一一話
「安物で申しわけないね」
「恐縮です」
朱膳寺広重氏の誘いを受け、二度目となる邸内に足を踏み入れる。
数時間前と同じくリビングに通され、丁寧にもてなされる。
冷たい珈琲を一口啜り、ようやく人心地着いた。
「朝のことは大丈夫だったのかな?」
「注意程度です。お気になさらないでください」
「それならばいいのだが。千景はああいう子でね」
「滅相もありません。私は良い判断だと思います。度胸も決断力もある」
俺の言葉に広重氏が含み笑いをする。
なにか思い当たる点でもあるのだろうか。
「千景は聡い子です。少し、過ぎるくらいに。やはり私一人では十分な情操教育をしてやれません。二親の不在を嘆くばかりなのです」
「……」
「失言でしたな。では、本題に移りましょうか」
「ありがとうございます」
交渉において過敏な話題には触れないのが定石なのだが、これは迷う。
護衛対象のことを知っておくのは重要なのだが、拒否されている以上必要以上に懐を探るのは避けたい。理由は自分がやられるのを想像すると嫌悪感しかないからだ。
こうしたことは一定以上の関係を築けた場合で適用されるべきなので現段階では躊躇いがある。
「榊殿、失礼ながら貴君と近衛について少しばかり調べさせていただいた」
「……当然です」
まぁ、普通なら裏を取る。
しかし、近衛と俺についてそう簡単に調べられるのかが疑問だ。
「近衛の正式名称は近衛府近衛第一歩兵連隊。設立は約一五〇年前。各藩の精鋭から集められた御親兵がその始まりとされている本拠地は帝都千代田区九段、そしてこの京にも京都支部が存在する」
「その通りです。広重さんは随分と良い耳と目をお持ちなのですね」
「今はこの有様ですが、朱膳寺家もかつては京都二七家に数えられました。それなりの伝手はまだあります。そして、つい一ヶ月前に任官した近衛がいる」
少し面を食う。京都に情報網があるとは思いもしなかった。
世は移ろいでも千古の首都。
「そこまでご存じというのならば、正直にお話を致します」
珈琲を一口飲み下し、深呼吸をする。
こうした場合、下手な仕掛けは心証を悪くする。交渉も時には正直が必要だ。
「……伺いましょう」
神妙な顔になる広重氏を前に、事のあらましを告げる。
さすがに任官からではないが、一月前の新潟の事件と今回の異動までの流れをおおまかに並べた。
「左遷ですか。近衛でもそのようなことが?」
疑問に思うのも無理はない。
どんな組織でも、対立や内部での抗争は必ずある。
人数が多くなれば派閥が生まれる。仕方のないことだ。
「お恥ずかしい話です。現在、私の上役が交渉をしていますが、今日明日にというわけにもいきません。その間、いえ、できれば千景さんの安全が保障されるまでは護衛をさせて頂きたいのです」
ここで馬鹿正直に裏が取れるまでの時間潰しでは心証が悪いし、なにより脳がない。
子供の使いではないのだから、今後の安全も確保したうえで戻るのが至上といえるだろう。
「このような事態になってしまいましたが、京都支部もただ左遷というだけで私を呼んだわけではありません。事情はあれど、理由もあります。その理由の根拠となる脅威の排除をしてこそ本当の安全といえるのではないでしょうか」
「しかし、千景は普通の小学生として生活をしています。いきなり護衛といわれましても……」
「お気持ちは尤もかと存じます。参考までにですが、これまでなにか変わったことは起こりませんでしたか?」
「ない、と思います。この辺りは閑静な場所ですので不審者の出没や事件になるようなことはほとんどありません」
広重氏の答えに差し迫った様子はない。
この任務が完全なデッチ上げなのか、はたまた真実なのかを確かめる必要もでてきた。
「わかりました。では、千景さんには悟られないよう護衛をすることにします。勿論、極力気づかれないように配慮いたします」
「……わかりました。護衛していただくのは構いません。むしろ、昨今は街場も危なくなってきている。私も見ての通り歳をとりました。付きっきり、というわけにはいきません。ですが、そのようなことが可能なのでしょうか。下手をすれば貴方が不審者となる」
広重氏の意見は当然といえる。
いくら近衛が公権力に従わなくていいとはいえ、事件にはしたくない。
少し考え、
「千景さんは昼間は学校に行っているのですね?」
「ええ。近くの小学校へ」
「塾や習い事などはされていますか?」
「週三回の学習塾、あとは月に何度か花の稽古と書道教室があります」
学校に行っている間は外からの警護でいいだろう。
習い事などは離れて見ていればいい。あとは夜か。
「繁華街ならば問題ない。学校も登下校の時間であれば人通りも多いはずですから、紛れ込めると思います。問題は夜ですが、私も近衛ですので身体能力には自信があります。人目に付くようなことはないと思いますが」
「しかし、お住まいはどうされるおつもりですかな? まさか野宿というわけにもいきませんでしょう」
「その辺にアパートでも借ります」
「そうおっしゃるのならば私は構いませんが……」
そこまでする必要があるのか、とでも言いたげだ。
気持ちは分からなくもない。なにせ、現状は平和そのもの。
事件が起こってもいないのに警戒をする方が馬鹿げている。
「広重さんのお考えも理解しているつもりです。ですが、命令によって護衛となったからには万全を期すのが近衛の務め。千景さんに何かあったのでは、私自身、帝都本部に面目が立たないのです」
想像するに、今回の件が囮とは考えられないだろうか。
鶴来や財界は名指しで俺を呼んだ。
恐らくではあるが取り込む公算は高いと踏んでいたはずだ。事実、近衛に入ったばかりの俺なら尻尾を振っていただろう。
それを断られ、はたして指を咥えたままでいるだろうか。
俺でもなんらかの意趣返しを考える。
そうでなくとも断るとなれば俺の後ろ盾も考えるはずだ。鷹司へのリーク、帝都本部への報告、様々思い浮かぶ。
だとすると、京都にいる間に、自分たちの手の内にいる間に策を巡らせるはず。
俺を巻き込み最も痛手を被るのは他ならぬ殿下と鷹司。
ならば、二人のためにも任務には万全を期す必要がある。
護衛といわれたのならば何が何でも千景を護らなければならない。
「わかりました。そこまで仰るのならば、私からはお願いするだけです」
「ありがとうございます」
あと一つ、付け加えるならば元サラリーマンとしては異動や内部事情がどうであれ与えられた仕事に最善を尽くし、尚且つ全うしたい。
それが今の自分の根幹であり、曲げられない信念でもある。
問題はこれから。情報の収集、そして諸々の手配。忙しくなりそうだ。
ああ、そうだ。金の件を話していなかった。
「最後に一つお願いがあります」
「? なんでしょうか」
「実は……」
鷹司から送られてくる書留に触れてから朱膳寺家を辞する。
その頃には空に夕闇が迫っていた。
◆
榊平蔵がひそかに朱膳寺家の護衛を始めた夜、京都市内で通り魔事件が起こった。
いや、正確に記するならば通り魔と思しき事件。
繁華街の路地裏で起こった事件の被害者はまだ二〇代の女性。
当初、この事件はあまり騒がれはしなかった。
理由は簡単で、襲われたのが深夜に近い二三時であったこと、被害者が泥酔していたこと。
当初は通り魔とも疑われず、喧嘩や交際でのトラブルが予想されたのだが、日を追うごとに被害者が増えていった。
それも一か所ではない。複数の場所でほとんど時間帯二二時から午前〇時に犯行が集中したこともあり、京都府警が連続通り魔事件として、捜査に踏み切った。
しかし、疑問が残ることもあった。凶器が毎回違ったからだ。
ナイフ、小型の包丁、カッター、統一性がない。それは被害者についてもいえた。
年齢は一〇代から四〇代までと幅広く、容姿による共通性がない。
京都府警が見いだせた共通点といえば、被害者が全員女性であること。
身長一五〇センチ前後、髪の毛が長いことだけ。
事件の発生から数日、最初の犯人を逮捕するのにさほど時間はかからない。
しかし、事件は収束することはなかった。
一人が逮捕されたにも関わらず、犯行は終わらなかったからである。