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一九話




 通り魔への懸念が消えない京都市内から逃げ出し、山道を歩く。


「おじいさま、早く」

「千景、あまり走るとあぶないよ」

「大丈夫よ」


 白のワンピースに麦わら帽、それにスニーカーという千景が登山道を先に行く。


「はぁ、結構な山奥ですね」


 山陰本線で京丹波に降りてからバスと徒歩で二時間。

 やってきたのは京丹波と南丹波の中間にある山の一つ。

 ここは古くから朱膳寺家の所有地であるらしい。


「榊君、すまないね」

「このくらい、なんてことはありません」

 

 俺の役目は荷物持ち。

 千景は遠慮なく任せてくれるので持つ甲斐はある。

 それにしてもスーツケース二つなんて何に使うのか。

 

 なだらかとはいえ、山道を進むこと三〇分、ようやく開けた場所に出る。

 そこには丸太で造られたログハウスがあった。


「ふう、少し疲れてしまった。やぁ、歳は取りたくないものだ」

「山奥だというのに随分と立派な建物ですね」

「息子が建てたものだ。今は年に何度も来れないが、以前は随分と過ごしたものだ」

「……そう、ですか」

 

 感慨深そうな広重氏。

 きっと、思い出深い場所なのだろう。


「ねぇ、掃除を手伝って」

「……只今」


 別荘の入口からご主人様が手招きをする。

 まぁ、せいぜい頑張ることにしよう。




                ◆



 人の手が入っていない建物というのは急速に劣化する。

 金属は錆び、木部はカビによって浸食される。

 空気は淀んで呼吸をすれば肺まで侵されてしまいそうだ。


「げっほえほ……」

 

 各部屋をはたきで埃を落としてから箒でさらい、最後に水拭きをする。

 実はこの手の作業は、あまり得意ではなかったりする。

 サラリーマンだった頃、自宅の床は這い回る機械に任せっきりだった。

 引っ越しもしていたので天井の掃除なんて意識したことがない。


「近衛は掃除もできないの?」

「面目次第もございません」

 

 監督するご主人様はご立腹。言い訳もできないので素直に謝る。

 救いといえば一部屋が大きく、部屋数があまりないことか。


「掃除が終わったらご飯の支度よ」

「楽しみにしています」


 千景は料理が上手い。広重氏の影響で洋食が得意らしいが、和食も作る。

 日々の楽しみとしてはこれくらいしかない。


「なにいっているの? 食材の調達はあなたがしてくるの」

「へっ?」

 

 思わず目が点になる。


「急だったんだもの、食材は持ってきていないわ」

「それは、そうでしたが、てっきり心当たりあるものだと……」

「心当たりならあるわ。少し下れば川があるし、山菜だってあるのよ?」


 今のご主人様は意外とアウトドア派なのかもしれない。

 殿下なんて山に放り出したらその日に干からびそうなのに。


「はぁ、まぁ……いいか」

 

 たまには良いだろう。そう思うことにする。

 時計はないが、日の傾き具合から夕方には少し早い時間。


「承知しました」


 掃除を終わらせ、外に出るとそこにはポリタンクを担いだ広重氏がいる。


「おお、榊君。どこへいくのかね?」

「千景様に食事材の調達を言い渡されましたので、少し川と山へ」

「そうか。近衛には不要だと思うが、もう少し山奥に入ると熊もでる。気を付けてくれ」

「肝に銘じます」


 挨拶もそこそこに跳ぶ。

 朱膳寺家に入り浸るようになってからは遠慮して慢性的な熱量不足。

 熊かイノシシ、一頭くらい仕留めてカロリーの補給分に充てよう。


 

                 ◆



「なに、これ……」

「鹿です。あとは猪と、イワナも少々」


 夕方、肩に猪を担ぎ、もう片方には鹿を抱えて、腰の蔓にはイワナが数珠つなぎになっている。

 鹿と猪はすでに毛皮を剥いで筋肉がむき出しの状態。これで驚かない方がおかしい。


「……どうやって?」

「これです」


 刀を掲げて見せる。

 実際には刀で切ったわけではなく、身体能力任せで殴っただけ。

 鹿は一発だったが、さすがに猪は左右の拳が必要だった。皮下脂肪恐るべし、である。


「と、取り過ぎではなくて?」

「有害鳥獣です。それに有っても困りませんよ」

 

 狩猟免許は持っていないが公的権力が及ばないので気にしない。


「よいしょ、っと」


 ログハウスの前に置かれた木製のテーブルに乗せる。

 半身とはいえ、三人でこれは普通に余る。もう半分はさっき焼いて食べてきた。

 これで今日明日くらいは熱量不足になることもない。


「やあ、榊君、凄いね」

「お褒めに預かり恐縮です」

「さすが近衛。身体能力の高さは凄まじいものだな」

「身体能力……」


 千景が怪訝そうな目をする。

 そういえば説明してなかった気がする。


「実は……」


 今更ながらに説明する。

 身体能力、それに刀。


「前にトラックを受け止めたのはこの力ね。それにしても、説明するタイミングが違うのではなくて?」

「ご容赦を」


 お詫びとばかりに鹿と猪を貢物として差し出す。


「……いいわ。じゃあ、それ切り分けて」

「はい」

「私は火の用意をしよう」


 広重氏がレンガ造りの竈で火を熾し、千景が山菜や食材の下ごしらえをする。

 俺はというと、”防人”安吉で鹿肉を猪肉を適当に切り分ける。

 まぁ、肉なのだから焼けば食える。さっきも食べたし、まずくはない。


「ん? この香りは」

 鼻をひくつかせて竈を覗き込む。鍋には山菜のスープにキノコが浮いている。


「この季節にキノコですか?」

「松茸よ」

「早松といって初夏から採れる。この時期の気候は秋と似ているからね」

「豪勢ですね」


 天然の松茸なんて食べたことがない。これは楽しみだ。


「肉切れましたけど、焼きます?」

「私がやるわ。あなたはもう座っていて」


 肉を千景に任せ、一足先に丸太を切っただけの椅子に座る。


「榊君、どうかね?」


 広重氏からスキットルを手渡され、一口含む。

 中身はウィスキー、山というシチュエーション、火が熾る前というのは雰囲気として悪くない。


「おじいさま、たくさんはダメですよ」

「こんな日だ、少しくらいはかまわないだろう?」

「もう……」


 千景が頬を膨らませる姿に、なぜか笑ってしまう。

 置いてきてしまった家族という言葉、それに温かさをこんなところで感じてしまうとは思いもしなかった。


「さぁ焼けたわ」


 テーブルに献立が並ぶ。

 早松のスープにイワナの塩焼き、鹿肉と猪肉の炭火焼き。なかなか豪華だ。


「天にまします我らが神よ。今日の糧に感謝をいたします。アーメン」


 クリスチャンでもなんでもないが、広重氏の祈りに合わせて黙祷する。


「頂きます」


 合掌し、スープを一口。

 美味い。松茸の香りに山菜の食感が絶妙。

 続いて鹿肉。


「うん、美味い」

 

 知識だけの血抜きだったが、味は悪くない。

 猪肉も独特の匂いはあるものの脂があってこれもいい。

 さっきは焼いただけでロクに味わいもしなかったが、こうして千景がひと手間加えたものは美味しいと思えた。


「猪って美味しいのね。売っている豚肉より良いわ」

「私はこのイワナが嬉しい。……昔はよく釣ったものだが、今は手に入りにくくなってしまった」

 

 広重氏が言葉を選ぶ様に間を開ける。

 きっと、千景の両親のことだろう。四人で、楽しい時間だったに違いない。

 団欒が俺に寂寞を想うのと同じく、二人にも楽しい記憶を蘇らせる。


「明日、また取ってきます。私は熊よりも上手いですよ」

 その場を和ませるべく熊が鮭を取る真似をする。


「……ぷっ、なにそれ」


 初めて、初めて千景が笑う。

 嘲笑でも苦笑いでもなく、普通の笑み。


「確かに、あなたは熊より使えそうね。言葉もわかるし、お肉も食べられる」

「ご期待に沿えるよう努力します」


 大げさに会釈すれば広重氏が頷いているのが目に入る。

 少しは安心せられただろうか。





夜、電気のない朱膳寺家所有のログハウスではロウソクの火が消えると就寝となる。

 俺はというと、千景と広重氏が二階にある二つの寝室に入るのを見届けてからログハウスをでた。

 

 念のために、と麓までの山道を見て回る。

 耳を澄ましても聞こえるのは風の音と野生動物の囁きにも似た息遣いだけ。

 さすがにここまで追ってくる通り魔なんていやしない。


「さて……」


 見回りも終え、ログハウスに戻れば小さな影が待っていた。


「几帳面なのね」

「……千景様、危ないですよ。お部屋にお戻りください」

「私は何年もここに通っているのよ。この山のことなら誰より知っているわ」

「それは頼もしい限りです」


 千景はパジャマ姿のまま切り株で作った椅子に腰かけ、夜空を見ている。


「……ありがとう」

「はい?」


「この山はお父様とお母様、お祖父様との思い出の場所。最近は来ることができなかったから、こんな状況でも嬉しいわ」

「ご不便をおかけします」


「おじいさまとたくさんお話しできるし……余計なヤツもいるけど、考えようによっては悪くないと思っているの」

「恐縮です」


 肩を竦めてみせると、千景は薄く笑った。

 そのまま視線を空へ向けると祈る様に目を閉じる。


「……早く事件が解決するといいのに」


 こんな場合、自分にできることはなんなのだろうか。

 言葉が見つからずに立ち尽くす。

 護衛、ではあるのだが身を守るだけの護衛ではなく、その心を支える体の盾でありたい。

 そう思わずにはいられなかった。




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