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三話

 


 帝都の西、渋谷区に位置する松濤地区は昔から大名屋敷が立ち並ぶ場所。

 それでも立派な門を抜けてもまだ家が見えない、というのは桁違いに敷地が広い。

 石畳に大きな池と錦鯉。それらの頭上を覆うのは新緑の木々。まさに政治家の邸宅とはこのことだ。


「はぁ……絵に描いたような場所ですね」

「そうだな」


 鷹司と邸内の庭を歩く。

 先導するのは和服姿の侍女。

 奥さん、ではないだろう。使用人か家政婦といったところか。

 

 ようやく玄関が見えたと思えば、その佇まいに二度驚かされる。

 古風で大きな引き戸、黒く艶やかな床石に御影石の置かれた上がり間。


「どうぞ」

 

 侍女に導かれるままブーツを脱ぎ、奥へと歩く。

「先生、鷹司様がお見えになりました」

 侍女の言葉で座卓、今風に述べるならばテーブルの向こうで胡坐をかいた男性が顔を上げた。


「ああ、よく来たね」


 ぎょろり、とした目。

 顔中に走る深い皺、白髪交じりの髪、梅干しのように丸くしわがれた顔。

 なのに、年齢を感じさせない声と顔立ち。

 

 異様に、年齢からすれば異様ともいえるほどの生気をまとったこの人が政治家、城山英雄。

 テレビ、特に国会中継でよく見た顔が座卓を挟んですぐ目の前にいる。


「城山先生直々の御呼出しでしたので馳せ参じました」

「っはっは。海をも穿つ鷹司君が参じる、か。私もようやく貫禄がでてきたかな?」

「御冗談を。私などまだまだひよっこです」


 怖い。

 こんなに短いやりとりの間に早くも応酬が入り混じっている。

 城山は海をも、といった。明らかに鷹司が海を割るほどの力を持っていることを知っている。


「まぁまぁ、座りなさい。鷹司君、それに……榊君」

 鋭い眼差しが俺を射抜き、殿下や大陸の虎と相対した時とはまた違った緊張が走る。が、これでも元サラリーマン。

 大企業の重役、社長とも渡り合った経験が今に活きる。背筋を正して頭を下げる。


「初めてお目にかかります。榊です」

「うん、よく来たね。さぁ、二人とも立ち話もなんだから座ってほしいな」


 促され、分厚い座布団に座る。


「鷹司君とは前の本会議以来だから、半年くらいか。少しやつれたのではないかね?」

「このところ心労が増えまして。城山先生も気苦労が絶えないとは思いますが、相変わらずお元気そうで何よりです」


 座ると先ほどの侍女がお茶を出してくれる。

 心労が増えた、のあたりでこちらをチラ見するのをやめてほしい。

 まるで俺が原因みたいだ。


「さて、今日来てもらったのは他でもない。鷹司君、榊君の二人に受け取ってほしいものがあるんだ」

 城山が座卓の上に置いたのは封筒。

 それを手で押し、俺たちの前で止める。


「拝見してもよろしいですか?」

「勿論だ」


 鷹司が封筒から数枚のコピー用紙を取り出し、内容をさらっていく。

 自分が読み終わると、俺に手渡してきた。


「こ、これは……」


 そこにあったのはリスト。

 先の事件で協力したと思しき会社、人物の経歴が記してある。


「差し出がましいとは思ったのだが用意させてもらった。そして、あれも……」


 城山が目配せをすると、侍女が隣の部屋の襖が開けた。

 そこにあるのは木箱が二つ。


「先日、欧州視察で良いものをみつけてね」

 城山が立ち上がり、木箱のところまで行って中身を手にした。

 ボトル、となれば中身は酒だろう。

 口の部分には赤い蝋封、細いネックに洋梨を思わせる形、なによりも中身の深紅の輝きには覚えがある。


「安物のブランデーだが味はいい。欧州では傷を癒すとも言われるものだ。何かの足しになれば、と思ってね」


「……」

「……」


 鷹司も俺も無言、いや下手に口を開くことができない。

 どう切り返そうか。迷いあぐねているところで鷹司の胸元が震えた。


「むっ、先生……少しよろしいですか?」

「ああ、かまわないよ」

 

 鷹司が立ち上がって茶の間を出る。

 期せずして、それも最悪のタイミングで政治家と二人きりになってしまった。


「榊君、体の具合はどうだね?」

「はっ、問題ありません」


 城山が座卓の前に戻ってくる。

 手にはボトルが握られ、座布団に座りなおすと赤い蝋封を剥がし始める。


「随分と痛かったのではないかと思ってね。大陸の毒は体の髄まで蝕むと聞く。無理はしていないかな」

「……ご心配頂きありがとうございます」


 知っているのか探られているのかさえ分からない。

 鷹司が早く戻ってきてくれるのを願うばかりだ。


「どうだね、少し味見をしないか?」

 

 無造作にボトルを差し出してくる。

 どうしよう。

 話題もなく、攻められるばかりだとうっかり口を滑らせそうになる。

 ここは話をそらしておく必要がありそうだ。


「恐縮です。しかし、ペルフェクションを私如きが頂くのはいささか抵抗があります」

「ほう……」


 そこで城山の目が開く。

 乗ってきてくれた。これは好機。


「知っているのかね? このボトルを」

「先ほど、城山先生はブランデーと仰いました。ボトルの形と中身の色はコニャックの最高峰、ペルフェクション以外に考えられません」


 安物なんて謙遜が恐ろしくなる。

 このボトルは一本で五〇〇万。別名は飲める不動産とも呼ばれる。


「正解だ。まさか、近衛の口からこの名前が聞けるとは思わなかったよ」

「一度話を伺ったことがあるだけです。まさか、本物を目の前にするとは思いませんでした。眼福であります」


「榊君はお世辞がうまいね」

「滅相もありません」


 頭を下げる。

 ブランデーにワイン、ウィスキーは随分調べた。

 資産価値としては勿論、投資の対象になりやすかったからだ。まぁ、接待での予備知識というのもある。


「先生も冗談が過ぎます。これを安物とご謙遜なさるのはいささか無理がある」

「っふっふ、君は本当に武士なのかな? その知識と物腰は切った張ったをする人間のものとは思えないな」

「恐縮です」

 

 予備知識で時間を稼ぐのはサラリーマン時代の常とう手段。

 誰しも本題を忘れてしまうことがある。

 趣味、嗜好はその典型。まさか、政治家相手でも通用するとは思わなかったが。


「榊君、私は良い酒は価値の分かる人間が飲むものだと思っている」

 話をする間に蝋封は剥がされ、城山は栓を抜いて五〇〇万を外気に晒した。

 いつの間にか用意されたグラスに深紅の液体を注げば、花束にも似た香りが漂う。


「さぁ、どうだね?」


 グラスを差し出されてしまった。

 会話による引き伸ばしも限界。

 鷹司も戻ってくる気配がない。また体の話でもされるより、飲んでしまった方が楽であり、時間を稼ぐには相手の手の内、が信条でもある。


「折角ですので頂きます」

「おおそうか、飲んでくれるか」


 政治家の顔には笑顔。

 これだけでも高そうなグラスを受け取り、酌を受ける。

 ドラマにでてきそうなシチュエーションに思わず動きが役者になる。

 サラリーマン時代でもこんなに緊張する場面はなかった。


「御返杯を」

「うん、すまないね」

 

 手酌で注ごうとする城山を制し、ボトルを受け取る。

 氷なしのストレート。初夏なのだからロックアイス、いや冷たい水がチェイサーに欲しいかとも考えながら、初夏だというのに城山の袖の長い着物姿が少し気になった。

 冷房もついてないのに、とも考えながら二つのグラスを満たす。


「なにに乾杯が相応しいかな?」

「では、この国の未来に、というのはいかがでしょうか?」

「小癪な。しかし、嫌いではないよ。では乾杯だ」

「乾杯」


 杯を掲げてから、一口含む。


「こ、これは……」

 甘い。

 甘く滑らかな中にわずかな刺激が混じり、最後に酒精が喉を灼く。

「うむ……味、香りともに申し分ない」


 これは良くない。

 時間を稼ぐ、会話を引っ張るのが目的だが、この一杯が凄すぎて思考が吹っ飛びそうだ。

 鷹司が戻ってきてくれなければ飲むだけで終わってしまいそうなほど美味しい。

 男二人で杯を重ねていると、ようやく主役が戻ってきた。

 浮かない顔はまた何かのトラブルなのだろう。気苦労が絶えない人だ。


「失礼をいたしまし……。貴様は職務中だということを忘れたのか?」


 凶眼で射抜かれ、背筋が凍る。

 こ、恐い。


「鷹司君、彼を責めないでくれ。無理に勧めたのは私だ」

 凄まじい眼力によって睨まれたところで城山が助け舟を出してくれる。

 場合によっては回復力にモノをいわせて折檻という名の拷問をされてしまう。


「一人では面白くないのでね、無理に付き合ってもらっていたんだ」

「そう、ですか。しからば不問としましょう。良かったな。切腹は勘弁してやる」

「は、はい」


 切腹”は”免れたらしい。

 俺なりの考えなのだが、説明が大変そうだ。


「それよりも鷹司君、電話は大丈夫だったのかね? 急用ならば……」

「いえ、先生が気にされることではありません。内部のことですので」


 そこでこちらに視線を投げてくる。

 なんだろう、俺絡みだろうか。問題は起こしてないはずだ。


「さて、鷹司君も戻ってきたことだ。本題に戻ろうか」

 やはり、資料と酒だけではない。

「式典には出席しなかったが、あの開港は私も無関係ではない。近衛にも少なくない被害があったと聞く。県民を代表して謝罪をさせてほしい。この通りだ」


 城山が頭を下げる。

 対する鷹司の表情は揺るがない。


「県知事解任は県民の総意だと受け取ってほしい。折角いらした日桜殿下に怖い思いをさせたとあっては陛下に申し訳が立たない。真相の究明に新潟県は協力を惜しまない。私から県警にも話を通してある。必要ならば人も用意しよう」


「ご尽力、重ね重ね感謝いたします。しかし、そこまでしていただく理由がありません。そして、見返りを求められても困るのです」


 鷹司ははっきりと宣言をする。

 今回呼び出しに応じたのは新潟で行われているであろう大陸への協力者探しに城山からの協力、それもかなり過剰なものがあったからだろう。


 県知事は在職中の逮捕、拘留ができない。それを城山が扇動し、解任まで行った。

 皇族が関わっているとしても早すぎる。この資料も含めて相当な金、人間が動いたことになる。


 城山が与党、それも皇族信奉者とはいえ鷹司からすれば不気味としか言いようがない。

 なにか裏があるのではないか、近衛隊副長としてはそんな疑いを持つのは無理からぬことではある。


「鷹司君、誤解をしてもらっては困る。私が欲しいのは信頼だ。成り上がりの田舎者はどうしてもそれが足りない」

「城山先生ともあろう御方が、ご謙遜を」

「謙遜ではない。新潟という土地は日本海側で最も恵まれている。信濃川、肥沃で広大な平野は金を産む。しかし、それ故に県民は他人を頼ることをしない」

 

 いつの間にか城山の口調がメディアに映るものと同じになっている。

 先ほどまでの柔らかさは微塵もない。


「米があれば、酒があれば金に困らなかったのは、もう一〇〇年も昔だ。今は苦しい。とても苦しい。品種改良によって米の優位性は消え、酒は全国に溢れている。誰も頼らなかった県民は悩んだ、どうしたものか、と」


「……お気持ちは分かりますが、城山先生も陛下のお考えはご存じのはずです」

「陛下は誰しも愛してくださる。平等に。そこに不満などない。これは埋め合わせだ」


 段々と読めてきた。

 今回の呼び出し、詫びというのは本当だろう。

 それも殿下の父親である陛下と、事態の収拾を図った鷹司への謝罪。

 言葉の中身だけならば恭順の姿勢といってもいい。


「陛下を取り巻く状況は、大変なものだ。お体の心配があるというのに、殿下の一件で心労まで重なっては……」

 苦しそうに首を振る。

「私から、いや新潟から差し出せるのは、今のところ蓄えた金だけだ。陛下はお喜びにならないことは承知だが、かといってなにもしないわけにはいかない。勿論、榊君にも」


 そこで俺の名前が出る。


「殿下を救い、大陸の牙から守った功労者だと聞いた。ならば、直接会って礼を述べるのが筋だろう。新潟の男は義理を忘れない」


 どこからの情報かは分からないが、城山は核心部分まで知っている。

 だとしたら下手に拒絶しないほうが今後のためだろうか。

 そんなことを考えていると鷹司が足を抓ってきた。

 意味が解らないのでこちらは座卓に隠れる指だけで鷹司の膝をなぞる。


「んっ……」

 鷹司が身を捩るが気にしない。

『どうしますか?』

 鷹司も俺の膝をなぞる。


『受け取るしかあるまい』

 まぁ、そうなるか。

 相手の情報網が分からない以上、これ以上の追及は危険だ。


「……わかりました。この資料と酒、有り難く頂戴することにいたします」

「受け取ってくれるか。ありがたい」

「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。榊……」

「ありがとうございました」


 俺も頭を下げる。

 ようやくお開きの時間だ。


「鷹司君、榊君、わざわざすまなかったね」

 城山が頷くのを待って鷹司が立ち上がる。

「あちらはよろしいのですか?」


「ああ、一箱持って行ってくれ」

「では……」

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 侍女に先導され、鷹司が部屋をでる。

 俺はというと部下の務めである荷物持ちなので奥の部屋で木箱を担ぐ。

 中にはペルフェクションが一二本、合計で約六〇〇〇万。

 マンションでも買えそうだ、と考えながら顔を上げると、城山と眼が合った。


「君がいてくれたら鷹司君は楽だろうな。私の秘書に欲しいくらいだ」

「私など小間使いが良いところです」


 城山は実に満足そうだ。

 なにせ、機密で守られた近衛相手に弱みを握ったことになる。

 何処からの情報で何に使うのかはわからないが、切り札の一つとしては十分すぎるだろう。

 しかし、簡単には使わせたくはない。


「先生、それ以上はお飲みにならない方がよろしいかと。お体に障りますよ」


 手酌でペルフェクションを注ごうとした城山に声をかけた。

 かすかに震えているのを見逃さない。

 夏に着物姿。その意味を考え続けていた。

 

 着物の利点は露出の少なさ。露出が少なければ見られなくて済む。

 ならば、何を見せたくないのか。

 政治家が隠しておきたいのは金と自身の健康ではなかろうか、と。


「……ほう、どうしてかね?」

「首の蚯蚓腫れに腕の紅斑、それに体の震え。典型的なアルコール中毒、いえ肝硬変の症状ではないかと思いまして」

 

 政治家の表情は変わらない。


「頬の黒ずみ、この季節だというのに袖もまくらないのは腕をお見せになるのを警戒したためだと愚考致します。糖尿病と高血圧、高脂血症の併発ではよくあること。そのままではやがて末端の壊死が始まるでしょう」


「存外病気に詳しいのだね」

「最近まで暇をしていまして。病院のベッドではやることがありませんでしたから」


 俺のことを調べたのなら入院していたこともわかっているはずだ。


「……」

「……」


 沈黙が交錯する。

 先に折れてくれたのは城山だった。


「わかった。若者の言葉には従おう。これは君が持って行きたまえ」

「ありがとうございます。それでは、遠慮なくいただきます」


 ボトルを受け取れば半分入っている。

 俺は飲んでも酔えないので職員にでもあげるか。


「それでは、改めまして。本日はありがとうございました」

 頭を下げて部屋を出る。


「榊君」

「はい」

「何かあればいつでも連絡をしたまえ。秘書は通さなくてもいい」

「……ありがとうございます」


 これがこの先長く付き合うことになる政治家、城山英雄との初対面だった。


      




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