一話
すべての基本は観察力である。
目の動きは考えを、手足は心理状態を教えてくれる。
心の中は読めなくても体の動きというのは如実に表すものだ。
「……」
小さな手が胸元と喉を行ったり来たりしている。
傍からならば癖か、手持無沙汰に見えただろう。
あるいはそういう仕草なのだと納得しかたもしれない。
しかし、最近になってそれが違うのだと気付ける様になってしまった。
――――まぁ、予想通りかな。
タイミングを見計らい、護衛の列から歩み出て膝を折る。
「日桜殿下」
「……さかき、どうか、しましたか?」
白い御子服に今日は朱色の簪、佇まいだけなら気品がある。
「僭越とは存じますが、こちらを」
小さな体に寄り添い、周囲に悟られないよう和紙で包んだのど飴を手渡す。
「……!」
第一皇女殿下、日桜様は少し驚いたような顔をして、
「……ありがとう、ございます」
へにょり、と微笑む。
「殿下、少しは気を使ってください」
公式の場でその府抜けた顔は止していただきたいのだが、まぁ出てしまったものは仕方がない。
「……でも、どうして、わかったのですか?」
「先ほどから手が動いておりました。こうした場所は管理の都合上湿度を落としています。念のためにとご用意を」
「……さかきは、すごいですね」
今は新設された美術館を視察中の殿下に同行している。
正式所属となってから一か月。
新潟、虎との一件以来、大きな事件もなく毎日を殿下のお付きや鷹司の仕事を手伝いながら過ごしていた。
「……かけら?」
殿下が和紙の包みを開いて小さく砕かれた琥珀色の飴を口に含む。
「大きいと目立ちます。小さく割ってありますから、少しずつ含んでください」
「……あまい」
「花梨の花から採れた蜂蜜です。お好きかと思いまして」
「……はい」
目を輝かせ、しきりに頷く。
チビ殿下の好みはこの一か月でだいたい分かってきた。
精進料理の影響なのか味の強いものは好まず、より自然に近いものを選ぶ傾向にある。
例外と言えばプレッツェルに薄いチョコレートをコーティングしたお菓子だけ。この蜂蜜を固めたのど飴も殿下の好みに合わせて用意したものだ。
「……さかきは、やさしいのですね」
「仕事です。それよりも、少しお寒いのでは? 上着もご用意してありますので、よろしければ羽織ってください」
小脇に抱えていた上着を肩に掛ける。
「……さかき、ははうえみたいです」
「畏れ多いことを仰らないでください」
外は夏日でも美術館の中はかなり涼しい。
今日の殿下は肩を出した御子服なので念のために、と薄手の上着を用意しておいた。
短時間とはいえ、外気と差がありすぎると体が疲れてしまう。加えて乾燥した空気の中で喋れば影響は
必至。このくらいの用意は当然といえる。
「もう少しですのでご辛抱ください」
「……だいじょうぶ、です」
頷くことを確かめてから傍を離れ、護衛の一人に戻る。
『立花より榊、中の様子はどうだ?』
ちょうど外周警護の立花宗忠から定時連絡が入る。
「問題ない。ただ……」
『ただ、なんだ?』
「室温が低いな。殿下が風邪を引く』
『ぷっ、っはっはっは! なんだよ、それは』
「倒れた時に面倒を見るのは俺だ。深刻だよ」
最近では護衛としてではなく世話係としても連れまわされる。
こっちは鷹司の仕事も手伝っていてやることが山積み状態。少しは休みがほしい。
「まぁ、仕方ないといえば仕方ない、か」
初夏を迎えて殿下の周辺は大忙し。
数々の式典や行事、それに園遊会もある。
準備や視察、警護の配置までを考えなければならない。
近衛はもともと人手不足、新米の俺でもやることが山ほどある。
「はぁ……」
嘆息する合間に殿下と目が合う。俺じゃなくて絵を見てほしいものだ。
「立花こそ、復帰早々に護衛ってのはキツいんじゃないか? 外は真夏日だろ?」
『俺は美術館とか博物館とか苦手でな。眠くなってくるんだ。正直、外の方が有り難いくらいだよ』
「……そうか」
カラカラと笑う立花が羨ましい。
そこへ美術館の奥から紺色のスーツを着た中年男性が大勢を引き連れてやってくる。
あれは確か、与党の議員でこの美術館の発起人の一人でもある。
「日桜殿下、お待たせをいたしました」
議員のおっさんは殿下の前まで来ると大きく頭を垂れ、遅刻を詫びる。
予定では議員のおっさんが先導して美術館を見て回る予定だったのだが、議会の紛糾かなにかで遅れていた。
そのために殿下一人が先んじて見て回ることになった。
「近頃の野党は議会の妨害ばかりで議論をしようとしません。従来ならばこのようなこと、起こるはずもないのですが……」
「健全な議会になることを、わたくしたちは望みます」
「ああ、そうでしたな。皇族にこの話題は禁句でした。ご容赦を」
「苦労をかけます。ですが、何卒国民のためになりますよう、良しなに」
「もったいないお言葉です。遅くなりましたが、ささっ、こちらへ!」
殿下がきりっとセリフを口にしてから、こちらを見た。
きっと「ちゃんといえたでしょう?」と思っているに違いない。
「今までどうやって来たんだか」
小さくぼやきつつ二人の後ろへ続く。
こんな毎日の連続だった。




