二三話
関西で大きな銀行からの融資は期待できない。
広重氏も苦しんだ資金の問題だ。
「副長には……もう頼めないよな」
電話の前で懊悩する。
鷹司には新潟での一件で金を借りた上に、今も活動資金の援助をしてもらっている。
これは、もう頼めない。
「あとは、裂海と立花」
二人ともかなり持っているが、貸してくれるかは疑問だ。
「いや、なんとかしなければ……」
ここを乗り切らなければ事業は成功しない。
資料は送った。問題はちゃんと見てくれているかだ。
気合を入れて朱膳寺家の古めかしい受話器を手に取り、ボタンを押す。
なのにーーーー。
『結構な額よね』
裂海からの返事は芳しくない。
「計画書も送っただろう? それでもダメか?」
『ちょっと多くない?』
「ま、まぁ、それは認める」
裂海がかなりの金額を持ってるとはいえ、確かに多い。
人生が買える値段だ。
『ヘイゾーだから話は聞いたけど、普通なら断るし、例え近しい親族でも躊躇う額だわ。なにか信頼できるものがないと』
「いや、まぁ、なんだ、ダメだったら俺が稼いで返す……」
『よわっちいのに? 死んじゃったら誰が返してくれるの?』
相変わらずの辛辣なのだが、否定できない。
「優呼、順位が低いとはいえ皇族がかかわるものだ。信頼ならこれほどのものはないと思うが」
『あのね! 今どきの詐欺師だって皇族の名前くらい使うわ。そうじゃなくて、私が言いたいのは保証! 何かあったときにどうするかよ』
「……お前は、相変わらずだな」
『当たり前でしょう! 誰だと思ってたわけ?』
近衛に入って日が浅い。
戦友にはなれたとしても、こと金や損得が関わるものだと無理は言えない。
ダメか。そう思いかけた頃、
『う~ん、じゃあヘイゾー、一つ貸しだからね!』
「えっ? いいのか?」
『なんだか必死そうだし、ダメだったら殿下に集るわ』
不穏な答え。
できれば勘弁してほしい。
『それとも私と結婚する? そうすれば裂海家から出資できるよ?』
「け、結婚て、お前な、そういう大事なことをさらっというな」
『えー、でも確実な方法よ? その代わり、これから先ヘイゾーの人生に自由はなくなるけどね!』
「……勘弁してくれ。これ以上差し出せるものなんてないぞ?」
『わかってるって。だから、貸しね』
「……悪いな」
『そう思うなら、さっさと戻ってきなさいよね!』
「ああ」
通話が切れる。
とりあえず一人はなんとかなった。
次に立花だ。
しかしーーーー。
『すまん、無理だ』
「やっぱり額か?」
こちらも芳しくない。
『いや、そうじゃなくて、金の管理は本家でやってるんだよ。だから俺がいくら稼いでも小遣い制で、大きな額となると本家の了承がなければ使えないんだ』
「小遣いって、当主なのにか?」
『まだ見習いだから仕方ないさ。……そうだな義姉上に聞いてみろよ』
「な、直虎さんに? 俺が?」
『自分のもちこんだ案件だろ?』
それは、そうなのだが。
実直な直虎さんから借りるのは気が引ける。
あの人なら貸してくれそうだが、それだけに言いづらい。
『榊、すまないが仕事だ』
「ああ、わるかったな」
通話が切れる。
ため息がでた。
直虎さんはどうにも苦手というか触れづらい。
本質が見えにくいところがあるし、何よりも躊躇いがなく、俺を過信してる様な気さえするからだ。
「仕方ないか。ここまできて諦めることもできない」
意を決してコールをすれば、案の定間を置かずに出る。
『榊殿、どうかされましたか?』
「あの、少しご相談がありまして……」
言いづらい。
実に言い辛い。
『私でできることでしたら、何なりと』
「じ、実は、ですね……」
事のあらましを告げる。
『わかりました。立花家として出資いたしましょう』
本当にアッサリ了承する。
ここまで簡単だと逆に怖い。
「よ、よろしいのですか? 資料もあとでお送りしますから、お返事はその時でも構いませんが……」
『お伺いした内容から性急な要件であると考えますので、この場で返事をさせていただきました。お気遣いなくお使いください』
「……ありがとうございます。このお礼はいずれ、必ず」
『はい。それよりも榊殿、失礼ながら携帯電話は如何されましたか?』
「実は鶴来隊長にお渡ししていまして、手元にありません」
『道理でお掛けになっても……』
「? お掛けに?」
『い、いえ、こちらのことです。委細承知しました』
「あの、なにか?」
『いえ、こちらのことです。それでは……』
焦ったように通話が切れる。
気になる。気にはなるが、思った以上に事が運んだ。
若干、心苦しくあるが仕方ない。
残るは一人。
◆
『……城山です』
秘書は通さなくていい。
松濤での一件通り、城山英雄は直接電話に出てくれた。
「お久しぶりです。城山先生」
『ああ、榊君。久しぶりだね。元気だったかい?』
「おかげさまで、なんとかやっております。城山先生もお元気そうで何よりです」
『君が京都にいると聞いた時には、少し心配したのだが杞憂だったようだね』
当然の様に俺が京都にいることを知っている。
誰から聞いたのか。
鷹司、ではないだろうし近衛内のシンパか。
いや、今はどうでもいい。
「先生、早速ではありますがご相談したいことがあります。先日お送りした資料はご覧になっていただけましたか?」
『勿論だ。タングステンを含む鉱脈の発見。事実ならば我が国にとって大きな力となる。それに、今現在仕えている家についても実に興味深い』
「城山先生は朱膳寺家をご存知なのですか?」
『潰えたとはいえ、西園寺の系譜では唯一皇位継承権を持っている。しかし、その実は関西財界の飼い殺しに等しい。憂慮すべき点だと思っていたところだ』
憂慮というところに城山の言葉には含みがある。
「折り入って先生へお願いがあります」
『だいたいの想像はつくが、投資かね?』
「それもありますが、まずは色々な根回しが必要となります。この京都では旧華族の地盤が強く、我々では銀行からの融資も受けづらくなっています」
『君が必要なのは諸々の相談相手、というわけか。それは私を頼って正解だ。関西の財界にも旧華族を良く思わないものもいる。大阪と……名古屋あたりならば話がつけられるだろう』
「ご慧眼、恐れ入ります」
話しの速さには脱帽するしかない。
送った書類だけで事の全容を把握しているのだろう。
『しかしだ、榊君。この計画はとても一つの家だけでできるものではない。予想ではあるものの、鉱脈の規模や埋蔵量からしても一個人で管理できない。横槍や第三者が悪意をもって内部への潜入のような事態ともなれば容易に覆されてしまうよ』
「……それは、正直に申しまして私も同じように考えておりました。しかし、今は時間も人もない」
嘘も隠すこともしない。
多少大げさではあるが事実を話す。
元サラリーマンだからと常に策を弄するわけではない。
時に自分の範疇を超えた問題も出てくる。
そんなときに頼れるのが上司であり会社という組織の力。
二つともない以上、今は政治家という人脈に頼るほかない。
「先日の無礼、平に謝罪申し上げます。その上で恥を承知でお願いをいたします。私に、知恵と力をお貸し願えないでしょうか」
これで断られたら後がない。
千景との約束が反故になってしまう。
どうにか良い言葉を引き出さねば。
『……』
沈黙が苦しい。
『出資としてはわるくない。しかし、担保が……ねぇ』
「……私に差し出せるものでしたら、なんなりと」
『なんなりと、か。そういえば君は殿下のお側役だったそうだね?』
痛いところを付いてくる。
さすがの情報網だ。
「……以前は、ですが」
『殿下の好物を教えてほしい。それでどうかね?』
「っ……」
政治家の問いに思わず呼吸が止まった。
俺に、殿下の秘密をバラせといっている。
『しかも、ずいぶんと殿下が信頼を寄せていたそうじゃないか。君の言葉なら信頼できる。どうだろう、取引としては悪くないとおもうのだが』
あのチビ助のことを話すだけで、資金と人材の協力が得られる。
破格であり、城山としても最大限の譲歩だろう。
『どうかしたのかね? 君は乞う側なのだろう』
「……勿論です」
なのに、言葉がでてこない。
あの能天気で、裏表がなく、愛らしい笑顔を売るのか。
気が付けば唇を噛んでいた。
『君の欲しいものはすぐ目の前だ。殿下とてお許しになる』
政治家が囁く。
その通りだ。殿下ならば、あのちんちくりんは受け入れるだろう。
かまわない、と。
だいじょうぶ、と。
言葉が瞼に浮かぶ。
「…………申し訳ありません」
なのに、出てきたのは拒絶の言葉。
自分の過失のために、殿下を引き合いに出されるのは身を切るよりも辛い。
簡単に人に頼ってしまった自分に、今更ながら嫌気がさした。
「私は思い違いをしておりました。自らの失態に殿下を巻き込むのは臣下として恥以外のなにものでもありません」
『先ほど、君は言った。何もかも足りない、と』
「その通りです」
『道半ばに投げ出すのは身勝手ではないのかね?』
「……投げ出すつもりはありません。これからでも、できることをやるだけです」
『それがどのような結果をもたらすのか、想像ができているのかな?』
「覚悟はしております」
できるだけやる。
無謀だろうが何だろうが、自分の判断の甘さの責任は、自分で取るのがサラリーマンだ。
『馬鹿者!』
「っ!」
雷鳴のような叱責に思わず背が伸びる。
『なぜその判断を最初からしない! 敵か味方かも判断ができない相手を安易に頼るなど愚の骨頂だ!』
「……!」
『切り札を持ちながらなぜ私を脅さない? 野党側に情報を売ろうとしないのかね? 金を引き出す方法などいくらでもあるだろう。真に必要ならばそれくらいしたまえ!』
「め、面目次第もありません」
『そうした小賢しいところが青いというのだ! 君の得意な交渉とはそういうものだろう。違うのかね?』
「か、返す言葉もありません」
かつての上司に怒られているかのようだ。
厳しく、容赦がなかった。
『……しかし、殿下の護衛としては悪くない』
「は?」
『ここで君が簡単に殿下を売り渡すようならば、私は君に失望していたかもしれない。近衛たるもの、いや、第一皇女日桜殿下の側役としては及第点をやろう。幾らだ?』
「いえ……その……」
展開の速さに言葉が続かない。
こんなことで金を出してくれるとは思わなかった。
『まさか、必要ないと? 私を心変わりさせたいのかね?』
「い、いえ、滅相も。ですが、頂くだけの理由がありません」
『だから青いというのだ。君は私を脅し、その上で金とコネの簒奪をする。十分な筋書きだ』
「し、しかし……」
『早くしなければ気が変わるぞ?』
思わずため息をついてしまった。
これが善意か、悪意なのか完全にわからなくなってしまった。
そして、俺個人として城山英雄に完敗したことになる。
次に頼み事をされたら断れなくなってしまった。
「お言葉、有り難く頂戴いたします」
『そうしたまえ』
「ありがとうございます」
はぁ。
大きなため息が出る。
かなり不利な交渉だったが、これで資金は何とかなった。
しかし、拭い切れない敗北感が心の内に残ることになってしまった。