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六話


 時刻は午前九時、もう通い慣れてしまったカフェに着くと、アシュリーはもういつもの席にいた。隣にはジェシカもいて、彼女はこちらを見ようともしない。


「ヘーゾー」


 入り口に立った俺を見つけて、アシュリーが手を振る。

 会釈をして前の席に座った。

 ウエイターに注文を告げ終わると、アシュリーが居住まいを正す。


「昨日はごめん。不快な想いをさせた」

「お気になさらないでください。誰が悪いわけでもありません」

「ありがとう」


 珍しく気負うような表情を見せる。自分の扱い、処遇についてあまり快く思っていないのかもしれない。

 気にならない、といえば嘘になる。ジェシカの存在、あの老人の言葉と態度は単なる富裕層の子供、というだけでは説明できない。

 もっと上、そう考え始めた自分を諫めた。

 アシュリーとはここで会話をするだけの関係でありたい。


「ヘーゾー、今日はいい顔をしてる」


 運ばれてきたコーヒーを飲んでいると、不意にアシュリーからそんな言葉を投げかけられた。咽そうになる喉を摩る。


「良い顔ですか?」

「スッキリした顔。昨日まで憂鬱そうだったのに、どうして?」

「どうして、と言われましても……」


 確かめるように頬を触る。そもそも憂鬱そうだっただろうか。

 自制しているつもりだったが彼女にそう見えていたのだとしたら気を付けなくてはならない。

 そんなことを考えているとアシュリーは楽しそうに身を乗り出す。


「目がとてもいい。そういう目、好き」

「普通の目をしていると思いますが……」

「困った顔も可愛い」


 真っ直ぐに好意を向けられるというのは面映い。日本ではこうした言い方をされないから余計だ。

 これでは会話のペースも主導権もない。切り返しが必要だ。


「大変恐縮ですが、どうして私を、と聞くのは烏滸がましいのですか?」

「話していい?」

「……伺いましょう。今後のために」


 どうにもやりにくい。

 遠慮してくれない分ノーラや千景より厄介だ。


「最初は私のお気に入りの席に、物憂げな顔で座っていたから。こんないい場所で、景色を楽しまないのは変」

「それは人によると思います」

「次に交渉術。詐欺師みたいなやり方なのに、私を騙そうともしない。本当に、ただここにいるだけ。だから興味を持った」

「あまり褒められた観察の仕方ではありませんね」

「ヘーゾーは人のことは観察するのに、自分は無防備。癖は考え事をしているときに視線が動かなくなる。唇に手を当てる回数が多いのは、不安や言えないことが多いから」


 かなり観察されている。同時に心理学に対する理解もある。

 これは大学生というだけではなく、彼女自身が観察力に長けていると認識を正したほうがよさそうだ。


「でも、一番はその目。パパの目と似てる」

「アシュリーさんのお父さんに?」

「私のパパは、ママに恋をした。でも周りからは反対されて、でも、パパは納得しなかった。好きなんだからって結婚した。それまでに持っていたものを全部捨てて」

「それはまた、なかなかのお人のようですね」

「ヘーゾーの目は、ママを見ているときのパパとそっくり」

「……そっくり、ですか?」

「だから思った。ヘーゾーに好きになってもらえたら、パパとママみたいに幸せになれる。私もパパとママみたいになりたい」


 嬉々として語る姿は年相応の少女のようで、これまでに見えた大人びた姿とは対照的だ。おそらく、これが彼女の本来の姿なのだろう。悪くない顔だ。

 同時に、気にかかる言葉もある。

 俺の顔が愛に生きた人と同じだということだ。

 殿下に恋をしている。

 考えただけで笑ってしまう。想ってはいても恋ではない。ならば愛、なのだろうか。わからない。

 自分の感情がどこにあるのか、真剣には考えてこなかった。


「私の気持ち、わかった?」

「いささか不本意な理由ではありますが理解はできます」

「今のヘーゾーは好きな人がいない」

「……その通りです」

「何も問題ない。これから好きになってくれればいい」

「何にも勝るものがあるともお伝えしましたよ」

「じゃあ両立して」


 頭が痛くなってきた。

 アシュリーの傍らで控えるジェシカの眼光も鋭さを増している。撃たれないうちにこの場を切り抜けたい。

 見破られると分かってはいても腕時計を見る。


「申し訳ありませんが、これから買い物をしなくてはなりません」

「どこに行く?」

「三ブロック先のウィルマートですが……」

「私たちも買い物がある。一緒に行こう」

「よろしいのですか?」


 ジェシカに目を向けると、彼女は深く大きくため息をついた。


「お前が何もしなければ問題ない」

「……しません」

「決まり」


 アシュリーが席を立って俺の袖を引く。どうにもペースが乱れっぱなしだ。適当にあしらうことも考えたが、ふと殿下の顔が過った。

 殿下には贈り物をしたい。しかし、不慣れな土地で気の利いたものを探すのも一苦労だ。その点、アシュリーといればそうした不便さは解決するだろう。贈り物のことをそれとなく相談してもいい。頭の良い子なのだから仕事のことには干渉してこないはずだ。


「ヘーゾー、手をつないでもいい?」

「気が早くないですか?」

「友人でも手はつなぐ」

「……私の相談にも乗っていただけますか?」

「分かった」


 了承と受け取ったのか、アシュリーが手を握ってくる。

 殿下よりも幾分大きい。


「ジェシカも、早く」


 促され、三人でカフェを出て歩く。

 この仕事が終わったら殿下とこうして歩いてみたい。


「ヘーゾーは何を買うの?」

「今夜の食材です。ハンバーグと、なにか気の利いた付け合わせを、と考えています」

「料理もする。調理師?」

「残念ながら違います。私はある方の専属で、料理もするというだけです。関係としてはお二人に近いとお考え下さい」

「ふーん。でも、ジェシカは料理作れない。作るのは私」

「お、お嬢様、私だって料理くらいは……」

「レンジで温めるのは料理とは言わない」


 仲睦まじい二人に殿下と直虎さんを思い出す。

 いや、関係的には裂海優呼に近いか。気兼ねのない間柄、といったところだろう。

 二人のやりとりを見ながら歩いていると視線に気づいた。初めて、ではない。何日か前にも一度感じたものだ。それが今は強いものになっている。


「ジェシカさん」

「なんだ」

「気付いていますか?」

「……分かっている」

「どうかした?」


 足を止めようとしたアシュリーの背中を押し、ジェシカがタクシーを拾おうと手を上げようとした瞬間だった。


「!」


 銃声がして、咄嗟にアシュリーを伏せさせる。

 辺りは騒然となって悲鳴も上がる。そんな中でもジェシカが自動拳銃を抜き、銃声がした路地の奥に向け、躊躇わず発砲した。


「お嬢様、お早く!」

「う、うん」


 銃声とは反対側、道路を渡ろうとすると、道を走る車が止まり、たくさんの男たちが降りてくる。スーツ姿、作業服、タクシー運転手、見た目や年齢に統一感はない。なのに、誰もがアシュリーを爛々とした目で睨みつけていた。


「アシュリー!」

「ヘーゾー!?」


 アシュリーを抱きかかえて懐から刀子を抜き、投げる。


「!?」「!!」「!」


 うめき声がして何人かが倒れる。 


「ヘーゾーすごい!」

「離れないでください!」


 裂海家での特訓で得た投てき術が効果を発揮している。

 さらに数本を投げ、突破口を開こうとしているとジェシカが追い付いてきた。


「お前……」

「話は後です。早くこちらへ」


 アシュリーを抱えたまま走る。

 目指すのは泊まっているホテルだ。商業施設では無関係の人間を巻き込むことになり被害が増えてしまう。それだけは避けなければならなかった。

 しかし、


「追ってくる」

「えっ!?」

「不味い」


 見られているという感覚が消えない。執拗で、執念深いものがまとわりついて離れてくれない。

 どうするのが正解なのか、迷ったのが間違いだった。


「あっ!?」


 ジェシカが足をもつれさせて倒れる。

 撃たれたのだと気付いた時には膝から真っ赤な血が滴っていた。


「ジェシカ!」


 アシュリーの叫びにジェシカは俺に向かって首を振る。


「私はいい、お嬢様を頼む!」

「いや、ジェシカ! ヘーゾー!」


 立ち止まる間にも気配が近付く。

 狙いはアシュリーだ。

 しかし、このままジェシカを置いて逃げたら彼女は遠からず失血死してしまう。


「仕方ない」


 バレると色々と面倒だが、ここは人命優先だ。

 アシュリーを抱きかかえ、ジェシカを背負う。


「バカ、私など置いていけ!」

「大丈夫です」


 二人分くらいなら問題ない。

 懐に入れた脇差を握りしめ、足に力を籠めた。

 しかし、

 銃弾とは違う風切り音が聞こえ、とっさに手を伸ばした。


「!?」


 痛みが腕全体に広がる。二の腕に刺さっていたのは吹き矢。それも先が細く、針が長い。

 驚くべきは針の先端が腕に深々と突き刺さっている。銃弾すら通さない、近衛の皮膚に、だ。

 抜こうとすると、突き刺さった針からインクを流したように黒い模様が広がる。数秒で腕全体に広がり、激烈な痛みを発し始めた。

 体中から力が抜け、膝を着く。

 痛みには慣れているはずなのに体が言うことを聞いてくれない。


「ヘーゾー、大丈夫!?」


 逃げろと言いたくても声が言葉にならない。なんとか声を出そうとしていると、気配が近付いてきた。


「手間取らせてくれたな」


 ひょろりと背の高い男が前に立つ。

 白人で年のころは四〇代だろうか。ジーンズにシャツというどこにでもいそうな風体なのに、手には木製の長い筒を持っている。


「ヘーゾー!」

「榊、どうした?」


 二人の声が遠くなる。

 頭が揺れる。蹴られたのだと分かった時には、顔が空を向いていた。

 何の前触れもなく視界が真っ暗になる。


「手土産だ。コイツも連れていけ」

「ヘーゾー!ヘーゾー!」


 声だけが聞こえるが、それも次第に遠くなる。

 意識は、そこで途切れてしまった。


今回の掲載はこれで終わりです。

次回までは少し間が開きます。

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― 新着の感想 ―
ふと読み返したくなる作品です。お身体には気おつけて待ってます。
ここで止まるには惜しいほど面白い、続きを待ち続けます
いつの日か復帰してくださると信じております
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