刃の先にあるもの
「私の代わりに裂海本家に行きなさい!」
立春を迎えてから数日、帝都では珍しく雪の積もった朝の出来事。
千代田区九段にある、近衛御用達の病院の一室に呼び出され、開口一番そう告げられて頭が痛くなった。
「理由を聞こうか」
こめかみを押さえながら、無茶を強いる裂海優呼に問えば、まだ点滴につながれた手を突きつけられる。
「私は誰かさんのせいでこの有様なの。だから正月を過ぎても実家に帰省できないわ」
「誰かさん、というのは雷帝のことか? それに一時退院の許可は出ているって聞いたぞ」
「責任者はヘイゾーでしょ?」
「それは否定しないが……」
「文句あるの?」
白い患者用の服を着た優呼は、日桜殿下のように頬を膨らませ不満そうな顔をしてから、仕方ないとでも言いたげに腕組みをして続ける。
「それに、ヘイゾーは私に借りがあるわ!」
「……あるな」
「大きいヤツよね?」
「大小の基準は分からないが、ある」
「じゃあ、大きいのも小さいのも一緒にしてあげる!」
断れるはずもなく頷けば喜色満面になる。
どうして自分の実家に帰ることをせず、俺を行かせたいのか分からない。が、借りを少なくできるのは悪くない。それに、裂海本家には個人的な興味もあった。
彼女自身もこの世界では有名人で、東の裂海、西の立花と称されるほどの名家。
先の近衛であり彼女の祖父でもある裂海迅彦は騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセンをはじめとする欧州騎士団の尊敬を集め、雷帝アレクサンドル・メドヴェージェフも最大級の警戒をする。これからのためにも会っておいて損はないのだが、
「どんな名目で行くんだ?」
「私の名代……には早いから弟子でいいわ。名乗ればあとは向こうがしてくれるから」
少女が楽しそうに笑う。
前向きになりたい気持ちも嫌な予感で揺らいでしまった。
「優呼」
「なに?」
笑顔でいるなら鷹司や直虎さんにも引けを取らない。が、この女は裂海優呼だ。
何かあるのは間違いないが、ここで問い詰めても喋らないだろう。
「……それで、俺はいつ行けばいいんだ?」
「明日よ!」
「明日? それはまた急だな」
「一〇時には着くようにしてね! 早い分には一時間や二時間も大丈夫よ!」
「……なにかおかしくないか?」
「そうかしら」
ない胸を張る。
こちらはもはや諦めの境地だ。
「分かった。早めに行くよ。手土産はなにが喜ばれる?」
「さすがヘイゾー! 話が分かるわ! お土産は虎屋の羊羹と空也の最中、あとは辛口の日本酒……剣菱あたりが無難かしら」
「虎屋はともかく、空也の最中が今から間に合うのか? あれはずいぶん前から予約が必要だろ」
「大丈夫、私の名前で前から注文してあるの!」
「……優呼」
「なぁに?」
こちらの問いかける視線にもめげず、真っ直ぐに見つめ返される。
こいつは俺を何だと思っているんだろうか。
「借りは二つ消しておいてくれ」
「いくつでもいいわよ!」
「? どういうことだ」
「いいからいいから!」
肩をバシバシ叩かれる。
まぁ、断るという選択肢はこちらにない。
せいぜい被害を軽くできるよう考える程度だ
「やれやれ」
腹をくくるしかなかった。
◇
裂海の本家は千葉県千葉市中央区亥鼻にある。
間近に千葉県庁と史跡である亥鼻城が並び、今は市民憩いの場所でもある公園と隣接して大きな屋敷があった。
「立派なもんだな」
門前に立つだけで圧倒される。
大きな門と荘厳な武家屋敷は時代を超越している。地面がアスファルトで固まっていなければ錯覚してしまいそうだ。
「さて、どうするかな」
時計の針は午前九時を少し回っている。
裂海の指定は一〇時、早い分には構わないということだったが、さすがに八時は早すぎる気がしたので一時間ずらした。
「はぁ……」
心持は複雑だ。
近衛の先達でもある裂海迅彦に会うのも今後のためを思えば悪くない。しかし、あの裂海優呼の様子が気がかりでならない。門の前で悩むこと数分、ここにいても何も解決はしないと腹をくくって呼び鈴を鳴らした。
「はい」
門を開けてくれたのは小柄な、どこかで見たことのある顔だちの人物。
白い筒袖に紺色の袴、長い髪を後ろで結った姿は正に大和撫子。きりりとした眦と少し薄い唇だけが違って見えるが、雰囲気は裂海優呼そのものという女性。
「あら、あなたは……」
驚いていると、優呼に似た女性が目を丸くした。
驚きに思考が止まってしまいそうになりながらも慌てて居住まいを正し、頭を下げる。
「榊平蔵です。いつも優呼さんにはお世話になっています」
「とんでもない。裂海道場の師範を務めます裂海咲子と申します。当主が、いえ、妹の優呼がいつもお世話になっております」
女性は少し戸惑いながらも挨拶に応じてくれる。
が、違和感はそこではない。
「妹……ということは優呼のお姉さん?」
「はい」
「に……」
「似ていませんか?」
「ああ、いえ、背格好は似ています。でも、なんというか、雰囲気が……」
「あら、あの子も人前に出るときは静かなんですよ」
鈴の音を転がすような声で笑う。
淑やかさと物腰の低さは、あのガサツな裂海優呼からは想像できず、姉がいたこともどこかで聞いてはいたが、こうして実物が目の前にいると驚きしかない。
親しい人の身内、それも姉妹ともなると妙な緊張があった。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「は、はい、優呼……さんから弟子としてこちらへ来るように、と」
「弟子……」
咲子さんの目が糸のようになる。
あまりの鋭さと、突然の変貌に背筋が凍った。
「榊さんが、弟子として。そうですか。本日は裂海家にとって大切な、当主を決める日、それなのに、貴方がいらっしゃる」
脊椎に氷を突っ込まれたら、こういう気分になるのだろう。
追い詰められたような危機感に、口がかってに動き始める。
「当主を決める? 裂海の当主は優呼さんなのでは?」
「今の当主は優呼です。ですが、裂海の家では毎年、この日に裂海流の門下生全員が戦い、当主を決めることになっております」
「ぜ、全員。それが今日なのですね」
「ご存じなかったのですか?」
眼差しの鋭さに押され、思わず手を上げたくなる。
あとで優呼にはきついお仕置きが必要だ。が、それもこの窮地を乗り越えてから。まずは状況の整理からしていきたい。
「ん?」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、少し眩暈が……」
整理もなにも、俺は裂海優呼の弟子ということになっている。弟子、ということは裂海の門下生扱いになるのだろうか。
目頭を押さえる。
こうした場合、どうしたら正解なのだろう。スマートフォンを見る。病院にいるアイツにかけたところで出ないことは分かり切っている。このまま何も言わずに帰ったら、一番平和なのかもしれない。
「榊さん、如何されましたか? やはり難しいようでしたら優呼に連絡を……」
こちらを慮っているようで、目だけは全く笑っていない咲子さんは、妹に似ていない。
いや、顔は似ているのだが、雰囲気がまるで違っていた。
真夏に太陽の下でさんざめく向日葵が優呼であるとしたら、この人はひっそりと月夜に咲く茉莉花。
顔は笑っているのに細い眼は全く笑っておらず、弧を描く唇すら薄く見えてしまう。逃げたいばかりに脱線しかけた思考を引き戻し、疑問は正直に口にしてみることにした。
「咲子さん、とお呼びしてよろしいですか?」
「ええ、はい。どうぞおすきにお呼びください」
「あ、ありがとうございます。つかぬことを伺うのですが……今日、ここに弟子という立場で来た私も、その当主を巡る争いに参加しなければならないのですか?」
「そうなります」
暗転しそうになった意識が、どうにか踏みとどまる。
いや、いっそ気絶したほうが楽だったのかもしれない。
それができないこの体を今は呪うしかなかった。
「優呼から聞いていなかったのですか?」
「え、ええ、まぁ、そうなります」
「困りましたね」
「こうなっては仕方ありません。いくつか確認させてください」
「私でお答えできることであれば……」
優呼の真意はまだ分からないが、俺の仕事はこの当主争奪戦とも呼べるものに参加することだろう。
ここは腹をくくるしかない。これまでを考えれば世話になりっぱなしなのだから、返せるうちに返しておくほかない。
「争奪戦に私も参加するとして、どのような状態なのでしょう。刀を持っているのであれば相応にできるかと思いますが、ない状態ですと素人と同じです」
「参加されるのですか?」
「どうやら、それが私の役目のようですから」
「……わかりました。ご心配のことですが、榊さんは刀を持った状態、近衛として立っていただいて問題ありません」
「よかった、恥をさらさなくてすみそうです」
これだけは胸をなでおろす。
醜態をさらすのは構わないが、優呼の弟子という立場では遠慮したい。
そう思っていると、咲子さんは複雑な表情でこちらを見ていた。
「榊さんが当主の弟子として、近衛として戦われるのであれば、立ち合いは一度です」
「一度? 門下生総出というお話でしたが?」
「確かに総出ではありますが、普通の門下生では歯が立たないのは分かり切っています。ですから、当主との立ち合いは最後、勝ち上がった代表者とだけになるのです」
「な……るほど」
それならそれでありがたい。
何度も立ち会うともなれば気が重かったが、一度でいいというのであれば気も楽だ。
「分かりました。では、よろしくお願いします」
「榊さん」
「なんでしょうか?」
「……本当によろしいのですね?」
念を押すような咲子さんに今度はこちらが首を傾げてしまった。
後悔先に立たず、先人の教えを思い知ることになる。
いつも通りの更新になります。
お付き合いいただければ幸いです。




