二九話
「行きます!」
刀を手に走った俺の視界は白く染まる。
眼前の雷帝から発せられる強大な圧力が全身を叩き、背中に脂汗が浮く。顔や手、皮膚が露出した部分が総毛立ち、向かってくる紫電に、跳ねる火花に怯える。
「愚かな!」
雷帝の嘲笑。
膨大な光が襲い掛かる刹那、コンクリートの床を突き破り、凍土が盾となった。
雷撃が降り注いだ凍土は白煙を上げ、崩れ去る。
「!?」
雷帝の驚きと、逡巡の間に僅かずつ距離を縮める。
続く閃光は壊れたコンクリートの隙間から噴出した地下水が全身を覆い、瞬時に凍り付いて鎧となる。
「止まるな!」
白凱浬の声に背を押され、鎧となった氷を全身に貼りつかせたまま、速度を緩めることなく飛ぶ。
「ほう」
「っ!」
白煙と共に刀の間合いにまで迫った俺に、雷帝は笑った。
“防人”安吉とシャシュカが激突、閃光が散る。
「あああぁぁぁぁ!!」
無意識に、張り裂けんばかりの絶叫が自分自身の喉から発せられる。
痛みではなく、本能が死を予感して出た叫び。
しかし、
「!!」
再び凍土が、噴出した膨大な水が体を覆い、人体よりも抵抗が少ない水へと雷撃を拡散してくれる。
「なるほど、考えたな」
感嘆とも呆れともつかない声が耳に届いて、意識を明瞭へと導く。拡散しても雷は雷、凍土の防壁とこの体でなければ耐えられない。現に、心臓は痛いほどに脈打ち、止まらないように激しく動いていた。
「お、おほめにあずかり、きょうえつしごく」
筋肉が麻痺して発音もままならないが、こうして雷帝と剣戟を交わせる。
「くっ!」
「ははっ! 言うだけはある!」
雷、電気の恐ろしさは攻撃範囲の広さにある。
人間の体は電気信号によって成り立ち、雷撃は神経を灼き、発生する熱は体を構成する有機物を焼く。生物に対しての攻撃力は絶大といってもいい。
だが、強力であるがゆえの特徴もある。その一つが、電気はより抵抗が少ない方を通ろうとすることにある。
「資料を読み解く限りでは、引き絞るほどの精緻な誘導はできないはずだ」
事前の打ち合わせで、白凱浬はこのように分析していた。
つまり、雷帝は固有能力である雷撃をただ放出しているだけ、という可能性が高い。あるいは強大過ぎて制御できないのか、どちらにしても発すれば最後、彼のコントロール下にない。
加えて、こうして仲間を連れてきているのは、あまり騒動を大きくしたくないからだろう。できるだけ素早く処理し、大ごとにしたくないはずだ。狙いさえわかればやりようはある。
俺の後ろでは、白凱浬と武官たちが水と凍土を操り、致命傷となるような雷撃を防いでくれている。
「ほらほら、よそ見しないの!」
俺が止まっても、無数に分裂した裂海が親衛隊を相手にしながらも雷帝に迫り、休ませない。
「ちっ、小娘が!」
「小娘だから何だっ……!?」
分裂体たちが焼かれ落ちる。
僅かに生まれたその隙を逃す手はない。
「雷帝!」
シャシュカを刀で受け、表皮で弾ける雷電を無視して、視界が無くなりながらも握り固め左拳を振りぬいた。
「!」
感覚がなくなりつつあった左腕でも分かるほどの手応えに、重いものが落ちる音がした。
「くっ……」
苦悶の声が聞こえる。
皮膚と神経を焼かれ、骨まで砕かれてこちらも動けない。
電気抵抗からくる熱で白濁した目が視力を取り戻すまでの数秒間、戦場で奇妙な間と対峙が生まれた。
「まさか、こんな手でこようとはな」
雷帝の視線は俺の後ろ、水と凍土を操る白凱浬や武官、そして今も親衛隊の面々をたった一人で相手にする裂海に向けられる。
「はく凱浬は……ながくトウヨされたクスリ……のふくさようで、バンゼンではありません。ぶかん三人はそのほじょと、凍土でのサポートをおねいしました」
筋肉が、舌が麻痺して上手く喋れない。
それでも口を動かしていなければ意識が消えてしまいそうだ。
「貴様が本命とは思わなかった」
「わたしは……ごらんの通りのコユウです。簡単にシにませんし、回復力もありまス。死なない程度のかみなりならば問題ありません」
話す間に全身の治癒が始まる。
焼け爛れた表皮に神経が張り巡らされ、余計に痛い。
アドレナリンとエンドルフィンがなければ発狂していたかもしれない。
「騎士王に聞いた通りだ。奴の顔面を打ったという話も嘘ではないようだ」
「恐縮デす」
雷帝が立ち上がる。
できれば、もう少し待ってほしかった。
「ほらほら、甘いのよ!」
「ちっ!?」
「くそっ……こんなはずでは!」
雷帝の後ろでは裂海が無数の、自らの写し身を犠牲にしながらも親衛隊を圧倒していく。
文字通り、身を裂くが如く押し寄せる少女は並みいる大人を薙ぎ払っていた。
「サワぎがオオきくなって……きましたね。オワリにしませんか?」
「断る」
時間稼ぎもここまで、再び紫電を纏い、雷帝が迫る。
「私は引くわけにはいかない! 故国のために! エリザヴェータ様のために!」
「そ……れほどの、カクゴがありながら……!」
剣と刀がぶつかる。
治癒が始まったばかりの体を雷撃が掻きまわし、痛みが限界を超え始めた。
「エリザヴェータ様は、私が……!」
雷帝の声には切実なものがある。
嘆き、悲しみ、憎悪、哀れみ、主君への思いが渦巻いている。
「ぐっ……」
左鎖骨に鋭い痛みが走り、膝が折れかける。
雷帝のシャシュカが心臓に迫っているのだと分かり、本能が悲鳴を上げた。
「私が……私が!」
哀願にも似た声に感情が沸騰する。
刹那に脳裏を過るのは日桜殿下の顔、自らが大切にするものがあるのに、こんなことしかできない雷帝に腹が立った。
折れかけた膝に体力を集中させ、刃が心臓に迫りながらも体を前に押し出す。
「ふざケルな!」
「っなに!?」
感情のままに体が動き、気付けば再び巨漢を殴り飛ばしていた。
「そんなにタイセツなら、どうしてホカノせんたくしを用意してやらナイ! ホカにやることがあルダろう!」
左手を伸ばし、驚愕を浮かべる雷帝の胸倉をつかむ。
「アンタは、願ウのはあるじのシアワセじゃないのか!」
「き、貴様になにが……!」
喉が裂けたのか、吐血で喋りにくい。
体中の感覚が希薄だ、なのに痛みだけは鮮烈なまま苛んでくる。
本当ならば、今すぐ倒れたい。
でも、
「答エろ! あんタノ願いハ、なんなんだ!」
言わずにはいられなかった。
怒りに任せて巨漢を引き寄せ、頭突きのように額を突き合わせる。
青い目が怯えを孕む。
「コタえてみせろ!」
あらん限りの声で叫んだ。
「サーシャ、皆も、なにをしているのですか!」
護衛を伴い、間一髪のところで飛び込んできたのはロマノフ皇帝長子エリザヴェータ。
親衛隊が動きを止め、裂海も追撃をやめる。
「サーシャ! 榊様!」
エリザヴェータが俺と雷帝の間に入る。
雷帝の胸倉をつかんでいた俺の手を引きはがそうと触れば、スーツの上からでもべっとりと染みた鮮血に目を大きくした。
「い、いけません、早く病院に!」
「必要アリマせん」
手を放そうとしたが、焼き付いて動いてくれなかった。
見かねた裂海が無理やり引っぺがす。けが人にも容赦してくれない。
「シャンとしなさい。ここからでしょ、ほら」
口に何かを押し込まれる。
咽るように飲み下し、口元をぬぐうと赤黒い。
「何ヲ……のませタ?」
「私の、分裂する前の細胞よ。ヘイゾーなら消化吸収できるでしょ」
共食いもいいところだ。
「とりあえず喋れるようにしないとね。はい、飲み込んじゃ駄目よ」
無理やり口に入れられ、そのまま数分。
舌に感覚が戻り、のどの痛みが治まった。
「まだいる?」
「いや、大丈夫だ」
声も出る。
動かずにいられれば何とかなるだろう。
「あとは、はいこれ」
「すまない、お前の懸念通りだったな」
「ふふん、貸し一つね」
満面の笑みを向けられ、嫌な予感しかしない。
後の心配をしながらもエリザヴェータに向き直り、裂海や白凱浬、武官らと一緒に頭を下げた。
「臣下がご迷惑をおかけしたようです申し訳ありません。あなたたち、サーシャも、これはどういうことですか?」
口をつぐむ。
「このようなこと……榊様や日桜殿下には私からお断りを申し上げるといったはずです!」
「陛下、この者たちが戻れば、日本、いえ、米国は必ず干渉を強めてきます。それでは、今後に差し障るものです」
「だからといって、私たちを案じてくれた人たちへの返礼がこれなのですか?」
厳しい叱責にも雷帝は顔色を変えない。
自分がしていることの絶対を確信している顔、これが自らの主のため、故国のためであると疑わないものだ。
「榊様、裂海様、武官の皆様、私から臣下の非礼をお詫びいたします」
「雷帝殿は、なによりも貴女を慮った、これはその結果でありましょう。衷心は称賛こそされても、叱責を受けるものではありません」
「ですが、貴方は……」
「私のことなど、どうでもいいのです。それよりも、我が主よりの書状について返答をお願いしたく存じます」
俺の言葉に、エリザヴェータは居住まいを正し、会釈をしてから口を開いた。
「日桜殿下よりの書状、拝見いたしました。ですが、お断りをさせてください」
背中を支えてくれていた裂海からため息が聞こえる。
だが、諦めるには早い。
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「我が一族は、あまりに傲慢でした。力と権力を盾に、民を縛り付け、尊大に振舞った。その結果として共和国の介入を許し、貴族たちの謀反を招きました」
「陛下……それは!」
「黙りなさい!」
少女は歩行補助の杖を捨てる。
一人では立てず、介助しようとした護衛を振り払い、バランスを崩して床に伏す。
「これは報いなのです。権力の維持、保身を求めた結果なのです」
自らの不自由を、不幸を罰だと思うのは仕方がない。
「ですが、良かったこともあります。こうなっても、民たちは普通に暮らしている。もう、我らの役目は終わったのです。ですから……」
「討たれてもよい、と?」
エリザヴェータの顔に、後ろに控える雷帝の表情にもヒビが入る。
覚悟はしても現実を突きつけられると違うものだが、彼女は毅然と振舞おうとしていた。
「この地で果てるとしたら本望です。私の血と肉は大地に返り、故国の礎となる。何を恐れることがありますか?」
少女の瞳からは雫が落ちる。
ノーラの時もそうだが、大人は子供に、こんな決断をさせてしまう。
年端も行かない、人生の楽しみも喜びも知らず、ただ苦しいままに逝くことの、どこが本望なのか。
「恐れながら、その望みを聞き入れることはできません」
「……榊様?」
「残念ながら、貴女様の望みは叶うことはないでしょう」
「どうしてですか? 父が討たれ、実権も明け渡したのです。今の私に利用価値などないはずです!」
「年端もゆかぬ子を処刑しても非難を浴びる、国際情勢での大義名分、国内の批判をかわすために拘束され、虜囚となる。そうなれば、連邦は共和国とともに太平洋への進出を目論む。そうなれば我が主、日桜殿下への脅威となるでしょう。私は臣下として、殿下と同じ未来を思い描くものとして、受け入れるわけにはいかないのです」
「私は、私の意志で果てると、ここで散ると決めたのです!」
エリザヴェータは短剣を手にしていた。
それが、雷帝の握るシャシュカと同じ意匠であることに気付いてしまう。
「貴女様が命を絶たれたら、ここにいる親衛隊、雷帝殿はどうなりますか? 貴女様亡き後彼らに道はありません」
「私という元凶がいなくなるのです。彼らに責はありません。何よりも強大な力を持っています。生きていくに困ることは……」
横を見れば、白凱浬を筆頭に武官たちの顔が曇る。
現実が、辛い。
「エリザヴェータ様、ここにいる白凱浬をはじめとする武官たちは共和国皇帝の守護でありました。ですが、強大であるがゆえに疎まれ、主からも引きはがされ、最前線へ送り込まれて、明日をも知れぬ日々を送ることとなったのです。さぞや過酷な日々であったことでしょう。それでも希望を捨てず、時を待った。親衛隊や、雷帝殿にこれ以上苦しめといわれるのですか?」
親衛隊が、雷帝が、歯ぎしりをして、視線を下に落とす。
護るべきものを失うのは、それほどまでに辛い。
「それだけではありません。共和国は彼らを用済みにした後、兵器開発を加速させ、武官を用済みにしてしまった」
「……そんな……」
「同じことが、貴国でも起こる。いや、もう起こっていることでしょう。強大な個は疎まれ、駆逐される」
「ならば、どうしろというのですか?」
絶叫が心を苛む。
それでも言わなければならない。
「逃げてください。逃げて、今は身を隠す。貴国の民が、本当に陛下を不要とし、自らの足で歩けるのかまだわかりません。それに、一度は不要とした後でも、間違いに気づくこともあるでしょう。そうなったとき、いなくなっていては取り返しがつかない」
「生きて、恥に耐えろというのですか?」
「恥は悪いものではありません。生きていれば恥をかく場面などたくさんあります。乗り越えていかねばなりません」
「……ですが、私のこの足では……」
下を見る。
足のことは相当言われてきたのだろう。先天的なものが恥ではないとしても、言われ続ければ傷にもなる。
だめだ、あと一歩足りない。
あまり使いたくなかったが、仕方ない。
「…………承知しました。しからば、こちらをご覧ください」
切り札の小箱を取り出す。
「それは?」
「閉じていて見えませんが、中身はコバルトです。正確にはコバルト六〇、放射性物質ですね」
「!」
雷帝がにわかに気色ばむ。
当然だ、箱を開ければ放射線が漏れ出す。被ばくすれば、生きている限り苦しむことになる。
「エリザヴェータ様が亡命をお認めにならない限り、私はこの箱を持ったまま、もう一度雷帝殿と戦います。コバルトに通電し、破砕されれば一帯は汚染地帯となる。いくら雷を操れようとも、人体であることには変わりありません。彼は苦しみ、力尽きる」
今度はエリザヴェータの目が見開かれ、振り返り、臣下の顔を見て、青ざめるのが分かる。
「雷帝殿は我が国の脅威です。私は日桜殿下の側役として、脅威を排除しなければなりません」
「そ、そんなことをすれば、榊様だって同じ結果になります!」
「承知しています」
「そんなの、嘘です! できるはずがありません! だって、日桜殿下からの書状には、貴方のことがたくさん書いてありました。信頼していると、心を寄せていると!」
「だからこそ、そうせざるを得ない。私は、殿下のためならば命を差し出すことも厭いません。そして、主のために、と命を懸けるのは雷帝殿も同じです」
「っ……!」
叫びを飲み込み、少女は慟哭する。
「彼らを死なせたくないのなら、日本に来てください」
「そんな……そんな脅しがありますか?」
「お許しください。私には、これしか思いつきませんでした。貴女様と、彼らの信頼を知るほどに、こうせざるを得ないと」
「貴方という人は……」
差し出した手を叩かれる。
「私も、彼らと同じです。彼らも、私と同じと思ってはいただけませんか?」
真摯に頭を下げた。
どのくらい時間がたっただろう、頬にエリザヴェータの手が触れていた。
「榊、顔を上げなさい」
「はっ」
「貴方の願い、聞き届けます。ですから、どうか、彼らを良しなに」
「承知いたしました。お任せください」
涙に濡れながらも浮かべた力強い少女の笑みに、安堵して目を閉じた。