二七話
「……旨い」
「なに絞り出すようにいってんだよ」
湯気の立ち上る皿の前で絶句した俺に、立花が笑う。
切られて突かれてぶん殴られた分の血液と体力を補うべく、任務帰りの立花と一緒に食堂まで来た。
「このコンソメスープ、すげぇ旨いんだけど」
「当たり前だろ? ここのおばちゃんたち、すっげぇ料理上手なんだから。おばちゃーん! 今日も旨いよ!」
立花が厨房に向かって手を振る。
オープンキッチンなので中は丸見えで、何人かが手を振り返してくれる。
「いや、上手ってレベルじゃないんだが」
化学調味料や出来合いのコンソメだとクドいのに、これは丁寧に作ってある。
普通の社員食堂、まぁ社員ではないが、こうしたところは普通くらいのレベルでいい。こんなに旨いと外食する気が失せてしまう。
「旨い飯食わないと力が出ないだろ?」
「否定しないけど、出来が良すぎる。星がつくレベルだ。どっかから引き抜いてきた人たちなのか?」
「いや、あそこにいる、真ん中の人は第五大隊に旦那さんがいる。その後ろ側、タマネギ切ってる人は第七」
「ん? つまり、普通の人ってことか?」
「近衛と結婚するくらいの縁者だから武家や士族の出身だろうが、まぁそういうことだ。みんな旦那の近くに居たいってことで働いてるらしい」
立花の解説を聞きながらテリーヌを一口、フォアグラかと思えば違う。
魚肝を丁寧に処理してあるのか、クセを活かした絶妙な一品に仕上がっている。
「脱帽だ」
こんなの食ったらファミレス行けなくなる。
「榊って洋食好きなのか?」
「あ、ああ。手軽だし、ハズレがないだろ。和食も好きなんだが、マズいのにも当たりやすいし。そういう立花は?」
「前はそうでもなかったんだが、立花の家に行ってからは和食ばっかり、その反動で今は洋食が嬉しいな」
嬉しそうに大きな海老フライにかぶりついている。
「ん? 立花の家?」
「ああ、言ってなかったっけ? 俺は養子なんだよ。元は由布、由布宗忠」
「初耳だな。なに、聞いていいのか?」
「別にいいだろ。ここじゃあ誰でも知ってるし」
俺は知らなかった。
立花と言えば、先日裂海と立ち会いをした立花直虎を見ている。
あの人が姉、義姉というわけか。
「お姉さんはこの前見たな。裂海とバッサバサ切り合いしてた」
「そんな義姉上でも性別は越えられないからな。立花の当主は代々男って決まってるし、だから立花は分家の俺でも養子に迎えたんだよ。さらにいえば西日本だと皇族警護の筆頭だし、当主=覚めたもの、ってのが続いてきたからメンツもあったんだろ?」
「なるほど、跡継ぎか」
「そういえば榊は死人扱いだったな。でも近衛になると現代の武家として登録されるから、戸籍はなくても結婚できるぞ」
「……初耳だよ」
「その辺は見習い期間だからだろ? あとで副長から説明があるさ」
結婚か。
あまり考えたことはなかったし、実感もない。
「するのかな、結婚」
「しとけよ。そんで、もらうなら立花の家みたいに当主が男って家の娘にしろよ」
「なんで?」
立花が嬉々とする理由がわからない。
武家の嫁をもらって裂海や鷹司のような女だったら怖すぎる。
「現代武家には二種類あるわけだが、男が当主って決まっているところはどんなに強くても嫁に行くんだよ。まぁ、逆もあるわけだが」
「……話が見えないな?」
「表じゃどんなに強がったって、家に帰れば三つ指着いてお帰りなさいませ。が基本だ。失われた大和撫子を手にできるんだぜ?」
「悪趣味だな。まぁ、でも大和撫子か」
確かに、現代では絶滅危惧だろう。
でも、そんなに良いものだろうか。
ぼんやりと思い描くと、流れるような黒髪と虹の光彩を持つ瞳が浮かぶ。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、ついでに褥は水芭蕉、ってな!」
「最後は下ネタかよ」
立花がゲラゲラ笑っていると、
「ずいぶんと楽しそうだな」
「ふ、副長?」
いつも執務室に籠りっぱなしの鷹司がいる。
「お、お疲れ様です!」
「……さまです!」
立ち上がって敬礼する立花に合わせる。
近衛はこうした上下関係に厳しい。人の眼があるところではかなり、だ。
個人的にも会いたくない。
「楽にしろ、私も食事だ。邪魔をするぞ」
ひらひらと手を振りながら、たくさんのテーブルがあるなかで、あろうことか俺の隣に座る。
正直迷惑だ。
「……ああ、こっちだ」
手を挙げると鷹司の前に皿が置かれる。
乗っているのは切り込みの入ったバゲットにハムやチーズ、新鮮な野菜。
これだけならOLの食事風景といえなくもない。
問題は量、人間の腕ほどもあるバゲットが数十。
飲み物は朝露のような水滴がまぶしいピッチャーにミルクがなみなみと注がれて、それも一つや二つではない。
「頂きます」
鷹司は律儀に合掌してから食べ始める。
バリバリと食材を噛み千切る様は大型の肉食獣を連想してしまう。
「それで、男二人でなんの話をしていたのだ? 立てば芍薬とは立花も存外に古い」
「り、理想の女性についてですよ、なぁ、榊!」
「え? あ、ああ! そうなんです。跡取りの話になりまして……」
「なるほど、そこからか。確かに跡目相続ともなれば嫁の話しにもなろう。しかし、立花ともなれば見合い話の一〇や二〇あるだろう。選び放題ではないのか?」
「ふーん、見合いねぇ」
立花に視線を投げ掛ける。
名家の跡取りともなればさぞかしもてるのだろう。
「い、いえ、私はまだ若輩ですので……」
笑って誤魔化すあたり、来ているはずだ。
いつもボコボコにしてくれる立花が狼狽するのが面白そうなのでここは追い打ちをかけてやる。
「いやー、さぞかしモテるんだろうなぁ。背も高いし、イケメンで家柄まで良いなら放って置かないんだろうなぁ」
「くっ! 榊、覚えてろよ」
「もう忘れた」
「聞いた話では細川家の娘が執心だと聞いたな。あとは……」
「副長、それは何卒ご勘弁を」
「そうなのか? 勝頼殿は乗り気と伺ったがな」
「義父上が、ですか」
立花は嫌そうな顔をしている。
どうやら色々と事情があるらしい。
「そ、それよりも、榊はどうですか? 近衛になった以上、現代武家の一角に名前を連ねたわけですから、当然話もきてるんじゃないですか?」
立花がこの流れは不味いとばかりに転換を図る。
「榊か? 興味を示している家もあるが、様子見だろう。能力は未知数だし、なにせ家柄が、な。固有でもあれば名乗りもありそうだが」
鷹司はバリバリと食べ進めながら話す。
固有か。
そういえば、そんな話も聞いた。
「固有があると、どうして名乗りが上がるんですか?」
「固有は遺伝しやすいんだ。遺伝するってことは子供も覚めるわけだろ? 家柄の存続にもつながるんだよ」
存続が重要視されるってことは現代武家とやらになると優遇があるのだろう。
税金でも安くなるのだろうか。
「その点、立花は優秀だな。覚めてからわずかな期間で固有も獲得し、今は飛ぶ鳥落とす勢い。見合いも尽きないわけだ」
「……勘弁してくださいよ」
ここで立花の話しに戻る。が、大事なのはそこではない。
固有の存在そのものが気になる。
「一つ質問なのですが、固有って全員が獲得できる訳じゃないんですか?」
「ふむ……残念ながら全員、とはいかない。近衛でも固有持ちは一五人くらいか」
「えっ、近衛って全体で何人くらいですか?」
「海外赴任を含めて一〇〇名前後だな」
そう考えるとずいぶん少ない。
「各隊の長は皆固有持ち。固有を獲得すると戦いの幅が圧倒的に広がる。刀と併せてあらゆる状況に対処が可能となるわけだ」
「はぁ、立花って結構すごいんですね」
「まぁな」
得意気に笑う。
「で、その固有ってどんなのなんだ?」
「内緒!」
「なんで?」
「固有は切り札なんだよ。だから仲間だろうとおいそれとは話せないんだ。俺の固有知っているのも所属の隊長と副長……五人くらいか」
「ある種の機密と思え。知られて対処されたら国防に関わるからな」
「それは、そうですね」
「知られて対処できないのは副長くらいですよ」
「立花……」
「へぇ、副長のって、有名なんですか?」
「切断、ですよね?」
「……お前には早い」
逃げられてしまう。
まぁいいや。あとで立花から聞こう。
「榊、固有の獲得は難しい。安易に求めるよりも研鑽を積め。そんなことでは裂海に届かないぞ?」
「届きたいから自分ならどうか、と思ったわけですが」
一五パーセントに期待をもつよりも他の方法を探ることが建設的か。
今日のところは立花の弱点を知れただけ良しとしよう。