二話
部屋の外も真っ白な廊下。
大人二人が並んで歩ける程度の幅、なのに天井は異様に高く、数メートル置きにシャッターとカメラがある。
雰囲気はまるで映画で見た隔離病棟。
鉄格子が見えてもおかしくない。
「気にするな」
「からかってます?」
気になる。
むしろ気にしろ、というフリだと思うくらいだ。
「ならばどうする。考えても始まらんぞ、榊平蔵」
「ッ! ど、どうして俺の名前を?」
「二五歳独身、右利き、身長一七三センチ、体重六〇キロ。血液型はA型、趣味は読書と投資。特定の交際相手はいない。現在は水方商事勤務。資材部を経て現在は第三営業部。専門分野は紙とガラス、土石。業務態度及び成績は良好。ここまでで訂正はあるか?」
「な……」
なんなんだ、この女は!
喉元まででかかった言葉を辛うじて飲み込む。
落ち着け。
こんな時こそ冷静でなければならない。
「ま、間違いはありませんが感心しませんね。私にもプライバシーがあります」
「それについては謝ろう。だが、こちらも仕事でな」
なにが仕事だ。
人のプライバシー丸裸にしやがって。新手のストーカーか?
「それはそれはご立派なお仕事で」
「ふっ、褒めるな」
褒めてない。絶対に褒めてない。
話しをする間に白亜の廊下を抜けてエレベーターにのる。
着いた先は普通のオフィスビルと大差ない。
カーペットの床に漆喰の天井、廊下の奥には大きなドアが見えた。
「こっちだ」
女に続き大きなドアを開けると、そこには本と書類の山に埋もれていた。
「少し散らかっているが、気にしないでくれ」
女はばさばさと書類の束を押しのけてソファーをすすめてきた。
「少し、ねぇ」
まるでゴミ屋敷。
部屋の奥には大きな窓がある。
カーテンが掛かっているが、隙間から光は見えない。だとしたらまだ夜なのか。
「今は厳戒態勢中でな。本来ならば担当を立ててゆっくり説明してやるんだが、そうもいかん」
女は部屋の奥、大きな椅子に腰掛ける。
「厳戒?」
「そうだ。現在、近衛には第三次戦闘態勢のまま待機命令が出されている。私もできる限りここにいなければならない」
女が指を鳴らすと部屋の右側、壁面が光る。
それが超大型のディスプレイだと最初は気が付かなかった。
「な、んだこれ」
映し出されているのは日本の地図。
もう片側にはテレビのニュースや天気予報でも見るいわゆる全国図があり、もう片方には細かい部分と、おそらくはライブの画像がある。
「変化は……なさそうだな」
女がため息をつき、こちらを向いた。
「さて、なにから話そうか、榊平蔵」
名前を強調してくるあたり性格の悪さがでている。だったらこちらにも考えがある。嫌味には嫌味で対抗だ。
「――――では、名前を教えてください」
「名前? 私のか?」
「ええ、健全な相互理解のためには必要でしょう?」
女が訝しむ。
こちらの名前はおろかプライバシーまで調べられてしまったのだからこのくらいの意趣返しはさせてもらう。
「ふ、ふふふ、健全か。そうか、そうだな。名乗っていなかったか。失礼した。私は鷹司霧姫。今は好きに呼んでくれていい」
「ご存じでしょうが、榊平蔵です。すぐに忘れてもらえるとうれしいですね」
今は、というところが引っ掛かるが、まぁいい。こんな危ない女性は美人でもお付き合いしたくない。
「では榊、なにから話す?」
嫌味が通じず、逆に鷹司に促された。
「なにから、って」
聞きたいことは山のようにある。
この状況、場所、縛られていた理由。でも一番はこれしかない。
「私は、どうなったんですか?」
首の傷は手で触っても生々しい凹凸がわかる。
記憶の中では切られて、血をまき散らしたところまでは覚えている。普通ならあそこで死んでいるのかもしれない。
「切られたが、治った」
「治った? 冗談はその服だけにしてほしいですね。いい歳してコスプレとはご両親が嘆きますよ?」
「冗談でもコスプレでもない。まぁ、普通はそういう反応なのだろうな」
普通?
それはありえない。
嘘をついている、そう確信を込めて睨む。
「あれだけの傷が短時間で治るわけがない」
「なぜ短時間だと言い切れる。お前が切られてから数週間、数ヶ月経過している可能性があるぞ」
「くっ……」
やばい、その可能性は考えなかった。
いやだめだ。女の言葉に踊らされている。
冷静になれ。
「そ、それこそありえませんね!」
「ほう、根拠を聞こうではないか」
「筋力が衰えてない。数週間、数ヶ月間寝ていれば筋肉が萎んで立てないはずだ」
幸い口は回る。
とっさとはいえ、今の言葉にも根拠がある。
依然入院した知人を見舞った折、数ヶ月間ベッドの上にいた彼はまともに歩けなかった。今の俺は歩ける。長時間の経過はほぼあり得ない。
「アタマはまぁまぁ、機転もまずまずか。いいだろう、お前の言葉通り時間はさほど経っていない。三時間くらいか」
「さっ……」
三時間?
そんなに短いのか?
どんな最先端の治療法でも切り傷を数時間で塞ぐなんてできない。
できるはずがない。
「だから言っただろう。治ったのだ、と」
「し、信じられない!」
「だったら治るような体質になった」
「嘘だ!」
「嘘ではない。現にお前は治っているぞ」
「だったら、切られたのが嘘なんだ!」
「ふん、強がりはいいがな。百聞は一見に如かずという。これを見ろ」
鷹司はリモコンを取り出すと壁面ディスプレイに向けると映像が切り替わる。
そこには画質はあまり良くないものの、見慣れた光景があった。
なぜ見慣れているかといえば、いつも会社帰りに寄るコンビニで、いつもいる店員が見えたからだ。
普通、至って普通の中で、スーツを着て、暴れる男がいる。
「なっ?」
「お前だ」
「まさか……そんな」
首から血を流し、口からもこぼしながら、男の顔は笑っている。
左手は辛うじてつながっている首を無理矢理つなぎとめているかのように掴み、右手には抜き身の刀を握っている。
顔があまりに狂気じみていて、自分の顔だとは分かっていても信じられなかった。
「これが、俺?」
無造作に刀が振るわれる度、周囲が紙切れの様に吹き飛び、壊れていく。
映像は衝撃波に飲まれたところで消えた。
「建物はほぼ全壊。周囲は半壊だ。これにより半径一キロは封鎖、付近の住民には自宅待機を命じた。夜で良かったよ」
「う……そだ」
「嘘ではないさ」
「こんなの人間じゃない!」
「そうだ、君は人間ではない。刀を持つことで覚めてしまった」
「さ……める?」
「ようこそ。人ならぬ人が跳梁跋扈する、もう一つの現実へ」
「……そんな!」
思考が歪む。
これまで自分を律してきた世界が、常識が崩れ始める。
なぜ?
どうして?
「お前が触れたものは名刀と呼んで差し支えない」
そこで鷹司は心底嬉しそうに、嫌味ったらしく笑う。
「よくある話しだ。伝説の剣を手にした若者はなにになる?」
「そんなの……」
セオリー通りなら勇者。
まさか、それが俺だとでも言うのか。
「じょ、冗談にしてはセンスがありませんね」
「その通りなのだから仕方あるまい」
「いや、いやいやいや……」
首を振る。
ありえない。
ありえないが、仮だ。仮に本当だとしたらどうなる。
「……覚めると、どうなるんですか?」
「先程もいったように常人では致命傷となるような傷も治る。身体能力も比べものにならない。私もその一人だ」
「鷹司さんも、ですか?」
「そうだ。証拠を見せよう」
鷹司は壁に立て掛けてあった刀を取り、次に乱雑を極める机の上からマグカップに入っていた銀色のスプーンを手に取り、俺にみえるように掲げると手の中へ握り込んでしまう。
開けば歪な球体が落ちる。
「……本物ですか?」
「ほら」
投げて渡される。
感触は金属そのもの。硬さ、質感は本物だ。
「確かめてみるといい。この程度ならばお前にもできるぞ。これさえあればな」
薄ら笑いを浮かべて鷹司が刀を差しだしてくる。
「うっ……」
右手が疼く。
フラッシュバックのように、鮮明な画像が頭の中を駆け巡り、あの時を思い出す。
そうだ、これだ。
愛しいとまで感じたものを差し出され手を伸ばしかけた。
「ッ!」
ダメだ!
とっさに理性が働く。
左手で自分の右手をつかむ。
なのに、自分の体のはずなのに、言うことを聞かない。
本能とも呼ぶべき感覚が右手を伸ばしている。
「大丈夫だ。私もいる。恐れることはない」
鷹司が甘くささやく。
抗い難い欲求に呑まれて右手がじりじりと押し進み、ついに刀に触れた。
「うっ!」
何かに飲まれそうになる意識を理性によって辛うじて、ではあるが押さえ込んだ。
同時に体中が心地よい感覚に包まれる。
「どうだ? 良いものだろう」
なんだ、これは?
良い、なんてレベルじゃない。
体の奥底から何かが沸き上がってくる。
「うっ、くっ……」
大丈夫、大丈夫だ。
自分に言い聞かせて深呼吸をする。
そうでもしていないとどうにかなってしまいそうだった。
「さぁ、私と同じ事をしてみろ」
差し出され刀に触れ、丸まったスプーンだったものを掌へ乗せる。
無理矢理曲げられて、原型すらない金属に力を入れる。
すると簡単ではないものの、ゆっくりと形を変える。
「マ、マジかよ……」
「どうだ、少しは信じたか?」
簡単にいうが、驚きすぎて信じる、信じないの前に思考が追いつかない。
「ちょっとまってください。少し頭を整理する時間がほしいです」
「そうしてやりたいが、残念ながら時間がない」
「はぁ? こんな理不尽で滅茶苦茶な目にあったのに?」
「ふっ」
侮蔑とも嘲笑ともとれる笑みのあと、
「ぶふっ?」
鷹司の腕が目にもとまらぬ早さで伸びた。
喉元を捕まれ、尋常じゃない力で締め上げられる。
息が、できない。
「準備万端でことが運ぶなど夢物語だ。今のお前にできることはただ一つ。受け入れ、進むことだ」
「ぞ、ぞんな……」
「わかったのか? わからないのか?」
苦しいどころじゃない、このままじゃ窒息する。
「わがった、わがりまちた! う、うけ入れまふ、納得しまふ! だがら離じてくだざい!」
酸素を求めた本能が勝手に叫び、
「げほっ、げほっ……」
ようやく苦しさが消える。
し、死ぬかと思った。
「よくぞいった。それでこそ男児だ。誉めてやろう」
なにがほめてやろう、だ。クソが。
「では、これからのことを話そう。覚めた君は兵器として国の所持品となった。行動が制限され、監視がつく」
「はぁ? 国の所持品? それに監視って」
「人一人が刀一本で建物を半壊させられるんだ。安全管理を行うのは当然であろう」
「それじゃあ会社は? 俺の株は? 出世はどうなるんだ!」
「ない」
「な、ない?」
「そうだ。そんなものはなくなった」
「ふ、ふざける……」
ゴキッ、と鷹司の指が鳴る。
喉元を恐怖がかすめ、本能が閉口させる。
「今度は怪我ではすまないぞ。いかに人間離れをしても、生物であることに変わりはない」
鷹司の双眸が細くなる。
この女、本気だ。
「続ける。いいな?」
もはや良いも悪いもない。俺にできるのは頷くことくらいだ。
「お前は昨日、事故に巻き込まれて死亡している」
鷹司が残る手で机の上にバラ撒いたのは戸籍謄本。
氏名の欄には榊平蔵の文字。そこに真っ赤な判子で死亡と押されていた。
意識が遠のく。
悪い冗談じゃなければイカレている。
「さすがにこれは、冗談ですよね?」
「私は冗談が嫌いだ」
「だったら、死んだ俺は、どうなるんですか?」
「近衛となり、国のために働いてもらう」
「こ、近衛?」
「正式名称は近衛軍近衛師団第一歩兵連隊」
そんな組織は知らない。
軍といっているのに、帝国軍とは違うのか。
どちらにせよ死んだものとして国の管理下に入るとなれば、それは俺が求めるもの、そのすべてが消えるということになる。
耐えられない。
それだけは耐えられない。なにがあっても、絶対に、だ。
今の俺には力がある。
だったら、どうにかして逃げられはしないか。
強いならばともかく、覚めたもの同士なら、あるいは。
でも、仮に逃げたとしても戸籍上死んでいる。
社会復帰は絶望的だ。この力を使ってアウトローを気取って、裏社会で生きるか。いや、このままよりはマシだろう。
「ずいぶんと怖い顔をしているな」
「……そう、ですか?」
「ああ、お前の目を見ていればわかる。眼球が動いているぞ。どうにかして逃げたいのだろう。違うか?」
「だ、だとしたらどうなんですか?」
ばれた。やるか…………。
「お前は金が好きだそうだな? 年齢にしてはずいぶんと資産が多い」
突然言われ、出そうとしてた手が止まる。
「それが、なにか?」
「近衛となるのなら、対価をやろうと思ってな」
「対価?」
話が見えない。金でもくれるというのか?
だとしたら舐められたもんだ。はした金で満足するほど俺は安くな……、
ばさり、と机の上に投げたのは帯で巻かれた一万円札の束。
「そ、その程度……」
と思ったのもつかの間、札束が二つ、三つ、四つと積み上がる。
「い、一千万?」
机の上には札束が十個もある。十個もだ。
「近衛に入るのならば準備金として渡そう」
「…………マジで?」
「近衛は少々特殊だが、報奨がでる。年俸制になるが、一億は約束しよう」
「い、一億も?」
「費用対効果を考えれば戦車を買うよりは安い」
「せ、戦車?」
そんなのと比較されても困る。
が、金は欲しい。
とても、凄く。
「どうだ? 入るのか、入らないのか?」
躊躇っていると無造作に札束が一つ増える。
答えは決まってしまった。
「はいります!」
返事をして飛び付く。
鷹司に笑みが浮かんでることなど、その時は気づきもしなかった。