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刃の先にあるもの(四)


 新しいことを覚える、というのは並大抵ではない。

 年齢を重ねるほどにそう実感する。

 これから学ぼうということを、大概のことを自分の経験則から判断して当てはめるのは正解なようで、その実遠回りでしかないのかもしれない。

 出来ると思ったことほど難しく、先が見えなかった。


「無理な体勢で投げることは止めなさい。命中率を下げるだけです」


「牽制だからといってばら撒いていいものではありません。相手に危険と判断させることが重要です」


「基本を守りなさい。応用など遥か先のことです」


「できるまで続けなさい。そのための練習です」


 裂海家に通うようになって二週間の間に咲子さんに言われた言葉だ。

 基礎を教わってからはひたすら反復練習を続けている。最初は棒立ちだった咲子さんを的代わりに一週間、比較的狙えるようになってきてからは歩く程度の動きを付けながら投げる。

 人間というのは面白いもので、たった一つの動作が加わっただけでこれまでに培ったことができなくなる。


「都合のいい的などありはしないのです。常に不利な状況だと心に留めなさい」


 咲子さんの叱咤に思わず笑った。

 確かに、今まで自分が戦った中で有利だったことなど一度もない。

 すべてが命がけ、勝って生きるか負けて死ぬかの状態だった。そう思えば練習できること、生き延びる手段を得られることそのものが僥倖であるといえるだろう。

 挑む、というよりは心を落ち着け、できるだけ冷静に自分を動かしていく。

 すると、


「! 今のは悪くありません」


 次第にお褒めの言葉もいただくようになる。

 ただ、褒められて嬉しい、というよりは人並みにできたことへの達成感が勝る。そして、未だ学ぶことができる自らの謙虚さも大事にしたいところだ。


「おう、やってるな若人」


 道場の門下生たちに稽古をつける合間を縫って迅彦さんも顔を出してくる。

 基本的に、この人はあまり助言をしない。最初に要訣をいって、あとは放任という形だ。


「それにしても不器用だな。そんなんでよくもまぁジョージの顎を割ったもんだ」

「偶然が重なっただけです。そうでなければあの人には触ることすら難しい」

「だろうよ。風の障壁に竜巻、それに狩人の嵐。ジョージと直接刃を合わせたいのなら相応の手段が必要になる」

「そうですね。ですが、この刀は“防人安吉”、元寇という国難を払うためのものです。規模は違いますが騎士王の剣と同系統の力を有します」

「神風、か。しかし、使いこなせていないと聞いたがな」

「あの時は使えました。雨で竜巻を散らし、肉薄して左半身を差し出しました。片肺を潰して得られたのは騎士王の顎と、片膝を突いた姿だけでしたが」


 片肺を差し出したという件で咲子さんは目を丸くし、膝を突いたことに迅彦さんは咥えていた煙管を落とす。

 驚いてくれたのは良しとして、まぁ、あれも反則みたいなものだからノーカウントかもしれない。


「面白れぇ、詳しく聞かせな」

「いえ、まだ練習が……」

「なら飯食っていけ。その間なら構わないだろ」

「大食漢が一人増えるのはどうかと……」


 面倒なので回避したい。

 量が必要なことを理由に断りたかったのだが、


「心配すんな。少し前から咲子が多めに仕込んでいるからな。心配ねぇ。年寄りと小娘が食うには過ぎていたからな」


 咲子さんを見る。

 すると、師範代の顔は見る間に赤くなった。

 顔を背けるのが遅かった。


「し、知りません!」


 走って行ってしまう。


「若いってのはいいもんだな」


 ガハハ、と笑う迅彦さんの声を聴きながら諦めるしかなかった。


     ◆


 食事、というのは色々なものを物語る。

 使う具材、味付け、食べ方、作法、どれをとっても他との違いが顕著に表れるからだ。

 母屋の座敷に招かれ、大きな木の座卓に料理が並んだ。絵に描いたような武家の献立だが、量が違った。

 どんぶりに山と盛られたご飯、桶のような汁椀、大皿に盛られた主菜、漬物、小鉢と呼ぶには大きすぎる器に盛られた青菜のお浸し、まさに覚めたもののための食事といえる。


「遠慮しないで食いな。味は保証するからよ」


 迅彦さんの号令で食事が始まる。

 状況的に遠慮が勝っていたのだが汁椀を一口啜れば、そこからは早かった。

 食事が美味しいと、話にも花が咲く。騎士王との一件から始まり、これまでの経緯を話せば二人は驚きながらも笑ってくれた。


「榊さん、お代わりはいかがですか?」

「ありがとうございます。いただきます」


 機嫌が良いのか、咲子さんも優しい気がする。

 このまま和やかに事を終えたい。


「へっ、仕込んだ甲斐があるってもんだ。なぁ、咲子」

「優呼が戻ってきたときと同じ量を用意しただけです。あの子はたくさん食べますから」

「あ、ありがとうございます」


 あまり下手なことを喋るわけにもいかず、食事を続ける。

 折角の味を堪能できなくなる会話は勘弁願いたい。


「いいねぇ、男の食いっぷりってのは見てて気持ちのいいもんだ。優呼がやると、どうしてもガサツに見えちまう。まぁ、あのころは内弟子もいたし、男衆の中で育てば仕方がねぇか」

「そうしたのは御爺様ですよ」

「仕方ねぇ。近衛になれば嫌でも男社会だ。蝶よ花よと愛でたら使い物にならねぇだろう」

「でしたらガサツなんて言わないでください。あの子が可哀想です」

「そうか? 女は難しいもんだ。まぁ、ガサツでもなんでも、貰い手があれば万事よしなんだが……お前さん、気立ては悪くないが料理ができなくて男勝りな女はどうだい?」

「ぶふっ」


 なるべく危険な会話に参加しない方向でいたのに、関係ないところから刺された気分になる。

 曖昧な笑いで誤魔化そうとすると、迅彦さんは顎を摩りながら思案顔になる。


「咲子、今からでも遅くねぇから優呼に床での作法を教えてやれ。ちゃんと三つ指つくところから頼むぜ」

「そんなの、私だって知りません!」


 後悔は先に立たない。

 気まずさに耐えながらお暇する機会を窺うしかない。


「そんなんじゃ嫁ぎ先が無くなるぞ。榊、姉妹揃って面倒見てくれるか?」

「! そんなの、御爺様が決めることではありません!」


 怒った咲子さんが部屋から出て行ってしまう。

 取り残された側は後味が悪いことこの上ない。


「僭越ながら、今のはどうかと思いますが……」

「俺だって言いたくはねぇんだが、咲子か優呼、どちらかが子を産んでくれないと裂海本家は途絶える。先達としては看過できない問題だ」

「そうかもしれませんが、言い方もあるでしょう。もう少し何とかならなかったんですか?」

「こちとら切った張ったが専門だ。言い方までどうのこうのと気を使ってなどいられねぇ」


 迅彦さんは咲子さんの作ったお浸しをつまみ、酒を飲む。

 武家の悩み、というやつなのだろう。


「どちらかが、男だったらなぁ」


 ため息が混じる。

 この悩みは立花の家でもあった。


「勝頼さんも、直虎さんのことで同じことをおっしゃっていましたよ」

「へっ、遊び好きでも我が子のことを心配するのか」

「自分も人の親なれば子の幸せを考えないわけがない、と」

「どこも悩みは一緒か。しかし、ヤツの家は宗忠がいる。直虎が退いても面目は立つな。うちも養子がいてくれたら助かるんだが……」


 注視されるが、ここで負けるわけにはいかない。


「ぶ、分家で誰かいらっしゃらないのですか?」

「いたら“こう”はなってねぇ。そうでなくとも俺の代で裂海は枯れたって言われたくらいだ」

「枯れた? 私はてっきり迅彦さんの頃に隆盛を極めたと思っていましたが……」


 迅彦さんの顔に疲れが浮かぶ。

 壮観に見えた顔には深い皺と傷がいくつも見てとれた。


「俺の前に裂海で近衛になったのは明治生まれの爺様だ。それまでは何人かいたらしいが、爺様以降はパッタリ、ようやく俺が覚めても、そのあとは優呼まで出なかった。それに比べて立花の家は勝頼の親父も、その上も覚めている。くらべものにならねぇ」

「原因は……」

「分かったら苦労するかよ。それに、固有だ。お前さん、裂海の固有は知っているだろ?」

「分裂、ですよね?」

「その固有も俺は片手ほどが限界だ。そういう意味では優呼は先祖返りともいえる。一人でほぼ無尽蔵に分かれることができるからな」

「最初見た時は驚きました。本人と一緒に笑っていましたから」

「へっ、そうだろうよ。気付いたら優呼は一人で、自分自身と稽古をしていたくらいだ。わずか三歳の子が覚めたと分かったとき、俺は悩んだ」


 何を、と聞くのは野暮だろう。

 悩みは立花家と同じなのだから。


「せめて、咲子の方がと何度も思った。咲子は天才だ。剣の腕だけなら俺以上、優呼なんて足元にも及ばねぇ。人としてはこれ以上望むことは難しい」

「優呼が覚めてなければ、ですか?」


 指摘に後ろ頭を掻く。

 それが悩み、なのだろう。


「そうだな。覚めるということは人を軽々凌駕する。筋力、動体視力、反射速度、なにも勝るものが無くなる。天才咲子も、お前さんにだって負けるのさ」

「私の場合は勝っていません」

「自分で言ってただろうよ、素人だって。素人でも覚めれば負けない。あのまま続けたとしても咲子は勝てねぇ」

「狙いが分かっていましたからね」

「まぁ、そういう意味ではお前さんも特別だ。人は、切られると痛みに怯える。近衛もそこは変わらないはずなんだが、それがない」

「切られ慣れてしまったのはあります」

「それが異常なのさ。痛みを感じないのか?」

「痛くないということはありません。刺されるのも切られるのも、できれば遠慮したいものです」

「遠慮か。遠慮ですんじまうからな」

「そうですね」

「ままならないもんだ」


 苦労が滲む。

 いい機会なので初めてここへ来てからの疑問をぶつけてみたい。


「二人のご両親は一緒ではないのですか?」

「ああ、二人なら近くにいる。ただ、武士ではない」

「と、言いますと?」

「咲子と優呼の父、俺の息子であるところの綾人はすべてを娘に譲って退いた。自分にできることはなにもない、とな」

「なにもそこまで……と思ってしまうのは、私だけでしょうか」

「俺だってそう思った。だが、そうはならなかった。そうしてくれなかったよ。才のある者が継ぐべきだってな」

「理屈だけなら正しいように思えますが……」

「鋭いじゃねぇか。お前さんのいう通り理屈だけさ。俺としては、そうさな、腕で敵わなくても親子一緒にやっていけばいいと思ったよ。だがな、ここは裂海の宗家だ。俺の親父や分家の連中の生き方を見てきたから、ダメだった」


 迅彦さんの言葉に、出会ったばかりの頃の優呼を思い出す。

 表向きは天真爛漫なのに、瞳の奥には強烈な意思を持っていた。

 人を護り、国を護る。今ある普通を護るための番人として彼女はそこにいた。

 そして、今も心に変化はないだろう。

 たいして昔でもないのに、懐かしく思ってしまったこちらの反応に、迅彦さんが苦笑いをする。


「思い当たるところがあるみてぇだな」

「自分が、彼女の弟子であることを実感しています。そういう意味では、私は裂海流の末席にいることになる」

「優呼に何言われたんだ?」


 白いものの、まだふさふさとある髪を撫でて、先代の当主は力なく笑った。


「光があれば闇がある。そういう意味では、裂海や立花、近衛となった武家はこの国の闇といっていいのかもしれません。誰にも感謝されない闇であったとしても国を護り、人を護ることが私たちの使命である、と」

「国を護るということは並大抵ではない。俺自身も闇であることに誇りがあった。だがな、人は老いる」

「自分が闇であることには耐えられても、子や孫がそうであることは耐えられない、と?」

「甘っちょろいと思うだろ?」

「いえ、とても人間らしいと思います」

「へっ、若造が偉そうに」


 心を通じ合わせるのは、とても良いことだろう。

 それが近しい人、家族や親友だとしたら、この上ないものだ。人は、安心して生きていける。たとえ、果てしない道だとしても歩いていける。

 しかし、強いつながりは時に重荷にもなる。

 辛い事実、苦しい現実、それでも続ける、いや続けたい未来があったとしたら、絆が強いほどに相手の心を傷つける。

 そんなことまでしなくてもいい、もう十分だ、と気遣ってくれるかもしれない。優しさや気遣いが誓ったはずの意思を揺さぶるのだろう。


「上手く言えませんが、優呼なら大丈夫です。ですから、咲子さんの方を心配してあげてください」

「貰い手になってくれるのかい?」

「決めるのは私たちではありません」

「煮え切らねぇもんだな。俺はてっきり、今回のことが婿入りの挨拶だと思ったのによ」

「……それは、あとで本人から釈明させます」

「まぁ、戦友でも婿でも妾でも愛人でも、何でもいい。優呼と一緒に歩いてくれるんだろ?」

「勿論です。私が力尽きるときまで背を支えましょう」

「頼んだぜ」


 杯を渡され、酒を注がれる。

 飲み干せば迅彦さんは笑っていた。

 しかし、


「妾? 愛人?」


 怨嗟のような声が聞こえて背筋が凍った。

 振り向けば、戻ってきていた咲子さんがいる。


「榊さん?」

「おう咲子、よかったな。優呼は大丈夫だってよ」


 この上ないタイミングでジジイが口をはさむ。

 刀の錆にしてやりたいのに、食事だからと手放していたことを悔やんだ。


「榊さん、お話があります」

「ご、誤解です」


 この後、釈明には相当かかり、帰りが遅くなったことで鷹司に怒られ、殿下の御機嫌を損なうことになったのは言うまでもない。


新作の「実践的聖母さま!」を毎日更新しています。

だいぶ話数もたまってきて、そろそろ読めるころかと思います。

こちらもよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] >「榊さん、お代わりはいかがですか?」 「ありがとうございます。いただきます」 新婚生活ホヤホヤの会話みたいな? >殿下の御機嫌を損なうことになったのは言うまでもない。 殿下のホッペどれ…
[一言] 盆明けから読み始めて、やっと此処まで読了しました。 遅ればせながら、1巻2巻注文いたしました。 今後も楽しみにしております。
[良い点] ヨシ優呼、鷹司なんかに取られるな! 立花は多分側室でもOKするだろうし、ジャリ共は10年後に先延ばしだ! お姉ちゃんと両手に花で焼き餅焼くのを是非見たいぞ! 優呼の事だから間違った教育で…
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