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三一話



「……ダメか、限界だな」


 痛みは集中力を奪い、無意識に傷を庇おうとする。

 その隙は致命的になりうる。

 ここまでの時間は二分強。

 少し早いが使わなければチャンスそのものが消える。


「ビジネスの基本その三、切り札は効果的に使え!」

 

 飛び退きざまに真っ赤なジャージを脱ぎ捨てる。

 実はこのジャージ、マジックテープ式に改造してあって着脱が簡単になっている。

 下は裸、ではない。


「へっ? 青い、ジャージ?」

 

 裂海の顔に疑問符。

 そう、真っ赤なジャージの下にはスカイブルーのジャージを着ている。

 切り札はこれだ。


「脱いだから何なのよ!」


 気合い一喝。

 間合いに入ると躊躇なく裂海は刀を振ってくる。

 

 終わりだ。


 裂海も、審判役の伊舞すらもそう思っただろう。

 しかし、雨乞いの太刀は俺に当たらず、道場の床に深々と埋まる。


「う、うそ?」


 刃の先端が額を浅く切っている。

 今のはマジで危なかった。

 前ならここで終わっていたはずだ。期待した効果はでている。


「今度はこっちからいくぞ!」

「わわっ?」

 

 驚く裂海に間髪入れず刀を突き出す。が、簡単に避けられてしまう。

 四メートルはある雨乞いの太刀は懐が深い。

 こちらの速度ではやはり間合いに入った時点で失敗になる。


「ちょっと、今のなに?」

「なんだろな!」

「なんか変!」

 

 裂海には今、俺の姿は少しだけ小さく見えていることだろう。

 それも自分では気づかないくらい微々たる変化だ。

 しかし、人間の眼というものは非常に精巧にできていて、わずかな違いさえ時には認識してしまう。


「ちょ、なんでよ!」


 裂海が刀を振るう。

 なのに当たらない。

 ただし、これは数分間という制限時間付き。チャンスは裂海が混乱する今しかない。


「なにしたのよ!」

「俺が勝ったら教えてやるよ」

「こ、こんなので!」


 裂海が珍しく焦る。

 それはそうだろう。

 コイツの技術は若さからは想像もできない膨大な経験と実績に裏打ちされている。

 当たらないというのはほとんど経験がないはずだ。

 ないことをされる。それもほとんど素人の俺にだ。


「なんなのよ、これ!」


 裂海が目をこする。

 避けられているのか、それとも自分が原因なのか、分からないからだ。


「ふっ!」

 こちらから打ち込むと裂海は逡巡の後に眼を閉じ、


「そこよ!」


 視覚に頼らず、足音と気配だけで正確に刀を受ける。

 だが、それもこちらの術中。


「わっ!!!!」


 間近まで迫ったところで大きく息を吸い込み、精一杯の大声を出す。


「くぅ?」

 

 裂海の顔に苦痛。

 一般的な大人の肺活量でさえ、近くで聞けば耳にはかなりの影響がでる。

 それを覚めた人間の増大した肺活量を使えばスピーカーのハウリングを当てられたに等しい。

 つまり、


「や、やったわね!」

 

 裂海が眼を開き、耳を押さえ、犬歯を見せた。


「これでようやく五分か?」

 走り込み、”防人”安吉を振るう。


「まだよ!」

「っ!?」

 

 当たったと思った刃が打ち払われる。が、狙った腕にはわずかな切り傷。

 視覚、聴覚を狂わされて尚、裂海は触覚を最大限に使ってこちらの刃が触れた瞬間に打ち払ってきた。


「な、なんだよ、もうやられとけっての!」

「うるさい、ヘイゾーのくせに!」

「クセにってなんだよ、脳筋バカ女!」

 

 打ち込んでも打ち込んでも、裂海にはわずかな切り傷しか与えられない。

 こっちのトリックは数十秒で切れる。

 対して裂海の感覚のズレは時間の経過と共に回復する。


「くそったれが!」

 

 こうなれば手数だ。

 もはややたらめったらに刀を振るう。


「鋭っ!」

「むぐっ!?」

 

 刀が打ち払われる。

 視力が回復してきたのか、迎撃が正確になりつつあるらしい。

 ダメだ、もうここまできたら最後の手段しかない。


「これで……どうだ!」

「そ、んなの!」

 

 渾身の一突きを裂海は横薙で迎え打つ。

 これまでなら刃は打ち払われていただろう。

 しかし、今回は違う。


「ちょ?!」


 困惑の声が聞こえる。

 それもそのはず、突きと一緒に俺自身も裂海に向かって跳んでいたからだ。

 体ごとの突進に雨乞いの太刀は脇腹に食い込み、俺の突きは裂海の肩を浅く切っているだけ。

 致命傷を与えられないことは先刻承知。ただの突進ならチンピラの捨て身と変わらない。しかし、現状で唯一勝る体だけの質量なら押し込める。


「お返しだ!」


 残る左手を伸ばして、華奢ともいえる裂海の喉に触れる。

 

 柔らかい。

 細い。

 女の子。

 年下。


 一瞬にして情報が頭に流れ込み、黒い髪の毛になぜか殿下の顔、裂海の顔が入り乱れる。

 掴め、潰せ、そう教わったハズだ。

 さっきだって俺の胸板には裂海の爪が突き刺さって、肺に穴が開くところだった。


 一億。

 買い物。

 ブランド品。


 欲しかったものが交錯して、刹那の迷いが生まれた。


「ああもう、どうにでもなれ!」


 勢いのまま道場の壁に押しつけ、いわゆる壁ドンの姿勢になってしまう。


「……くっ」


 が、それ以上はできなかった。

 いくら欲が勝るとはいえ、まだ俺は女の子に手荒な真似ができない。社会人、いや、一般人としての常識が腕を止めさせた。

 千載一遇のチャンスにも関わらず、力は入ってくれない。


「はぁ」


 大きく息を吸う。

 ああ、脇腹に食い込んだ刃が痛い。

 

 さぁ、どうとでもしてくれ。

 そう思っていると、


「ボウヤの勝ちね」

「へっ?」

「あちゃー」


 伊舞の宣言に裂海は天を仰ぎ、俺の方が首を傾げる


「優呼、不覚よ」

「……すみません」


 雨乞いの太刀が引かれ、床に落ち、急速に治癒が始まる。

 ああ、痛かった。


「ねぇ、そろそろ苦しいんだけど」

「あ、ああ」

 

 手を離せば、白い首には鬱血の痕。


「あーあ、負けちゃった!」

「あれ? 俺、勝ちでいいの?」

「さっきそういったでしょ? それとも、どうする優呼、無効にする?」

「うーん、不覚を取ったのは事実ですから……」

「いいわ」


 二人で勝手に納得する。

 少しは説明してほしい。


「勝負の条件は覚えてる?」

「えっと、裂海が使えると思ったかどうか、ですけど」


「で、優呼は」

「まぁ、使えるんじゃないですか。機転も利いてましたし、避けるだけなら囮くらいにはなりますよ」

 小娘はいけしゃあしゃあと嘆息する。

 非常にしゃくに障る物言いだが、まぁ、黙っていよう。


「アタシとしては優呼の諦めが見えたから判定を下しただけよ。ボウヤどうこうはどうでもいいわ」

「……なんだそれ」


 オレはどうでも良いみたいな言い方しやがって。

 俺の怨念を余所に、伊舞が裂海に向き直る。


「優呼、アンタは居合いの癖が残りすぎよ。ジジイも言ってたけどそんなもの使わずに物干し竿でも使ってなさい」

「…………やっぱり、おじいちゃんのようにはいきませんか?」

「当たり前よ。迅彦は工夫、アンタは無理矢理。合うわけがないんだから」

「……ですよね」


 少し寂しそうな裂海。

 結果はどうあれ、俺は裂海の夢を潰してしまったことになるのだろうか。


「良い機会だから諦めるのよ? 返事は?」

「は~い!」

 

 どこか悲しげに、同時にどこか晴れ晴れと少女は天を仰ぐ。

 まぁいいや、こっちはこっちで目的を果たしたわけだし、後味は良くないが我慢しよう。そうしよう。


「それでボウヤ、あれはどういう仕掛け?」

「へ?」


 急に話を振られる。


「私にはヘイゾーが小さく見えたわ!」

「私もよ。優呼が目測を誤ったのはそれでしょ?」

「気づいているじゃないですか」

「だから、そのからくりよ。アンタが小さくなったわけでもあるまいし」

 

 なんて強欲だ。

 まぁ、いいけど。

 コホン、と軽く咳払いをする。


「人間は視覚に頼る生き物です。外界の情報、その七割を視覚から得ます。厳密には視覚から得た情報を経験と知識から予測するわけですが、人間の視覚は優秀すぎるので錯覚を起こしやすいんです」

「それは知っているわ」


 伊舞は顎に手を当てて思案顔、裂海は完全に分からないという雰囲気だ。

 言葉をもう少し砕いた方がいいかもしれない。


「見間違いよくするってことです。今回は錯覚効果の一つでもある前進色と後退色、色を使った仕掛けをしました」


 二人の顔に疑問が浮かぶ。

 まぁ、そうだろう。


「最初のジャージ、赤は前進色です。目立ちますし、実際よりも大きく見えます」

 赤いジャージを拾って着ている青に並べる。

「対して青は後退色。実際よりも小さく見えます」

「そう、かしら?」

「見えなくもないけど」


 近くで見ると実感は薄いかもしれない。

 少し遠く離れたり、思考よりも行動が優先されるさっきのような速度だと起こりやすい。


「本当は白と黒の方がより顕著なのですが、今回は仕掛けがもう一つ」

「仕掛け?」

「なによ?」

「裂海が女だということです。女性は月経や出産の都合上、赤という色にとても強く反応します。ただでさえ目立つ色、それを強く意識しながら戦うわけですから影響はでやすい」

 

 脱ぎ捨てたジャージを拾い上げ、体へ重ねる。

 まぁ、これだけでは実感しにくいかもしれない。


「こうして目に焼き付いたのに、いきなり青になったら目は確実に錯覚を引き起こします。通常よりもより小さく見えるはずです」


 実際の例でいえば自動車事故で青い車両は追突などの事故が多いという統計がある。

 これは後退色であるため、距離を見間違えてブレーキが遅れて当てられてしまうからだ。

 別の分野、例えばファッションでも黒や青は細身に見えるのもこの効果を使っている。


「じゃあ、完全な女性への対策ってこと?」

「この場では、な。こうでもしなきゃ勝てない。それに……」

「ほっ?」

 裂海を睨むと首を傾げる。

「お前はいつも、俺を気遣って体芯を狙わないだろ。致命傷は避ける。絶対にだ。だから注視もするし、より誘導しやすいと踏んだわけだ」

「バレてた!」

 裂海が手でおおげさに顔を覆う。


「十重二十重ってことね。種が割れると一つ一つの仕掛けはチャチだけど、いいわ、約束だし正式入隊の許可を出しましょう。任官おめでとう、少尉殿」

「や、やったー! で、少尉ってどれくらい偉いんですか? 外出できるんですか? 金使えますか?」


 伊舞の宣言に痛みも忘れて諸手をあげた。


「五月蠅いわね。少尉は近衛で一番下っ端よ。優呼だって大尉なんだから」

「えっへん!」

「階級並べられてもわからんのですが」

 少と大だから裂海の方が偉そうではある。


「近衛の部隊編成は覚えてる?」

「はい。ですが、念のためもう一度教えていただけるとたすかります。色々と」

「……いいわ。近衛の最少単位は大隊。普通の軍隊なら千人単位に相当する。ちなみに第一大隊の青山が率いるのは九人よ」


 鷹司から渡された教本の記述にあった大隊規模とはずいぶん違う。


「前から思ってたんですけど、九人で大隊ってことは、通常の軍隊を考えると一人が一〇〇人分戦力って計算ですか?」

「大体だけどね、一人が一個中隊分ってのは近衛でよく使われる指標よ」

 

 裂海が補足する。

 つまり、少人数でも求められるのは高い戦果ということか。


「一個中隊指揮に相当する階級は中尉と大尉。優呼は一回出世してるから大尉ね。少尉は、まぁ猶予期間だと思いなさい」

「見習いってことですか?」

「当たり前でしょ? マグレで一回勝ったくらいで調子に乗らないでよ」

 

 伊舞の言葉はもっともだ。

 しかし、本当に認めてくれるとは思いもしなかった。

 勝算は低くないとは思ってたけど。


「霧姫には私の方から報告しとくから、アンタたちはもう少し遊んでなさい」

 ひらひらと手だけを振って伊舞は行ってしまう。


「ヘイゾー!」

「な、なんだよ!」

「さっきの面白かったね!」


 今度は裂海が目を輝かせる。


「俺は面白くない。これを見ろよ!」

 胴着は切り裂かれ、最後の脇腹への一閃はヘソのあたりまで達している。

 一般人なら死んでいる傷だ。

 あとは腕やスネにも無数の切り傷。もう治っているが痛かったことに変わりはない。


「いいじゃない! おあいこ!」

 

 裂海が首を見せつける。白い首には手のあとがクッキリと残っている。

 内出血は治り難く、覚めていても結構残る。自分の所行とはいえあまり直視できない。

 やはり傷つけられるのはまだしも、傷つけるのは慣れない。


「さっきのもう一回やって! 今度は当てるから!」

「ふざけんな! タネが割れた仕掛けを二度もやるバカはいねぇよ!」

「いいじゃん! やろうよ!」


 満面の笑み。

 なのに、


「ああ、そうだね。勝ったからこっち?」


 両手を広げる。

 真っ白い肌、瑞々しいまでの肢体、年相応の膨らみ。


 ――――ヤバい。


 理性が辛うじて目を閉じさせる。

 デコピンで誤魔化す。


「いったいな、もう!」

「だいたい、誘うんならもう少し色気をつけてからにしろ、このペッタンコが!」

「あー、それ気にしてるのに! ヘイゾーのバカ!」

「ウルセー!」

「もう手加減してあげないんだから!」


 掴まれ、振り回される。

 でも、勝てた安心感で一杯だった。

 これで外へ出れる、金が使える。

 あとの事なんて考えもしない。


気が付けばすごい数のアクセスがあって驚いております。

どうやら日刊でジャンル別1位、総合8位という大変光栄な順位をいただけたようです……。

これもすべて読んでくださった皆様のおかげです!

これからも頑張ってまいりますので何卒よろしくお願いいたします。

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