クリスマス用短編
時系列的には第五部終了直後、「刃の先にあるもの」の前になります。
本編の一部ととらえてください。
窓の外を雪が覆っている。
クリスマスを迎えた朝、帝都東京は珍しく雪化粧をまとっていた。
折からの寒波はいよいよ強くなり、降りやむ気配はない。
個人的に白という色にあまり良いイメージがないのは、ここ二年ほど病院が身近だったからだろう。
一騒動終えて目を覚ませば必ず病室にいた。
今もそう、ロマノフでの騒動に区切りをつけ、ここへ運び込まれた。
伊舞からはどう治療したのか、どれだけの状態だったかを懇切丁寧に説明され、嫌な気分になったことは記憶に新しい。
電撃傷という特有の火傷は表皮こそ焼け爛れる程度だが、体内組織に著しい損傷を与える。防御のため対策を講じたこともあるが、それでも血管や神経系がズタズタで腕一本動かすことも難儀している。刀こそ持っているものの、これまでとは違う細部の損傷に回復が追い付いていない。
動くと全身が痛いので、今はこうして不自由を嘆きながら十数本の点滴につながれ、寝ていることしかできなかった。
とはいえ、仕事をしなくていいのは気が楽だ。
日桜殿下の傍には鷹司も、直虎さんもいるのだから心配をすることもない。
「平和だ」
ぼんやりと鉛色の空を見ながらゆったりと流れる時間に身を任せる。
すると、病室のドアがノックされる。
時刻は午前九時、回診の時間というわけでもない。
「どうぞ」
促すと静々とドアが開けられ、
「おはようございます」
そういって病室に入ってきたのはエレオノーレだった。
ただし、格好は近衛服とは違う白衣に帽子、いわゆるナースキャップ、持った篭には包帯が見えた。姿かたちはどう見ても看護師のそれだ。
普段ならここに同じ格好の日桜殿下か千景が一緒にいるのだが、どうもその様子はない。
「午前を担当させていただくことになりました。よろしくお願いします」
入り口のところで丁寧にお辞儀をする。
顔を上げた時の笑顔がまぶしかったのだが、素直には喜べない。
「ノーラ」
「はい、ヘイゾウさん」
「君に二つ質問がある。正直に答えてほしい」
「なんなりと」
言葉を交わす間にも俺の寝ているベッドの端に腰かけて、妙なポーズをとる。それが胸を強調しているのだと分かり、胃が痛くなった。
目頭を揉みたいのだが腕を動かすと痛いのでそれもできない。
「午前の担当、というのは?」
「三人で話し合いをして、私が午前中ヘイゾウさんのお世話係をすることになりました」
頭痛までしてくる。
もう誰がどうの、と聞く気にもならない。
諫めたいのだが、崩れない笑顔に意志の強さをみた
さすが、王族、政治家の家系。動じない姿勢には敬意を表したい。だが、もっと別のことにそうした強さを発揮してほしいものだ。
「その格好は?」
嘆いても始まらないとは思いながらも、二つ目の質問をする。
「ヘイゾウさんのお世話ということでお借りしました。勿論、許可は取ってありますよ」
ノーラは伊舞に師事して近衛の医療を学んでいる。簡単な医療行為くらいはできるし、勉強もしているので知識もある。だが、問題はそこではない。
「近衛服でもいいと思うけれど……」
「可愛くありませんか?」
「いや、可愛いよ」
「ありがとうございます」
答えになってない。
しかし、追及したところで応えてくれるかわからず、ため息が出る。
「包帯を取り替えますね」
「……任せるよ」
こちらに拒否権はなさそうなので、身を任せることにした。
「失礼します」
患者衣を脱がされ、変色した包帯が現れる。火傷の水疱が破れ、浸出液が滲んでいるせいで変色している。人によっては不快に思うだろう。
覚めたことによる超回復は未だ解明されていない部分が多い。現在普及している皮膚移植や湿潤治療よりも従来の方法で、より実績のあるものが選択された。
この治療法でネックになってくるのが包帯の交換、浸出液で包帯が貼り付き、交換時はかなり痛い。ベテランの看護師でも時間がかかる包帯の交換を、ノーラは根気強く、丁寧にしてくれる。
「だいぶ回復されましたね。伊舞さんがあと一週間もすれば包帯がとれるだろうとおっしゃっていました」
「そうであることを願うよ。なにせこの状態だと動き難いからね」
「不謹慎なことを言っていいですか?」
「ん?」
「貴方のお世話ができることを喜んでいる自分がいます」
ノーラは包帯を巻く手を止め、自分の頬へ俺の手を押し当て、摺り寄せる。
「普段のヘイゾウさんならこんなことはできませんから」
「俺も、この状態をどうしたらいいのか悩んでいるところだよ」
「御心配には及びません。愛とは欲するものではなく与えるもの。ここまでに致します」
そうは言いながらも名残惜しそうにしながら包帯の取り換えに戻る。
気を使わせてしまったことを苦々しく思っていると、ノーラは首を振る。
「私はヘイゾウさんと日桜殿下に命を救っていただきました。ですから、お二人の関係をどうにかしたいわけではありません。ただ、お二人とも幸せになってほしい、それだけです」
「……君がそんなに思い詰める必要はない。俺も、もちろん殿下も自由に生きてほしいと思っているよ」
「もう少し恩返しをさせてください。でも、もしその気がおありならヘイゾウさんの都合のいいようにしていただいて構いません」
ノーラは顔をぐっと近くまで寄せ、片眼を閉じて微笑んだ。
その顔がどこか誇らしげだったので、痛む体に鞭を打って手を伸ばし、頭を撫でた。
「あまり困らせないでほしい」
そうすることでノーラはようやく年相応の悪戯をした子供のような顔をする。
「分かっています」
「すまない」
「そんな顔をなさらないでください。これからはいつのもエレオノーレです」
「ありがとう……痛っ!?」
胃の痛みが和らぎかけたのに、今度は腕に鋭い痛みが走る。
さっきまで丁寧だったノーラが何食わぬ顔でベリベリと、こちらへの気遣いなど感じない手つきで包帯を剥がし始めた。
「い、痛い……のだけど、ノーラさん?」
「あら、私は普通にお世話をさせていただいているだけです。少しくらい日頃の鈍感を思い知っていただこうなんて思っていません」
「いや、それはもう言っているようなもの……」
「諦めてください」
悶絶するような痛みを訴えてもノーラは容赦してくれなかった。
◆
時刻は正午、時計の秒針が一二時をさすのと同時にドアがノックされ、
「千景です」
その声に脱力感と、新たな波乱を想像せずにはいられない。
「どうぞ、開いています」
なぜかノーラが返事をして、ドアが開く。そこには学校の制服姿のままで、顔が若干赤い朱膳寺千景がいた。
鋭い眼差しが俺と、隣にいる看護師姿のノーラを見つけると、剣呑な光が増す。
「あら千景さん、予定よりも少し早いのではないですか?」
「終業式が早く終わったのよ」
「そうですか、その割にお顔が赤いですよ。ずいぶんとお急ぎになったのだと思ってしまいました」
「気のせいよ」
ノーラの指摘を千景は意地で一蹴する。
この子の場合、努力を表に出したがらない。
「もういいわよ。午後は私の時間でしょう?」
「はい、それではヘイゾウさん、どうぞお気を付けて」
ノーラは俺の顎を一撫ですると、千景に会釈をしていってしまう。
千景は千景でノーラの後ろ姿を見送り、ドアを閉めた。
「何をしていたの?」
「包帯を替えてもらったんです。御心配には及びません、上半身だけですから」
「……そう、ならいいわ」
怪訝そうな眼のままベッドの隣の椅子に座る。
千景への言葉は嘘ではなく、ノーラが本気ではなかったのが幸いだった。きっとあの子は分かってやっていたのだろう。
政治家家系の将来に不安を抱いていると、千景はわざとらしく咳払いをする。
「改めて、午後を担当する千景よ」
もう何を言う気にもなれない。
俺が願うのは穏やかに今日が終わってくれることだけとなった。
「あら、いつものお小言はないの?」
「申し上げてもよろしいですか? いささか長くなりますよ」
「じゃあ遠慮しておくわ」
ようやく笑った千景がコートを脱いでベッドの隣の椅子に座る。
通学用のカバンから紙袋を取り出し膝の上に置いた。
「心配しないで、ノーラが何をしたのかは分からないけれど、私は貴方を困らせたいわけではないわ」
「……」
「本当よ。今日はずっと貴方の傍にいたいだけ。これだって、ほら」
紙袋から取り出したのは編みかけの生地に編み棒と毛糸玉、言葉に偽りはなさそうだ。
「今日までに仕上げたかったのだけれど、遅れてしまったからここで仕上げをするわ。いいでしょう?」
「節度を守っていただけるのであれば、何も申しません」
安堵したのも束の間、千景はリモコンでベッドのリクライニング機能を使い、傾斜を作る。寝そべるくらいの角度にしてからよじ登り、俺の横に寝転がって編み物を始めた。
「千景様」
「あら、節度は守っているわ。それに、京都の家ではよくこうしていたじゃない。いまさら何を言うの?」
「……」
確かに、朱膳寺家に滞在中はこういうこともあった。
だが、あれは特殊な状況下で、今とは違う。違うのだが、抗弁しても無駄だろう。胃がキリキリと痛むのを感じながら千景を見る。
「なに?」
「……いえ、なにも」
「そう」
千景は本当に家でくつろいでいるかのように、編み物をしながら横にいるだけ。
今日何度目かのため息をつくことしかできない。
ぼんやりと視線を中空へ漂わせていると、千景が袖を引いた。
「ねぇ、どうしてそんな怪我をしてきたの?」
「機密なのでお答えできないのはご存じのはずです」
「分かっているわ。だから、答えられる範囲で聞かせてほしいの」
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「私が知っておきたい。それだけよ」
少し悩んだが、千景は口外するような子ではない。それに、聞きたいというのは性分でもある。京都の時から変わっていない。
核心部分をぼかしながら説明しようと頭をひねる。
「そうですね……雷様と喧嘩をしてしまい、打たれた次第です」
千景が目を丸くする。
説明に間違いはない。
「その結果が全身火傷なの?」
「見ての通りです。ですが打たれた甲斐もありました」
「どうしてそこまで……って、貴方に聞くだけ野暮ね。平蔵はそういう人だもの、そうしなければならない理由があったのでしょう?」
「そう思っていただけると幸いです」
ロマノフでのことが思い出され、自嘲するしかない。
我ながら無謀で、今更ながらよく成功したとも思える。
「貴方は変わらないわ。誰かの、何かのために命を懸けることは難しい。でも、貴方はそれを躊躇なくする」
「打算あってのことです。あまり褒められたものではありません」
「卑下することはないわ。私もそれに救われた一人なのだから、自信を持って」
「千景様……」
「これからも平蔵は平蔵のままでいて。私が願うのはそれだけよ」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方よ。さぁ、こっちもできたわ」
編みあがったマフラーを首に掛けられる。
「似合うわ」
「重ね重ね恐縮です」
千景が身を寄せてくる。
まぁ、このくらいならいいだろう。
「千景様、私のことよりもご自身のことはどうお考えですか?」
「気にしてくれるの?」
「何かあれば広重さんに顔向けできません。学業を疎かにすることなく……」
「もう、分かっているわ」
耳を引っ張られる。
千景との時間は穏やかに過ぎていった。
◆
「そろそろ時間ね」
千景がベッドから降りたのはそろそろ日が暮れようという時間だった。
コートを羽織ってドアの前に立つと、ちょうどよくノックされる。
「開いています」
「失礼します」
扉を開けたのは立花直虎、その後ろにいるのは言うまでもない。
「……ちかげちゃん」
「殿下」
直虎さんの後ろから顔を出した日桜殿下が千景と抱擁を交わす。
身長差があるからか、まるで姉と妹だ。
「……むりをいいました。ごめんなさい」
「いいえ、予定が変わることなどあることです。殿下がお気になさることではありません。それに、私は十分に過ごしました」
「……ありがとう、ございます」
「殿下、それ以上は……」
「……はい」
二人のやりとりは互いに気遣いを感じさせる。だが、俺にとっては胃が痛い問題だ。二人が、いや、ノーラも含めて何をどう話したのかが気になる。無垢な殿下に妙なことまで刷り込まれたのではたまらない。
「失礼します」
お辞儀をして行ってしまう千景の背を見送り、入れ替わりでやってきた殿下が近付いてくる。
「……さかき、よいこに、していましたか?」
「殿下、本日もご機嫌麗しく。ですが、それは私のセリフです」
普段なら頬を膨らませる挑発にもめげず、ちび殿下は余裕を崩さない。
なにかある、と思っていると、直虎さんが廊下から銀色の、御所でも使う配膳用ワゴンを押してきた。
「……なおとら」
「ははっ、ご連絡お待ちしております」
「……はい」
「榊殿」
「は、はい」
「くれぐれもよろしくお願いします」
「どういうことですか?」
疑問にも答えてくれず、直虎さんは最敬礼をして行ってしまう。
どういう意味なのかと考えながら、殿下に探りを入れてみる。
「殿下、今日はご公務ではなかったのですか?」
「……ちゅうしに、なりました。ゆきがつよくふってきましたから」
「雪?」
言われて外を見ると白が多くなり、敷地内の緑や駐車場も覆われている。千景と話をしていて気づかなかった。
「……それで、よていがかわったので、ちかげちゃんにおねがいをしました」
「なにを、と聞くのは野暮なのでしょうね」
「……はい」
笑顔で頷く。
まぁ、千景なら大丈夫だろう。そう自分を納得させながら話を続ける。
「そのお召し物はどうされたのですか?」
昨年はサンタクロースの衣装、今年は白を基調としたワンピースだった。
今年は大きめのボタンと赤いマフラー、それにちょこんと頭に乗った帽子からすると雪だるまがモチーフだろうか。
「……のーらちゃんが、よういしてくれました。にあいますか?」
殿下がくるり、と回って見せてくれる。
スカートの裾が妙に浮くのが気になるものの、デザインは悪くない。
「ええ、とてもよくお似合いです」
「……うれしいです」
久しぶりに見る笑顔に安堵する。
このところ心配させることの方が多かったからなおさらだ。
「そんな可愛らしい恰好の殿下は何の御用ですか?」
「……きょうは、くりすます、です。さかきに、ぷれぜんとを、よういしました」
「私に、ですか?」
「……なおとらとつくりました。さかきに、たべてほしいです」
配膳用のワゴンの蓋を開け、ベッドの横のテーブルに皿を並べ始める。
並べられたのはポテトサラダに煮込みハンバーグ、パン。どれも包丁を使わず、短い時間でも作れるもので、直虎さんの苦心が垣間見える献立だ。これが鷹司ならレストランから持ってこさせるだろう。
さすがは忠臣、殿下の要望に最大限寄り添えるものといえる。
「これを、私に?」
「……もうしょくじができる、とききました」
殿下の言う通り食事はできるのだが、体を動かすと痛いので点滴で済ませている。だが、この気遣いには応えなければならないだろう。
そう思い、体を動かそうとすると、
「……さかきは、そのままでだいじょうぶ、です」
日桜殿下はリモコンを操作してベッドの角度を調整すると、ベッドによじ登る。
「第一皇女殿下ともあろうお方が、そのような……」
抗議もきかず、殿下は俺の首にエプロンをかけ、料理との間に入った。神妙な顔でハンバーグを切り分け、一切れを掬い取ると、こちらへ向けた。
もう、嫌な予感しかしない。
「……さかき、あーん」
「お、お断りします」
無理やり体を動かし、殿下の手を止める。
すると、我が主は頬を最大限に膨らませた。
「……どうして、ですか?」
「そんな妙な言葉、どこで覚えたのですか。陛下がお嘆きになりますよ」
「……これはわたしの、きもち、です」
「殿下」
これはダメだ、なんとか自分で食べようとしたが、殿下の姿勢は変わらない。
「……さかきは、がんばりました。だから……」
「でしたら、こういう形でなくともいいでしょう」
「……でも、ははうえにきいたら、これがいちばんだと」
シュンとしている。
よりにもよって皇后陛下からとは、あの直虎さんが言葉少ないことにも納得してしまった。
「……さかき」
「分かりました。ですが、このことは誰かに言ってはいけません」
「……もう、ちかげちゃんと、のーらちゃんに、はなしました」
頭が痛くなる。
二人とも知っていて協力したのだろう。後で見返りを迫られないか考えておいた方がよさそうだ。
それに、こんな顔の殿下を前にしたら断わることもできない。
「殿下、お手柔らかにお願いします」
「……まかせて、ください」
笑顔に戻った主様はスプーンを近づけてくる。
「……あーん」
雛鳥よろしく口を開ける。
恐る恐る入れられたハンバーグに舌鼓を打ちながらため息をついた。
「……どう、ですか?」
「とても美味しいです。ありがとうございます」
「……よかったです」
ささやかな食事が続いていく。
まぁ、これも悪くないのかもしれない。
良い思い出などなかった白だけの部屋で過ごす日桜殿下との時間は、ゆっくりと流れていった。




