「後悔しないのだね?」

「おっしゃる意味が分かりません。失礼します」


 刃の様に鋭い視線を正面から受け、敬礼をする。

 訣別の瞬間だった。



                   ◆



「……ただいま戻りました」

「あら、早かったのね」


 朱膳寺家へ戻ると、エプロン姿の千景が迎えてくれる。

 白のサマーニットに青紫のスカートと恰好は大人っぽいのだが、デフォルメされたネコがプリントされたエプロンは年相応か。


「ごはんの用意、できてるわ」

「恐縮です」


 小さな女神に先導されてキッチンへと向かう。

 そこにはスーツ姿の広重氏が新聞を広げていた。


「榊君、おかえり」

「ただいま戻りました。広重さんもお疲れ様です」

「今日は区の環境課と話をしてきた。明日は川を管理する京都府と、工場の立地の検討もある」

「ご無理をなされてませんか? あまり性急になさるとお体に障ります」


 席に着くと、千景がテーブルに料理を並べ始める。

 千景の得意料理でもあるトマトがたくさん入ったラタトゥイユ、夏野菜のピクルスにチキンステーキ、メインとなるパスタはペペロンチーノ。ニンニクの香りが食欲をそそる。


「忙しい方がありがたいものだ。このところ鈍っていたからね」

「おじいさまったら、野菜の世話を全部私に任せるのよ」

「千景は嫌なのかい? それなら……」


「こんな大変なこと、おじいさまが毎日やってらしたことに怒っているの。これからは私がします」

「榊君、藪蛇だったようだ」

「心中お察しいたします。お嬢様の将来が心配です」

「二人とも、なによ」


 千景も席に着く。

 三人で囲む食卓にしてはなかなか豪勢だ。


「天にまします我らが神よ、あなたは絶望の淵にあった我が家にパンと騎士とをお与えくださった。子供の手を借り、金儲けをする罪深き老人をお許しください」


 広重氏が祈りを捧げる。別に信じるわけではないが、一応黙祷をする。

 神に祈らない俺は、何に祈るのか。

 パッと浮かんだのはちんちくりん殿下の顔だった、今は久しく見ないボケ顔に祈る。

 朱膳寺家に幸多からんことを、と。


「さぁ、食べよう」

「いただきます」


 フォークを手に取り、ラタトゥイユを口にする。

 トマトの酸味、野菜の甘味、そして夏の香り。悪くない。

 

「仕事ってなんだったの?」

「上司への定期報告です」


 チキンステーキを頬張り、山盛りのペペロンチーノを流し込む。ピクルスがちょうどいい箸休めとなる。

 穏やかな時間が心を癒してくれる。

 今日は殿下の声も聞くことができたし、鶴来相手に荒んだ心もどうでもいい。


「今日の料理はいつになく美味しいです」

「……お世辞はいいのよ」


 正直を口にすれば千景の頬が少し赤い。

 芝居が古かったかとも思ったが、これでいい。




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