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二〇話



 山に来て二日目、今日は早朝から山菜、そしてキノコの採取。


「この時期の早松は良い値が付くんだ」

「イワナも早松も、朱膳寺家の大事な資産なのよ」


 二人の言葉に護衛としては頷くしかできない。

 山では血眼になって早松を探し、川に下りてはイワナやヤマメを取る。

 冷たい山水に浸かりながら取り続ける俺を尻目に千景は水際で靴を脱ぎ、ぱちゃぱちゃと水を蹴っている。


「取り過ぎはダメよ」

「……はい」


 肩をすくめながら水に手を入れる。

 澄んだ水底に白い大きな石を見つけたのはそんな時だった。


「ん?」


 持ち上げてみれば白く六角形に近い形状。

 石英かとおもったが、大きさの割りに重い。


「どうかしたの?」

「いえ、少し気になることが……」


 川底を探る。

 ありふれた砂岩、礫岩をどかしてさらに下に手を伸ばす。

 こうした源流に近い場所では石が雨や土砂崩れで流れ落ちたままの状態で存在する。

 下流になるとこれらが水の流れによって転がり、互いにぶつかって角を落とし丸石へと変わる。


「……っと、これは大きいな」

 

 手よりも大きな岩に白い川のように模様を刻んでいるのは石英、無色透明なものは水晶と呼ばれるが、日本では白いものが多く石英と称される。


「なにそれ?」

「石英です。無色透明ならば水晶と呼ばれます。科学の授業で習いませんでしたか?」

「……知ってるわよ。時計に組み込まれているものね」

「ご明察です」


 小さなご主人様は存外にプライドが高い。


「それで、その石英がどうかしたの?」

「大きな結晶を見つけました。石英自体は珍しくありません。ですが、これほど大きな鉱脈は珍しい。どこかに鉱脈鉱床があるのかもしれませんね」


「……あなたは武士なのでしょう? どうして石に詳しいの?」

「私は最近なったばかりです。その前はサラリーマンをしていました。土石は専門分野です」

「おかしな武士もいたものね」

「まったくです」


 がらがらと石を選り分けながら黒く重い石を探り当てる。

 握り拳大の石。黒の中に飴色の模様が蜘蛛の巣の様に走り、八角形をしている。


「これは……」


 千景を尾行する日々で読んだ鉱物の専門書を思い出す。

 日本では珍しく、俺自身もサラリーマン時代にサンプルでしか見たことがないものだ。


「確か……ペグマタイト鉱床に出やすいとあったが……」


 周囲を見渡す。

 ここは渓谷の中、川があたりの地層を削ったのだと考えればあってもおかしくない。

 場所を変えて川の中を浚えば、やはり同じようなサンプルがあった。


「……こんなにあるものなのか?」

 見渡す範囲にあるということは量があるか、このあたりに鉱脈がある。

 ペグマタイトとは火成岩の一種。

 火成岩は読んで字のごとくマグマ、溶岩が冷えて固まったものを指す。


 京都は複雑な地質が密集する場所なのであっても不思議ではない。

 確かめるために持つと、見た目や大きさの割に重い。

 これは砂岩や礫岩、鉄やマグネシウムを含む苦鉄質ではなく、ケイ素やアルミニウムを含む珪長質岩の特徴でもある。


「……どうかしたの?」

「少しばかり珍しいものを見つけました」

「珍しい? オオサンショウウオでもいたの?」


「鉱物です。 日本ではあまり発見例のないものでしたので、驚きました」

「あなた、鉱物の種類が分かるの?」


 千景がこちらをまじまじと見る。

 まぁ、鉱物に詳しい武士という方が珍しいか。


「なんというの?」

「最初は煙水晶かと思いましたが、重さが違う。詳しく調査してみないと何とも言えませんが、恐らくではありますが灰重石かと思われます」


「かいじゅうせき? 聞かない名前ね」

「原石ではあまり知名度はありませんが、ある金属の原料となります。非常に希少で日本ではほとんど産出されません。あまりこういう話をするのははばかられるのですが、鉱脈を見つければ一財産になりましょう」

「ふぅん」

 

 千景はあまり興味がなさそうだ。

 小学生に希少金属の話をしてもつまらないだろう。


「お金に興味はありませんか?」

「ない……といえば嘘になるけれど、差し迫って必要だとも思わないわ。でも、一財産というからには相応の金額なのでしょう?」


「ご明察です。ただし、このままでは二束三文、この岩石から金属を取り出せれば莫大な利益を生むはずです」

「なんという金属なの? 金や銀ではないのよね?」

「タングステンです。軍需品として戦車、大型艦船の複合装甲や砲弾に使用されます。主要な産出国は共和国。次いで連邦、カナダ、オーストラリアとなります。西側諸国でも産出は稀です」


 信じられない、という様子の千景。

 無理もない。岩石の状態から銀白色の結晶を想像するほうが難しい。


「ですが、問題もあります。鉱脈を発見したとして、第一の問題は一つは加工の難しさです。岩石を粉砕し、薬品で処理するには大量の水を汚染します。第二の問題は騒音と公害。主要な産出国が大陸であるのも、汚染や健康被害を考慮しないからです」

「……広い土地、大量の水、それに命を惜しまない人が必要ということね」

「おっしゃる通りです」


 小学生にしてはかなり察しがいい。

 タングステン加工最大の欠点は汚染に他ならない。

 大陸では河とその周辺地域を丸々犠牲にしている。

 粉砕の時に生じる微粉末は肺を犯す。薬品が河に流れ込めば水生生物は死滅するだろう。

 だからコストが高く、先進国ではかなりの高額で取引される。


「榊、捨てなさい」

「承知しました」


 小さなご主人様は空を見上げていた。

 きっと、両親と過ごした幸せな時間を思い出しているのだろう。

 鉱石の採掘はこの景観を壊しかねない。


「私、お金なんていらないわ」

 

 その言葉が、千景の心境を表しているかのようだった。



              ◆



 千景は必要ない。

 しかし、この人は別だった。


「千景様には申し上げましたが、希少金属の原料となります」

「希少?」


 ログハウスでの何気ない会話だったはずだ。

 しかし、広重氏はことのほか食いついた。

 詳しい説明を求められ、俺の方が戸惑ってしまう。


「タングステンです。名前だけならばご存知かもしれません。軍需品だけではなく、建築や造船、機械産業に必要です」

「国内では珍しい……と?」


「採算が取れる規模では国内にありません。ただし、いくつか問題のある鉱物でもあります」

「その問題とは?」

「環境を害します。灰重石から加工に適したタングステン粉末にするまでの処理工程ではさまざまな薬品を使い、多量の水も必要です」


 これはタングステン以外にもいえることだが、金属の加工は重度の汚染を引き起こす。

 近代では足尾銅山、中世でも石見銀山や佐渡金山で河川や土地の汚染があった。

 金属を生成するにはそれなりのリスクはある。


「採掘現場にもよりますが、山を削ればこの美しい川も自然も現在のままではいられないでしょう」

「……」


 広重氏が押し黙る。


「おじいさま?」

「千景、私には夢がある」

 意を決したように口を開いた。


「西園寺が潰えてから、朱膳寺はもう私とお前だけになってしまった。お金に困ることはないが、いずれはお前も嫁に行く」

「お、おじいさま、そんなのは先の話よ?」

「しかし、そのタングステンがあればお前に家も、地位も、財産も残してやれる。私が死んでも、婿を迎えることだってできるだろう」


「……私、そんなのいらないわ!」

「朱膳寺家は西園寺からの分家以来、八〇〇年にもわたって土地を護ってきた。先祖にも報いることができる」

 

 広重氏の気持ちはわからなくはない。

 金があればすべては解決できる。

 千景の将来も、その先の朱膳寺という家も、守ることができるからだ。


「榊君」

「はっ」


 あまりするべき話ではなかった。

 そうは思いながらも俺としては努めて冷静を装うしかない。

 でた言葉は今更引込められないからだ。


「その石を鑑定する方法を教えてはもらえまいか」

「まだ採算が取れる規模かどうかもわかりません。勇み足も考えられます」

「構わない。調べるだけでもいいんだ」


 俺の主人は千景。しかし、その保護者である広重氏も、間接的にではあるが仕えていることになる。

 断ることは難しい。


「……頼む、榊君」

 

 広重氏が頭を下げる。

 苦し紛れに視線を逸らせば、そこには千景がいた。


 このときの千景の顔を、俺は忘れることができない。

 たくさんのものが綯交ぜになった顔をしていたからだ。

 


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