五〇話
「ふぐむぐ……」
無数にある船倉の一つにこもり、バリバリと栄養バーをかじりつつ保存用の水を飲む。
「客船なのにこんなものしかないなんて」
調理場に行っても食料はなく、見つけたのは緊急時の梯子やバケツと一緒に置かれていた防災用の保存食。それも消費期限が切れているものだった。
「こういう食品や水なんかはだいたい期限以上に持つものだしな……」
実際、缶詰や真空パックされた食品は設定された期限以上に持つ。
あまり長すぎると商売的においしくないだけだ。
「この船、設備が少し古い。防災パックの期限も切れてる。避難も文字も日本語表記、売りに出されて共和国が買ったのか?」
高カロリーの栄養バーを二〇袋、成人男性二日分の熱量を摂取したところでようやく腹が落ち着く。
「内部的には修学旅行で乗ったカーフェリーに似てるのか。それにしても、共和国とこういう中古の船なんかを売買できるような条約はないはず」
就航はどうだかしらないが、買ったのは共和国ではない。
「……何とかなるのか?」
立ち上がって船窓から外を覗く。
船体の側面には文字こそないものの、太陽を象った大きなシンボルマークがある。
ケータイを取り出し、鷹司へとコール。
『どうした?』
「船のことを調べて欲しいと思いまして。ここ数ヶ月で外国へ売却された日本のカーフェリーの中で側面に大きな太陽のマークがある船はありますか?」
『それがお前の乗る船だな。少し待て』
数秒のタイムラグ。
『昨年まで津軽海峡と北海道とを結んでいた大雪だな。売却先は……パナマになっている』
「一つ提案なのですが、この船買い取れませんか?」
『なに?』
鷹司の語尾が跳ね上がる。
「パナマということはペーパーカンパニーの可能性が高いと思います。確認するだけしてほしいんです」
『確認はできるが、買うとなればかなりの金額だ。それに、買ってどうする?』
「他国が買った船を沈めたら国際問題でしょう? でも、私が買って私が沈めたのならもみ消せませんか?」
『沈めるのか?』
「保険です。最悪の場合の」
『……』
鷹司が沈黙する。
俺の真意を図りかねているのだろう。
「大丈夫です。約束はしましたから」
『分かった。だがな榊、一つだけいっておく』
「なんですか?」
『殿下に手を出したら私が膾にしてやる』
「……ご自由に」
笑ってしまう。
あの扁平チビに手を出すくらいなら裂海の方が幾分マシだ。
『買い取り金額は貴様の貯蓄から差し引いておく。足りない分は私が補おう』
「ありがとうございます」
『それで、さっきはどうした? 殿下が心配されていたぞ』
「ガス欠です。もう落ち着きましたけど。この船、食料もなにもないんで、期限切れの栄養バーかじってたところです」
『何もない? それだけの規模でか?』
「はい。まぁ、見つけてないだけかも知れませんが……」
『ふむ……』
鷹司が黙る。
何か思うところがあるのか。
『ここ数ヶ月、太平洋、小笠原、対馬と各地で国籍不明の潜水艦が目撃されている。海軍でも追っているようだが、確定的なものがない。外観や技術的には西側のものではないと推察される』
「ってことは共和国か、連邦ですか? それに目撃?」
『漁船からの報告や空軍の偵察にも引っかかっている。分からないのはなぜ潜水艦なのに危険を冒してまで浮上するのか』
「普通に考えれば、浮上する必要がある」
『そうだな。だが、本来他国の領海内で浮上などしない。事実ならば攻撃されてもおかしくない。裏を返せば危険を冒してまでの必要性があることを示している』
「現代の潜水艦で浮上……なるほど」
一つ思い当たるところがある。
『そう、受け渡しだ。人員なのか物資なのかは定かではないがな。貴様のおかげで一つの仮説が成り立つ。潜水艦はこうした外国船籍と洋上で人員や物資の入れ替えを行い、日本に入り込む、あるいは日本から持ち出すのではなかろうか』
「それで食料もなんにもないわけですか。食べるなら潜水艦の中でいいということですね」
『そうなれば、榊、あまりぐずぐずもできないぞ。潜水艦が待っている可能性もある。異常があれば向こうも行動を起こしてくるはずだ』
「分かりました。可能な限り時間稼ぎをします」
『海軍にも手配をさせる。優呼が到着するまで持ちこたえろ』
「はい」
事態が一気に動き出す。