三話
「折り鶴を教えていただけますか?」
「……?」
米国での朝、朝食をすませて出発の準備をしている状況での申し出に、日桜殿下は小首を傾げる。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
「お部屋の掃除をしていただく方々にお渡ししたいのです」
「……わかりました」
あらかじめ用意しておいた折り紙を手渡す。
米国も日系人がたくさんいて、こうしたものを置いているマーケットもある。最初はコピー用紙も考えたのだが、色や形も大事だ。
「……こちらへどうぞ」
「失礼します」
殿下の隣に座り、テーブルに広げられた折り紙を触る。
どれでもいいと買ってきたものだが、和紙のような質感で色合いも良くなかなか凝っている。
「……まずははんぶん、さんかくにおります。おったら、それをまたはんぶんにします」
「三角におって、また半分、と。こうですか?」
「……おったときに、はじをそろえると、できあがりがきれい、です」
殿下にわずかなズレを直される。
我ながら浅はかな手段だとは思っても、殿下は真摯に教えてくれる。美徳でもあり、弱点でもある。
主の変化に気付いたのは、あの小生意気なアシュリーとのやり取りがきっかけだった。
彼女は俺をからかい楽しそうに笑っていたのに、日桜殿下はほとんど笑顔を見せていない。普段ならどんなに過密なスケジュールでも直虎さんといれば笑顔を見せてくれたのに、ここ数日は神妙な面持ちのままだ。
これではいけない、短い時間でも何か気晴らしになればと折り紙を用意した。
「……おったぶぶんをひらいて、ひろげながらなかにおりこみます。ちからをいれすぎてはいけません」
「こうですか?」
「……はい、じょうずです」
「ありがとうございます」
俺が殿下に折り鶴を教わっている間、直虎さんが出発の準備をしてくれている。事情を話すと快く引き受けてくれた。今度なにかで埋め合わせをしなければならない。
「……これがはね、です。さいごに、くちばしをおって、できあがり、です」
「こう、ですかね」
教わりながらできた折り鶴は少し歪んでいて不格好になってしまった。殿下が折ったものは今にも動き出しそうな優美さがある。
「……なんどもれんしゅうすれば、じょうずになります」
「そうします」
「……きょうは、わたしがおったものを、さしあげてください」
「殿下御手ずから折ったものを、ですか?」
「……かんしゃのいをつたえるのも、じゅうよう、です」
折り紙は殿下の気分転換のための方便で、実際に渡すかどうかは考えていなかった。まぁ、それはそれでいいだろう。渡された方は大変に恐縮されそうなものだが、本人の希望なら仕方がない。
「……それ、どうしますか?」
「私が折ったものですか? 練習ですし、不出来ですから捨てようと……」
「……だめ、です」
「はい?」
不格好な折り鶴を殿下が手に取り、撫でる。
どうしてかあまり良い気分がしない。
「……ふできなこほど、かわいいです」
「誰のことか聞いていいですか?」
「……わたくしの、まえにいます」
「撤回してください」
「……かわいい、です」
「私は不本意です」
両手で殿下の頬を包むように揉む。
すると殿下はこちらへ手を伸ばす。
顔を近付ければ俺の頬を触る。ようやく笑顔を見ることができた。
これなら大丈夫だろう。
「日桜殿下、そろそろお時間です」
「……はい」
直虎さんの声にソファーから立ち上がらせ、手を引いてエレベーターの前まで連れていく。
見送りはここまでだ。
「……さかき、いってきます」
「はい、お気をつけて」
エレベーターの前で日桜殿下を見送る。
我が主の傍らにいる直虎さんにも目を向けると、彼女は小さく頷いてくれた。
扉が閉まると、ため息が出る。
滞在期間が伸びるほどに殿下も直虎さんも疲弊していっているように見える。原因は米国大統領との話し合いにあるのは明白だ。
「なにか無理難題を押し付けられている。あるいは、何かしらの要求、交換条件」
殿下の折った鶴を手に別のエレベーターに乗り、下層階、自室としてあてがわれた部屋に戻る。狭くてもいいといったのだが、御多分に漏れずここも広い。
「少し前、副長は米軍駐留費用の負担を考える、って言ってたな」
エプロンを外し、袖を折っていたシャツを戻す。
椅子に座り、パソコンの電源を入れた。
折り鶴をテーブルに置けば殿下が見ているようで不思議な気分になる。
「まぁ、できる限り頑張りますよ」
折り鶴を撫でてから、まずは夜の間に届いたメールを開いていく。
多くは法務省、警察、陸軍が協力して発足させた日本版CIAからだ。正式名称が統合情報本部に決定し、近衛からも何人かが出向している。俺は近衛側の責任者を押し付けられたので、関係各所から送られてくるメールに目を通さなければならなかった。
「しかし、米国まで来てこんな仕事させるかね」
はっきり言えばメールそのものの秘匿性は高くない。強力な暗号化ソフトで保護されているとはいっても過信はできない状況にある。近衛が用意できるものには限界があったので今回用意されたパソコンも陸軍からの借用品だ。こうした技術供与はありがたいものの、借りを作っているようで使い心地が悪い。
「さて、と……」
文面を読んでいく。
つい数か月前から帝都東京で共和国諜報員の動きが活発になっているという報告がある。警察はこれを追跡し、密入国ルートの解明を急いでいるらしい。同時に、公安が工作員の使う銀行口座の所有者から協力関係を洗っている。
しかし、現状は芳しくない。末端と思われる人間を確保してもそこから先に到達することができないからだ。
入国ルートは多岐にわたり、一つを潰してもまた次が作られる。銀行口座も日本の債務者からソーシャルメディア経由で買っていて、特定に時間がかかっている。
「仕方がない。焦らず続けてもらうしかない」
労いと申し訳程度の激励を入力して返信するしかない。日本に戻ったら綿密な打ち合わせが必要だろう。
鷹司からも近衛で使う装備や支給品の配分の相談が来ている。
共和国とソビエト、二つの大国に迫られ、近衛はもとより陸海空の三軍はどこも緊張を強いられている。普段近衛は皇族や閣僚級の護衛を担っているが、これらの人数を減らして軍部へも出向している。装備や支給品も多くなり、鷹司や各隊長達の負担が増える結果となってしまった。
「割り振りは……仕方ない、今はこっちでやろう。でも、将来的には統合した装備や支給も考えたほうがいいな。今度菅原参謀長に相談してみるか」
現陸軍参謀長である菅原は関係各所に顔が利く。ある程度の無理難題も聞いてくれるはずだ。後は法務大臣や警察庁長官と話を通せばいい。
割り振りを考えているとスマートフォンが鳴る。パソコンとテザリングさせてキーを叩けば画面に映像が現れた。
『やぁ、こんばんは』
「こちらは朝です。おはようございます、城山総理。顔色があまり良くないようですが、お体は大丈夫ですか?」
画面越しに柔和な顔で手を振って見せるのは現役の総理大臣にして因縁浅からぬ城山英雄。あまり積極的に関わりたくはない。
『ふっふっふ、君くらいだよ私の体調を心配してくれるのは。他の連中ときたら私が健康を理由にいつ引退するのか聞いてくるくらいだ』
「後継者選びをなさっている、という噂を聞きました。私の杞憂だったようですが……」
『新しく秘書を雇ってね。彼女のおかげでずいぶん元気になったんだよ。今度紹介をしよう。それよりもだ』
城山の顔が画面に近付く。
ここで通話を切ってしまいたい。
『君は、日桜殿下から何も聞いていないのかい?』
「聞いていません」
『……では、聞き方を変えよう。君から殿下に伺うことはしているのかね?』
「していません。鷹司からも釘を刺されていますし、私が関わるとロクなことにならないのは周知のとおりです」
『嘆かわしい。君ほどの男が、よもや弱気になるとは。榊君、私は君の何物も恐れず考えを通すところを評価していたのだよ』
「そう申されましても、殿下が関わっておられることは国家間の問題でしょう。各分野の専門家もついています。何より城山先生もおられる。素人の私が口を挟むことはありません」
『それが弱気というのだ。君ならば私心を捨て、日桜殿下と立場を分かち合って考えることもできるだろう。そうでなくても、相談に乗ることはできる』
いつになく切迫した表情に疑問が浮かぶ。
「難しい問題に直面していらっしゃるようですね。先日のオンライン会議の内容も捗々しくないのでしょうか?」
『その通りだ。今、我が国は大きな選択を迫られている』
「でしたら、尚のこと私が関わるべきではないのではありませんか?」
『逆だ。君の役割は殿下の負担を減らすことだろう』
「今では不十分だと?」
『その通りだ。助言以外でもできることはあるはずだろう。いや、君から言ってもらっても構わないと私は考えているんだよ』
「そうやって、私に責任のすべてを押し付けようとしていませんか?」
『君は、日桜殿下のためなら己の評価など気にしないのではないかね?』
「……仮にそうだとして、私が殿下のことを蔑ろにしないこともご存じのはずですが……」
『榊君、君にしかできないことを頼んでいるつもりだよ』
化かし合いに近いやり取りの中でも城山は諦めない。
どうにも切羽詰まっているらしい。
「……鷹司副長への根回しをお願いできますか?」
『おお、引き受けてくれるか! ならば鷹司君へは私から説明しよう。うん、良かった!』
喜ぶ城山に嘆息しかできない。
何よりもここまで言われると弱い。
「先生、一つ貸しですよ」
『一つでも二つでもいい。榊君……』
「なんですか?」
『くれぐれもよろしく頼むよ』
通話を切る。
もうため息しか出なかった。




