四話
城山との疲れるやり取りを終えて車に戻れば、助手席で鷹司が額に青筋を浮かべていた。
やばい、待たせすぎたらしい。
「遅い!」
案の定怒鳴られる。
「……すみません」
木箱をトランクルームに乗せ、運転席へ座る。
鷹司にボトルを差し出した。
「副長、すみませんがこれ持ってもらえます?」
「ああ?」
鬼が牙を剥く。
「戦利品です」
ボトルは持ってくれたが、肩を殴られる。凄まじく痛い。
「で、なにを話していた?」
「おわかりになりますか?」
「あれだけ時間が空けば誰でも分かる。成果を報告しろ」
「いいですけど、殴らないでくださいね」
運転しながら鷹司の横顔をみる。
かなり不機嫌だ。仕方ないといえば仕方ない。判定的には負けに近いのだから。
「病気を指摘しました。肝硬変か、あるいは肝癌それに糖尿病。症状的には末期です」
「それで?」
「別に、それだけです」
「ちっ、使えんな」
わき腹と肩に衝撃。
運転中なのだから止めてほしい。
「ここは私の洞察力を褒めてほしいものですが……」
「貴様がなにをもって病と断定したのかはわからん。だがな、その程度の情報なら私も持っている」
「は?」
思わずよそ見をしてしまった。
車が揺れたので慌てて視線を前に戻す。
「そ、その程度って、いつからですか?」
「ここに来る前、朝来さんから聞いた。なんでも視察にかこつけて欧州で検診を受けたらしい。国内ではどこもバレるからな。貴様はどこで判断したのだ?」
「首の毛細血管が浮いていました。あとは腕の紅班と、隈です。皮膚の柔らかい部分に現れやすいと入院中に知り合った看護婦さんに教えていただきました」
鷹司がため息を付く。
「相変わらず妙な知識と判断だ。人脈もな」
「お褒めいただいて恐縮です。しかし、副長はどうしてご自分で指摘なさらなかったのですか?」
「電話がきて、タイミングを逃してしまった。あとは……相手の弱点を突く、というのは私の流儀ではない。上手く使えないからな」
「はぁ、まぁ、ご自覚があったのですね」
また殴られる。
今度のは肩がはずれるかと思った。
「小賢しい。そういったところが鼻持ちならん」
ふんぞり返り、預けておいたペルフェクションを呷る。
ああ、勿体ない。
半分は残っていたから二五〇万分はあっただろうに。
「貴様を連れていった理由は、今後の為になると思ったからだ。城山英雄という体験をさせるためにな」
「はぁ、なるほど」
「しかし、むだになった」
口調が突然荒くなる。
「無駄って、酷いですね。私だってそれなりにがんばりますよ。それなりに、ですけど」
これでも努力には定評がある。まぁ、自分の中でだが。
なのに、鷹司はボトルを逆さにして口の端からこぼしながらラッパ飲みをする。
「……っく。しゅっこうだ」
「は? 出向? どこにですか?」
「かんさ……」
「あれ、副長? 副長!」
言い掛けた状態で鷹司は眠ってしまう。
酒に酔えない俺に当てつけるかのようにボトルを抱えたまま眠ってしまった。
◆
茶筅の音は沢が如し。
薄暗い茶室に水の音が響く。四畳ほどの小さな部屋に大人が三人、着物姿でいずれも老年。
「先の一件、片が付いたようやな」
丸坊主の老人が手を止め、点てていた茶を差し出す。
受け取るのは白髪に老眼鏡、かなりの年齢を感じさせる容貌をしている。
「土岐は降格、固有はありませんが後任には白瀬を推挙しておきました」
器を手にとり、回して口へ付ける。
「新潟の件ですが、虎の侵入は予想外でした。しかも、むざむざ手柄を横取りされるとは、土岐には困ったものです」
「左様、鷹司の小娘に手柄を取られるなど以ての外。ただでさえ傍若無人だというのに、拍車をかけるだけだ」
齢のわりに珍しく耳元まで揃った艶やかな黒髪の老人が静かに憤る。
三人は京都、奈良以西の経済を司る存在の一角で近衛にも出資をしている。
物流や経済をはじめとして政界にも影響を持っていることから通称は京都三家、その当主たち。
近衛、ひいては関西在住の皇族の庇護もする権力者であり、今現在は関東そして帝都と対を成す存在。
「連城の倅があとを継いでからというもの、帝都の連中は我らの言葉を軽視する人間が多すぎる。今の近衛を作り上げたのは我らだというに」
「左様、なのに鷹司を含め最近では立花も耳を貸そうとしない。由々しき事態ですぞ」
白髪の老人が器を置き、黙考する。
「少し灸を据える必要がある、お二方もそうは思いませんか?」
「それは名案。鷹司にはどうにか失点をつける必要がある。我ら京都三家に逆らうことの恐ろしさを思い知らせてやらねばならん」
「……して、どうされます?」
「私に案がございます。土岐から面白い話を聞きましてな。どうやら、榊という小僧が帝都でうろちょろしているようです」
白髪老人の顔に滴るような笑み。悪意が浮きでている。
「榊?」
「聞いたことない名前やな。近衛にいたか?」
「つい先日、市井から登用されたようです」
「先日? 市井から? 能力者は武家や士族からしかでないのではなかったのか?」
二人が驚愕するのは無理もない。
彼らが知る限り、覚めたものは武家や士族からしか生まれなかった。
「二か月ほど前、事故に巻き込まれて覚めた、と資料にはあります。一か月で正式所属となり、それからは日桜殿下の側役を補助という形ですが務めています。どうも鷹司が隠していた形跡があります」
「隠していた、だと?」
「多忙につき全体への通達が遅れた、と土岐は話していましたが怪しいものです」
「意図的やな。明らかに隠しとるで」
「自分たちの陣営に取り込むつもりか……。小癪な」
用意された封筒から榊の写真が並ぶ。
運転免許証のコピーや監視カメラと思しき映像のトリミング、近衛になってからのものまである。
「新潟での一件も榊とかいう小僧が関係しております。虎の捕縛は表向き鷹司になっていますが、実際はその小僧の仕業とか」
「ありえん。たった二か月で、なりたてが力が発揮できるのか? それも虎と戦えるような力があるとは……」
「どうやら固有もあるようで、それが強く関係しているらしい、と」
「固有まで? どのような能力なのだ? まさか、鷹司も超える逸材……」
固有とは覚めたものの中でもごく一部にしか発現しない貴重なもの。
その比率は一〇〇人前後の近衛隊の中でもわずか二割しか存在しない。
固有の認定を受けるだけで階級が一つ、自動的に上がるほど貴重なものだ。
「いや、それはなさそうです。土岐の報告によれば脳内物質が過剰にでている。虎とは相性の問題ではないかと考えられます」
「の、脳内物質? なんやそれは?」
聞き慣れない単語に老人たちは眉根を寄せる。
これも無理からぬ話。
専門家以外が脳内物質、正確に記するならば神経伝達物質を知っている方がどうかしている。しかし、
「脳内物質か……」
老人の一人が渋い顔をする。
「知ってはるんですか?」
「そこまで詳しくはないが、いくつかは知っている。麻薬に関係するものの中にあったはずだ。人間の精神の影響を及ぼすもの、だったな」
「その通りです。簡単にいえば過度の興奮状態を作りだし、一時的に痛みや苦痛を感じなくなる。虎は猛毒を作りだすとききますから、榊という小僧とは相性が悪かったのでしょう」
「それにしてもたった一ヶ月で任官、日桜の付き人というのは早すぎる。やはり鷹司の仕業か?」
「そのようです。経歴を調べてみたのだが大学はせいぜい上の下、卒業後は総合商社に勤めていたとありますから、鷹司の仕業と考えて間違いないでしょう」
榊の履歴書のコピー、さらには鷹司たちが調べたと覚しき書類が三人の手を回る。
「なんや、並やないか。それも武家や華族の系譜でもない、ホンマの一般人やないかい」
「取り立てて目立つこともない。まぁ、世間からすれば多少優秀、といったところでしょうな」
「そんな男をどうして鷹司が?」
「近衛として、というよりは経歴が少し面白い。営業をしていたようですから交渉、折衝など人との間に立つことができるのでしょう。確かに、今の近衛には足りないものかもしれません」
榊平蔵。
家族構成や家系図、出身地から出身校、およそ一般社会において調べられることのすべてが列挙されている。本人がみたら顔をしかめていたことだろう。
「しかし、この資料だけではどの程度の交渉術を持っているのかはわかりませんな。東洋金属はまだしも、理化研とのパイプはかなりのコネが必要となる。正攻法か、実弾かによって評価も違う」
「インドネシアの合弁会社設立に寄与とあるが、どんな関わり方やろうか。単に金を集めただけか、人集めたんかわからんで」
「それで、この榊をどう使うんでっか?」
「朱膳寺の小娘を使おうと思います」
「……伺いましょう」
茶坊主姿の老人と黒髪の老人がにじり寄り、三人は策をめぐらせ始める。
「この小僧、会社員をしていたころは投資や株に手を出しています。貯金も年齢にしてはある方です」
「ありがちですなぁ。まぁ、それが使いやすくもある」
「なるほど、鷹司や日桜の弱みを握っている可能性が高い、というわけか」
「ええ。こちらに呼び、まずは誘ってみようと思いましてね。食いつけばこちらで使えばいい。なに、手駒捨て駒は多い方が良いものです」
白髪の老人の言葉に残る二人が頷く。
「でも、万が一断ったらどないしましょ」
「その時は事故に見せかけて……」
「悪い人やで、ほんまに。それで、どんな理由で呼びましょうか?」
「朱膳寺の周辺にきな臭い話があることにしましょう。狙われているということにして、呼べばいいのです」
「それできますやろか? 向こうには鹿山のクソジジイと伊舞がおりまっせ」
「来るように仕向ければいい。折しも今は海が騒がしいですから、資材の調達を盾にすればよろしいかと」
「ふっ、それならば期限は設けない方がよさそうだ。脅威が去ればすぐさま返す、としておけば向こうの警戒心も薄れるだろう」
「それはええ考えや」
三人の立場からすれば無理な要望は通らないが、近衛一人くらいならばなんとでもなった。
そうして一時間ほど話しは進み、
「わかりました。それでいきましょう」
三人が合意に達する。
「なんや、楽しくなってきましたな」
「これで鷹司に失点が付けば皇位継承権争いで挽回も見えてくる。そうなれば次代の帝都は再び京に戻ることも可能だ」
「第一皇女とて安泰ではないことを思い知らせてやらなくては。あんな小娘、鷹司財閥と伊舞家の後ろ盾がなければ取るに足らないことを思い出させてやりますよ」
話がまとまったらしい。
「鶴来」
「ははっ」
「聞いていましたね?」
「承知しました。委細その通りに」
こうして新人への辞令は速やかにおりることとなった。
◆
城山の邸宅から近衛本部に戻ると、そとはすっかり夜の帳が降りていた。
「あー、重たい」
駐車場から酔いつぶれた鷹司を背負って歩く。
右手にはペルフェクションのケース、背中には鷹司。
腰を曲げ、残る左手で鷹司の尻を持ち上げている。眠っていてくれたのが幸いした。
「お疲れ様です」
「おかえりなさい、中尉ど……」
本部入口の守衛が驚いている。
無理もないか、鷹司のこんな恰好、誰も見たことがないからだ。
「すみません、これを倉庫に」
「は、はい。お預かりします!」
ペルフェクションのケースを預け、
「あと、副長の部屋ってどこですか?」
「りょ、寮の最上階と伺っております」
「ありがとうございます」
努めて笑顔でお礼を述べてから鷹司を担ぎなおす。
両手が使えると足を持てるので楽だ。
「副長、大丈夫ですか?」
「うるはい……ばかもの」
元気だ。
ボトルを手放さないあたり酒癖が悪いのかもしれない。
鷹司を背負ったまま近衛本部に隣接する寮へ向かう。
寮といっても高級マンション顔負け。
同じ建物にいながら、副長がどこに住んでいるのかは知らなかった。
「副長、もう少しですよ」
「……うん、よきにはからえ」
面白い。あとで写真でも撮ろう。そして脅そう。
エレベーターに乗って最上階を目指す。着いてみればそこには一部屋しかない。
「副長、鍵出してください」
「んむぅ」
身を捩る。まさか、持ってないのだろうか。一端下してから副長のポケットを漁るとあった。
良かった、と開錠しようとするが手ごたえがない。
「開いてる。不用心……でもないか」
近衛、しかも鷹司の部屋に入ろうとするバカはいないということ。
鍵も杞憂だったのか、そう思いながら部屋に入る。
しかし、そこには予想を超えた人がいた。
「で、殿下?」
「……おかえり、なさい?」