クリスマス用短編
サンタクロースをいつまで信じていただろうか。
自らのことを振り返っても覚えていない。ただ、毎年枕もとに置かれるプレゼントが欲しいと願ったものではなく、本や筆記用具だったことから、漠然とこれがサンタクロースではなく両親からであったことを悟ったのかもしれない。
子供にとってクリスマスという日が嬉しいのではなく、クリスマスというイベントの中で得られるものが嬉しいだけだ。
でも、それでいいのかもしれない、と今は思ってしまう。感謝を伝えるための口実と機会を与えてくれるのだから。
◆
年の瀬も押し迫った一二月二五日、世間はクリスマスムード一色だというのに、御所と近衛にはそうしたものは微塵もない。
今年は二四日、二五日共に平日であり、相変わらずの激務に追われていた。
皇族は年末年始が最も忙しい。祭事が年をまたいで行われ、七日までは分刻みのスケジュールになる。その準備に追われ誰もがパーティーをしよう、という発想にもならないほど。
目の上司、鷹司霧姫と補佐をする立花直虎も仕事に追われていた。
「榊、元始祭から奏事始までの警護スケジュールはどうなっている?」
「昨年のものを踏襲しつつ、不備があったところ、手配が至らなかった部分の見直しをしました。警視庁警察庁、公安軍部諜報機関その他も昨年よりは連携が取れていることから大きな懸念はないものと思われます」
「日本版の連邦捜査局、ですね。それが稼働すれば私たちの懸念も少なくなります」
二人の言葉に頷き、続ける。
「各々の組織にはまだ垣根があります。ですが、時間をかければ取り去ることもできるでしょう。今回はその試金石、しかも殿下の護衛となれば奮起もします」
「貴様から、近衛が担うべき殿下の警護を譲ってはどうか、と言われたときは驚いた。だが、我らだけではどうにもならない事態があるのもまた事実。彼らにも手伝ってもらわねばならん。そう考えれば納得ができる」
「ありがとうございます」
「ただ、内部の反発は思った以上に大きいものです。一部からは独裁的だという意見もある。配慮が必要かもしれません」
鷹司の傍らで直虎さんが神妙な顔をしている。
予想の範囲だが何らかの対応、対策が必要になるだろう。しかし、今は優先すべきことがあった。
「そこはお二人の手腕に期待をさせていただきます」
こればかりは俺の力ではどうにもならない。
恭しく頭を下げれば鷹司は鼻で笑った。
「ずいぶんと腹芸が上手くなったものだ。先が思いやられる」
「ですから賄賂をご用意しました」
「賄賂?」
訝しむ鷹司の前に、包装紙に包まれた小箱を置く。
続いて直虎さんにも色違いのものを差し出す。
「どうぞお受け取りください」
「……これは」
鷹司がばりばりと包装紙を破る。
中身は小瓶に入ったリップクリーム。日本ではスティックタイプが主流になっているが、海外ではこうした瓶入りが多い。今回はベルギー産の蜂蜜を使ったものだ。
「榊殿、私もよろしいのですか?」
「勿論です」
眉根を動かしただけの鷹司とは対照的に、直虎さんは嬉々として、綺麗に包装紙をはがして箱を開ける。中身は英国産のアプリコットオイルが主成分となったハンドクリームとネイルケアのセット。どちらも騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセンが推薦した逸品となっている。
考え抜いた選択だと自負しているのに、鷹司の眉根は寄ったままだ。この人は何が気に入らないというのか。
「どういう魂胆だ?」
鷹司が睨んでくる。
「今日はクリスマスです。お二人にはいつもお世話になっています。世間的な口実もできましたので贈り物を、と思いました」
「……どうしてこの選択をした?」
「説明が必要ですか?」
ワザとらしく上司の唇を注視すると、慌てて隠す。顔が赤いのは少なからず自覚があったからだろう。
気を取り直して直虎さんに笑みを向け、
「副長の補佐役として表に出ることも多いと伺います。人は存外、細かいところを見ているものです」
「心しておきます。榊殿、ありがとうございます」
「根回しの件をお願いします。それでは、失礼します」
一礼して執務室を後にする。
今夜は、少しばかり忙しい。
鷹司の執務室を後にして、どういう順序で回ろうか考えていると裂海とエレオノーレの二人と出くわす。これは探す手間が省けた。
「やっほー!」
「こんばんは、ヘイゾウさん」
手を上げる裂海と会釈をするノーラ、二人に歩み寄る間にスーツの懐を探る。
「二人が一緒なんて珍しいな」
「さっき任務が終わったからご飯に誘ったの!」
「優呼さんに誘っていただきました。ヘイゾウさんも一緒にいかがですか?」
「ありがとう。でも、この後で予定がある。また今度誘ってくれ。それよりも……」
予定がある、といったあたりでノーラの目が鋭くなるが、見なかったことにして二人に包みを差し出す。
「なにこれ?」
「少し早いがクリスマスプレゼントだ」
「クリスマス? ああ、西洋のお祭りね。もうそんな時期だっけ?」
現代武家、そして近衛として期待にそぐわない裂海に苦笑いしつつ包みを押し付ける。
「ノーラはもうクリスマスなんて卒業かな?」
「いいえ、とても嬉しいです。開けていいですか?」
「どうぞ」
ノーラは表情を輝かせながら包みを開ける。
その横では裂海が見様見真似でラッピングを破っていた。
「これはオイルと櫛でしょうか?」
「大島椿の油と柘植の櫛だよ。君は日本人の血を引いているからね、椿油は合うはずだ。柘植の櫛は古くから日用品として使われてきた歴史がある。気兼ねせずに使ってほしいな」
「ありがとうございます。大切にしますね」
素直に喜んでくれるのはこちらとしても嬉しい。
隣の、これまでクリスマスに縁遠い場所にいた裂海家の当主は、包みの中身をしげしげと眺める。
「なにこれ?」
「髪留めだ。いつも付けているものだと少し素っ気ないだろ? お前も人前に出ることが多くなったんだから、気を遣え」
彼女へのプレゼントは絹糸の組紐。赤、橙、松葉色の三つで、紐の両端には水晶、青玉、翠玉があしらわれている。色違いがあれば場面に応じて使い分けることもできるだろうとの選択だった。
「ふーん」
「なんだ、必要なかったか?」
「ヘイゾーのことだから他意はないんだろうけど……まぁいいわ」
目を細くする裂海の横でノーラが袖を引く。
「ヘイゾウさん、この後、千景さんのところに行くのでしょう?」
「よく分かったね」
彼女の指摘に虚を突かれる。まさか言い当てられるとは思わなかった。
驚いていると彼女は口元に人差し指を当て、意味深に微笑んだ。
「勘違いしないでください。ヘイゾウさんならそうするだろうと思っていましたから。今日は、私からお渡しするものはありません」
「今日は?」
「ヘイゾウさん他意はありませんが、お早くお戻りになってくださいね。きっとですよ」
「ノーラ?」
「それでは失礼します。優呼さん、行きましょう」
「じゃあねヘイゾー!」
手を振って行ってしまう。
他意はない、という言葉にこそ他意が含まれている。今はよくわからないが心に留めておこう。
二人と別れてから目白へ向かう。
九段から車を走らせること十数分、千景の通う全寮制の学校についたのは二十時を回っていた。
入口で記帳をしようとすると、守衛をしている初老の男性がからからと笑った。
「千景さんから伺ってますよ。さぁ、面会室へどうぞ」
「伺っている?」
「ええ、今夜は榊という男性が訪ねてくるはずだから、と」
「そうでしたか」
男性に先導され、少し離れた面会室がある建物に通される。
話が通っていたからか暖房がつけられていた。
「少し待っていてください。千景さんに連絡してきます」
「お手数をおかけします」
礼を述べて椅子に座る。
こうして準備までしてあるとは、さすがは元ご主人様といったところか。こちらの行動などお見通しらしい。
プレゼントをコートのポケットで弄ぶこと数分、ドアがノックされ、千景がやってくる。
「こんばんは、千景様」
「ええ、そうね。会えて嬉しいわ、平蔵」
立ち上がって一礼すると、千景も丁寧に頭を下げ、向かいの椅子に座る。
今日は平日、ここへ来ることは知らせずにいた。向こうからしてみればサプライズ、突然プレゼントを渡すことを考えていたのに、出鼻をくじかれてしまった。想定外の事態、さてどう話を切り出したものかと思案をしていたのに、口を開いたのは千景。
「今日はクリスマス、由来やその後について、貴方なら流暢に説明できるのでしょうね」
「……千景様?」
「でも、今夜は必要ないわ。私はそれほど無粋ではないつもりなの」
真っ直ぐな眼で告げられる。
催促とも考えたが、相対する千景の圧力に押される形で包みを取り出す。
「どのような前置きにしようか考えていたところですが、その必要はなさそうです。サンタクロースではありませんが、贈り物を持ってまいりました」
「……開けていい?」
「どうぞ」
言葉とは裏腹に、若干そわそわしながら千景が包みを開ける。
そんなときの顔は年相応で可愛らしい。いつもそうしていればいいのに、と思わなくもない。
「これは……」
「硯と墨、それに筆です。書道部でご活躍と伺ったものですから、こちらを選ばせていただきました」
千景用に用意したのは国内産の最高級の石材から切り出した硯と、御所で殿下が使うものと同じ墨。筆は独特の風合いがでるという竹筆。
実を言えば選ぶのに最も苦労したのが千景のもの。学生へというのは金額は勿論、華美にならないよう配慮することが難しかった。
「ありがとう。とても嬉しいわ」
「そういっていただけると、用意をした甲斐があります」
千景はプレゼントと俺の顔を交互に、何度も見る。
喜んでくれているのだろうと思い、胸を撫でおろした。
「……平蔵」
「なんでしょうか」
「本当は、もっと一緒にいたいの。でも、今夜はダメ」
「千景様?」
「早く、早く部屋まで戻って」
「部屋へ? なぜですか?」
「いいから、戻るの。これ以上は言えないわ。それに名残惜しくなるもの」
千景が立ち上がり、プレゼントを抱えたまま足早に出て行ってしまった。
「どういうことだ?」
千景とノーラ、二人の言葉が引っかかる。
ここは素直に戻るべきだろうと車へ戻り、座席に乗り込んだ時だった。懐のスマートフォンが震える。呼び出しには立花直虎の文字に画面をスライドさせる。
「はい、榊です」
『榊殿、お忙しいところ申し訳ない。少々困ったことが起こりました』
「困ったことですか?」
『殿下が寝所にいないのです。先ほど侍従が明日の衣服を届けに伺ったところ姿がないと。おそらく、いつもの抜け出しかと思うのですが……』
ここで千景、ノーラ、言葉の意味が分かった。
間違いないだろう。そして、殿下の行先も、だ。
「直虎さん、その件については私に預からせてください。心当たりがあります。どうか、内々にお願いしたい」
『心当たり……分かりました。他ならぬ榊殿からのお願いとあらば、致し方ありません。貸しを一つ、です』
「承知しました。お手柔らかにお願いします」
『それでは……』
通話を切って車のエンジンをかける。
この場所からなら近衛本部までさして時間はかからない。
目白通りから都道八号線で飯田橋までを通り抜ければ建物が見えてくる。
明日はインドネシアから大使が信任状を携えやってくる。そのあとは赤坂で離任する駐日ブラジル大使の引見、夜は大英帝国大使館でのパーティー。かなりタイトなスケジュールで、体の小さな殿下が夜更かしをしては年末年始まで尾を引く。
駐車場から近衛寮までの間、どう話せばよいか考えたかったが、足が進む方が早い。千景やノーラのことも思えば迷いもあった。
ため息をつく。
仕方ない、分かっていれば対応もできるだろうと自分を納得させ、ドアノブに手を伸ばした。
「……」
鍵がかけられている。
懐から鍵を取り出し、ゆっくりと音が大きくなるように開けた。玄関にも履物はない。
まさか、ここにはいないのだろうかと一瞬過ったが、殿下独特の残り香がある。
そのまま寝室に行っては怪しまれるだろうか。上着をソファーに置き、冷蔵庫から飲みたくもないミネラルウォーターを取り出して一口含んでから寝室のドアを開けた。
真っ暗な部屋、しかし、確かに気配がある。甘く、柔らかな香りは殿下のそのもの。
「今日も疲れたな」
わざとらしく独り言をつぶやいてから着替えることもなくベッドに入った。
待つこと数分、クローゼットから音が聞こえ、気配が近寄ってくる。
「……」
ベッドの上によじ登ったのだろう。
枕もとに立ってこちらを凝視しているようだった。
「……さかき」
呼ばれる。が、まだ返事はしない。
ごそごそと音がする。何かを取り出したのだろう、音が耳の横に置かれた。
「……」
無言のまま髪が撫でられる。
「……へいぞう」
名前が呼ばれ、もう限界だった。
「何ですか?」
「……!」
返事をすれば暗闇の中に殿下がいる。
ご丁寧に白と赤のサンタクロースの衣装まで着ていた。
「もうよろしいですか?」
明かりをつけると心底驚いた顔をする殿下がいる。
「……ど、どうして、わかりましたか?」
「部屋に自分以外の誰かがいればわかります。それが殿下ならなおさらです」
「……しっぱい、しました」
しゅん、と俯く。
本気でサンタクロースを演じるつもりだったのだろうか。
「どうしてこのような、とお伺いするのは野暮ですね」
「……さかきに、ぷれぜんと、あげたかったです」
「労いの言葉はいつもいただいていますよ」
「……それだけではなく、もっと、かたちにのこるものが、よいとおもいました」
「それで、このような大層ないで立ちですか」
「……ちかげちゃんと、のーらちゃんに、てつだってもらいました」
よくみればサンタクロースの衣装は手縫いだ。
これを相談された二人は困ったことだろう。殿下が多忙なのは知っている。ノーラがいればスケジュールも分かるだろう。翌日のスケジュールがタイトなことも十分に理解しているはずだ。
分かっていながらも殿下に相談されたら二人は引き受けた。こんな真っ直ぐな眼をされたらだれも断ることはできない。
「殿下、いろいろと申し上げたいことはございます」
「……ごめんなさい」
「ですが、お気持ちは受け取りたく存じます。開けてもよろしいですか?」
「……はい!」
誰かにクリスマスプレゼントをもらうなんて、何年ぶりだろうか。
枕もとに置かれた包みを開ける。和紙の包みから出てきたのは蒼紫の糸で編まれたネクタイだった。
「……わたしが、そだてたものです。さかきに、つけてほしいです」
皇室には蚕を育てる伝統がある。
殿下が自らの手で育てた糸を染色し、俺のためにネクタイを作ってくれたということになる。
「貴重なものを……よろしいのですか?」
「……わたしの、きもちです」
少し恥ずかしそうに微笑む。
胸が締め付けられるようだった。
このままでは湿っぽくなってしまう。せっかくの機会なのだから、こちらも用意していたプレゼントを取り出した。
「これは私からです。本当は明日の朝、枕もとに置いておこうと思ったのですが、受け取っていただけますか?」
殿下へのプレゼントは万年筆。握力の弱い殿下でも無理なく使い続けられるよう、内部構造から材質までフルオーダーした特注品だ。
「字を書く機会も増えることでしょうから、ご用意をさせていただきました」
「……うれしいです」
輝く笑顔に目を伏せる。
こんなクリスマスなら悪くないと思えた。
「……さかき、もうひとつ、ぷれぜんとがあります」
「まだ、ですか?」
「……はい」
そういうと、サンタクロース姿の殿下はベッドの上で正座し、膝をぺしぺしと叩き始めた。まさか、最後がこれとは思いもしない。
「殿下、明日もあるのでお部屋に戻りましょう」
「……だめ、です。ぷれぜんと、です」
さらにぺしぺしする。
これはやらないと終わってくれそうにない。
「明日が大変ですよ?」
「……だいじょうぶ、です!」
やれやれ、と再びベッドに横になり殿下の膝枕に与る。
最近はなかったので油断していた。
「……さかきは、ことしも、たいへんでした」
「そうでしょうか」
「……そうです。いいこ、です」
髪を撫でられ、もらったネクタイを触りながら目を閉じる。
こんな日が続くことを願わずにはいられない。




