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一七話


 雨は降って地固まる、とはよく言ったものだ。

「天に坐します我らが父よ。今日の糧に感謝いたします」


 時刻は午前七時、少し早め朝食が始まる。

 テーブルの向こう側ではクリスチャンだという広重氏が十字を切り、千景も倣う。

 俺は無宗教なので食べ物に感謝するくらい。


「さぁ、食べようじゃないか」

 

 広重氏に促されて目の前に置かれたオムレツに箸をつける。

 やや固めに焼かれたところに自家製のトマトソースがかけられ、バジルが散らされている。

 割って一口。うん、美味い。

 護衛がバレてから、こうして朱膳寺家で食事を一緒にするようになった。


「パンは?」

「頂きます」


 千景からパンの入ったバスケットを渡され一つ手に取る。

 覚めると大量の熱量を要求されるのでこれでは足りないのだが、そこは遠慮したい。

 他人の家で、それも招かれた食卓で大食いできるほど図々しくはないつもりだ。


「おじいさまは?」

「そうだな、私も貰おう。今朝のラタトゥイユは格別だ。パンも欲しくなる」

「トマトが美味しいからです」

 

 なんというハイソサエティな会話だろうか。

 日本にまだこんな上流階級を絵にかいたような光景が存在するとは。京都恐るべしである。

 あの事件から護衛任務は格段にやり易くなった。

 

 まず、尾行はしなくてよくなり、千景公認で送り迎えという形になった。しかし、世間の目もある。

 急に若い男が送り迎えでは噂も立ちかねないということである程度の距離をとっての護衛に落ち着いた。


 次に夜間の警護。

 これも改善して朱膳寺家の庭にある倉庫を借り受けることになった。 

 これで雨や朝露に濡れることもない。


 広重氏協力の元、裏口や玄関にカメラを設置し、モニターを倉庫に設けることで家のセキュリティはほぼ万全といえる。

 あとは決まった時間に巡回をする程度。負担はだいぶ減った。


「いっそ、中で寝たらどうかね?」


 広重氏からはそんな提案もあったが、護衛としての矜持がある。

 緊張感を保つために辞退した。とはいえ、朝になればこうして食事をともにするようになり、気持ちの上でも大分楽になった。


「千景、今日はどうするのかな?」

「図書館へ行きます。夏休みの課題は終わりましたが、新学期のための予習をしようかと思っています」


「そうか。頑張りなさい。榊君はどうかな?」

「お供します」


「よろしく頼むよ」

「お任せください」


「おじいさまはどうなさるの?」

「私は少し用事があるが、夕方には戻るよ」


 自然な会話ができている。千景も顔をしかめたりしない。

 まだ心を許してくれたわけではなく、警戒心がなくなったくらいか。距離は徐々に縮めればいい。


図書館ならば司書もいるだろうし、新聞も残っているはずだ。

護衛のついでに五年前の西園寺が経営していた銀行破たん、それに伴う一連の事件を調べるにはうってつけだろう。



                  ◆



 朝食を終え、日差しがきつくなる前に千景と図書館まで行く。


「じゃあ、私は上にいるから」

「ごゆっくりどうぞ」


 千景は一言を残して階段を上っていく。

 図書館は冷房が利いていて快適そのもの。護衛が公認となり、茹だるような暑さの屋外で見張りをしなくてよくなったのは嬉しい。

 まぁ、図書館の中まで四六時中ついてなくても大丈夫だろう、見回りくらいは定期的にしようと思いつつ、地域の歴史をまとめた書籍を探す。


 図書館はだいたいその地域の歴史や風土をまとめた本を何冊か置いている。

 京都、いや西は門外漢なのでまずは軽くでも時代を遡りつつたどる必要がある。


「あった。京都一〇〇年史」

 

 著者が違うものを手に取り、テーブルへ移動して広げる。

 一〇〇年といえば近衛が南西諸島で共和国と領海をめぐって睨み合いをしていたころ。


「ふむ、遷都してからも経済的な基盤はあまり変わらないわけか」


 ページをめくっていくと頻繁に出てくるのは時代時代を支えた商人たち。

 京都、大阪は文字通り商業地区。

 伊達に一〇〇〇年以上日本の中心として名を馳せてきたわけではないらしい。


「そんな商人たちの後ろ盾が貴族、現在の華族……」


 江戸時代以降、武士や士族の中心が東京になってから政権を追われた貴族たちが目を付けたのが金、そしてそれらを取引する商人。


「あった、京都二七家。現存するのは三条、一条、紫雲寺、七々扇、水無瀬、風早矢、朱膳寺か」


 西園寺の文字は一〇年程前に出版されたものには記載がある。

 銀行を主軸として百貨店やホテル、不動産業と多角展開をして、関西を中心に山陰、山陽に密着した経営方針であったようだ。


 西園寺寿学、この人が最後の財閥代表。

 崩壊の理由は経営陣を立て続けに襲った不幸な事故と病気。そのあとに発覚した多数の不良債権。好景気の頃に無制限の融資を実行したことが後に尾を引いた、と本には書かれている。


「しかし、これでは尾上の証言と一致しない」

 

 あの小男はむしろ正直すぎる、と言っていた。無茶な投資や融資を実行するだろうか。

 親身すぎればあり得るかもしれないが、会社組織としてまかり通るとは考えにくい。


「もう少し調べる必要があるな」


 今は棚上げ。

 次に五年前、辛うじて残っていた西園寺の一族、そして朱膳寺夫妻がなくなった事故を調べなければ。

 本を戻して、今度はカウンターに向かう。

 司書が二人。

 一人は年配の男性、もう一人は若い女性。聞きやすいのは後者。


「ん、んん」

 喉の調子を確かめ、不自然にならないくらいの笑顔で、それも少し眉根を寄せていかにも困った人を演出する。


「すみません」

「は、どうかされましたか?」

「新聞を閲覧したいのですが……」

「ああ、でしたらあちらに」


 右手で示される。

 だが、欲しいのはそれではない。


「いえ、過去のものなんです。五年前のものを……」

 そこで広重氏名義の図書カードを手渡す。

 これは事前に借り受けたもの。

「ああ、朱膳寺さんのお身内ですか?」

「甥です」

 

 司書の女性は笑顔を見せてくれる。

 広重氏も一〇年前までは市議会議員を務めたらしいので説得力がある。


「ちょっと待ってくださいね」

 席を立ち、同じ司書の男性へ歩み寄ると耳打ちをする。

「すみません」


 こちらを見たところで丁寧に頭を下げ、低姿勢をアピール。

 図書館では過去の新聞を保存しているが、それは全国紙である場合が多い。

 地方紙やスポーツ新聞までは保存していない。

 それらを見越してまずはどの程度溜め込んでいるのかを確かめる必要がある。


「……許可がでましたので、こちらへ」

「ありがとうございます」

 

 女性の司書が別室へと案内をしてくれる。

 そこは保管庫というよりは倉庫。

 あまり室温の管理などもされておらず、中はかなり蒸し暑い。


「本当はデータベースでの保存が好ましいのですが、予算がなかなか下りなくて」

「京都市は政令指定都市、こうした情報の保存はされて然るべきだと思いますが……」

「ええ、でも京都は今、観光と集客へ力を入れていますので、こうした地域住民へのサービスというのには、なかなか」

「そうですか、大変なんですね」


 同調し、同情をして見せる。

 回ってくるべき予算が別のところに流れているのも政令指定都市らしいといえばらしい。

 そういった権限が大きなメリットでもあるからだ。


「五年前というと、このあたりです」

 倉庫の奥、乾燥剤と一緒にファイリングされている新聞を見つける。

「ああ、凄い。地方新聞、それに週刊誌まであるんですね」

「今では京都市の管理になっていますが、ここは元々、西園寺さんが出資して建ててくれたんです。ご当主の意向で地域にかかわるものはすべて保存するように、と言われましたので」


「なるほど。随分と奇特な……素晴らしい方なんですね」

「はい。でも、亡くなってずいぶん経ちます。左京区の図書館との合併の話も出ていて、今は少し……ごめんなさい。初対面の人にこんなことを……」

「そんなことはありません。お若いのにご苦労されているんですね」


 真摯さをアピールするべく、まっすぐ目を見る。

 ここで大事なのは視線を逸らさないこと、決して茶化さないことだ。


「こちらこそすみません。では、終わったらカウンターへお願いします」

「お手数をおかけします」

 

 鍵を受け取ると、司書は行ってしまう。

 なるほど、根が深そうだ。そう思いつつ、ファイルを広げる。

 五年前の一年間分なのでかなりの量がある。これは一日で網羅できる情報量ではない。


「地道にいくしかないか」


疑問は尽きないが、このまま調べ続けては護衛失格だ。

 あらかたの閲覧と目星をつけて資料室からでる。

 鍵を返すためにカウンターに寄り、


「すみません」

「はい、お済ですか?」


 笑顔で挨拶をしつつ鍵を返す。


「資料が多かったのもので、何回かに分けてあたらせてほしいのですが」 

「ええ、それは構いません」

「ありがとうございます」


 今度来るときはなにか差し入れをもってこよう。

 それこそ玉翠堂の羊羹なぞいいかもしれない。


「上も拝見してよろしいですか?」

「はい。ごゆっくり」


 笑みに送られて千景がいる二階へと進む。

 夏休みだというのに人の数が少ない。俺が学生の頃は図書館入り浸りだった。

 涼しいし本はあるし静かだし、いうことがない。


「……いたいた」


 そんな中でも今のご主人様は目立つ。

 赤みがかった髪が差し込む陽光で輝き、私服姿と相まってとても小学生にはみえない。


「まぁ、中学くらいか」

 とても高校生と呼べないところが可愛げがある。

 身長はかなり差があっても前も後ろもぺったんこ。あの裂海よりもない。


「……なに?」


 こちらの視線に気づいて瞳だけを向けてくる。


「いえ、存分にどうぞ」


 こちらも暇つぶしに、と本を手に取る。

 千景が手にしているのは太宰治の斜陽。あまり子供が読むべき題材ではない。

 そういえば、殿下は経済学の本を読んでいたのを思い出す。思考や能力が年齢より先んじるのが良いのか悪いのか、最近はわからなくなる。


「……俺が口を出すことでもないか」


 価値観の押し付けはよくない。

 自分は自分だと思い、京都府の地質学書を手に取る。


「暇つぶし、暇つぶし」


 言葉が静寂にかき消される。

 長い夏休みになりそうだった。




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