一〇話
「失態ですね」
思いがけず京都支部に出戻りになった。それも警察の護送付き。
いくら公権力に従わないといっても蹴散らすわけにもいかないので大人しく連行された。
「申し訳ありません」
こちらも驚いたので素直に頭を下げる。
まさかとは思っても、現実になると苦笑いしかでてこない。
「京都府警には私から話します。今後はこのようなことは慎むように」
「……はい」
「処分を下します。減俸三ヶ月です」
「承知しました」
「…………」
また睨まれる。
その瞬間、体中を不快感が襲ってくるが、何とか耐えた。
「まだなにか?」
早く終わらせたくて口に出す。
あまり長く体感したいものではない。
「……いえ、結構です。さがりなさい」
「失礼します」
敬礼をして執務室をでれば、不快感はなくなっていた。何だったのかと考えはするが、分からない。
気を取り直して深呼吸する。
減俸らしいが、今でも借金生活なのだから減俸くらいなら別に構わない。
「さて、任務に戻りますかね」
それにしても朱膳寺千景という子はなかなか頭が良い。
行動力と決断力もある。あのちんちくりんも少しは見習わせたい。
「……殿下、か」
ふと頭をよぎる。離れて二日、思ったよりも気にならないものだ。いや、今までが慌ただしすぎて考える余裕がなかっただけかも知れない。
そういえば鷹司に連絡をするよういわれていたが、忘れていた。
まぁ、いいか。
「鷹司がいれば心配ない」
裂海や立花だっている。俺がいなくたって問題はない。
今までもそうだっただろうし、これからも同じだ。
京都に骨を埋める気はないが、異動があれば従うだけ。
金という執着を見失っただけで根無し草のようになれる。自由であり、寂しくもある。
「……また追々だな」
苦く笑う。
人生に悩むのはあとでいい。
今は目先の心配をしよう。
気持ちを切り替えつつ入口まで戻ってくると、朝に嫌味を言われた守衛と出くわす。
そういえば、本部から刀が届いているはずだったことを思い出す。
武士になって約二か月、未だに刀のことを忘れてしまうことがある。
「なんや、まだおったんかい」
「すみません」
深々と頭を下げてみせる。
白髪交じりの小男。
年齢は五〇代後半だろうか、紺色の作業着と手には箒。
武器は帯びていない。一般人なのだろう。
「用事が終わったらさっさと行ってんか? 邪魔やで」
しっし、とばかりに手を振る。
これも鶴来からの指示なのだろう。徹底している。
しかし、最初の敷居が高いほどやりやすいのはある。勧誘お断りの張り紙をしてある家ほど落としやすいことはない。
「すみません。もう行きますので……ああ、そういえば刀は届いていませんか? 帝都から送ってもらったのですが」
近づき、おもむろに腕時計を外す。
近衛の施設とはいえ、施設を支えるのは一般職員。そして、彼らは近衛ほど給料を貰ってはいない。
ならば、搦め手が使えるはず。
ちなみに、これは外出許可がでた日に銀座で買ったものでお値段は三〇〇万。
「な、なんや、こっちくんな」
「そう仰らずに、届いていませんかね。近衛にとっては命の次に大事なものなのですが……」
強引に手をとって時計を握らせ、
「三〇〇万です。下取りにだせば半分にはなるでしょう」
「さ、三〇〇やと? じゃあ一五〇?」
囁くように告げる。
どれだけの給料をもらっているのかは分からないが、一般人ならば高が知れている。
金ならいくらでも欲しい筈だ。
「勘違いなさらないでください。これは私からの個人的な贈り物です。私も組織の人間、鶴来隊長の意向に逆らおうなどという気は毛頭ありません」
「……そ、そうなんや」
ごくり、と守衛の喉が鳴る。
「ただ、お願いです。あれがなければ困ってしまう。不慣れなもので申しわけありませんが、今はお縋りするより方法がない。どうでしょう、届いていませんかね?」
「あ、ああ! 着ていたかもしれんな。ちょっと見てこようか」
脱兎の如く裏に引っ込む。
分かりやすいことこの上ない。
こうした場面ではけちけちできない。せいぜい有効に使わねば。
「それにしても滑稽だな」
金の亡者。
数ヶ月前の自分とはいえ、浅ましいことこの上ない。
「おお、あったで!」
エアーパッキングでぐるぐる巻きにされた桐箱を持ってくる。
この雑な梱包は鷹司か裂海に違いない。
「お手数をおかけしました」
「鶴来さんからは世話するな、いわれたけど見る目あるやん? ま、まぁ、ある程度やったら話聞いたろうかな」
「すみません。今後も荷物が届くかと思いますので取り置きをお願いします」
「そのくらいやったらええで」
時計にご満悦だ。
これで少しはやりやすくなるか。
「お礼はそのときにで構いませんか?」
「! え、ええで!」
露骨な誘いにも乗ってくれる。
人間、正直が一番だ。
「ありがとうございます。それでは失礼します」
丁寧に頭を下げて京都支部を後にした。
◆
金がないとは存外に辛いものだ。
サラリーマンの頃は同年代と比べて給料も良かったし、株の運用もしていたから困らなかった。
遡って、大学ではバイトもしていたし様々やっていたので余裕があったものだ。
「……こんなに素寒貧なのは高校以来か」
思わず苦笑いが出る。
久し振り、というか忘れていた感覚だ。
「さて……と」
感傷に浸っている間はなく、これからやることがたくさんある。
京都支部まで歩く間にまずは鶴来について知っておく必要があった。
どのような人物なのか、考え方や対応を想定しておきたい。
まずは携帯を取り出し、もらった名刺から直虎さんへコール。
申しわけない、と思いつつも携帯電を耳に当てる。
『はい、立花です』
タイムラグなしででた。この人は実直過ぎだ。
「お疲れさまです、榊です」
『どうかなさいましたか?』
「いえ、少しお伺いしたいことがありまして……」
直虎さんもまさか名刺を渡した翌日に連絡が来るとは思わなかったのだろう。
申し訳ないとは思いつつ第七大隊について聞く。
特に鶴来の性格や考え方についてを重点的に。
かなりの時間を使って鶴来や京都支部について話を聞く。
そして、直虎さんは何も言わずに付き合ってくれる。いい人だ。
『榊殿、トラブルですか?』
最後の最後で聞かれる。
「いえ、確認です。ありがとうございました」
でも仔細は話さない。心配はかけられないからだ。
続いて帝都本部にいる鹿山翁へ連絡をする。
『おお、小僧か。どうした?』
「お疲れ様です。鶴来隊長について少々お伺いしたいと思いまして」
『その分では早速苦労しておるようだな』
「どうでしょう。初めてというのは大なり小なり苦労があるものです」
『かっかっか。いいよる』
鹿山翁からも仔細に聴く。
こちらは主に鶴来の考え方や以前にあった事件などだ。
「ありがとうございました」
『うむ、なにかあれば遠慮なくいえ。礼は落雁でよいぞ』
「承知しました」
礼を述べて切る。
そして、最後に鷹司。
『なんだ?』
「副長、お金貸してください」
『なんだと?』
「すみません。でも、持ち合わせがなくて」
『……はぁ……いいだろう。いくらだ?』
「取り急ぎ一〇〇万くらいあれば当座はしのげるかと」
『用意する。他には?』
「ありません」
『榊……大丈夫、なのか?』
「心配してくれるんですか?」
『バカをいえ。確認だ。で、どこに送る? 京都支部か?』
少し考える。
京都支部の対応を考えると、あまり現金を預けたくはない。
「そう、ですね。住所を指定しますのでそこへ」
『どこだ?』
「えっと……」
送り先を伝える。
『朱膳寺……だと?』
「ご存じですか? 今度の仕え先です」
『知っているもなにも、では……護衛は朱膳寺千景か?』
鷹司の困惑が伝わってくる。
知っているし、何かを察しているのだろう。
『名前だけではあるがな。朱膳寺は元々西園寺家の分家、西園寺と鷹司は遠戚だった。しかし、霞殿は事故で亡くなっている。朱膳寺千景も皇籍には……いや、まて、そうか』
「なんですか?」
『皇籍の離脱は本人の意思によって行われる。しかし、元服前に離脱をすることはできない』
皇籍、皇族の権利についてはあまり詳しくない。
鷹司が知っているなら聞いておきたいところだ。
「面倒な制度ですね。皇族の元服って何歳ですか?」
『権力闘争における落命を防ぐためだ。仕方あるまい。皇族の元服は一三歳だから、千景はそれに達していないことになる』
元服が一三歳?
朱膳寺千景はあれで一三歳に満たないのか。随分と大人びて見えた。
「見た目は中学生くらいでしたよ?」
『少し待て。調べよう』
鷹司の言葉に驚かされる。
あれで一三歳未満。
確か、女性の第二次性徴は一〇歳前後から始まる。
世界では九歳で妊娠、出産をした記録もあるからありえなくはない。ないのだが、少し信じられない。
『待たせたな。一一歳だ』
「一一……ってことは、殿下と同い年じゃないですか」
『そうなるな』
「とても、あのちんちくりん殿下と同い年には見えませんでしたよ?」
『ち……今のは聞かなかったことにしてやる』
「いえ、いいんですけどね。まぁ、成長には個人差ありますし」
殿下の身長は一四〇センチに満たない。
同世代からしても低いのだが、雰囲気が随分と違って見えた。
殿下、負けてますよ。
『話は分かった。やはり鶴来、いや関西からの嫌がらせで決まりだ。早々に鹿山翁に掛け合い、呼び戻す手配をしよう』
「そうしていただけると助かります。なにせ、寮もなければ頼る人もいない状態ですから」
『分かっている。だが、今すぐというわけにはいかん。しばし耐えろ』
「承知しました」
通話を切る。
「さて、と」
二度目の朱膳寺家を前に考えを巡らせる。
「……さて、どう切り出すかな」
家の前まで来て考える。
護衛の件、明日届くであろう現金の件。
交渉とは準備が大事。会話のシミュレーションを考えていると、
「とりあえず、中にどうぞ」
「んっ!」
後ろからの声に思わず背筋が伸び、桐箱に手が掛かる。
「ああ、やはり近衛だね。刀を持っている」
そこにはスラックスにポロシャツという少しラフな格好の朱膳寺広重氏がいた。
「買い物の帰りでね。朝と同じ服装だから分かってしまった」
「今朝がたは失礼をしました」
「こちらこそ千景がご迷惑をおかけした。お詫び、ではないが冷たい珈琲でもいかがかな?」
門を開けて手招きまでされる。
手間が省けた、と思ってはいけないのだろう。だが、千景がいないのならば話しやすいか。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
頭を下げる。
今の俺は好意に縋るしかなかった。