表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/227

一話



 白が見えた。


 それが天井の色なのだとは最初、分からなかった。


「うっ……」


 目を動かすとそれだけで気分が悪くなる。

 頭がひどく重い。

 それにマラソンを走った後のような倦怠感がある。あるいはビールばかり飲んだ翌日の二日酔い。アレに似た最悪の感覚。

 

 もう少し寝ていよう。

 こんなにも気分が悪いのに、目を開けてなんていられない。

 不快感を振り払うように目を閉じ……れなかった。


 なんで、俺は寝ているんだ?

 会社は?

 家は?

 仕事は?


 いくつもの考えが浮かぶ。

 そんな中で手からあの愛しい感触と重みが消えていた。喪失感。今まで味わったことのない耐え難いものが沸き上がる。

 あの愛しい重さを得た切っ掛けは、あの変な外国人たちだった。そして、俺は奴らに、


「――――そう……だ」


 切られた。

 とっさに喉を手で押さえようとしたのに身体が動かない。

 力が入らないからじゃない。首の下が動かないのは体中が縛られているからだ。


「なんなんだよ、これ」

 

 抜けられないか、あるいは切れないか、と考えたが、途中で止めた。

 待て、落ち着け、冷静になれ。

 焦ったままでは最適な考えには至らない。


「ふぅ」

 荒くなった呼吸を整えて状況を整理する。

 まず傷だ。

 切られたはずの喉に痛みはない。身体に不快感はあるが、あとは大丈夫だ。

 

 深呼吸をして唯一自由な目で、不快感を押し退けながら見渡す。

 大して広くもない部屋。窓はなく、あるのはドアだけ。

 部屋には俺のいる鉄格子のような柵が付いたベッド。

 

 ここはどこだ。

 それに俺は――――。


 切られたなら普通は病院のはずだ。しかし、病院ならこんな縛られることはない。

 白衣に着替えさせられたのはいい。縛られるのも、百歩譲って大目に見よう。最大の疑問は切られて、あんなに血が出たのに生きている、無事だということ。

 噴水のように血が吹き出して、あんなに痛かったのに、今は何ともない。

 治療されたとしても痛みは残るはずだ。


「まさか、ここが地獄?」

 口にしてみて笑った。

 これは現実だ。

 不快感があって、心臓が動いている。だったら地獄であるはずがない。

 

 それにしてもなんて日だ。

 コンビニまでは普通の日だったはずなのに、今はこうしてベッドに括り付けられている。

 考え事をしているとドアが開いた。


「目が覚めているみたいだな」

 ドアの前には女。

 黒くて長い髪に切れ長の瞳、どこか猛禽類を想像させる気高さ。

 美人で、気が強そうだ。そこまでならモデルかグラビアアイドルにも見える。

 ただし、女性が着ていたのはドレスでもなければ水着でもない。白を基調とした服装は時代錯誤のように古めかしい軍服、というか軍服に似たもの。


「誰、ですか?」

 サラリーマンとしての矜持、鉄壁の理性はこんな状況でも敬語を紡ぐ。

 女は無言。


「気分はどうだ?」


 愚問だ。

 こんな状況でいい気分はしない。

「……良くはないですね」

「そうか」


 女の顔が近づき、頭の天辺から爪先までを視線で舐め回される。

 あいにく、こちらに視姦される趣味はない。

 数瞬の後、観察が終わったのか女は姿勢を正すと拍手をした。


「おめでとう」


 まったく嬉しくなさそうな賛辞。

 つり上がった眼が細くなり、唇が弧を描く。

 笑顔だったら天使に見えたかもしれない。


「君は“特別な力”を手に入れ――――」

「特別?」

 

 ここまでならば、俺も冷静でいられただろう。


「――――そして自由を失った」


 だが、事態は思いもよらない方向へと進んでいた。


  

                    ◆ 

 


沈黙は何分も続かない。

「い、意味を教えて頂けますか?」

「ああ、もちろんだ」

女は鷹揚に頷き、懐から丸いモノを取り出すと、こちらに向けてくる。

「自分の首が見えるな?」

手にしているのは鏡。

首には左右の頸動脈を縦断するように裂けたような古傷がある。


「貴様は切られた」

「……それは、覚えています」

「ほう、記憶があるのか。ならば話しは早い」

女の口元には笑み。


見透かしたような、気にくわない顔だ。

「傷はかなり深かった。私が到着したときには辛うじて頸椎で繋がっている。そんな状態だったな」

聞いているだけでも気分が滅入る。確かに、あの時はヤバかった。


「……ヤバかった?」

口にして、自らの言葉が疑問へ変わる。

あれは、あの傷はヤバいなんて程度じゃすまされない。首、それも頸動脈を切っていた。


「ふっ」

女の笑みが皮肉へと変わる。

「そう、貴様の考えるとおりだ。あの傷では助からない。普通ならば、な」

「普通じゃない、それが“特別な力”ってことですか?」

「さすがに社会人ともなれば落ち着いている。騒ぐ学生相手に説明するのは面倒だが、これならいい」

「は?」

「こっちの話しだ。力というのはそれだけではないが、一端だと思えばいい。その一端が貴様を助けた……」


女が少し考える仕草をする。

「いや、まぁ、いいだろう」

なんだ、気持ち悪いから話せ。今すぐに。

「急いた顔をするな。物事には順序がある」

知るか、そんなもの。

状況考えろ。


「ここでも良いが、その格好では不便であろう。意識もしっかりしている。これなら大丈夫だな」

女が拘束を解く。

ようやく自由になったからか、体が軽い。


「さて行くぞ」

「行く?」

痕の残る手足をさすっていると女がドアの向こうを指し、


「上だ」

上を指差す。

もうすぐ帰れる。このときはまだ、甘い考えでいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ