二四話
奥尻島は北海道の南西部、日本海にある島だ。
地理的には函館に近く、「北海道の持ち手」とも言われる、細く曲がった部分の左側にある。
全島に海軍、空軍と合同の近衛施設があり、島はさながら要塞。近衛本部からは空軍立川基地の協力を得て直通便がある。
日桜殿下の公務を見届け、寝所に送り届けてから立川へ向かい、輸送機に相乗りさせてもらって奥尻島にたどり着いたのは午前〇時を回った頃。
輸送機を降りて見渡せば深夜だというのにあちこちに人がいる。
ここは国防の最前線、完全に眠ることはない。
「さすがに寒いか」
師走も近付き、吐く息が白い。
身震いをしていると走ってくる影に気付いた。
「榊! 待ってたよ」
「立花」
久しぶりに会った戦友の肩を叩く。
前に見た時よりもやつれて見えたのは気のせいではなさそうだ。
「案外元気そうだな」
「そう見えるなら榊の目は節穴だ。体重が一〇キロ近く落ちたんだぜ?」
「軽口が叩けるだけの余裕があるんじゃないのか」
「言わないとやってられないくらいだ」
背中をたたけば、やれやれとばかりに両手を広げる。
元気そうだが、大変そうだ。
「ここはそんなに忙しいのか?」
「共和国と連邦、二つの大国を前にした最前線。近年は直接的なものこそ少なくなっているが、挑発は日常茶飯事。嫌になるよ」
「そんな中にいれば、第一大隊は強くもなるか」
感心していると立花に促され、基地を歩く。
「まぁ、最近は無理している感じがあるけどな。超音速戦闘機は空軍の象徴、高価だし、高性能だ。それを扱う搭乗員もかなりのコストをかけて養成される。安易に落とせば国際問題、戦争の引き金になりかねない」
「高性能機でも落とせるものなのか?」
「条件次第だろ。喩えが難しいんだが……騎士王ならできると思わないか?」
立花の指摘に騎士王、ジョルジオ・エミリウス・ニールセンを思い出す。風、いや局地的な竜巻さえ引き起こす彼の能力なら、戦闘機を撃墜することは可能だろう。できそうではあるが、簡単でもなさそうだ。
「かなり難しそうではあるな」
「ご明察、第一大隊も一人では対処できない。三人で一チームを作っている。二人が牽制や追い込みをして、実際に攻撃を仕掛けるのは一人だ」
「また難儀な……」
「裂海迅彦の功績は、現代でも難儀なその迎撃を五〇年近く前にやってのけたことだ。当時、日本の航空兵器開発は遅れていて、それを何とかするために設立された。基礎的な部分は当時と同じだよ」
空軍基地で手続きを済ませ、二人で近衛用の宿舎へ向かう。
「優呼の爺さんはすごい人なんだな」
「凄いなんてもんじゃない。なにせ、人間だけで航空機を落とすんだ。普通なら考えられないだろ?」
「普通じゃない。最初聞いた時もそう思ったよ」
「そうだよな。尊敬すべきは培った技術や戦術を惜しみなく教えたことだ。二〇年位前からは欧州やシャム王国からも乞われて、わざわざ教えに行った。近衛内からも反対意見は出たそうだが、後々のためだと押し切ったらしい」
「先見の明がある。それに、頭も良さそうだ」
裂海迅彦から裂海優呼はちょっと想像ができない。
回転の速さや考え方の一端は通じるものがあるかもしれないが、彼女はそこまでに至っていない気がする。
「俺も挨拶に行ったことがあるよ。今は七〇歳を超えているけどまだ元気で、実家で裂海流の看板掲げてやってる。話す分には…………普通の人だな」
「なんか妙な間がなかったか?」
「榊も縁があれば会えるさ。その時まで楽しみは取っておけよ」
立花に用意された私室に入る。
急造なのか簡素なベッドとテーブルに椅子、家具がいくつかあるだけ。帝都本部からすると質素だ。
「適当に場所を見つけて座ってくれ」
立花はキッチンでお湯を沸かし、カップや梅干を用意し始める。よほど焼酎が待ち遠しかったのだろう、喜びが背中に浮いていた。
「こんな夜遅くでも待っているくらいだからな」
半分呆れ、半分感心しながらカバンから焼酎の瓶を取り出す。
続いては明太子、それに好物のつけ揚げだ。
「きゃー、榊さん気が利く!」
「喜ぶのは早い。ほら、プレゼントだ」
「封筒?」
「直虎さんからだ」
酒器を携えてやってきたところで手渡す。
表に宗忠へ、とだけ書かれ、裏には直の一文字があるだけの封筒を破り、一枚の便箋を取り出す。目を凝らした立花だが、数分の後に天を仰いだ。
「何が書いてあったんだ?」
「……きかないでくれ」
「少しくらいいいだろ?」
「……」
無言のまま渡された便箋は向こう三か月の、追加任期が記された辞令だった。
これは、たぶん八つ当たりだろう。今回の件で直虎さんはかなり割を食った。自業自得とも言えないが、そこは武士の情けとして口にしない。
「まぁ、なんだ、できる限りフォローしておくよ」
「本当か? 信じていいんだな!?」
「あ、ああ。たぶん、きっと……」
保証はできない。
なにせ、個人的な恨みだからだ。
「断ればよかった……」
「そんなことできるのか?」
「できない……」
「人の夢と書いて儚い。先人は上手いことを考えたもんだ」
どうでもいい話をしながら一升瓶の封を切り、カップに焼酎を注ぐ。
普段の立花ならお湯を注ぐのだか、今日は原液のままを口にして震えていた。
「美味い!」
「それは良かった」
「染みわたるようだぜ。この味を求めていたんだ」
なみなみ注いだ一杯目を早くも飲み干すと、もう一度原液を半分注ぎ入れ、今度はお湯で割る。持ってきた明太子を一腹そのままを口にして噛みしめ、お湯割りを含めば、そのまま天国にでも行ってしまいそうだ。
「心が……命が洗われていく……」
「おおげさな」
「榊もこんな辺境に閉じ込められたら分かるよ」
「それは……遠慮したいところだ」
他愛も、とりとめもない話をしながら酒杯を重ね、時間が過ぎる。
夜遅く、それも仕事終わりで待っていた立花は一時間もしないうちに目をこすった。
「頃合いだろ、今日はゆっくり寝ろ」
「そうさせてもらう」
「頼んでいた資料は?」
「そこにある。喜べ、オマケがあるぞ」
「オマケ?」
「探してたら出てきた。これで何とかならないか?」
封筒の中から出てきたのは青山総司の人物評と、何枚かの写真。
何年か前、仕官したばかりの青山総司と思しき人と、女性が映り込んでいる。
「これは……」
よくよくみれば直虎さんだ。
まだ幼さを残した顔立ちは一〇代の頃だろか、今よりも厳しい表情で写っている。
しかし、これをどうしたものか。本人に見せたら火に油だろう。オマケなのに扱いにくい。
「なぁ、これをどうしろって……」
振り向けば立花は一升瓶を抱えて寝ていた。
久しぶりの酒と休暇、無理もない。
「この写真は殿下へのお土産にしよう」
写真を懐に仕舞う。
女剣士のさらなる受難を肴に、残った焼酎を飲み干した。
◆
青山総司、三二歳。近衛には一八歳から在籍して今年で一四年、既婚者で家族は函館で暮らしている。青山の姓は妻の実家のもので、旧姓は左雨。左雨家は近衛隊長を務める連城家の家臣団、その末席にいた下級武士。青山家は鷹司の系譜に連なる財界の家系。
一五年前、途絶えるはずだった左雨の家で、長男が覚めた。それまでは見向きもされなかった左雨家を取り込もうとした先代の連城当主を嫌い、大学時代から付き合っていた青山の娘と結婚、婿入りした。それからは裂海の家に通い、優呼の祖父である迅彦から空切の手ほどきを受ける。年下ではあるが、近衛の先輩だった立花直虎に鍛えられ、五年前から第一大隊長に就任。
読むほどに複雑で、交渉材料に迷う相手だ。
好物は洋食、それもエビフライやハンバーグなど、子供が好むものが多いのは函館で暮らす家族あってのこと。苦手なものはほとんどないとされる。
私生活における顕著な好みもない。強いて言えばミニカーの収集くらいだが、これも大枚をはたいてコレクションするわけではない。子供と共有する趣味の延長といっていい。
ここまでで分かっているのは愛妻家であり、子煩悩な父親であるということ。
攻め手に欠ける資料だ。
「ご無沙汰をしております。立花宗忠の交代としてまいりました」
「話は聞いている。面倒ごとを押し付けられたな」
久しぶりに会った青山は口端を持ち上げて薄く笑う。
顔もいいので俳優さながらの役者ぶりだ。
「立花には世話になっていましたから、このくらいはしないと。青山さんもお元気そうですね」
「このご時世、元気いっぱいというわけにはいかない。でも、君ほどではない。活躍は聞いているよ」
「恐縮です。手ぶらではほかの皆さんに悪いと思いましたので、お土産をお持ちしました。飲食物でもよかったのですが、ここ以上に美味しいものは帝都でも少ない、ここ一年ででた邦画や洋画のDVDとゲーム機器に雑誌をお持ちしました」
「インターネットは上級士官にしか用意されていない。それは近衛も空軍も、それに海軍も同じだ。気遣いに感謝するよ」
青山総司は基本的にフランクで話しやすい。上司部下、年功序列や体育会系のような居丈高ではなく、どちらかといえば学校の先輩のような気安さがある。
飾らず、武士にありがちな居丈高なところもなく、どちらかといえば性質は公務員や官僚に近い。
「期間は三日と聞いている。彼は……現場に出るのは好きなようだが、申請書や関係各所との連携は苦手らしい」
「承知しました。では、そちらを重点的にやりましょう。他にお困りのことはありますか?」
「彼が、向こう三ヶ月間の任務で困らないようにガイドラインを作ってほしい。鷹司副長の代理ができるのだから問題ないだろう」
「ご迷惑をかけていますか?」
「いや、あれが普通だ。一年もすれば慣れるだろうが、この状況では手心を加えられるほど余裕があるわけでもない。君が来てくれて正直、ホッとしている」
片目を閉じる仕草がサマになっている。
茶目っ気、というのだろうか、飄々としていてつかみにくいところがある。
「承知しました」
「私もずっとこちらの予定だ。分からないことがあればきいてくれ」
挨拶をして部屋を出た。
先ずは様子見、基地内にいてくれるのもありがたい。
立花が用意してくれた資料にはごく普通のことしか書いてなかった。この人には弱みがあまりなく、最初から交渉を切り出せるような状態ではない。
「普通が一番やりにくいんだよな……」
悩みながら歩く。
外には雪がちらつき始めていた。
◇
人の観察、というのは容易ではない。限られた時間と行動の中で行う必要があるときは尚のこと。
三日という時間で、青山総司という人間に迫れるかが課題だった。しかし、事態はあっけないほど簡単に動く。
向こうが動いたのは翌日のことだった。
「君は、聞きたいことがあるんじゃないかな?」
報告書を届けに行き、情報収集のための「何気ない会話」をしていたら、こう切り出されてしまった。
突然のことに動きが止まってしまう。
「どうして、そのように思われますか?」
「簡単な推論だ」
青山は気さくに笑う。
これから飲みにいこう、とでも続けそうなほどに。
「あの立花直虎が、義弟のことで、殿下の側役である君を送り出すはずがない。彼女は、君が思う以上に冷酷で、冷静な女だよ」
「ずいぶんお詳しいのですね」
「私の師が二人いる。一人は裂海迅彦、もう一人が彼女だ。それこそ、手取り足取り、骨の髄まで近衛を叩きこまれたさ」
美貌の女剣士が甘くないのは百も承知だが、他人から聞くと説得力が違う。
今よりも苛烈で、血気盛んだった立花直虎は恐ろしかったに違いない。
「それは……さぞご苦労されたことでしょう」
「君が裂海優呼から手ほどきを受けたように、私もおそらく同じことをされた。折れてない骨は一本もない」
「身震いがします」
「そんな彼女が義弟可愛さに、殿下のお気に入りである君を寄こすはずがない。となれば魂胆がある」
反論のしようもない。
諸手を上げたい気分だ。
「君ほどの人間が、自発的に動くというのは目的があってのことだろう。鷹司副長を納得させるだけの大義名分がある。違うかな?」
「……ご慧眼、恐れ入ります」
「僕は君のことを高く買っている。確かに腕は立たないかもしれない、ご機嫌取りが上手い太鼓持ちだと囁くものもいる。しかし、それだけでは日桜殿下の信頼など得られようはずもない」
青山は遠い目をする。
目の奥には畏敬の念があった。
「私なりに、今回君が来た理由を考えた。思い当たることといえば、梅雨前の、あの亡命事件のことだろう?」
「その通りです。私は、接見の内側が知りたい」
「分かっている。私も君に知ってほしいところだ。君からならば政治家にも融通が利く」
青山が苦悩を浮かべた。
近衛が政治家の融通、とは穏やかではない。
「なにか、都合の悪いことでも?」
「家族に監視が付いた可能性がある」
「!」
告白に言葉が詰まる。
どこの、と聞くほど野暮ではない。
「隠ぺいが非常に巧妙だが、視線や気配を感じる。私なりに軍の伝手から色々と手は回してみたのだが、解決には至っていない」
「副長はこのことを……」
「ご存知ではない。知れば、板挟みで苦しむことは目に見えている。騒ぐほどに近衛の立場も悪くなるだろう」
「……監視はどの程度のものでしょうか?」
「家にまで侵入された痕跡はない。盗聴器もシロだった。あくまでも見られている程度だと思いたいが、実際は分からない」
「警告ですね」
「ああ、厄介だよ」
深く息を吐く。
愛妻家で子煩悩の人間からすればこの半年間は大変だっただろう。
「君の目的は理解している。だから、できる限り協力しよう。私からの条件はこの監視をどうにかしてもらうこと。その達成のためにも、話しておきたい」
「承知しました、政府にも掛け合います。ご不便でしょうがご家族には避難していただきましょう」
「できるのか?」
「やるしかありません。そのためには、しばらくは離れて生活していただく必要がある。陸軍参謀にも話を通しておきます」
「……すまない。その代り、交渉材料としては十分なものを用意させてもらう」
青山の懐から出てきたのは小型のレコーダーだ。ボタンを押せば声が聞こえる。一人は青山、もう一人は少々訛りのある日本語。亡命した兵士のものだろう。
「どこにも出していない。報告書にも未記載だ」
「よく黙っていましたね」
「昔から書類づくりは苦手なんだ」
「なるほど」
苦笑いをする青山からレコーダーを受け取る。
駒は揃いつつあった。




