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一四話

 

 朱膳寺千景の護衛についてから数日間は、本当になにもなく過ごした。

 食べて寝て、小学生を尾行するだけの毎日。

 字面にすると犯罪者そのもの。いや、変質者か幼児性愛者だろう。

 

 事実だけを直視すると鬱になりそうなので、久しぶりにサラリーマン時代の日課であった鉱物の専門書を読む。

 会社に在籍していたころは資材部を経て営業部に所属。

 得意分野は土石、紙、ガラス。社内でも珍しく専門業者に品物を卸していた。


 土石に興味を持ったのは入社してから、ある業者に納入したコランダムの存在にある。

 コランダムとは酸化アルミニウムの結晶からなる鉱物で、和名は鋼玉。

 純粋なものは無色透明であるものの、含まれる不純物によって着色して赤ければルビー、青ければサファイアと呼ばれる。

 

 近年までは国内でも盛んに採掘され、建築や製造の現場で使われていた。

 このとき、宝石だと思っていたルビーやサファイアが同じ鉱物であることに驚き、同時に人造が容易であることにも衝撃を受けた記憶がある。


 コランダムをきっかけに鉱物にのめりこみ、それらの仕事ばかりをこなすようになっていた。

 手を出したのは鉱物系の中でもかなりニッチな研磨。

 理由は簡単で、ライバルが少なく儲けが大きいからである。

 

 国内の専門業者は片手ほど、それぞれが分野を分け合っている。

 新製品を提案、市場開拓を繰り返して売り上げを軌道に乗せるまで時間はそうかからなかった。


「あの仕事はどうなったんだろうか……」


 ふと、覚める直前までやっていた国内のネイルサロン向けエメリーボードを思い出す。

 エメリーはコランダムにスピネルや磁鉄鉱が混ざったもので、それらをプラスチックの板に塗布し、爪の研磨に使う。

 国内のネイルサロン市場に流すはずだった大量の在庫はどうしたものか。

 

 考えても仕方ないので思考を現在へ戻す。

 京都という場所は非常に面白い。

 日本は岩石の国であり、その中でも京都は特有の地質を有する。

 

 非常に多くの質帯があり、古くは三億年前のペルム紀のものから、新しいものは一千万年前の新生代までがある。

 狭い範囲に新古が混じり合う地質は日本でも稀だ。


「休みの日にでも採掘に行くか」

 

 あるはずもない休日を想像しながらページをめくる。

 暇つぶしとしてはちょうどよかった。

 


            ◆



 七月も後半を迎えて世間は夏休み。

 千景は小学生らしくプールや図書館通いをしながら日々を過ごしている。

 少し気の毒に思うのは周囲が家族旅行に行くなかで広重氏と二人、あの広い屋敷で過ごさなければならないこと。

 

 友人は多そうだが、通う学校はかなりレベルが高い私立なのでプールのために学校に来る生徒などほとんどいない。金銭的な都合かどうかはわからないが、塾通いや習い事も増えるわけではない。

 増えた時間をどう使うのかといえば、


「読書……ねぇ」


 日がな一日、図書館で本を読んでいることもある。

 朱膳寺家では家事は分担し、食事や洗濯は千景の担当であるようだが、それが終わると図書館にいる。よく飽きもしないものだ。

 

 俺はというと、図書館の見える公園で待機。

 炎天下の公園というのは地獄みたいなもので、木陰にいても湿気と蚊で泣きたくなる。

 暇とはいえ、俺もそんな中で読書をするのだから二重、三重苦に等しい。

 今日も何もなく終わる。

 

 そのはずだった――――。



 この日、千景が図書館からでたのは閉館の少し前、午後七時になってから。

 図書館から朱膳寺家までは徒歩で一五分。千景は行き帰りとも同じ道を通る。

 隣接する市営の運動施設、プールの横を通り、人通りがほとんどない川沿いの小道を歩く。


「……ん?」


 異変に気付いたのは反対方向から歩いてきた男性の行動。

 年齢は三〇代そこそこ、取り立てて特徴と呼べるものはなにもない。

 一見すればどこにでもいそうな男性が千景の横を通り過ぎた瞬間に立ち止まり、小さな後姿を凝視し始める。


 千景の姿が一歩遠ざかるごとに男の立ち姿が変わる。

 最初は首がぐるぐると回り、周囲を見渡す。両肩が下がって脱力したかに見え、続いて猫背になって頭が前に突き出す。足は完全に止まり、視線は千景へ釘づけになっている。

 

 数分前まで普通であったはずの男性が見る間に異常へと変貌していく。

 危機感が背中を押したのは次の瞬間だった。


「ヤバい……!」


 俺がいる場所から千景まではおよそ一〇〇メートル。

 走れば一〇秒とかからない距離だが、その間にも男性の変貌は続く。

 手元に目を向けないまま鞄からペンケースを取り出し、中のカッターナイフを探り当てる。

 チキチキと刃を伸ばすころには男の体も前のめりに走り出していた。


「ど、どうなってるんだ?」


 男の走り方はまるでチグハグだ。

 両手はカッターナイフを前に突き出したまま、まるで幼稚園児の借り物競争を見ている気分になる。なのに、速い。

 男性から千景までは三〇メートルもない。


「千景!」

 

 叫びながら全身の筋肉を励起。

 スーツの上着が破れ、革靴を突き破るほどに足の指がアスファルトを噛む。

 持てる力の全てを使って跳んだ。


「えっ!?」

 

 俺の声に気付き、千景が振り向いた時には男性も寸前まで迫っていた。

 カッターナイフの先端が狙うのは柔らかな腹部。


 男性の体重と一緒に突っ込めば、華奢な体は内臓どころか背中まで貫通してしまう。

 覆いかぶさるように跳んだ男性に千景の瞳が恐怖に見開かれ、体が強張るのが見て取れた。


「間に合え!」


「おオオおおォぉォォ!」


「っ!」


 俺の叫び、男性の異様な呻き、千景の息が重なる。

 先に届いたのは抜刀した”防人”安吉の刃。


「っふ!」


 狙ったのは太ももの裏側、神経と腱が集中する一か所を斜めに切り裂く。

 血が飛び散り、男性の体が傾く。

 なのに――――


「おォぉォおオぉォ!」


 倒れながらも壊れた機械の様に足をじたばたと動かし、手に持ったカッターナイフを千景へ向かって突き出し続けている。

 そこに理性はなく、口からは唾液が溢れていた。


「ちっ」

 

 舌打ちをして伸びる手を踏みつける。足には骨が砕ける感触があるのに、男性は動きを止めない。安心できず小さな体を庇うように倒れる男性との間に割って入った。


「なに、なんなの?」


 千景の瞳は刀を構える俺と血まみれの男性との間を行き来している。

 理解が追い付かないのも無理はない。


「ケガはありませんか?」

 

 腰を落とし、千景の体を観察する。カッターの刃は届いていなかったはずだが、確認は必要だ。

 脚、腹部、肩、顔と順に触る。

 傷も出血もない。


「だ、大丈夫よ」


 千景が辛うじて絞り出す。

 しかし、視線は未だ蠢く男性に注がれている。


「この男に見覚えはありますか?」

「……な、ないわ」

 

 まだ喋れるだけマシだ。

 普通なら驚きと恐怖で取り乱すか泣きわめく。

 思考を保っているだけで凄いといえる。


「腱を切りましたから、もう立てません。大丈夫です」

「……え、ええ……でも、なにが、どうして……」

 

 それでも状況が整理できていないのか、言葉が細切れだ。


「後の処理は私が致します。帰り道、お一人では心細いかと存じます。携帯電話はお持ちですか?」

「え、ええ、おじいさまがもつようにと……」

「ご自宅にかけて頂けますか? 私はこの通り、手が離せないもので」


 なるべく安心させるように微笑みかけ、促す。

 千景はスカートのポケットから携帯電話を取り出そうとするが、震えて落としてしまった。


「大丈夫……大丈夫です」

 背中を軽く叩きつつ促す。

「か、かかったわ」

 自身の耳に当てようとしても手が上がらない。


「ありがとうございます。恐れ入りますが、私の耳に当てて頂けますか?」


 右手には刀、左手は幼女の背中をさすっている。

 電話は持てない。


『……朱膳寺です』

「榊です」

『……榊殿。どうかされましたかな?』

「千景さんが暴漢に襲われました。少しショックを受けているようなので、迎えに来ていただけませんか? 場所は……」


 場所は帰宅途中というこもあり、朱膳寺家からは遠くない。

 電話を終えると広重氏は数分で来てくれた。


「千景様」


 背中を押す。

 広重氏の腕の中でも、千景はまだ震えていた。


「榊殿、これは……?」

「説明はまたのちほど。私はこの男を調べなければなりません」

「わかりました」


 広重氏に伴われて、千景は足早に去る。

 残されたのは俺と血を流す男性。

 まだじりじりと動こうとするので手刀で気絶させた。


「……はぁ」


 まさかとは思ったが、こうなっては仕方がない。上司、鶴来に報告しよう。

 このままにしても警察に届けても耳に入るだろうし、病院でも同じだ。京都中に権力を持っているなら遅かれ早かれバレてしまう。


「何言われるんだろうか」


 ため息をつきつつ、携帯電話を取り出すことにした。


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