三七話
皇族とはこの国の象徴。
残酷な言い方をすれば客寄せであり広告塔。
そんな彼らが口にするものというのはさぞや旨いものだろうと幻想を抱いていた時期が俺にもあった。
ただただ広い、そんな部屋の中で殿下と二人、食事をしている。
「……なんですか?」
「いえ、別に」
「……そうですか」
座敷に二人、目の前に並んだ膳を順番に食べている。
それもそのはず、陛下は臥せっておられるし、付き添いで皇后もいらっしゃらない。
殿下には兄弟もなく、親族は別の場所にいる。
本来なら、いや、実際はどうかわからないものの、家族の団らんがあってしかるべき場所。なのに、給仕もいないこの状況が寂しさに拍車をかける。
さらに、だ。膳に並ぶのも豆や雑穀、乾物を戻した煮物、豆腐など多くは精進料理。
そのどれもが冷たい。
椀物でも温かかった形跡があるだけ。すでに冷めてしまっている。
――――特別旨いものじゃないな。
味付けは薄くて出汁は利いているのかもしれないが食べ応えがない。
これなら近衛の食堂の方がよほど豪華だ。
「……おいしくありませんか?」
「とんでもありません。滋味ですよ」
「……よかった」
殿下がはにかむように笑う。
子供は子供らしく、自分の心配だけをしておけばいいのに。
「不味くはない、でも引っかかるんだよな」
殿下に聞こえないようにつぶやく。
冷たくなって、全てが熱を徹底的に通してあるにも関わらず不味くはない。
素材は悪くないどころか一級品である可能性がある。それをここまで殺す調理、というのは、毒殺を警戒してのことなのだろう。
――――ある意味拷問。
殿下のお気に入りだという薩摩芋を食べる。
これもただ蒸してあるだけで、まずくはない。
もう少し加減すれば素晴らしく美味しいはずなのに、これでは単なる食材の味。大陸や西洋料理のように華やかさも調理の妙味もなく素朴で質素。
老人ならいざ知らず、育ち盛りの殿下に食べさせるようなものではないだろう。
年頃なら肉汁滴るハンバーグやドレッシングまみれのサラダだって食べたいはずだ。
「これは、ゴマ豆腐ですか……」
これまた旨くない。
子供に対する配慮はないらしい。
「……さかきは、おいしくありませんか?」
「食べ慣れないものですので、どうしても」
「……すみません、きょうはきにちですので」
「左様で」
皇族には皇族のルールがある。
きにち、とは忌日。
血縁者の命日にあたる。
そういった日は精進料理が供されるらしい。
「殿下、先日も忌日ではありませんでしたか?」
「……それは、せんせんだいのきにちです。きょうはごだいまえのおかあさまのきにちです」
「五代前って、どのくらい前ですか?」
「……一〇〇ねんほどまえです」
誰もが忘れていそうな忌日を、数百年前からのしきたりに従って後生大事に守り続けているのだから恐ろしい。
「後学の為にお伺いしますが、次の忌日はいつですか?」
「……あさってです。よんだいまえの、おじうえさまのきにちがあります」
殿下が箸を伸ばせば、袖から細い腕が覗く。
なんだかイライラする。
イライラしてきたので殿下から器を取り上げる。
「……なにをするのです?」
抗議も受け付けずに雑穀粥を自分の口に入れる。
次に膳に残る器を片っ端から食べ尽くす。
量はさほどない。すぐになくなった。
「……なぜ、このようなことを?」
殿下が驚き、悲しそうな顔をする。
「殿下は実に健啖でいらっしゃいますね。しかし、これでは足りないでしょう?」
「……?」
「たりないですね?」
「……さかき?」
「たりないんです。失礼します」
「……んっ、だめ、です」
一方的に宣言して殿下を抱え上げる。
向かう先は御所の調理場。
引き戸を開けても、そこには誰もいない。
最近わかったことだが、御所は極力人を置いていない。
理由はやはり暗殺対策。
人を極力置かないことで利用されることを避けるためだ。
職員は仕事が終われば帰ってしまう。
先程膳を用意してくれた人も、もういない。
「まぁ殺風景だこと」
調理場の設備は古風な建物と相反するようにかなり近代的だ。
大型の冷蔵庫や最新の調理器具がある。
「しばしお待ちいただけますか?」
「……なにを、しますか?」
まだわからないという殿下を調理台の近くにあったイスに座らせ、俺は冷蔵庫を開ける。
「やっぱりな、思った通りだ」
「……?」
殿下が不思議そうな顔をする。
予想通り、冷蔵庫の中は食材で溢れかえっている。
さっきの精進料理もこれを加工して作られたはずだ。
桐箱の一つを開けると、そこには霜降りの牛肉、さらに冷蔵庫の奥には塊の赤身。
野菜や油、鮮魚もある。そのどれもがやはり一級品。
「よし、あれだな」
肉と食パン、あとは卵。材料はこれだけ。
大学の頃から一人暮らしをしていれば簡単な調理くらいはできる。
ハンバーグなんて簡単だ。
「さて、と」
まな板に肉を置き、”防人”安吉を引き抜いて赤身を削ぐ。
包丁でもいいのだが、塊が大きすぎるので刀の方がやり易い。
見られたら武士の命を、と他の連中に怒られそうだが、俺自身はなんちゃって武士なので気にしない。
同じ要領で霜降りを切り、二つをボウルで混ぜる。
手で混ぜるだけで塊は簡単に挽き肉になる。
覚めてるといろいろ便利ではある。
「パンを細かくすれば、生パン粉、っと」
今の力で握ればほとんど砕ける。パンもマシュマロも鉄も変わらない。
赤身と霜降を混ぜ合わせたものに作ったばかりのパン粉と卵を入れる。
さっくり混ぜて整形し、熱したフライパンに乗せれば次第に芳醇な香りが漂う。
「生でも食べられる鮮度だし、これくらいかな?」
適当なところで火から下ろし、皿に盛る。
手を洗い、食器棚から取ったフォークで端っこを割って毒味がてら一口。
うん、旨い。
「お待たせいたしました」
皿を殿下の前に置き、
「仕上げに、これをひとかけ」
ソースかければ、もうお子様垂涎間違いない。
「……あの、でも」
固い決意を秘めた殿下の瞳を、正面から見据える。
断る気がバレバレだ。
「いいですか? 殿下は先ほど食事を終わりました。これはおやつです!」
「……え?」
小さな瞳が点になる。驚いているのだろう。
「食事は忌日に準じることは伺っています。が、おやつは如何ですか?」
「……さかき、それはへりくつです」
「おやつはどうなのですか?」
しつこく迫る。
慣習なのは百も承知だ。
しかし、育ち盛りの殿下からしたら悪習に過ぎない。
菜食主義なんて現代からすれば栄養不足にも程がある。
体が小さいのも、少なからず食生活の影響があるだろう。
「……おやつは、だいじょうぶです」
「ではどうぞ」
促せば、殿下も食い入るように湯気だつハンバーグを見つめている。が、手を出さない。祖先への敬意や慣習が邪魔をするのだろう。ならば、最後の手段だ。
食パンを二枚切り、ハンバーグを皿からパンへと移し、ぐっと力を掛けた。
「さて、これならどうです? 少なくとも皇族の食事ではないでしょう?」
「……いいのでしょうか?」
「構いません」
断言する。
早く食べろ。
「……いただきます」
意を決したのか殿下がハンバーグサンドを一口かじる。
瞳は大きく見開き、一度ついた食欲は止まらない。
「最初からそうすればいいものを」
可愛くない。
実に、可愛くない。
「如何ですか?」
「……!」
無言で何度もうなづく。
これだけいい材料がそろっているんだ。
素人が作ろうと不味いはずがない。
――――ったく。
屁理屈であることは百も承知だが、これくらいなら皇族のご先祖様も文句は言わないだろう。
それに他人の幸福を願う存在であるなら、まずは自身の幸福を知らねばならない。
慎むばかりが統治者の責務ではないはずだ。
「……ごちそうさまでした」
きちんと手を合わせる。
教育の行き届きを感じる。
「……さかき、たいぎでした」
「そう思うなら根本的に食事システムの変更を提案いたします」
あんな貧相なものばかりお召し上がりになったのではその貧相なお体が益々以て貧相になるのではないかと愚考いたしますが如何でしょうか、とはいわない。
いわぬが花。
「……わかっています」
「は?」
殿下が慈母のような微笑を浮かべる。
なぜかイヤな予感しかしない。
「……わたくしを、しんぱいしてくれるのですね」
「どこをどう切り取ったらそんな言葉が出てくるのやら。お熱でも計りますか?」
殿下の額に手を当てる。
子供体温。
「……そうでなければ、このようなはいりょ、していただけるはずがありません」
「じょ、冗談はその惚けたヒロイン脳だけにしてもらえませんか。貧相な流線型では見ていても楽しくも何ともありません」
「……はい、はやくむねをおおきくします」
思わずでてしまった暴言すら殿下は真面目に返す。
勉強もいいが、冗談の一つや二つ流せるようになって欲しい。
「ほどほどにしてください。困りますから」
「……がんばり、ます」
へにょり、と笑う。
ダメだ。
全然分かってない。
「……では、こちらへ」
手招きされる。
正直、これはあまり好きではない。
「あの、これはやめませんか?」
「……ぼーなす、です」
「結構です」
「……ぼーなす」
「はいはい」
またこの顔か。
まぁ、いい。
誰が見ているわけでもない。
「では、失礼します」
咳払いをしつつ、殿下の膝に頭を乗せる。
小さな手が髪の毛をなでるのがむず痒い。
早く終われと念をとばす。
「~~~~~~♪」
殿下が歌い始める。
この瞬間だけは悪くない。
今はそう思うことにした。