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九話

 

 京都へ来て初日、用意されたホテルは京都でも最上級だった。

 場所は京都駅の目の前、夜景を見渡せる最上階のスイートルームに一人。

 

 ウェルカムドリンクはシャンパン、ルームサービスの豪勢なフルコース。

 懐石では食べ足りなかったので遠慮なく食べる。味はまぁ、不味くない。

 慣れない場所だからか、鶴来を前にしての緊張かはわからないが、思った以上の疲れを感じてしまいベッドに転がるとそのまま眠ってしまった。 


 翌日、送迎車に乗って京都支部へと向かう。

 ここまで至れり尽くせりだと逆に怖い。

 厚遇というのはリスクの裏返しでしかない。

 例え連中の誘いに乗ったとしても、いざとなったときは使い捨てられて終わりだ。


「なんとかなるだろう」

 

 別に断ったところですぐにどうこう、なんてことにはならないはずだ。

 そうなったら鷹司が黙っていないだろう。

 たぶん、ではあるが。

 京都支部へ到着し、鶴来のもとへと出頭する。


「如何ですか?」

 

 鶴来は前置きなく聞いてくる。

 でも、答えは変わらない。


「申し訳ありません」


 丁寧に頭を下げた。


「結構です。では、早速ではありますが、任務に就いてもらいましょう」

「拝領いたします」


 指で呼ばれ、紙片を受け取る。


「当該者に命の危険があります。護衛をしてください」

「はっ、承知いたしました」


 それは鷹司からも聞いていたので驚かない。


「……」

「……?」


 鶴来が無言のままこちらを睨んでくる。

 今回の脅しだろうか。しかし、そんなことで折れるわけにはいかない。

 昨日は感じなかった不快感を抱きつつも視線を流す。


「…………結構です。早速ですが任務へ向かってください」

「はっ、失礼します」


 再度敬礼をして部屋を出る。

 視線以外は脅しも何もない。あっさりしたものだ。


「さて、お仕事ご仕事、と」


 住所は京都市右京区嵯峨観空寺。

 護衛対象は朱膳寺千景。


「これだけか?」

 あとはなにもない。

 写真も、詳しい経歴すらない。


「まぁ、いいか」

 

 とりあえず挨拶に行こう。

 そうすれば他の護衛にも会えて説明も聞けるはずだ。

 独り言をつぶやきながら入り口まで戻る。

 地図でも借りようと管理室へ顔を出すと、守衛には露骨に嫌な顔をされた。


「申し訳ありませんが……」

 

 事情を説明する。

 が、


「市内出れば案内板があるで」

「そ、そうですか」


 素っ気なくあしらわれる。

 昨日と対応が違い過ぎる。

 鶴来は露骨な対応をとってこなかったが、こっちは違うらしい。

 怒っても仕方ないので笑顔を保ちつつ、丁寧な質問を心がける。


「で、では寮の場所をお教え頂けませんか? 荷物を置きたいので」

「寮なんてないがな」

「は?」


 ない。

 その言葉に眼が点になる。


「そんな顔されても、ないもんはないで」

「じゃ、じゃあどこで寝泊まりを……」

「知らんて。こっちも忙しいんや。さっさと出てってくれ」


 手で追い払われてしまう。

 左遷の始まりはここからだった。



                 ◆



 とぼとぼと市内を歩くこと二時間。

 朝の涼しさはとっくに消え失せ、快晴の空には太陽が陣取っている。暑くてたまらない。

 タクシーでも拾えば早かったのだが、今の俺には現金がない。

 そもそも新潟の一件でフェリーを買ってしまったので貯金もなく、逆に鷹司に借金までしている状態だ。


「……暑いな」


 グチもでる。

 七月とはいえ、盆地である京都はひどく暑い。

 水分は公園の水道で何とかなったが空腹は限界に達している。

 朝、ホテルでの食いだめがなければ干からびているところだった。


「嵯峨観空寺……観空寺。この辺りか」

 

 市内の観光案内板と電柱に書かれた住所をもとにようやくたどり着いた場所は緑が多い住宅地。

 当然、ホテルや宿泊施設は影もない。

 挨拶をすませたらすぐに市内に戻って時計を換金してホテルに飛び込もう。

 そうだ、そうしよう。とにかくなにか食べたい。


「朱膳寺……あった……んん?」


 目指す屋敷もすぐに見つかった、のだが何かおかしい。

 立派な門の奥には大きな洋館。

 ただし、かなり古ぼけている。


「本当にここか?」

 

 皇位継承権をもつ護衛対象の住む家にしてはボロ……いや、年季が入っている。

 疑問を抱きつつ門を抜け玄関まで行き、呼び鈴を押した。


「……」


 返事がない。

 留守? 

 不在? 


 そもそも朱膳寺千景はいないのか? 

 嫌がらせも極まった、そう思ったときだった。


「……どちら様ですか?」


 大きな両開きの扉から小さな顔が覗く。

 なんだ、いるじゃないか。

 安堵しつつ咳払いをして、


「私、近衛府近衛第一歩兵連隊第七大隊より参りました榊と申します。朱膳寺千景様はご在宅ですか?」

「近衛?」

「はい」


 よく見れば小さな顔は女の子だと分かった。

 しかし、顔からは不信の色が消えない。


「何の御用ですか?」

「朱膳寺千景様の護衛を承りましたので、ご挨拶に参りました」

「護衛?」


 眼が細くなり、眉根が寄る。

 あからさまな警戒にこちらもだんだんと自信がなくなってきた。

 間違えたのか? 

 そう思いかけた頃、


「千景、お客様かい?」

「おじいさま、近衛と名乗る男が……」


 奥から男性の声。

 しかし、同時に疑問も生じる。千景と呼ばれたのは、少女だ。

 まさか……。


「お待たせしました」

 扉が開き、老人とその後ろに隠れるように立つ女の子がいる。


「近衛からいらした……」

「榊平蔵と申します」


 深めに頭を下げる。


「そう……ですか。私は朱膳寺広重と申します。この子は孫の千景」


 女の子がこちらをきつく睨む。

 やはりこの子が千景。


「中へどうぞ」

「失礼します」


 不安が不信へと変わるが、もう遅かった。


                     ◆



 外見は古ぼけた洋館だったが、内部はきちんと整理と掃除が行き届いて、清潔感を伺わせる。

 通されたリビングも家具や調度品までしっかりと揃い、名家と呼んでいいのかもしれない。


「なにからお話したものでしょうか」


 椅子に腰掛ける朱膳寺広重と名乗るこの老年の男性と、その横でこちらを睨む女の子、朱膳寺千景。

 間違いでなければ、彼女が皇位継承権を持っていることになる。


「私からお話しできることは皇位継承権を持つ人物の護衛をせよ、と命じられたことだけです」

 

 隠す必要もない本当にそれだけ。

 鷹司からはある人物が狙われていると聞かされ、鶴来からは当該者の護衛、としかいわれなかった。


「そうですか。正直にお話をすれば、千景が皇位継承権を持つことは事実です」

「なにか事情がおありになる」

「はい。千景の継承権は一九位。現在いる継承権保有者の中では最も低く、また後ろ盾となる家もありません」


 一九位。

 それに後ろ盾もないとすれば、確かに継承権も肩書きに近い。


「榊殿と申されましたな」

「はい。広重様はなにかお心当たりがございますか?」

「広重で結構です。様、とはどうにもおさまりが悪い。心当たりも、正直ないのです」


 そこで広重氏は笑顔を見せてくれる。

 ここでの気遣いはとても有り難い。


「ありがとうございます。一つ確認させていただくと、これまで千景様に護衛がついていたことはないのですね」

「私としては近衛という存在が本当にあったことに驚きを感じています。それに、世間にはひた隠しにしてきた千景のことを知っていたことにも驚いているのです」


 広重氏は眼を伏せ、迷うように、あるいは悩むように思案している。

 こちらとしては隠していることに驚きはない。むしろ納得している部分すらある。


「近衛の存在があまり知られていないのは事実です。広重殿はどなたからお伺いになったのでしょうか」

「義娘です。この子の母親、霞さんから聞きました。彼女は先々帝の血に連なりますが、この朱膳寺家に降嫁したのです」


 霞、という言葉がでると女の子、千景は少し苦しそうな顔をした。

 朱膳寺千景はとても大人びて見える。

 赤みがかった髪は肩口で切り揃えられ、大きな瞳に通った鼻筋。薄い唇は横に引き結ばれている。手足もすらりと長い。

 年齢は聞いていないが、一四、あるいは一五歳くらいだろうか。


「失礼ですが、ご夫婦はどちらに?」

「……事故で、もう五年になりますか。息子と一緒に先に逝ってしまいました」

「それは……ご愁傷様です」

 

 言葉も苦しくなる。

 しかし、段々と展開が読めてきた。


「こちらも仕事ですので、失礼があればご容赦ください。確認したい部分が二つあります」

「構いません。なんなりと」

「降嫁しても皇族の離脱をしなかったということは、朱膳寺家は武家か華族に連なるのですか?」

「はい。今はこのような有様ですが、西園寺分家でしたので……」


 西園寺……聞いたことがある。

 確か五年ほど前に廃絶した華族だ。

 銀行や会社をいくつももっていた家で、巨額の負債を抱えて倒産、当時はニュースになったと聞いている。

 当時、俺は大学生だったが、新聞やネットでも記事を見た記憶があった。


「ありがとうございます。二つ目ですが、生前の霞さんや千景様に護衛が付いた事実はありますか?」

「……分かりません。少なくとも朱膳寺にきてからはありませんでした。もしかしたら私が知らないだけかも知れません」

 

 これは、どちらだろうか。

 朱膳寺霞、千景の母親も元は皇位継承者。

 降嫁すると皇籍は外れても様々な行事への出席義務がある。

 護衛がついていたとしてもおかしくはない。

 

 今までのことを統合すると、千景や母親の霞が皇族を離脱しなかったのは西園寺家が後ろ盾となっていたから。

 しかし、西園寺が廃絶して霞も亡くなった。

 遺されたのは肩書に近い継承権だけを持った千景だけ。


「私は護衛に際し、千景様に命の危険が迫っていると伺いました。できればこのまま護衛をさせて頂きたいのですが……」

「必要ないわ」

「千景……」


 千景が間髪入れず拒否する。

 まぁ、身に覚えがなければ普通は嫌がるか。


「護衛なんて必要ない。四六時中付きまとわれるなんて真っ平よ」


 きっぱりと宣言される。

 まぁ、普通ならばそうなるだろう。

 やっていることはストーカーとなんら変わりないのだから。


「プライバシーは尊重します」

「そういう問題じゃないの。私は必要ない、っていっているのよ?」

「私も仕事です」

「なら、警察に連絡するわ」

「ご自由に。しかし、近衛には公権力に従わない自由があります」

 

 千景に怪訝そうな顔をされる。


「そんなの聞いたことがないわ」

「まぁ、公にはされていないでしょうから」


 俺自身も確かめようがない。通報されたときに分かるだろう。

 そう思っていると、


「じゃあ確かめる」


 奥に引っ込む。


「ん?」


 まさか、本当に通報するつもりだろうか。

 いや、そんな……。


「榊殿、本日はお帰りになられた方がよろしい。千景はやる子です」

「……そうなのですか? いや、まさか、そんなことは」


 笑う。

 数分後、警察官に囲まれることになるとは思いもしなかった。



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