二話
そういえば、半年前までは普通のサラリーマンだった。
ふと思い出すと怖くなる。
自分が今の状況にいることが信じられない。
初夏、梅雨も明ける前後に『覚め』てしまい、皇族を守護する近衛の一員となった。
これだけを並べても意味不明なのに、先月は新潟で大陸の能力者と戦って全身毒まみれになって死にかけた。
――――どうかしてる。
これが夢や空想ではなく事実なのだから恐ろしい。
そして、最も恐ろしい事実は今現在も続いている。
「……さかき、どうか、しましたか?」
殿下の声が降ってくる。
何故かと問われれば、膝枕の真っ最中だからだ。
「日桜殿下」
「……?」
小首を傾げる仕草は天上の美姫、ではなくこの世のすべてに愛を振りまくボケた天使。
凛々しいはずの口元すら能天気な笑顔のせいで安く見えてしまう。
それが親近感を抱かせるのかもしれない。
「僭越ながら、第一皇女殿下が、庶民の私にこのようなことをしてはいけません」
「……さかき、ひとに、すじょうをとうてはなりません」
「否定はしませんが、時には必要と存じま……っ」
背中にヒビが入るような痛みが走る。
「……からだ、いたいですか?」
「もう慣れましたよ」
入院してから殿下はこうして俺を休ませたがる。
新潟での一件で体に後遺症が残っていて、時折背中や傷が痛むときがあった。
「大した問題はありません。ですが殿下、私がこうしている方が問題です」
「……どうして、ですか?」
チビ殿下は心底わからないといった様子だ。
今は殿下の私室で二人きり。
侍従や近衛がこの光景を見たら驚いて飛び上がるだろう。そして俺の首が飛ぶ。主に物理的な意味で。
「殿下は皇族であらせられますが、私は元庶民で一応とはいえ護衛です」
「……?」
「護衛は普通膝枕はしません。ついでに申し上げれば、皇族がみだりに庶民を特別扱いするのはいささか問題があります」
「……そんないいかた、だめ、です」
頬を膨らませを見せ、髪を梳いていた小さな手が顔の輪郭をなぞる。
「では、これは如何します? 言い訳できませんよ」
「……ここには、だれもきません」
「そういう問題ではないと思いますが」
「……せんじつの、ぼーなす、です」
「賞与を頂くほどの働きはしていませんよ。それにですね……」
いい切っ掛けなので膝枕を止めさせようとしているのに、足音が聞こえた。
「殿下」
「……わかって、います」
少し不満そうだが勘弁願いたい。
新潟の一件でも九死に一生だった。
せっかく拾った命なのだから惜しみたいのが人情というもの。
「失礼いたします。殿下、鷹司です」
障子の向こうには海をも両断する我らが副長、鷹司霧姫様。
この状況をみられたのでは首では収まらず体ごと真っ二つにされてしまう。
早々に体を起こしたい。
「……すこし、まってください」
殿下が俺の頬をつねる。が、全く痛くない。抗議のつもりなのだろう。
なんのものかは分からないが。
「まだなにか?」
「……うめあわせ、してください」
「へんなテレビ番組みましたね? トレンディドラマは虚飾ばかり参考になりませんよ」
「……きりひめ、かまいません」
不満顔の殿下が俺の腕を押さえつけ、
「うっ!」「失礼しま……っ!」
俺の呻きと鷹司の驚きがが重なる。
膝枕をされた状態を見られ、激高した鷹司に切られかけたのは言うまでもない。
◆
黙っていれば美人。
近衛の誰かが副長、鷹司霧姫を評して述べた言葉。
腰まで届く長い髪に切れ長の双眸、通った鼻筋に薄い唇。
身長は俺と同じくらいあって、モデル体型といえなくもない。が、その中身は潜水艦ごと海まで叩き切る無敵の一人軍隊。
「死ぬかと思いました」
「私は心臓が止まるかと思ったがな」
いっそのこと止まればいいのに。
それでも死ななそうだが。
「先の件、殿下には一度注意せねばなるまい。実に由々しき事態だ」
「私もあれには困っていますので、ぜひお願いします」
「ちっ、殿下はなぜ貴様のようなヤツを……」
睨まれるが気にしない。
今は護衛を伊舞朝来に任せ、鷹司と車で移動中。
運転を任されたのは下っ端の必然ともいえる。
「それで、松濤にはどのようなご用件が? それも万能にして無敵の副長が私めにどのような御用ですか?」
「嫌味か? ならばもう少し気を利かせろ」
万能にして無敵であるのは割と事実なので通用しなかった。
ならばこれだ。
「見目麗しく女神の化身である副長殿が、木っ端にも等しき元庶民をお供にしては格が下がるかと存じます」
「貴様も私も殿下の前では一振りの刀であろう。自分が人切り刀であることを忘れるな新米」
「失礼しました。それで、ご用件はなんですか?」
「……貴様には多少なりとも期待している」
「は? い、いきなりなんですか?」
鷹司の言葉に思わず驚く。
こんなことをいわれるのは初めてではないだろうか。
「期待はしているからそんな調子では困る。殿下の件も少しは考えろ。そして優しく、はっきりとお断りするのだ」
「……そういうことですか。努力はしますけどね。努力は」
鷹司はあのチビ殿下に甘い。
自分からは言いにくいのだろう。
「話を戻そう。今日は招かれてな。貴様は城山英雄は知っているか?」
鷹司に促されて脳内を探る。
「確か当選回数九回、前文科省、国交省大臣を歴任。現在は幹事長を務めていたと記憶しています。あとは……そうですね、与党内でもかなりのタカ派である、と」
「相変わらず記憶力と無駄な知識だけは流石だな。ならば、そのタカ派筆頭の出身地はどこだかわかるな?」
「……新潟です。まさか、この前の件絡みですか?」
「その城山先生から呼び出しがあった。貴様と私、双方にお詫びをしたい、と」
「副長と私に、ですか?」
横を向けば鷹司が渋い顔をしていた。
先月、新潟で行われた開港を祝う式典で起こった事件。
大陸の共産国家である共和国の策謀だったのだが、俺と副長は大きく関わっている。
それどころか俺が刀に触り、覚めたものとなった発端だ。
「近衛の関係する事件は機密扱いになると伺いましたが、どうして政治家先生がご存じなのですか?」
「自らの地盤で起こった事件ともなれば、目撃者や証言をする人間もいることだろう。我等も完全には隠しきれない」
「……不気味ですね」
「全くだ」
無敵の鷹司がため息をつく。
気持ちは俺も同じだ。政治家に秘密を握られているのは良い気がしない。
「会うまでお預けか」
鬱屈な気持ちを抱えたまま、車は目的地へと向かう。