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八話

 

 京都へ着いた夜、支部へ挨拶に訪れたはずなのに、

「……どこだよ、ここ」


 思わず声に出てしまったのには訳がある。

 京都支部から送迎の車が用意され、案内されたのは下京区、鴨川に面した料亭である。


 大きな門に着物姿の従業員、そこらかしこにある掛け軸や壺も高そうだ。

 おそらく、一見は入れない、そうした類の店なのだろうと察しが付く。

 その奥で待ち受けていたのは宴席。


「さすがに、スケールが違うな」


 苦笑いすらでる。

 仲居さんに案内されて足を進めれば、通路は料亭を突き抜けて河原へと続いている。

 張り出すように設けられた桟敷席には緋毛氈が敷かれ、そこに目指す人がいた。


「やぁ、遠いところによくましたね」

 丁寧に撫でつけられた髪に紳士然とした細面。

 服装も近衛服ではなく枯れ葉色のスラックスに白のワイシャツ。ベルトではなくサスペンダー。


鶴来斉昭(つるぎなりあき)です」

「榊平蔵と申します」


 初対面なので頭を下げる。

 鷹揚に頷くこの人が第七大隊長、鶴来。

 

 近衛服がない今なら政治家にも見えただろう。

 それだけに、脇に置かれた刀から強烈な違和感が発せられていた。


「どうぞ」

「失礼します」


 促され、座布団へと座る。


「良い場所でしょう?」

「……はい」

「川床というのです。夏の京ではこうして涼を楽しむものなのですよ」


 鶴来は片口から盃へと注ぎ、舐めるように飲む。


「京懐石の経験はありますか?」

「恥ずかしながら未だ。庶民の出でありますので」

 

 気取ったところで仕方がない。

 正直を口にする。


「ここは季節の美味しいものを用意してくれます」

「そう……ですか」

 

 目の前の座卓には料理が並ぶ。

 京都における夏の定番である鱧に梅肉をあしらったもの、鮎の焼き物、ジュンサイの酢の物、水茄子の漬物、京野菜などが並ぶ。

 

 この一席でいくらなのだろうか。

 川床というシチュエーションも含めれば十数万はくだらないはずだ。

 まぁ、半年前の俺なら舞い上がっていただろう。


「一献如何ですか?」

「……頂戴いたします」

 

 上司からの勧めを無下に断ることはできない。

 ガラスの徳利を猪口で受け、


「ご返杯を」


 鶴来にも注ぎ返す。


「乾杯」

「頂戴します」


 冷酒を口に含む。当たり前なのだろうが旨い。

 異動初日だというのに豪勢なことだ。

 まさか歓迎されているのか、あるいは何か意図があるのか不安にすらなる。

 鷹司の話からは想像もできなかった。


「さぁ、遠慮なくつついてください」

「お言葉に甘えまして」


 鶴来の箸が動くのを待ってから、こちらも手を付ける。

 骨切りされた鱧を一口。小骨の一つも当たらない。それに梅肉の酸味と下味は昆布出汁の風味に白醤油だろうか。仕事が丁寧だ。


「君は帝都で日桜殿下の護衛にあると聞きました」

「はい。鷹司副長の元、殿下の側役を仰せつかっています」


 しばらくは帝都本部の話が続く。

 懐石をつつきながら、というのはいかにも風雅ではあるが、少々物足りない。

 食えば食うほど腹が減ってくる。


「実は君を評価していらっしゃる方がいる」

「評価、ですか?」


 鶴来は懐から封筒を取り出し、緋毛氈の上に置いた。

 見ろということか。

 中身を取り出すと紙切れ、それもコピー。しかし、それは俺の評価シートとも呼ぶべきもの。

 勤めていた商社の人事部にあったはずだ。


「……これが、なにか?」

「単刀直入に話そう。我々の仲間になりませんか?」

 

 思わず箸が止まった。

 我々、仲間。

 近衛ではなく、仲間というのが気になる。

 

 鷹司の人望がないという言葉、近衛への発言力がある存在。そしてこの勧誘。

 俺を呼んだ理由はこのためか。


「君は金が好きだそうだね」

「……」


 座卓の下から出てきたのはアタッシュケース。

 中身は金のインゴットが六本入っている。


「六キロあります。時価総額は、そうですね三億くらいですか。手付だと思ってください」


 手付、ということは続きがある。働きによってはさらに、という示唆だ。

 鷹司の対抗勢力は随分と金持ちらしい。


「私はなにをすればよろしいのですか?」

「……日桜殿下のなにか面白いお話はないですか?」


 さっきから鶴来は日桜殿下、と呼ぶ。

 帝都本部では鷹司を初めとして殿下とは一人。しかし、鶴来は日桜と入れる。

 殿下は第一皇女。陛下に御子は一人しかいないが、先帝には陛下を含めて五人の御子がいた。

 

 察するに、京都は京都で皇位を推す存在がいる。

 次代の帝はまだ決まっていない。

 日桜殿下が最有力というだけ。


「協力していただければ、望むものは手に入りますよ」

 

 滴るような鶴来の笑み。

 つい二か月前の俺なら飛び込んでいたことだろう。 

 しかし、残念ながら今は金に興味がない。

 閻魔に金を積んでも天国の門は開かないことを知ってしまったからだ。


「申しわけありませんが、これには興味がありません」

 

 アタッシュケースを閉じ、鶴来へと押し戻す。


「……どういうことですか?」

「言葉通りです。さらに申し上げるならば、私は殿下が嫌いではありません」

 

 あのちんちくりんは俺の価値観の根本を崩す原因を作った。

 欲を肯定し、あまつさえ俺に契約まで迫った。


 あの時、俺の望みは殿下に売り払ってしまった。

 目の前の気取ったおっさんや京都の古狸に売るものは残っていない。


「自分の言葉がなにを意味するのか理解しているのですか?」

「そこまで愚かではないつもりです。隊長殿」

「……いいでしょう」

 

 温和な顔のまま、眼は笑っていない。

 本性はやはり武士であり、凶悪なものを秘めている違いない。


「ホテルを用意してあります。一晩あげますから、もう一度考えたらいい」

「お言葉に甘えさせていただきます」


 やるならやれ。

 今はそんな思いだ。


「さがって結構です」

「失礼します」


 盃を置いて立ち上がる。

 先が思いやられる瞬間だった。


                   

                 ◆



『断りました。最終的な判断は明日にしてありますが、おそらくは……』


 鶴来の報告は三人にとって意外なものだった。


「あの坊ちゃん、断らはったらしいで」


 三人は驚きを隠せなかった。

 三億という金額は彼らにとってはなんでもない額だが、一般人からしたら相当だ。

 それを市井出身者が断るのだから裏を考えてしまう。


「鷹司にくわえ込まれたのではなかろうな?」

「あり得る話だ。あの女、堅物を気取っておきながら……」

「まぁまぁ、お二方。しょせん庶民は庶民やったいうことですわ。別にわてらは何も痛くも痒くもあらへん。違いますか?」

 

 なだめる言葉に二人が頷く。


「坊ちゃんが断ったのは確かに意外。でも、あとは予定通り、朱膳寺の小娘と一緒に失点になってもろたらエエんです」

「ならばさっそく手配をしましょう」


 三人はほくそ笑む。

 坊ちゃんが犠牲になるのが遅いか早いか、彼らにとってはそれだけの問題になった。




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