四話
連れてこられたのは宿舎から歩いてすぐの建物。
レンガ造りでかなり古そうだが、ここが近衛の本部らしい。
入り口を抜けて奥へと進み、大きな扉の前で止まる。
「いいか?」
「いいもなにも」
立花が振り返り、片目を閉じる。
男がやるのをあまり間近でみるものじゃない。
「ビビるなよ」
扉が開けられる。
「うっ!」
思わず声がでた。
広い議場全体から視線が殺到するのが分かったからだ。
たくさんの眼がこちらに、いや俺に向いている。
その中心に腕を組み、傲然とふんぞり返っている鷹司がいた。
「立花、裂海、ご苦労だったな。よし、全隊、整列!」
鋭い号令とともに議場に集まっていた人の群が整然と並ぶ。立花と裂海は壁際を埋める列に加わる。
「榊はこっちだ」
先ほどまではざわめいていたのに、今は物音一つしない。不気味なほど統制がとれている。
「な……んだよ、これ」
それに、息が詰まるような緊張感が全体を支配している。
そんな中で真ん中に立つ鷹司だけが平然と手招きをしてくる。
ギャップに頭がくらくらした。
「早くしろ。時間がない」
「……わかりました」
動転している暇もない。
歩を進めれば、俺の足音だけが響く。
「大丈夫、ではなさそうだな」
当たり前だ。
生憎、まだ心臓の毛は生え揃っていない。
「なんですか、これは?」
「これから貴様が覚めたものであるという証拠を皆に示す」
「示すったって、どうやって」
こうしている間にも視線が痛い。
今まで大きな会議やプレゼンを何度か経験してきた。
そうした場所では少なからず重圧を感じたことはあるが、ここに満ちる空気は別物だ。
重さと鋭さ、それに突き刺さるような殺気が漂っている。
「お前に一振り預ける。抜いてみればいい」
「一振り……」
「宗近を貸してやる」
腰に提げた朱鞘に手を置いた。
「うっ…………」
ドクン、と心臓が高鳴るのが自分でもわかる。
それは抗い難い魅力で俺に腕を伸ばさせる。慌てて左手で押さえるが別物の様に蠢いてしまう。
鷹司が自分の腰に差してある刀を鞘の部分を持って、柄をこちらに向けた。それだけなのに心が沸き立つ自分がいる。
「大丈夫だ」
「そうは言われましても、こんなの聞いてないんですけど」
口でいうほど簡単じゃない。
「しかたない。良いものをやろう」
「良いものって、この状況でなにを…………」
鷹司の手にはいつのまにか金貨がある。
数年前に発行された記念硬貨で、値段は十万円。今はプレミアがついて数倍から数十倍の値段がついている。それを周囲には見えないようにして俺の服に差し込む。
俺は自販機じゃない。この腐れ女め、こんなので緊張が溶けると思っているらしい。
「一枚では足りぬか? もう少しあるぞ」
金貨が二枚、三枚と増える。
くそっ、こうなればヤケだ。
意を決して腕を伸ばし、刀に触れた。
「っ!」
途端に何かが腕を通して流れ込んでくる。
なにか、と問われたら明確な答えはできない。温度のあるものじゃない。なのにじわじわと指先を伝って腕、肩と徐々に、染めるように広がる。
「な、んだよ、これ?」
刀からは淡い光が溢れ、周囲がどよめく。
「ふっ、ふふふふ」
鷹司が笑う。
見下げるような嘲笑ではない。可笑しくてたまらないという歓喜にも似た笑み。
でもこっちは楽しくもない。まるで道化だ。良いように操られているようで癪に触る。
「さて、これなる榊平蔵は覚めしもの、近衛であるという資格を示した。異論はあるか?」
掲げるような声。
残念ながらその睥睨を遮るヤツはいなかった。
「もうよいぞ」
「そうは、いわれても……」
放そうとしても手が言うことをきかない。
「落ち着いてゆっくりと念じればいい」
「ね、念じるって、いわれても……」
刀に色々と持っていかれそうで念じる余裕がない。
「別に落ち着けるのならなんでもいい。お前にはこれが一番だろう?」
懐にさらなる金貨がねじ込まれる。
このクソ女が。
いい、わかった。
金さえ貰えるなら落ち着くだろうがなんだろうがしてやる!
「ロレックスアルマーニエルメスパガーニウアイラあとはえっと、なんだっけ?」
とりあえず欲しいものを口にしてみる。
気を紛らわせるならこれが一番だ。
「レベンスクロフトヘンリープールエドワードグリーンパテックフィリップブレゲ…………」
欲望とは恐ろしい。
こんな状況なのにほしいものとなるとホイホイ出てくる。
「ふむ、いいようだな」
鷹司の声で我に返る。
いつのまにか光は消えていた。
「榊平蔵。隊長に代わり、鷹司霧姫が貴君の入隊を許可する。続いて新入隊に際し、殿下より祝辞がある。膝をつき、頭を下げろ」
「はぁ?」
「口答えするな。右膝だ。早くしろ」
矢継ぎ早の展開に頭を押さえつけられ、無理矢理に片ひざの状態にされる。
ほぼ同時に議場の奥から扉が開く音と、小さな足音が聞こえた。
「全隊、敬礼!」
鷹司の号令で踵が踏みならされる。俺は下を向いたままだ。
こつこつと足音が近づいてくる。
さっき鷹司が殿下っていっていた。
殿下、どこの殿下だろうか。
まさか、いや、まさかそんなことはあるまい。
「面を上げてください」
幼くも凛々しい声。
鷹司の踵が動いたのを見て、顔を上げた。
「……うそ、だろ?」
息が詰まる。
紫の平安装束は皇族の証。
腰まで届きそうな長い髪、目尻の長い大きな瞳は虹色の光彩を湛えている。それなのに可愛い、とは思えない。年齢にそぐわない美しさがあった。
小さい、はずなのに圧倒されてしまう。上手くは言えないが、オーラがある。
「榊平蔵」
皇族に、名前を呼ばれた。
立憲君主制を敷いても、この国は帝国時代が色濃くある。
首都は今も帝都と呼ばれているし、大学や教育機関、軍にも帝の字が残る。この国をさして、未だ帝国と呼ぶ人も少なくない。その国にあって、皇族、それも直系と庶民が会うことなんてまずない。
「どうした、返事だ」
「は、はっ!」
鷹司に促されて思い出したように言葉が出てくる。
「わたくしは兵衛府顧問、並びに帝国全権代行大使、日桜」
「……っ!」
目が合い、心臓が跳ねた。
全権代行大使。
今現在、その肩書きを持つのはたった一人。
この国の権威、象徴が眼の前にいる。
本来なら限られた政治家や官僚、華族しか面会が許されない相手が、今手の届く距離にいる。
「国の危機に際し、貴君のような英傑が近衛に加わることを嬉しく思います。複雑化する国際情勢ではありますが培いし叡智を遺憾なく発揮し、国へと貢献されることを期待します」
英傑?
俺が?
頭の中を疑問が埋める。
「返事をしろ」
鷹司に足で小突かれ我に返る。
「きょ、恐悦至極に存じます!」
とっさの言葉がでたのは、将来の為と妄想をしていた賜だった。
権力と金を手に入れれば拝謁の機会もいづれは、そう思っていたのに今このとき使うことになるとは夢にも思わなかった。
「榊、期待していますよ」
「は、ははっ!」
「近衛諸兄、わたくし、日桜からお願い申しあげます。彼の者を諸共にたすけ交わし、睦う戦友としていただきますよう願います。友こそ世に立つ力となるのですから」
「全隊、日桜殿下に敬礼!」
再び踵が鳴り、俺は顔を伏せる。
びっくりした、というか驚きすぎてなにがなんだかわからなかった。
運命の歯車。
信じてもいなかったものがカチリ、と回り出だした気がした。