一二話
朱膳寺家を辞したあとからはかなり忙しかった。
その日の夜はさすがに野宿、雨が降らないだけ運が良かったのかもしれない。
翌日は送られてきた現金書留を広重氏から受け取り、その足で紹介してもらった不動産屋に行く。
地元の名家でもある朱膳寺家の口利きで、近くに安いアパートを借りることができた。
契約に必要な保証人や電話番号はすべて帝都の近衛本部のものにした。
本部からは怒られるかも知れないが、京都支部では断られる可能性が高いので却下。
まぁ、鷹司なら殴るくらいで許してくれるだろう。
アパートに入居した日は土曜日だったので千景は学校へ行かない。
これ幸いに、と八畳ワンルームのアパートで地図帳を眺める。
スマートフォンのマップ機能も便利なのだが、画面が小さいのが難点。その点、本の場合は大きく見易い。
「京都って本当に碁盤の目みたいな地形になってるのか」
大きな道や街道だけではなく小さな通り、小路にまで名前がついていることに今更ながらに感心する。中坊の頃はそこまで見ていなかった。
地図での把握を終えると今度はスーツを着てその辺を歩き回る。
紙面からは見えないものを見るためだ。
万が一を想定して、刀は丸めたポスターに入れた。日本という国はスーツ姿で鞄でも持っていれば不審者だと思われない。
そうやって歩き回った後、夜は朱膳寺家の敷地内で見張りをする。
赤外線やカメラも考えたのだが、市販品では暗闇での感度や光学センサーに不安があった。
あとはアパートで監視をしていても、万が一の場合は到着までタイムラグがある。
これは致命的、というわけで敷地内での監視を決断するに至った。
唯一の救いといえば、朱膳寺家の敷地は高いコンクリの壁にぐるりと囲われているので周囲からは見えないこと。これで侵入者だけに注意をしていればいい。
「しばらくはあまり眠れないんだろうな」
いくら覚めていても最低限の睡眠時間は必要なのだが、死にはしないだろう。
こうして身の回りを整え、見慣れぬ土地に四苦八苦するだけで土日は終わってしまった。
明けて月曜日の朝、二日間引きこもっていた千景の尾行、いや護衛を開始する。
「人の生活をのぞき見るのは趣味じゃないんだがな……」
起床から就寝まで、とはいかなくても登校から帰宅までは追わなければならない。
「午前七時三〇分、出発」
朝はサラリーマンに変装して尾行する。
刀を持っているので、距離があっても問題ない。
むしろ、近ければ悟られて警察を呼ばれる。慎重にしなければ。
それにしても目立つ子だ。
かなり後ろからでも存在が一目で分かる。同学年と比べても存在感がある。容姿も良い。
陽光になびく髪がそれを際立たせている。
「殿下、負けてますよ」
チビ殿下も髪の美しさでは負けていないが、如何せん背が低い。
それにちんちくりんで扁平だ。今のところスタイルでは一つも勝っていない。
「顔は……良い勝負かな。将来が楽しみだ」
一〇年、いや五年後には二人とも輝くばかりになっているだろう。
そのとき俺は三〇。どこでなにをしているやら。
「……止めよう」
未来を描くと複雑になるのでやめた。
◆
千景が学校にいる間は安心なので、京都市内の繁華街を巡る。
名前だけは知っている新京極に祇園、歴史の舞台になった先斗町。
聞き知った限りでは木屋町、縄手。買い物ならば川原町もある。
「市内は案外広いな」
汗を拭いつつ熱量不足に伴う空腹を感じ、近くのハンバーガーショップへ入る。
テイクアウトで三〇個ほど頼んで公園に持ち込んで木陰に座る。
涼しい店内で食べてもいいのだが、目立つ行動は避けたい。
サラリーマンがハンバーガー三〇個ではさすがに無理がある。
勤めていたころはどこにでもあって出てくるのが早いので結構食べたが、近衛になってからは縁がなかった。バーガーを口に押し込み、コーラで嚥下する。
「……不味くはないけど、旨くもないな」
熱量の補充には十分でも味が貧弱すぎる。
これは近衛食堂の弊害だ。あの味が頭に浮かんで懐かしくなる。
「……それにしても、公園って案外人が多いな」
少し広い公園に外国からのバックパッカーやロードバイクに乗っている人もいる。
京都全体が文化財みたいなものだから分からなくもないが、不特定多数が多いのは犯罪の増加にもつながる。
「この辺りはチェックだな」
コーラを飲みつつ記憶に刻んでいく。続いて新聞を開き、記事のチェック。
そこには深夜の繁華街で起こる通り魔事件についての追及があった。
容疑者が捕まったとあるが、その翌日も事件が起きている。不可思議であり、真犯人が別に居るのか、という分析で〆られている。
「この手の事件は模倣犯も多いからな」
千景も狙われる危険性がある。注意しなければ。
しばらく食事と休憩をしてからまた歩く。
京都という場所は一〇分も歩くと神社仏閣に出会う。
市街地であろうと住宅地であろうとそれは変わらない。敷地内には整地がされ、木々が植わっていて雰囲気もいい。が、気になることもあった。
「今は良いが、夜は危なそうだな。茂みや人の目が届きにくい場所があるか……」
隠れる場所が多い。
観察を続けながら歩き回るうちに日が傾く。
「そろそろだな」
歩き回る間に高学年の下校時刻となる。
千景は今日は学習塾にいくはず。
場所は広重氏に聞いてあるので先回りしてコーヒーのチェーン店に入り、窓際に陣取った。
「きたな」
しばらく待っていると友達二人と談笑しながらやってくる千景を見つけた。
新聞で顔を隠しつつ塾に入るところまでを見届ける。
「さて……」
これからは塾の周囲を見て回る。
新聞記事には通り魔は遅い時間に犯行が集中しているとあった。
被害者の容姿に特徴はないが髪の長い女性という共通点がある。
千景はその危ぶむべき髪の長さという特徴に該当する。注意は怠ることができない。
塾を中心に繁華街を半径一〇〇メートルほどをぐるり巡ってから牛丼屋へ入り、早めの夕食を食べる。
勿論、これだけは足りない。
食事というよりは適時の熱量補給、アパートに戻ったらまた食べる必要がある。
「ガンガン金が減るな」
赤貧を感じつつ大盛りのご飯を口に運びながら思案する。
なにか収入がなければ鷹司に借りた金も二ヶ月と持たない。守衛にやる賄賂も必要だ。
「ああ、金貨があったか」
何かないかと考えを巡らせていると、入隊初日に鷹司から握らされた記念金貨を思い出す。
あれを送ってもらえば、また当分の資金原になる。
俺自身は換金が難しいが、そこは広重氏に頼もう。
そうとわかれば食事を早々にすませて携帯電話を取り出す。
選んだのは裂海。
立花でもよかったが直虎さんに知られるのはあまり良くない。
『やっほー! どうしたの?』
脳天気な声が聞こえる。
まだ数日なのになつかしいとすら思ってしまう。
「忙しいのに悪いな。今いいか?」
『うん、大丈夫よ!』
「……なんか、お前の声を聴くと安心するな」
『えへへ、お世辞言っても駄目よ! ヘイゾーは今京都にいるんでしょう? なに、忘れ物?』
「頼み事。俺の部屋、机の上に金貨が何枚かあるはずだから、それを送ってくれないか?」
『金貨? なに、お金に困っているの?』
心配の声音をするが、忙しい裂海にあまり迷惑はかけられない。
これは俺の仕事だ。
「少し物入りでな」
『……いいわ。送ってあげる。場所は京都支部?』
「いや、メールで連絡する」
そういえば、帝都の連中は支部と呼ぶのに、京都の連中は京都本部と呼ぶ。
そうした温度差があるのか。
『オッケー! じゃあ戻ったらすぐに送るね!』
「悪いな。八つ橋でも送るよ」
『八つ橋なんていいから、ヘイゾーから殿下になにか言ってあげてよね! 異動になってから電話もしてないんでしょう?』
「こっちはこっちで色々ある。それで、何がどうしたって?」
『今は宗忠と副長、それに第八大隊長の陽上さんで護衛しているんだけど、機嫌が悪いみたい。きっとヘイゾーが黙っていったせいよ!』
初耳だ。
殿下が不機嫌?
それに黙っていったのは時間がなかったからだ。
「優呼……殿下が不機嫌なんてあるのか?」
『あるわよ! 当たり前でしょう!』
怒鳴られて耳がキーンとする。
『誰だってお世話してくれてたのが突然いなくなったらビックリするし、心配にもなるわ。その辺分からないとは言わせないわよ! 鈍感、朴念仁、スケコマシ!』
「あのな、いくら俺でも最後は否定するぞ」
『認める認めないの問題じゃないの! 電話一つもできないくらい忙しかったの? 一分、二分の時間がひねり出せないくらい切羽詰まってた?』
「え、いや、そんなことは……」
口調にトゲがある。旗色が悪そうなので逆らわない。こういう時の裂海は面倒だ。
『もう、女の子を蔑にしたら首切ってやるんだからね!』
「わ、わかった。かけるよ」
『絶対だからね!』
通話が切れる。
あー、怖かった。
「電話っていっても、殿下の部屋には電話ないしな……」
どこかに呼び出すのか?
それは効率が悪い気がする。
「あっ、やばい」
考えているうちに宵闇が空を覆っている。
もう千景がでてくるころだ。
「殿下のことは……あとだ」
今は仕事を優先することにしよう。