二八話
金は使いたい。
でも、勝てるのか。裂海に。こんな心のままで。
「はぁ」
自然とため息がでる。
「……さかき?」
殿下が裾を引っ張る。
そうだった、お付きの真っ最中だった。
いつも通り、殿下の私室で二人。
ぼんやりしていれば気付かれて当たり前か。
「少し考え事をしていました。ご容赦ください」
「……いえ、だいじょうぶです」
チビ殿下はへにょり、と微笑んで目線を手元に戻す。
読んでいる本は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とかいう全くかわいげのないもの。
ボケ面で絵本片手に笑っている方がお似合いだろうに。この国の皇族は幼子にその自由すら与えない。
――――まぁ、俺には何もいえないな。
裂海の件もある。
余計な口出しは墓穴を掘りかねない。
なにせ、ここでは一般的な価値観は通用しないのだから。
殿下に求められるものも、良くできた、ではすまされないものだろう。
もう少し気長に、って訳にもいかないのか。
当代の陛下は病気がちだ。
何かあったら、と考えると早いに越したことはないのか。
考えている間にも殿下が読む速度は落ちない。数百頁、数十万の文字を小さな頭に納め、
「……ふう」
吐息を漏らす。
「お疲れさまです。お茶でも如何ですか?」
「……ありがとうございます。いただきます」
あらかじめ用意していた急須から湯飲みへと注いで渡す。
ちび殿下は煎茶よりもほうじ茶や番茶がお好きらしい。
それも少しの茶葉を長く浸けた出涸らし近い薄味がより好み。
「……おいしい」
ヌルくなった番茶を一啜りして、またへにょり、と微笑む。
「……さかきは、のまないのですか?」
「頂きます」
勧められたので急須に残った分を頂く。
うーん、うっすい。
「お茶菓子は何になさいます? 蓬莱屋の饅頭と玉石堂のかりんとう、あとは○ッキーがありますけど」
「……ぽっ○ー」
「この情報をネットに流せば株価が上がりそうだな」
「……?」
インサイダー取引になるか?
いや、株価の意図的な誘導は罪になったっけ。
あとで調べよう。
「どうぞ」
「……!」
棒状のプレッツェルにチョコレートがコーティングされた安っすいお菓子を殿下はまるでリスにように先端からかじる。
数センチを口に含むと何度も噛みしめてからお茶と一緒に嚥下、というのを繰り返しながら食べるのだが、これが実に微笑ましい。
「なんでそんなのが好きかねぇ」
殿下には聞こえないようにつぶやいて、俺は数週間先まで予約で一杯という饅頭を頂く。
柔らかい皮に 丹波大納言小豆の餡は最高にウマい。
だいたい、番茶とポッ○ーなんて合わないだろうに。誰が教えたんだか。
「……さかき」
「は、はい?」
唐突に呼ばれ、思わず生返事をしてしまう。
「……なやみごと、ですか?」
「いえ、悩みはありません」
子供に相談する悩みなんぞない。
「……みぎめ」
「へ?」
「……さかきは、かんがえごとをしていると、みぎめをとじます」
「そうですか?」
「……はい」
なにやら自信ありげに頷く。
「閉じてました?」
「……とじてました。ぜったいに」
「大したことではありません。お気になさらず殿下はご自分の覇道を往かれるのが宜しいかと存じますが?」
「……ずぼしをつかれると、むきになります」
クソガキ。
「……おはなししてください」
殿下がちょこん、と俺の横に座る。
「しても、解決はしません」
「……ひとりより、ふたりです」
今日は頑固だな。
まぁ、してもいいか。別に。
「裂海優呼はご存じですか?」
外出したいこと、そうするためには正式所属にならなければいけないこと、裂海と対することを掻い摘んで話す。
「……いいのではありませんか? さかきはさかきのりゆうで」
「ひどく不純な動機ではありますがね」
「……ねがいに、じゅんも、ふじゅんもありません。あるのは、よくだけです」
「端から見れば、欲にも色が有ると思いますが。護国と私欲、比べられたものではありませんよ?」
「……ごこくも、しよくです」
むっ、なかなか真っ当な意見を並べてくる。
チビ助のくせに生意気だ。
「……くにを、まもりたいとするおもいを、ひつようとしないひともいます」
「でも、国家は大事でしょう」
「……なぜ、ですか?」
「なぜって、国は自由と権利を保障してくれる……」
「……では、じゆうとけんりは、だれのものですか?」
「こ、国民では、ないのですか。でなかったら……」
そこで気付いてしまった。
国もまた、欲の塊でしかないことに。
「……さかき、くにとは、ひとです。ひととは、くになのです」
心臓が早鐘を打って、口が渇く。
何かが割れる音がする。
それが、自分の心なのだとは思いもしない。
「……じゆうも、けんりも、だれかが、そうされたいとおもった。そのけっかにすぎないのです」
無意識に手で顔を押さえていた。
これ以上、剥がれ落ちないように、と。
「……くにのよくとは、すなわちひとのよく。よくは、よくなのです」
「俺の欲も、認められる、と?」
「……もちろんです」
「恐れ多くも国家の名代とも在ろうお方が、国を欲と断じますか?」
「……くにをよくしたい、そうねがっても、よしとするひと、あしとするひとがいます」
「金の欲が国の欲に勝ると?」
「……しほんしゅぎとは、かねのよくをみたすこっかです」
「はっ、いってくれますね!」
仮面が完全に剥がれ落ちる。
自らを肯定されて尚、俺の心は揺らぎ続ける。
当たり前だ、自らの価値観の根本を壊されているのだから。
「欲の為だと、全ては欲なのだとされたら、国家の庇護下にある存在はどうするんです!? ただ安寧を願い、小さな幸せに縋る存在はどうするんですか!?」
「……だからこそ、わたくしたちはいるのです」
殿下が微笑む。
「っ!」
「……よりそうために。ひとしく、すべてに」
全ての欲と寄り添う、全ての願いと寄り添う。
等しく寄り添うというのか。
「っはっはっは!」
俺は、気付けば笑っていた。
畏れ多くも殿下の前で、護衛すら忘れて。
この国では金を集めることは悪だとされる。
故に、俺自身も大っぴらにはしてこなかった。
金こそが権力、金こそが自由、名声であり、栄誉。
思いはしても口にはしない。
しかし、殿下は、国はそれでも良いと宣う。
この国では最も忌避され、亡者とまで罵られる欲を肯定する。
「……ひとが、たたかうりゆうに、だいしょうはありません」
「優劣、貴賤はない、と仰るのですか?」
「……ええ、ですから、ぞんぶんにみたしなさい」
そう告げる。
「わかり……ました。もう迷いはありません」
「……はい。ですが、さかき」
「なんです?」
「……はんざいはだめ、ですよ?」
「心得まして」
最後にオチまでついてしまう。
なにかが吹っ切れた、そんな瞬間だった。