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一三話


 

 宵闇、といっても街灯やネオンが煌々と照らして昼間のように明るい。

 人でごった返す繁華街を朱膳寺千景は縫うように、軽やかともいえる足取りで進んでいく。

 

 昨今では夜に子供が一人で出歩くことも珍しくない。

 都市部であれば尚更、塾や習い事で放課後は忙しくしている。遊びやクラブ活動に励むということも少なくなって、受験やその先の進路を子供の頃から見据えなければならない。


「幸か……不幸か」

 

 小さな背中を追いながら考える。

 自分はどうであったかなど考えると笑えるもので、ひたすら金のことを考えていた。

 

 勉強をしてテストで良い点を取れば小遣いの額が上がる、ゲームソフトを買って貰える。しかし、そうして手に入れたものの内容までは覚えていない。

 きっと手にすることが目的で、それ以降はどうでもよかったのかもしれない。


「……思い出すだけで嫌になるもんだ」

 

 振り返ることは必ずしも良いことばかりではないらしい。

 苦い記憶を噛みしめつつ、小さな背中を追う。

 千景が家に戻ったのは夏の日も完全に落ちた午後八時。

 扉が完全に閉まるのを見届けてからアパートに戻る。

 

 これから朱膳寺家の就寝までの短い時間が俺にとっての睡眠の時間。

 まさか、襲撃にしても寝静まる前はやらないはずだ。


「ふあっ……」

 

 眠ることができるのはせいぜい三時間程度。実戦を意識した訓練だと思えばいい。思えないが。

 屋敷の明かりが消える二三時頃に敷地に入る。

 これは広重氏の許可を得ているので問題はない。


「この時間が一番苦痛だな」

 

 自嘲気味に笑う。

 なにせ朝日が昇るまでの五時間あまりを耐えなければいけない。

 広重氏の手入れが行き届いた庭の中心、大きな楠木の枝に上って一日が終わり、始まるまでを過ごす。

 季節は夏、京都の夜は盆地であるがゆえに風がない。じりじりと蒸すような暑さに眩暈すら覚えてしまう。

 

 目を閉じて“防人”安吉に意識を集中させ、聴覚を限界まで引き上げる。

 これで敷地内くらいはカバーできる。あとは定期的に周囲を見て回ればいい。

 

 こうして夜を過ごし、明け方、東の空が明るくなるころ、足音に気付いた。

 生物、いや、人間の出す音はかなり独特でわかりやすい。

 その相手も。


「……ああ、本当にいるのだね」


 広重氏だ。

 ポロシャツにスラックス、麦わら帽子、首にはタオル。


「おはようございます」

 下に降りてお辞儀をする。


「夜もずっとここにかね?」

「はい。やはり夜が一番危ないものですから」


 俺が頷くと広重氏は困ったように、どこか気まずそうに顔をしかめる。


「正直、こう言っては何だが何も起こらないと思うが……」

「起こってからを想定するより、起こることを想定するべきかと存じます」

「いや、そうなんだが……」


 何を言わんとしているのかはアホでもわかる。無駄だから止めろ、だ。

 しかし、何かあっては殿下や鷹司の立場が危ぶまれる。

 口にはしないが、保身のためでもあるのだから褒められたものではない。


「ご助言に感謝いたします。ですが、これも任務。お気になさらぬよう」

「そうですか。わかりました」

 

 俺としては鷹司からの引き上げ命令があるまでは任務を継続するつもりでいる。

 できれば新聞の記事にもあった通り魔事件を解決すれば少しは安心ができるだろう。


 広重氏に頭を下げ、明るくなってきた空を見上げながらアパートへ戻る。

 食事と仮眠をしてから学校へ向かう千景の護衛が待っている。

 それでも――――


「気を使わない分、殿下の御守りよりはマシだ」

 嘯いて笑う。

 この仕事も大概だった。



                     ◆



 できるだけ早く戻す。

 京都に赴いた榊平蔵へそう告げた鷹司霧姫だが、事態は思うように進まない。

 

 榊が西に赴いてから間もなく、帝都東京では現内閣の改造が発表、発足をした。

 大臣の任命は皇族の仕事であり、病気で伏せる帝に代わり第一皇女である日桜が務める。


「……はぁ」


 粛々と行われる任命式で鷹司霧姫は小さくため息をつく。

 御所での行事ということもあり、鷹司が護衛についているのだが心配の種が尽きない。今や帝都本部は多忙を極め、施設内には一人も残っていないということが多々ある。


 あの出不精な伊舞ですら駆り出され、裂海と小笠原近海に赴いている。

 理由は違法漁業の取り締まり。

 なぜそんな細かいことにまで借り出されているのかといえば、被害額が馬鹿にならないところまで来ているからに他ならない。


 今の季節、小笠原諸島では黒潮に乗って上り鰹や烏賊の水揚げが最盛期を迎える。

 しかし、一昨年あたりから大陸の違法操業船が出没しては乱獲を繰り返し、日本での水揚げが激減してきている。

 

 ここまでならば近衛が出張ることはないのだが、先の新潟の一件で洋上での潜水艦浮上や潜伏工作員の密入国が疑われだした。

 日本海で行われていることが、太平洋でないとは限らない。

 それが漁船を隠れ蓑にしているとしたら、事態は海上保安庁だけでは対処できない。

 

 違法操業の拿捕と調査のため、犬猿の仲である海上保安庁と海軍をとりなして近衛との連携に漕ぎつけた。従って日桜の護衛は残るものがやるしかなく、鷹司自ら買って出た。

 今は一九人いる大臣の一人ひとりに日桜が委任状を手渡している。

 厳粛な空気ではあるが、舞台袖で鷹司はあくびを噛み殺していた。


「……いかんな」

 

 どうにも眠い。

 仕事ずくめなのはいつもと同じなのだが、細かい雑事までが鷹司に回ってくる。

 そのために榊を連れ戻す上申書すら書けずにいる。


「……優秀だった」

 

 ぽつり、と洩らすのは誰でもない、榊のことだ。

 近衛としては未熟で、戦闘能力も低くよくわからない固有能力を持ってしまった新米。

 しかし、事務処理や雑事、それに日桜の世話という意味では優秀であったと言わざるを得ない。

 

 鷹司自身、頼んでもいない事務作業を肩代わりしてもらい、本部で起こる様々な問題を知らないうちに解決していた。

 例を挙げるならば隊内でのもめ事や仲裁、備品の補充から事務方、食堂勤務への差し入れなど、多種多様。


 近衛は武家や士族階級が中心となっている。つまり、選民意識が非常に強い。悪く言えば他者を見下す傾向にある。

 近年和らいだとはいえ、トラブルはつきものだ。


 榊はその間に入り、巧く仲裁する。

 営業だっただけに腰が低く、近衛なのに頭を下げて詫びを入れる。

 効果を発揮している背景は固有能力。

 

 一〇〇人を超える近衛でも二割に満たない固有持ちである榊は入隊から最速で出世している。

 プライドが高い近衛たちも、元庶民とはいえ階級の高い榊に頭を下げられたのでは引くしかない。

 そして同じように一般の職員にも頭を下げるのだから可愛がられて然るべきだ。


「まったく、人誑しめ」

 

 恩恵にあずかっている鷹司ですらこう、だ。

 そして、もう一つ重大な問題があった。


「日桜殿下、一言お願いします」


 任命式も終わりに差し掛かり、委任状を手にした大臣たちが壇上の日桜殿下に注目する。


「適切な議会であることを望みます」


 日桜が目礼をして下がる。

 これだけならば今まで通り。榊がいなかった頃もこのような感じだった。

 問題はこの後にある。


「殿下、お疲れ様です」

「……はい」

 

 鷹司のもとへと戻ってきた日桜の目には生気がない。

 比較的親しい鷹司がうっすらわかる程度だが、日桜は機嫌が悪かった。

 無論、表に出すことはない。その程度のもの。


「……つぎは、なんですか?」

「接見です。原稿はこちらに」

「……はい」

 

 明らかに不機嫌であり、仕事を急いでいる節すらある。

 鷹司には日桜が自分への当てつけのように黙々とこなしているように思えた。


「で、殿下、お飲み物など如何でしょう」


 不器用そのものである鷹司が努めて笑顔でペットボトルのお茶を差し出す。

 なのに、


「……いいです」


 そっぽを向かれる。


「……」


 背中に脂汗を流しながら鷹司は差し出したままのボトルを握りしめ、凍り付くしかなかった。



11月12日より毎日更新となります。

第一部よりは短いですが、今しばらくお付き合い頂ければ幸いです。

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