四話
日差しの降り注ぐカフェで今日もアシュリーと話す。
毎朝、日桜殿下の見送りが目的だったのに、どうしてこうなったのか自分でも分からない。
「私の専門は土石、特に研磨材に使われるものを中心としています。天然石ではコランダムやスピネル、ガーネット。合成ができる素材だと酸化アルミニウムや人工ダイヤモンドもあります。これらを用途に合わせて加工し、顧客へ届けることが仕事です」
悩んでも迷っても、心とは別に口は勝手に動く。
『ヘイゾーを護っているのは殿下』
春のあの日から裂海優呼の言葉が胸に刺さってとれない。
思い返してみると、殿下の相談に乗ったことはない。
あの御方はいつも受け止め、背中を押してくれる。
これまでも護っている、なんておこがましくも思ったことはない。優呼の言う通り俺自身が殿下に護られていた。
任官してから、騎士王との対峙、白凱浬との衝突、雷帝とのやり取り、如何な状況でも殿下は傍にいてくれた。
戦友の言葉に己の未熟さを思い知る。城山をはじめ、鷹司から自分に向けられる評価も過剰だと思えた。
「ここ数年で理容美容業界は飛躍的な発展をしています。その中でも爪を綺麗にすることは顔や髪に次いでもはや標準とも呼べる段階にきています。これは女性だけに限りません。男性でも爪を整えることは珍しくなくなりました」
今日もプレジデンシャルリムジンが走り抜けていく。
時刻は午前九時三〇分、今日の打ち合わせも難航したのだろう。
夜、あるいは明日の朝、どんな言葉を殿下にかければいいのか分からないでいる。
「更なる発展のためにはより安価で、大量に消費ができるものか、あるいは継続的な使用を考えた耐久性の高いものが必要と……」
「ねぇ、ヘーゾー」
「どうかしましたか?」
「上の空で話されても面白くない」
「上の空、でしたか?」
「ヘーゾーは普段はせわしなくどこかを見ている。なのに、考え事をしているときは眼が動かなくなる。とても分かりやすい」
返す言葉もない。
近頃は自分の癖、というものを考えなかった。
「何を考えていた? 恋人のこと?」
「お答えする理由がありません」
「私たちはただ毎日ここで会うというだけの関係。お互いのことなんて何も知らない、それなのに話せない?」
「誘導がお上手ですね」
「最初のこと、調べてみたら対比効果の応用だった。悔しかったから勉強した」
アシュリーが満面の笑みを浮かべる。
自分が原因とはいえ、こんなにも早くやり返さるとは思わない。
「ご自身の本分から外れるのは感心しません」
「今もはぐらかしている。図星?」
「……違います」
分が悪い。
頭のいい子供に悪いおもちゃを与えた気分だ。
「じゃあ質問を変える。ヘーゾーって恋人はいる?」
「いません」
「過去にはいた?」
「どうしてそのような質問をされるのですか?」
「人を好きになれるか、愛したことがあるか、愛されたことがあるかはとても大事。ヘーゾーはどう?」
「そういう意図でしたら最初に言ってください。いきなり聞かれても困ります」
「日本だとこういう話はしない? 私は大学へ行くとデートの誘いを断るのが大変」
快活に話すアシュリーにジェシカが困ったような顔をする。
護衛役がどこまで付いていくのかわからないが、大変なのは想像に難くない。
「日本ではあまりプライベートなことを話したりはしません。それが仲の良い友人であっても、積極的に話題に出すことは少ないように思えます。勿論、個々の関係にもよりますが、私からは話しません」
「どうして?」
「前提として個々の事情があると思っているからです。加えて、日本人は生い立ち、家庭環境などに立ち入らないという暗黙の了解があります」
「息苦しい考え方。本人の恋愛に家族や家庭環境なんて関係ない。本人たちがどうするかが一番大事。問題があるなら解決すればいい」
「そうですね。そうした考えが日本でも主流になってくれればよいのですが……」
家族や家柄に縛られない生き方や考え方も必要なのだろう。しかし、それが本人の根幹に関わってくるとなると、話は少し難しい。
国の違いを感じさせる問答だ。
「今の前提を踏まえて話を戻す。今のヘーゾーに恋人いる?」
アシュリーはにこやかに、無邪気な質問をぶつけてくる。
ここに知り合いがいないことだけが救いだ。
「いません」
「過去にはいた?」
「大学時代にはいました」
「どうして別れた?」
ここまでストレートだといっそ清々しい。
苦い記憶を引っ張り出される。
「以前の私は、お世辞にもあまり良い性格とは言えませんでした。資産や費用、効率、収益といったことに固執していましたし、彼女をステータスか何かと思っていた節がありました。別れたのは……そうした私に彼女が愛想を尽かした結果です」
「資産や費用、効率、収益。別に悪い言葉とは思わない。でも、女性を地位や所持品のように思ってはダメ」
「そうですね」
「今は違う? 何かあった?」
どうにもやりにくい。
真っ当な言葉のやり取りでは頭の中まで見透かされている気分になる。
半端な返答では逃げられない、どうせここだけの関係だろうと腹をくくる。
「大きなことがいくつもありました。あの頃の自分が今の私を見たら、きっと卒倒するでしょう」
「大丈夫、今のヘーゾーはとても素敵。私と付き合わない?」
ジェシカが息をのんでも、アシュリーは気にしない。
真っ直ぐな眼に射抜かれる。
「お断りします」
「どうして?」
「今は優先するものがあります」
「自分の愛よりも優先するものがこの世界にある?」
「あります。理由はお話しできませんが、何にも勝るものです」
偽りなく返せばアシュリーは嘆息する。
ジェシカに向き直り、肩を竦めて見せた。
「フラれた」
「お、お嬢様! そのような大事をみだりに口にするものではありません!」
「私の愛は私のもの。大事だから踏み込んだ。間違ったこともしていない。時期も関係ない」
「しかし、このようなどこの誰とも分からない輩に、こんなにも簡単に……」
ジェシカは苦々しい顔をしている。
俺自身がこの状況をどうしたらよいものか考えていると、
「!」
窓の外で何かが破裂したような音が聞こえた。
「お嬢様!」
ジェシカがいち早く反応し、アシュリーを伏せさせ、騒然となる店内を身振りで静める。
同時に音源を探し、視線を窓の外へ向けながら、お前も早く身を低くしろ、とばかりにこちらへ視線を送ってきた。
なかなかにできた女性だ。
「ジェシカ、平気。ここはマイクおじさまのお店。これも防弾ガラス」
「いけません」
ジェシカの言葉を守るアシュリーだが、二度目の発砲音とガラスが割れる音で店内からも悲鳴が上がる。
ガラスが割れたのは道路を挟んで向こう側にあるメキシコ料理店で、店の前には一台の乗用車が止められ、ドアが開いている。おそらく逃走用だろう。
「強盗?」
「分かりません。それにしては手間取っているようにも思えます」
二人は身を伏せながらも冷静に話をしている。
それは他の客も同じだ。
銃撃事件などが起こった際、不用意に逃げてはいけない。動けばそれだけ危険が増す。流れ弾やガラスの破片は予測が困難だからだ。
「みんな慣れ過ぎている」
アシュリーとジェシカだけではない。他の客たちもかなり冷静に事の成り行きをみていて、中にはスマートフォンで撮影をしている人間までいた。
発砲音が続き、店から覆面の男たちが出てくる。
銃を持っている男の顔は見えないが、腕は浅黒く、帽子から覗く髪は緑がかった黒髪、おそらくヒスパニック系だろう。
「犯罪の発生率は下がっていても、銃撃事件は増加、か」
外務省が用意した資料の中にもそうした記載があった。
原因の一つとされているのが移民の増加だ。人が増えれば富も生まれるが、軋轢もまた生んでしまう。人の流れにのって入り込む麻薬と金に群がる暴力。そこに経済の不安定さが拍車をかけている。
移民という一つの側面だけでも問題が山積している。自由の国、移民の国とはいっても良いことだけではない。
強盗と思しき男たちが車に乗り込むと猛スピードで走り去る。通り沿いは騒然としていて、遠くからはパトカーのサイレンが聞こえ始めていた。
「やれやれ」
体を起こし、席に戻るとアシュリーがこちらを見ていた。
「ヘーゾーは日本人なのにずいぶん落ち着いている」
「十分に驚いています。顔に出ないだけですよ」
「そう?」
「勿論です。お言葉を返すようですが、アシュリーさんも落ち着かれていますね。周りの方々でさえああなのに」
店内を見渡せば誰もが興奮冷めやらぬ様子で状況を話し合い、あるいはスマートフォンの操作をしている。事件や事故に巻き込まれたらこうした反応になるのは当然だ。なのに、ジェシカはともかく、アシュリーまで落ち着き払っていられるのは不思議だ。
「私も驚いている。顔にでないだけ」
「そうですか。気が合いますね」
「ふふっ、ヘーゾーのそういうところ好き」
「……光栄です」
「もっと話をしたい。でも今日はここまで」
アシュリーが店の入り口に目配せをすると年配の男性を先頭に黒服の男たちが慌てた様子でやってくる。
年配の男性はお辞儀をするジェシカの横を素通りするとアシュリーの肩を抱いた。
「無事でよかった。店の近くで銃撃事件と聞いて飛んできたんだよ」
「マイクおじさま、こんにちは」
「アシュリー! 怪我はないかね? あまり心配させないで……ん? 彼は?」
マイクと呼ばれた老年の男性がこちらに向ける目は懐疑と嫌悪が混じっているようにも思えるが、あまり気にしないことにした。
「最近知り合った。ね、ヘーゾー」
「榊平蔵と申します」
丁寧に頭を下げても一瞥されるだけだが、そんなものだろう。
「アシュリー、こんな怪しげな男と一緒にいるもんじゃない。お前に何かあったら私はフレデリックやデイヴィッドになんて言えばいいんだ? あまり心配をかけさせないでくれ」
「大丈夫」
「大丈夫って、今は大切な時期……」
「私は大丈夫なの」
「アシュリー……」
毅然としたアシュリーに老人は視線をこちらによこす。
邪魔だということなのだろう。こういう時は早々に退散するに限る。
「私はこれで失礼します」
席を立ち、会釈をして店を出ようとすると、
「ヘーゾー」
アシュリーの声に呼び止められ、振り返る。
「また、明日」
満面の笑みで手を振る。
老年の男性が何とも言えない顔をするのも気にしていない。なかなかの胆力だ。
「はい」
もう一度会釈をして最後まで背中に刺さる視線を感じながら店を出た。




