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一六話


 夜が怖いのは、見えないからだ。

 闇に何が潜んでいるのか分からない、知能を有するが故の悩み。


「……」


 朱膳寺千景は自室でシーツをかぶり、眠れない時間を過ごしていた。

 突然、背後から襲われた恐怖が脳裏に染みつき、目を閉じることができなかった。

 こうしたとき、古びた屋敷というのがアダとなる。


 静まり返る夜、なのに様々な音が耳に入り込んでくる。

 風で揺れる枝葉、蟲のさざめき、太陽光で膨張した木材が割れる音に怯える。


「……大丈夫、大丈夫」


 呪文のように言葉を繰り返す。

 突然襲われた恐怖が蘇って肩を抱いた。

 

 ふと、戸締りが気になる。

 昨日まで意識したことすらなく、きっと祖父がやってくれている。

 そう思うことにしたのだが――――


「……」


 気になって仕方がない。

 玄関は、当然しただろう。

 

 でも裏戸は? 

 一階の窓は全部鍵がかかっているだろうか。

 このあたりの治安は良いといっても、今日のような事例もある。


 見てこようか。


 一度浮かぶと、もう駄目だ。不安で、気になって仕方がない。

 意を決し、シーツを被ったまま部屋をでた。


 いつもの家、自分の家なのに、長く暗い廊下が別物のように感じる。

 一歩踏み出すごとにきしむ床、響く音に心が折れそうになる。

 

 大きな窓から少し顔を出して庭を、その先の道路や住宅街を見る。

 夜中だから、当然誰もいない。人気のないアスファルトを、街灯だけが照らしている。


「千景」

「っ!」


 後ろからの声に、飛び上がって驚いた。

 振り向けば祖父が立っている。

 外に気を取られてわからなかった。


「お、おじいさま」

「そんな恰好でどうしたのかね?」

「お、驚かさないでください!」


「千景こそ、こんな時間にどうしたんだい?」

「か、鍵が気になって……」

「ああ、昼間のことだね。大丈夫、あの男は警察に連行されたそうだよ」

 

 それはわかっている。

 でも、またあんな存在が出てこないともかぎらない。


「眠れないのかい?」

「だ、大丈夫です!」


 とっさに嘘が出る。

 大丈夫、ではない。

 すると、祖父が頭を撫でてくれた。


「心配することはない。偶然が重なっただけだ」

「……でも」


 怖いものは、怖い。

 一度染みついてしまった恐怖は、なかなか消えてくれない。

 うつむく。


「……おまえには、話すべきではないのだがね」

 何かを悩むように祖父が眉根を寄せている。困っているような、迷っているような複雑な顔だ。

「こっちだ」


 手を引かれて廊下の奥にある大きな出窓の前までくる。

 祖父は少しだけ窓を開け、


「みてごらん」

 促されて覗き込む。

「楠木の上、枝の真ん中にいるはずだ」


 いるはず?

 疑問に思いつつ、庭木で一番大きな楠木を見る。

 ぼんやりと人影のようなものが見えて、息を飲んだ。


「大丈夫、彼だ」

「かれ?」


 一つだけ思い当たる。


「榊君だ」


 祖父の言葉に改めて目を凝らす。

 宵闇にぼんやりと浮かぶのはシャツにハーフパンツという恰好ながら、枝の上で周囲に目を配る青年の姿ある。

 護衛は断ったはずなのに。


「あの日から、毎晩だ」

「そ、そんな……」

「ずっと見守ってくれている。今日だって、大事に至らなかったのは彼のおかげだ」


 驚きと同時にたくさんの感情が湧き上がる。

 隠していた怒り、助けてもらった感謝、毎日という困惑。


「だから、安心して眠りなさい」

 頭を撫でられ、押さえていた感情が溢れる。

「……はい」


 手を引かれて部屋に戻る。

 ベッドの上に寝転がると、緊張の糸が切れたのか眠気はすぐにやってきた。


「……ばか」


 つぶやきが溶ける間に意識は消える。

 安らかな寝息だけが夜に残る。



                  ◆



「っくしゅ」


 夏の朝なのにくしゃみがでた。

 体中が朝露に濡れて少し肌寒い。


「今日も何もなかったな」


 朝日に安堵しつつ、楠木から降りる。

 陽が昇れば疎らでも人が動く。広重氏も、もう起きてくるころだろう。

 俺の仕事もいったん終わりだ。

 これからまた短い睡眠をとって夕方に備えなければならない。


「……その前に飯だな。コンビニ弁当は飽きたし、自炊でもす……」

「なんでいるの?」

「っと」


 門の近くまで来たところで声をかけられた。

 勿論、広重氏ではない。


「護衛なんていらないっていったのに」

「申しわけありません」


 少し不満そうに腕組みをする千景に頭を下げる。


「毎晩こんなことをしていたの? プライバシーの侵害よ」

「……はい」


 ご尤も。

 ぐうの音も出ない。


「毎日小学生の尾行をするなんて変質者のやることよ」

「すみません」


 事実だけ並べると反論の余地もない。


「……でも、助かったわ」

「仕事ですから」


 顔を赤らめてそっぽを向く。

 少しだけ、歳相応の顔を見せてくれた。

 なんだ、可愛いところもあるじゃないか。


「護衛もなるべくわからないように配慮いたします。どうかご容赦ください」

「……」

「それでは失礼します」

「……まちなさい」


 一礼して去ろうとっすると呼び止められた。


「なにか?」

「……ご」

「ご?」

「ご飯を、作りすぎたの!」

「はい?」


 なんだろう、話が見えない。


「察しなさいよ! 作りすぎたから、食べなさい!」

「……はぁ」


 なんだ、そういうことか。

 あまりにも唐突なので驚いてしまった。


「こんなに朝早く、ですか?」

「そうよ。文句あるの?」

「いいえ」


 笑ってしまった。

 時刻はおそらく四時を少し過ぎた頃だろう。

 こんな時間に作りすぎることなんてない。


「こっちよ」


 先導されて裏口から入る。

 なるほど、ここにも出入りできるところがあったのか。


「ああ、榊君」

 リビングに入れば、大きなテーブルを前に座る広重氏の姿がある。

「座って」

「はい」

 俺を椅子に座らせると、千景はエプロンをつけてキッチンへと行ってしまう。

「申しわけない。話してしまいました」


 広重氏が頭を下げた。

 なるほど、そういうわけか。


「いえ、遅かれ早かれ分かってしまうことですから」

「しかし、これから少しはやりやすくなる」


 片目を閉じる。

 幸か不幸かわからないが気苦労が一つ減ったことを素直に喜ぶことにしよう。


「あの子の料理は美味しいですよ」

「楽しみです」


 言葉を交わす間に千景が皿をもってやってくる。

 真っ白いテーブルクロスに並ぶ皿に期待を寄せながら待つことにした。



                 ◆



 榊が京都で危機感を失っている頃、帝都では業務超過が頂点に達しようとしていた。


「なにがどうなっているのだ!?」


 鷹司霧姫が頭を抱える。

 彼女自身は非常に優秀で非凡。

 普段ならば音の一つも上げずに淡々と仕事をこなしていくはずなのだが、今は状況が悪すぎた。


「こんな時に臨時国会とは、野党はなにがしたいのだ……」

 

 会期でもないのに大したことがない問題をやり玉に挙げて臨時国会を召集したあげく、国会ではゴネにゴネている。これが予定を圧迫していた。


 さらに、太平洋上で客船に扮した共和国の工作船が確認される。

 これまでの地道な努力が報われた結果なのだが、取り締まりと対応で第二大隊と、本来防衛が主任務である第三大隊まで駆り出すことになった。

 

 これでは帝都の防衛が手薄になると奥尻に駐留する第一大隊の半分を呼んだ。

 こうして第一から第四大隊までの大半が帝都本部、そして軍の施設がある関東近郊に集結することとなった。

 しかし、人が増えると生じる問題が二つある。

 

 一つは食料。

 近衛はただでさえ大食漢がそろっている。武士は食わねど高楊枝、というのは間違いだ。

 覚めれば人の三倍から五倍は食べる。

 

 軍も規格外の近衛の分まではまかなえず、自分たちで手配する必要がある。

 四〇人いれば二〇〇人分の食事を用意しなければならない。


 それも毎食となればとても足りず、米軍からレーションの提供を受けたはいいが、あまりの味のひどさに顰蹙がでた。

 ここに榊平蔵がいたならば、迷うことなく民間の業者に発注を出したことだろう。

 鷹司にはそうするだけのコネも伝手もない。


 二つ目は衣類。

 近衛の制服はかなり特殊な生地でできている。

 ある程度の防弾、防刃、防爆を兼ね備えており、普段は専門業者がクリーニングを担当している。

 護衛任務をしたままでやるわけにもいかず、取り換えは必須だ。

 

 外洋で任務を行う者たちも潮風や波しぶきにあたった服も変える必要がある。

 帝都本部にある程度の予備も揃っているが、何日分もない。

 今は業者に無理をしてもらっている状態であり、長くは持たないだろう。


 これらの問題も一つ一つならば解決できる。

 しかし、これを同時に、それも一人で、といわれるとなかなかに辛い。

 

 近衛最大の弱点は皆が武士、士族であること。

 武芸を極め、己を律することはできてもそれ以外には疎い。

 結局は副長であり、今は近衛の全権を握る鷹司頼み、いや押し付けになる。


「副長」

「なんだ?」 


 一つ終わると一つ増える。

 呼ばれ、電話に出ては考え、一つ解決するごとに問題が増える。


「副長!」

「わかっている。少し待て」


 鷹司の執務室前、廊下では部下や一般職員、果ては軍部や政治家秘書までいる。

 それぞれが手に書類を持ち、鷹司の印鑑を待ちわびていた。

 最強無比とまで言われた鷹司は追いつめられていた。


「鷹司副長!」

「わかったから待っていてくれ!」


 最後は机に頭から突っ伏す。

 見えないが煙でも上っていそうな光景だった。




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