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二八話


 仇敵と友人はどこか似ている。

 幾度となく顔を合わせ、互いを知り、求め合った。会話の手段が言の葉か刃かなどさしたる問題ではない。表裏一体、愛憎のように、相手を想う。


 深夜、一日の仕事を終え、ようやく眠りにつこうとしたジョルジオ・エミリウス・ニールセンのスマートフォンが鳴る。見知らぬ番号に伸ばした手が、指がわずかに震えた。

 聞かされたときは半信半疑、だが、現実は小説よりも奇々怪々に独り歩きをしていた。ここまでの芸当を、誰が予測しただろうか。驚嘆に値する。

 彼の評価を危険にまで高める必要がある。そう思いながら、通話のボタンを押し、耳に押し当てた。

 聞こえるのはわずかな息遣い、気配を押し殺しながらもなお伝わってくる強大な威圧感。


「君と、こうして話すのは初めてだね」

『……』


 返答はない。別にしてほしいわけでもない。

 独白に近いものだ。


「私と君とは何度も、そう何度も殺し合いをした。まさか、そんな君とこうして話ができる日がくるとは思わなかった」

『……どこまで知っている?』

「私は何も知らない。ただ、こうなるであろうことは聞かされていた。現実になるとは思いもしなかったがね」

『あの榊とかいうやつの正体が知りたい』

「正体、正体といったか」


 騎士王が笑う。

 かの雷帝が警戒をする、その意味を彼は理解できるだろうか。いや、事の重大さなどどうでもよいのかもしれない。目的を達成するための手段としか捉えていないのだろうか。どちらにせよここが大きな転換期となるだろう。


「勿論だ。君が求め、私が知りうることの全てを話そう」

『……どうして、私に協力する』

「答えが必要かい?」

『理由のない善意ほど恐ろしいものはない。貴様は違うのか?』


 可笑しくてたまらない。

 雷帝と電話越しとはいえ相対し、主義思想にまで話に及ぶと誰が想像できただろうか。


「実に……君らしい言葉だ。いいさ、それも話そう。夜は長い、彼の指定する時間までは猶予があるはずだ」

『……』


 仇敵同士の語らいが始まる。

 長く、静かに夜は更けていった。



     ◇



 窓の向こうで雪が降る。

 降り積もるほどに深々と忍び寄る冷気にこの地の過酷さを思い知らされ、同時に畏敬の念を抱いた。


「来ました! 親衛隊、雷帝からの使者です!」


 使者が来たのは午前四時、眠れない夜も間もなく明けようというところだった。

 それからの動きは速い。白凱浬を筆頭に武官たちは臨戦態勢を崩さず、裂海は刀を抱いたままだったからだ。


「ヘイゾーはその格好で行くの?」

「ああ、俺の正装はこれだからな」


 俺の格好はインナーこそ厚めのものを着ているが、白いワイシャツに青いネクタイ、紺色のスーツという基本的にはサラリーマンの冬服と変わらないもの。近衛の矜持といえば腰にぶら下げた刀だけ。


「昼間は良かったけど、これからはどうなるかわからないのよ? せめて近衛の上着を羽織っていきなさい。防刃防弾、ある程度の耐電も兼ねているんだから」

「近衛ってことを押し出し過ぎると交渉の邪魔にならないか?」

「見た目の印象くらいで態度変えてくれるような安っぽい相手じゃないわ。それに、私は殿下からヘイゾーを無事連れ帰ってくるようきつく言われているのよ。何かあったらどうするの!」


 突きつけられた人差し指に閉口する。

 殿下の名前を出されたら手も足も出ない。

 近衛服の上着をロングコートの代わりに引っ掛けた。


「……分かったよ」

「それと、例の箱も私に寄こしなさい」

「どうしてだ?」

「ヘイゾーは話し合いで終わらせるつもりなんだろうけど、そうならない可能性だってあるわ。いくら箱が頑丈でも相手は雷帝なんだから、用心するに越したことはないのよ」

「……」

「間違ってる?」

「分かったよ」


 正論だけに言い返せない。

 小箱を預ける。


「二人とも、行くぞ」


 白凱浬の先導に従い、薄暗い、人影もない路地を歩く。たどり着いたのは港の倉庫街。潜伏場所としては妥当だが、あんな小さく、線の細い子供が過ごすことのできる環境なのか疑問が残る。


「こちらだ」


 人目をはばかるように大きめの倉庫に入れば、黒衣のロマノフ皇帝親衛隊と雷帝の姿があった。


「……?」


 せっかくの交渉の場だというのに、ロマノフ皇帝長子の姿がない。

 どういうことか問い質そうとする前に雷帝が前に出た。充血した目に全身から漲る敵意を隠そうとしていない。裂海が背を叩くのが分かった。


「榊平蔵、貴様のことは調べさせてもらった」

「恐縮です」

「貴様がここにたどり着いた経緯、何を考え、何を欲し、これからをどうするのか、確証が得られたわけではないが、少なくとも手紙に書かれていたことは事実だった」


 雷帝は懐から取り出した封筒を掲げる。

 が、その封筒からは白煙が上がり、一瞬にして灰燼となった。


「これが我らの答えだ」

「理由を伺ってもよろしいですか?」

「簡単だ。今の日本に、米国の干渉を跳ね除ける力はない。エリザヴェータ様が日本に行けば政争の道具となる。そのようなこと、断じて許されない!」

「それが、エリザヴェータ様を含むあなた方全員の意志であるのならば、私はこれ以上なにも申し上げることはありません」


 雷帝の眼差しと、後ろに控える一〇人前後の親衛隊の面々が体を緊張させ、俺の後ろでは白凱浬や武官、そして裂海が臨戦態勢をとる。


「確かに、今の日本政府は米国の圧力に抗し得る手段はない。できてもせいぜいが遅滞工作でしょう」

「それが分かりながら……」

「雷帝殿は、我が主、日桜殿下がエリザヴェータ様へ認めた書状の内容をご存じでしょうか?」


 間髪入れずに切り込む。雷帝の顔が曇った。

 その様子から知らない訳ではなさそうだ。あの書状には、彼らが日本に来た場合について記されている。昼間見せた信頼関係があれば、知っているだろう。


「残念ながら、日本は単独で国土を守ることが難しい状況にあります。圧倒的な国力と経済力を背景とする米国に抗しうることができない。ですが、それは政府のことです。我が主は、政府の人間ではないのです」

「詭弁だ。立憲君主制を布き、権力の座から退いた日本の皇族に、政府や米国からの圧力を跳ね除けられる力はない」

「そうでしょうか。権力からは退きましたが、皇族は今も国民とともにあります」


 雷帝の言う通り、日本は立憲君主制の国。その背景には強すぎる皇族の影響力を危惧する面があるのもまた事実だろう。しかし、自ら権力の座を退いたにもかかわらず、依然として高い支持がある。

 皇族は政治に関わることはない。政治も、皇族を利用しないという不文律がある。そこに、今回の鍵が隠されていた。


「書状には殿下が苦心し、私の上司である鷹司や、帝国軍関係者が奔走した結果があります。殿下は、ロマノフ皇帝長子や、親衛隊が特別難民認定視された際、近衛府での保護を政府へ要請することになっています。国は違えど、近い立場と境遇、そして追われた事実を公にすることで日本国民を味方につけ、米国からの干渉があったとしても跳ね除けようとお考えです」

「……」

「いかに米国の傘の中であろうと、皇族とともにある日本国民からの反発を無視できるほど米国は愚かではない。まして、昨今の世情を鑑みれば、日本が、軍国主義の台頭する共和国、それに同調する現在のロマノフ連邦から太平洋を守る防波堤の役割があります。もし、万が一でも日本が大陸との協調路線に傾けば海が危ない。何らかの取引はあるだろうが、強硬には主張してこないはずです」


 陸軍参謀によってもたらされた、軍上層部からの非公式見解。

 これもかなり神経を使った分、高い確度がある。


「如何でしょう、今一度ご検討いただけませんか?」


 もはや懇願だ。

 争いを避けられるのならばそれに越したことはない。 

 しかし、強くあるものは、弱いものの気持ちに鈍感だ。


「……仮に、貴様の詭弁が現実になったとしても、これから先の保証はどこにもない。近い境遇だというのならば、日本国民の心が皇族から乖離し、国を追われる立場となることもあるだろう。その時、皇族と貴様ら近衛はどうする?」

「殿下はおっしゃいました。我らはまだ、必要とされている。必要とされる限り祈り続けると。そして、そうではなくなったとき、静かに去るのだと……」


 この言葉は、きっと陛下や殿下の母君である皇后陛下の言葉でもあるのだろう。

 しかし、それでも雷帝は首を縦に振らない。あらん限りの眼光で俺を、そして殿下を睨む。


「エリザヴェータは、我が主は国に必要とされていないと!?」

「現状が国民の総意であるならば受け入れることも視野に入れなければなりません。しかし、そうではない。一部の権力者が画策したことです。真に必要とされているのならば時が経つにつれ、声も上がってきます。それを、血で血を洗いながら待つのか、遠く離れた地でも願い、祈りながら待つのか、どちらがよいのでしょうか」

「離れれば、いずれは忘れ去られる。榊といったな、貴様は民を過大評価している。時の権力者など連中には関係ない、ただ安寧で自らが犠牲にならない程度の危機があればよいのだ」

「それは……」


 否定できない。

 それもまた人の心だろう。


「貴様が、日本の皇族が同じ立場になったとき、差し伸べられた手をどう思う。自らの手で再興したいと思うことが当たり前だ。他国の力を借りれば、後に介入を許すことになる!」

「ですが、それでは貴方の主、エリザヴェータ様は体が持たない。みすみす命を落とせというのですか」

「強くなくては生きられない。我が主にも……その覚悟はある」

「あんな、体の弱い子に頑健な貴方が犠牲を強いるというのですか!?」

「主に何かあれば、私もご一緒する。それが先代陛下と誓い……」

「大人の覚悟を、子供に押し付けることが誓になるのですか? 散り果てることに、自己満足以上の意味などありません!」

「黙れ!」


 雷帝の目は爛々と燃えながらも、眦から雫が落ちる。

 どれほどの苦悩、どれほどの葛藤があったのだろうか。

 俺が察するには、何もかもが足りない。

 ただ、これを止められるのは彼の主をおいてほかにはない。そして、二人が揃わなければ切り札も使えない。


「もはや言葉は無用だ!」


 雷帝が腰の剣を引き抜く。

 緩く湾曲した片刃のサーベル、シャシュカと呼ばれ古くはコーカサス地方で、近代になってからはロマノフ軍で制式に採用されている。雷帝が眼前に構えるのは、鍔のない柄に銀の象嵌が施された美しいもの。こうした場面でなければ、歴史や文化についても語り合うことができただろう。


「……今一度、エリザヴェータ様に具申していただけないでしょうか?」

「くどい! さぁ、刀をとれ! 私を退けられたのならエリザヴェータ様への謁見を許そう」

「残念です」


 観念し、こちらも“防人”安吉を抜き放つ。

 正眼に構えたはいいが、勝つイメージなど全く見えてこない。


「ヘイゾー! 最初のプランは破棄でいいのね?」


 後ろから裂海の声。

 計画は変更せざるを得ない。


「優呼、要はお前だ! 頼むぞ!」

「望むところよ!」


 声とともに気配が増える。こちらから見えてはいないが、無数に分裂しているはずだ。数で劣る状況をどうにかするには裂海しかいない。


「榊、本当に大丈夫なんだろうな?」


 白凱浬と三人の武官が俺の横に並ぶ。


「ええ、せいぜい派手に暴れてください。時間さえ稼げれば勝機はあります」

「……信じるぞ」


 苦々しい笑いを白凱浬や武官が浮かべた。


「行きます!」


 戦いの幕が上がる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 久々に最初から読み返してますが、最後の一文エモいっす
[良い点] やはり強者はどこまでいっても強者の論理となってしまうか。 まぁ強者であればあるほど弱者となったものの末路の悲惨さを恐怖するし、弱者を信じることも怖い。 んでもってこの強者の論理が間違いっ…
[一言] どちらの言い分にも納得ができるから辛い。
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