五五話
「貴様は狂っている」
虎の指摘に心拍数があがる。
「その出血は私の毒を無力化出来ていない証拠だ。足にいたっては痛覚が正常に機能していない。痛みを感じないということは危機を認識できていないことになる」
「この程度、危機と認識してないだけだ」
精一杯の強がりに、今度は虎の目が鋭さを増す。
観察するのは好きだが、されるのは嫌いだ。
その眼を、止めろ。
「現に貴様は異常だ。事故から短期間で近衛となり、切られ、撃たれても理知的だと言い張る。それはもう、理性ではどうにもならない。人間というのは痛みに対して実に脆弱だ。拷問に至っては鍛え上げられた兵士でさえ許しを乞い、殺してくれと叫ぶだろう。なのに、貴様はまだ理性があり、反抗までしている」
「あ、生憎と師匠がスパルタでね。多少の痛みなら問題ない」
裂海の訓練なんて毎回血反吐をまき散らした。
これくらいなら耐えられる。
「それが異常だというのだ。訓練ですら普通の人間は耐えられはしない。察するに、貴様は恒常的に脳内物質が過剰分泌の状態にある」
「覚めたものの異常性ってのはそういうものだ。 それとも、大陸の方は違うのか?」
虎の指摘に思考が歪み始める。
なのに、口だけはぺらぺらと回る。
まるで別の生き物の様に。
「貴様に撃ち込んだ毒はあの硬化する小僧よりも数倍強いものだ。出血毒、神経毒を織り交ぜ、通常の解毒は不可能」
「アンタの言葉を信じる理由がない」
「なのに、貴様は生きている。痛みによって失われるはずの意識をおそらくはエンドルフィンがつなぎ止め、出血毒はアドレナリンが致命的にはさせず、呼吸や機能障害を引き起こす神経毒をどうやっているのかは見当もつかない。貴様の体にはそれだけのことが起こっている」
「……帰ったら特許の申請でもしよう。大陸にも格安で売ってやる」
嘘だ、とは言い切れない自分がいる。
殺人の一件もある。これも鷹司が隠していた可能性がでてきた。
こうして理性があることすら異常だといわれたら笑うしかない。
「哀れな。貴様は、貴様から真実を隠す組織に身を置くというのか」
「アンタのところへ行っても、寸刻みの後で標本にされるのがオチだ。だったら、今のままでいい」
ふと小さな姿が脳裏を過ぎる。
あの愚かしいまでに純粋な彼女がいるのなら、今のままでいい。
さぁ、理性を、もっと意識を強く持て。
揺さぶられるのは好きじゃない。
「ご、御託は終わりか? だったら始めよう」
「……惜しいな」
虎が走る。
柳葉刀と護身刀が噛み合い、
「遅すぎる!」
残る左手で殴ろうとするが手首を取られ、捻りあげられる。
毒とは違う痛みに体を仰け反らせると頭があった位置を虎のつま先が薙ぐ。
間髪を入れずこちらも前蹴りで胴体を狙っても、捻りあげられた腕を引っ張られ、体勢が保てない。
「く、くそが」
腕を取られたままでは話しにならない。
頭突きをする素振りから床を蹴り、一回転。踵で虎の頭を強襲する。
「未熟な」
「う、うるさい」
が、あっさりと避けられ、腕も放してくれない。
左肩からは嫌な音と痛み。
骨が外れたらしい。
ダメだ。
純粋な技量では全く及ばない。
このままでは回復も追いつかずジリ貧になる。
「さっきまでの勢いはどうした?」
虎もそれが分かるのだろう。
達人に受けに回られたら素人なんてカモにしかならない。
「い、今に見てろよ」
「どう見るのだ?」
虎が笑う。
クソが、と思うと思考が加速する。
腕を取られているなら逆に利用してやればいい。相手の有利を不利にしてやればいい。
「……はっ」
閃き、腕を取られたまま床を軽く蹴って腰から落ちた。
ワザと転んだように後ろ向きに倒れると、虎の眉間に皺が寄る。
押すか引くかの駆け引き。虎の技量ならどちらもできる。
「……ちっ!」
体勢を崩す前に虎が手を放して跳び退いた。
用心深さか、あるいは考えがあってのことかはわからない。
俺にとってはどちらでもよかった。
「ってぇ……」
尻餅をついたが、自由になれた。
そのまま床に手を押し付けて捻り、外れた肩を押し込む。
嫌な音と感触、腕の感覚が戻ってくる。
「……なんだ、待っててくれたのか?」
右手を支えに立ち上がる。
虎はこちらを凝視したまま。
「ずいぶんと優しいんだな。それとも、肩を入れるのは珍しいのか?」
腕をぐるぐると回して調子を確かめる。
稼働域は悪くないものの、頂点で少し痛む。これなら、まだ戦える。
「……貴様、痛みはないのか?」
「ある。現に痛い」
胃が蠕動して何かがせり上がる。
本能のままに吐き出せば、どす黒い塊だった。
多分、内臓や消化器系の出血が固まったものだろうと分析しておく。
「そこまでして、近衛に弱みでもあるのか?」
「ないな」
「ならばなぜ、そうまでして戦う。その気になればどこへでも逃げられたはずだ」
「ああ……、考えた事もあった。でも金くれるし、な」
「か、金だと?」
今更ながらに思えば酷い話しだ。
「そう、金。現代だと命の次に大切か。この世の沙汰は金次第。何でも買える」
「バカな。その力があれば奪う事の方が容易いはずだ。なぜ買うなどという愚かなことをする?」
こっちは何を聞いてくるんだ、と眉をひそめるのに、虎の顔に浮かぶのは戦慄。
いや、未知との遭遇だろうか。
買うよりも奪う方が簡単。実際にはそうかもしれないが、考えもしなかった。
このあたりは国や人種の違いもあるのかもしれない。
「なんだ、共和国だとまだ奪うって発想なのか。少し考えればわかるが、奪うというのは余計な恨みまでまで生む。だとしたら買った方が早い。こっちは手に入って、向こうは金が入る。双方良いだろうに」
「買えば金はなくなる。それに欲しいから奪うのではないのか?」
「なくなる以上に得ればそれで良いだろ。だから勉強して良い大学はいって良い企業に就職するんだ」
段々と口調が荒くなって、敵である虎に恐怖を感じなくなってきている。
これも脳内麻薬の影響なのか、いやそんなことはどうでもいい。
時間を稼げるのならば構わない。
「まぁ、でも、金を稼いでもその先にはなにもないってことに、気付いた」
「気付いた?」
「アンタ、軍人だろ? なんの為に戦うんだ?」
「祖国のためだ」
「妥当だな。それで、給料は?」
虎が逡巡する。
答えに窮するというよりも、答え倦ねるといった感じだ。
「あるだろ? あってどうするの? どう使う?」
「貴様に関係ない」
「では推理だ。敵国で間諜やってくるくらいだから休む暇はない、結局は使う暇もない。よしんば使っている間も仕事がチラツく」
「……だとしたら?」
「アンタも見ただろ? これ」
少し首を上げて首の下を示す。
喉を両断する傷痕の下には、無数の切り傷の名残がある。
傷は治っても皮膚の凹凸は残る。全部裂海に訓練と称してやられたものだ。
覚めて大概の外傷は治る。なのに痕は結構残っている。
「これのおかげで買い物をしても刀がチラツく。それで、気付いた。貯めても貯めても、死んでしまえば終わりだ。俺だけじゃない。近衛連中はみんな一緒だ。そういう意味ではアンタと俺たちは同じなのかも知れない」
「……」
「ここまで言えばわかるか。より高い報酬を得ようとすれば、それだけ努力が多大になる。結果として努力が報酬を上回るようになる。でも、それに慣れてなにも感じなくなる。仕事中毒の出来上がりだ」
「貴様は、金よりも仕事として近衛にいる、と?」
「半分は」
「半分だと? あと半分があるというのか?」
「これ以上は国家機密だ。鞍替えしてから出直せよ」
もう半分は、あのチビで生意気な殿下。
あとは無邪気で強気な裂海に、底抜けに明るい立花。
戦友の存在が大きい。
彼らにもう一度会うためにも、ここは引けない。
大きく息を吸い込む。
まずは刀を取り戻す。