二四話
何度、何度挑んでも勝てない。
いや勝てないどころか、遠ざかる。
「まだやるの?」
「あ、当たり前だ」
何度も負けると余裕がなくなる。
「う~ん、諦め悪いのは嫌いじゃないんだけどなぁ」
首を傾げ様は悩める乙女なのに、肩に担ぐのは三間にも及ぶ雨乞いの太刀。
凶悪な切れ味と数十キロにもなる超重量のせいで俺の体はアザと傷だらけ。
「もう一回!」
「宣言してる暇にくれば?」
からからした笑みに感情が沸騰する。
”防人”安吉を手に走った。
「ワンパターン!」
ブワっ、と裂海から強い風が吹き付ける。
雨乞いの太刀は風を起こし、嵐を招き、雨を呼ぶ。
発せられる急激な乱気流が行く手を阻む。
「お前もな!」
対してこちらが持つのは元寇の神風を模して纏った太刀。
なのに、一向に風を呼ぶ気配はない。仕方ないので無理やり跳ぶ。
「ここまではさっきと一緒だけど?」
間髪入れずに打ち下ろされる雨乞いの太刀を、今度は避けない。
裂海の太刀捌きは正確だ。
俺と戦うときは常に手加減をする。それを逆手に取るしかない。
歯を食いしばり、左半身に衝撃。
ぼきり、と嫌な音を立てて鎖骨が曲がる。
まさか避けないという選択肢を取るとは思わなかったのか、裂海の瞳がわずかに開く。
好機。
痛みが襲ってくる前に”防人”安吉の刺突で彼女の頬を狙う。
眼や額はさすがにヤバい。
軽傷で済み、なおかつ心理的な影響を考えての一突き。
いくら裂海でも避けるはずだ。なのに、手に伝わるのは肉を裂いた感触はなく、あるのは硬いものに阻まれた違和感。
「ほひい!」
祈りにも似た希望的観測を彼女はいとも簡単に、噛むという原始的な動作で封じてしまった。
「ウ、ウソ、だろ?」
驚かせにいったのに、逆を突かれた。
こうなっては待ち受ける結末は決まっている。
「ばいばい!」
裂海の左回しい蹴りが俺の顎を揺さぶり、意識が消えたのはほぼ同時だった。
「寝るには早いわ」
「ぐあっ?」
意識を失っていた時間は数秒。
折れた鎖骨を踏まれ、激痛で眼が開く。
「はいはい、早く真っ直ぐにしないと歪んだままくっつくわよ? そうしたら次は切ってから治すんだから」
「き、切る?」
折れたのに切るとは意味が分からない。
「歪んだところを切って、真っ直ぐにするの。すぐ治るけど、痛いのよ~」
「治す。やってくれ」
くそ、今すぐに入院したい。
一ヶ月くらい。で合法的に外へ出たい。
「はいはい、わかったらちゃんと立って! でないと治せないわ」
「く、い、痛いだろ」
腕を引っ張って立たせられると折れた鎖骨を裂海の手が強引に押し戻す。
それがまた痛いどころの話じゃない。
「ちょっ、少しは優しく、してくれ」
「うるさいわねー」
ごりごりと骨を押し戻すと折れた部分が急速に膨らみ、ものの数秒で元に戻ると鎖骨は真っ直ぐに治っていた。痛みもいつの間にか消える。
「はい、おしまい」
「痛いのもあるが、何度見てもグロテスクだな」
「慣れるわ」
「そうはなりたくないもんだ」
こんなのに慣れたくはない。
人間離れしているのを実感してしまう。
裂海を見れば、刃を噛んで切れた唇にはカサブタが張り付き、数秒ではがれ落ちる。
人体の再生を数百倍にで見ている感じだ。
この訓練も、覚めたものの異常ともいえる回復力がなければ成り立たない。
裏を返せば、これがあるからこそともいえる。
「はーい、採点のお時間です。私が手加減して切らないのを見越して踏み込んだ、あとは顔という心理的に影響を及ぼしやすい箇所を狙った。この二つは評価してあげます」
「……それはどうも」
俺としてはそれだけではない。
女性の顔はともすれば一番の急所。どんな女でも護るのは顔のはずだ。
なのに、裂海は護ろうとしなかった。
治るとは分かっていても一瞬くらいは迷ってくれる。
そう踏んだのに刹那の躊躇すらなかった。
「私たちは折れるとか切れるとかで怖がったらダメなんだから! 私たちの背中にみんなの平和があるんだから!」
今時のヒーローでもいわなそうなセリフを彼女は平然と口にする。
殿下がヒロイン脳だとするなら、裂海は完全にアメコミ脳の正義女。
「ねぇ、ヘイゾー聞いてるの?」
今のままでは勝てない。
ならば、どうする。
ある程度自力がつくまで耐えるというのもアリだ。でも、禁断症状には耐え難い。
一日、いや一時間でも早く金を使いたい。買い物がしたい。
「聞いてるよ」
正攻法では絶対に勝てない。
別の手段を考える必要がある。
となれば、こいつ自身の虚を突くか、弱点を探せばいい。
小娘相手に使いたくはなかったが、サラリーマンだった頃の方法で試すか。
「やっぱり強いな。急には無理か」
「当たり前よ! 私だって小さい頃から訓練してきたんだから! 昨日今日始めたヘイゾーに負けたら怒られちゃうわ!」
ごもっとも。
しかし、負けてもらわなければ俺が困る。
主に心が耐えられない。
作戦を続行する。
「そういえば裂海の祖父さんも近衛だったんだよな? 当然、培ったノウハウもあるんだろ?」
「そうよ! 自慢のおじいちゃんなんだから! でも厳しかったなぁ」
感慨深そうに頷く。
うん、この調子でしゃべらせよう。
「厳しいのを物心付いた頃から?」
「物心かどうかは分からないけれど、私の一番古い記憶はたぶん三歳くらいで父と道場で稽古をしているところ。少なくともその時には近衛になるつもりでいたし、そのために稽古をしていたわ」
「三歳って、そんなに小さいときから……」
まだ物心も付かない頃だ。
追いつけないのも無理はない。
一年や二年でコイツに勝てるのか怪しくなってきた。
「武家なら多分どこも同じだと思うから、別に驚くことじゃないわ」
「少し可哀想ではあるか。もう少し遊んでもいいだろうに」
ぽつり、と。
このときはなんの気もなく出た言葉に後悔することになるとは思わなかった。
「可哀想……ね」
クスリ、と不似合いともいえる酷薄な笑みを浮かべる。
「ねぇ、その可哀想って誰のこと?」
「誰って、子供のことだよ。まぁ、昔のお前も含まれるかな」
「私がそういったの?」
「いや、でも普通はそうだろ? 遊びたいし、そういった制約はされるべきじゃないさ」
「へぇ、じゃあ、普通ってなに?」
裂海にしてはに噛みつく。
何かが琴線に触れたのか。
だとしたら願ったり叶ったりだ。
「普通は普通。そのくらいの年齢なら食べて遊んで眠る。ただそれだけでいい。そんな子に厳しい訓練を課す方がどうかしてる」
「それは貴方の主観」
「主観もなにも、正しいだろ? そうでなきゃ虐待もいいところだ」
子供にそんなことさせて良いはずがない。
子供には幸福を享受する権利がある。
「ふふふ、だったらその普通って、誰が守っているの?」
「誰がって……それは……」
「普通や幸福という権利は誰にでもある。でも、それを行使するには守られていなければならない。ねぇ、誰に守られているの?」
「お……」
親、と言い掛けて、それ以上続けることができなかった。
その親は子を守るため、さらに何かに守られている必要がある。
では、その親を守るのは何か。
秩序であり、法。
統べるのは国、国家。
しまった。気がついたときには遅かった。
「私たちは国の番人。貴方がいう普通を守るための存在。私は祖父からそう教わったし、私自身もそうありたいと願っている」
冷たい瞳に射抜かれ、冷徹な理論に言葉を失ってしまう。
引き出したいはずだったのに、こちらが引きずり出されてしまった。
「で、でもそれじゃあ武家の子は……」
ダメだ、切り返せ。
なんでもいい。
頭をフル回転させる。
「武家の子供は、普通を全うできる権利を放棄するというのか。そんな自己犠牲的な、前時代的な考え方があっていいのか?」
「だから教育をするの。自らの犠牲すら幸福と感じるように、人を幸せを願うように、ね」
「そんな作られた価値観……」
「別にそれもおかしくはないと思うけどな。人の価値観、その大半は親や周囲の環境によって決まるのよ。私を取り巻く環境がそうであったというだけ。貴方の価値観だって、すべて一人で培ったわけではない。今に至る環境があっただけよ」
なんて怜悧で、理不尽な考えなのだろう。
普段はあんなに無邪気な彼女が口にすることが、現実感となって押し寄せる。
「ねぇ、ヘイゾー。今の日本って何人いるか知ってる?」
「……ずいぶんと唐突だな。一億二千万人くらいか?」
「そんなにも多い中で命を捧ぐ存在が数百くらいいても良いと思わない?」
満面の笑みを浮かべる。
「……」
俺は、それ以上いえない。
平和の中で、誰かが守ってくれる中でのうのうと生きてきた側だ。
平和であるための苦労も、努力も知らない。
こんな辛らつな言葉を並べながらも彼女自身も苦悩したかも知れない。
「勘違いしないでね。これは私の意志だから、貴方にもなれ、なんて強制しない。私だけじゃない、多分ここにいる誰も、ね。だから安心して」
優しい顔。
年下の少女がする顔とはとても思えない。
切なさすら感じる顔。
気恥ずかしさを覚えて片手で顔を覆う。
彼女に抗する言葉がない。
いや、一般的な多分正論を並べることはできるだろう。
授業で習ったような、ディベートで使ったような、表面上ともいえる倫理観ならある。でも、彼女の言葉と重みが違う。
今現在も戦うコイツに、かけるべき言葉がない。
「裂海」
「なに?」
「先に謝る。お前のことただのアホだと思ってた」
「ひどいなぁ、ヘイゾーは」
言葉に詰まるときは正論も正義感も力がない。
正直に認めるしかない。
「今は、少なくとも、返す言葉がない」
「いいんじゃないかな、別に。今から覚悟決めろ、なんて言わないよ」
少女の顔が幼さを取り戻す。
横顔に、金のためにここにいる自分が少し揺らいだ。
「……悪いな」
「うんうん! 謝らないの! 頑張ろうよ!」
そこにはさっきまでの怜悧で酷薄な彼女はいない。
無邪気で天真爛漫な、いつもの彼女がいる。
「少しだけなら」
「大丈夫!」
肯定され、励まされてからようやく刀を手に取った。
さっきよりもずいぶん重たいのは、気のせいではないらしい。