一四話
政治家の仕事は「決めること」だと言われている。
国家の舵取り、物事の優先順位、外国との情勢を見極め、国内問題も考慮し、何からすべきか、今優先しなければならないのはどのような問題なのかを決める。
関門はまだある。
政治家は政治家であって、専門家ではない。有識者や研究家から意見を聞き、総合的に判断しなければならない。政治家が最後に拠るものこそ信念、自らの志だ。外交なのか、経済なのか、内政か、個性が現れるポイントともいえる。
総裁選で勝利し、次期首相へとのし上がった城山英雄は同じ派閥を形成する外務大臣鈴木、奇しくも縁ができた法務大臣川島とともに政権の基本方針を固めているところだった。
「この歳になると新しいものを覚えるというのは難しいな」
「先生……政権運営はまだ始まってもいません」
「分かっている、冗談だ。鈴木、お前はいつも一言多い。今は外務大臣なんて地味なポジションにいるからいいが、それ以上を望むなら考え物だ」
「多いというのなら記者や国民の前で喋らなければよいだけです。しかし、先生はそういうわけにもいきません。もっとしっかりしていただかないと」
「そのような小賢しい考えは止せ。下手に芝居を打つとボロが出る。お前はすぐに顔に出るから、顔で喋っているようなものだ。不満と不安が滲み出ておるぞ」
「そ、そうですか?」
上役からの指摘に鈴木が自分の顔を触る。自分ではわからなくとも、確かめようとするくらいには律儀であるらしい。
「川島くんもすまないね、奇縁とはいえこうして手伝ってもらって。総理への義理立てもあるだろうに……」
「なんの、楽しんでおります。同じ党ですから協力することに問題はありません。私の考えは城山先生のほうに近い、今後のためにも勉強させていただきます」
「君は素直でいい。つれない後輩よりずっと好感が持てる」
「ご勘弁ください」
言葉を交わしながらも老眼は字を追い、手が止まることはない。時折、茶で喉を湿らせ咳払いをしながら三人は黙々と書類に目を通していく。穏やかな日差しが朱色になるころ、最年長の城山が重い腰を上げた。
「私も歳を取った。すぐに集中力がなくなってしまうよ」
「少し休憩にしましょう。先生、お食事はいかがされますか?」
「たくさん食べるのは止そう。目を通すべきものはまだたくさんある。眠くなってしまってはいけないからね」
「とりあえず茶をもらいましょう。誰か……」
川島法務大臣が手を叩くと秘書たちが入り、主たちの命に従って好みの茶を用意する。
城山は熱くなった湯のみを一啜りする。お気に入り銘柄、濃く渋い煎茶を一口啜ったのに表情は晴れない。
「どうかされましたか?」
鈴木の問いに老政治家は眉根に皺を寄せる。
「茶は旨いが……いやね、榊君ならもっと面白いものを用意してくれたのではないか、と思ったんだ」
「榊?」
「榊、とはあの近衛府の?」
「ああ。彼なら私たちの好みを知った上で別の提案をしてきそうだ。集中力が低下される頃合いだと思いましたので、こちらをご用意いたしました、と臆面もなくいいそうでね」
城山の真似に、面識がある政治家二人は失笑する。似ているわけではないが、想像ができてしまったのだろう。
「せんぶり茶がよろしいかと存じます。御身を思っての提案とお思いください」
「似ていますね」
鈴木が続き、川島が破顔する。
「面白い小僧だ。初対面から私の病気を指摘したんだ。あの時は肝を冷やした」
「私も最初から無茶な要求をされました。武士にして官僚と舌戦をするための舞台を用意しろ、というのは無謀です」
「そういう男なのだろう。若さゆえの自負か、己への過信かは判断に迷うところだがいずれも成功させている。あの傲慢さは一つの武器だよ」
「しかし、危うい部分もあります。誰彼構わず牙をむけるのは利口とは言い難い」
「それは皆同じだ。鈴木、お前も若い頃はずいぶんと暴れただろう?」
「はっはっは。同じ穴の狢ですな」
城山の指摘に外務大臣がバツの悪そうな顔をして、法務大臣が肩を竦める。
「それにしても、城山先生はあのような慇懃無礼をずいぶんと可愛がっておられるようですね」
「慇懃無礼大いに結構。あのくらいの気骨がなければ日桜殿下の側役など務まるまいよ。それにだ、唯々諾々と従うだけの人間を信用などできない。そうではないかな?」
城山の言葉に政治家二人は曖昧な笑みを浮かべる。
「今頃は欧州、ベルギーのブリュッセルにいるはずだ。騎士王にアポイントメントをとっていたはずだから火花を散らしているころだろう。苦労をして辛酸を舐めながら大きく育ってほしいものだね」
「その前に潰れなければいいのですが……」
「城山先生に期待されるとは、彼の行く末が心配です」
三者三様の期待を寄せながら、老人たちの視線は遥か海を渡る。
◆
昼下がりの穏やかな陽光が、葉のなくなった枝先をすり抜けて高窓から入り込む。聞こえるのはペンが走る音と、紙をめくるわずかな摩擦音だけ。
部屋の主である日桜は黙々と執務をこなし、傍らで仕える立花直虎は署名捺印された書類を封筒に収めていく。どれほどの時間が経過しただろう、分厚かった書類の束もわずかとなったところで部屋のドアが叩かれた。
「失礼します。殿下、直虎さん、お茶をお持ちしました」
「こんにちは。私もご一緒してよろしいですか?」
ティーセットを携えたエレオノーレと、後ろには学校の制服に身を包んだ千景もいる。
「……のーらちゃん、ちかげちゃん」
「お二人のお心遣い、痛み入ります。さぁ、どうぞこちらへ」
それまで硬かった日桜の表情が解れ、柔らかいものとなる。
直虎も相貌を崩し、主君の盟友とも呼べる二人を歓待した。
「今日は千景さんからハーブをいただきました。せっかくですからみんなで楽しめたら、と思いましてハーブティーにしました」
「学校の温室で何種類か栽培しています。リラックス効果があると聞いたから、殿下にお持ちしようと思って」
「……うれしいです」
直虎の用意したテーブルに身を寄せ合い、大きめのティーポットに摘んできたばかりのハーブを入れていく。
「何種類かあったのですが、ブレンドは上級者向けなのでシングルフレーバーにしました」
きんちゃく袋の中からでてきたのは、白い花弁に黄色い花柱の小さな花。エレオノーレは慣れた手つきで小さな花をポットに入れ、続いてお湯を注ぐと蓋をした。
「……なんという、はーぶなのですか?」
「カモミールです。和名ではカミツレ、日本にも二〇〇年ほど前に持ち込まれ、京都以西では野生化もしていますからご覧になったことがあるかもしれません」
千景の解説に日桜は目を大きくする。茶の文化は様々あるが、花そのものを湯に浸し、飲むというのは日本人の感性にない。
「さぁ、そろそろですよ」
「……いいかおり、です」
「いただきましょう」
日桜が手に持ったカップを直虎が支え、舌にはまだ熱い液体を静かに含む。
緑がかった黄色のカモミールティーは香りが甘く、青リンゴと評されることが多い。味はわずかな苦みと渋みが入り混じるが、煎茶を飲みなれていれば気にならない。
「いい香り。フレッシュを飲んだのは久しぶりですが、やはり良いものですね」
「私は学校で、お昼休みによく飲むわ。午後からの授業が眠くなるのが難点かしら」
「あら、贅沢なことをなさっていますね。ぜひお裾分けをいただきたいです」
慣れた様子のエレオノーレと千景は香りと味を堪能しながら歓談している。
一方の日桜はまじまじとハーブティーを覗き込んでいた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
「……とても、おいしいです」
「はい。ハーブティーというのもよいものですね」
せっかくの味と香りだというのに日桜の表情は優れない。
心配そうにする直虎だが、原因はすぐにわかった。
「一緒に飲みたい方がいるのですね?」
「……はい。さかきにものんでほしい、です」
日桜の寂しげな一言にエレオノーレも千景も顔を見合わせ、同じ気持ちだといわんばかりに頷いて見せた。
「殿下、予定ではあと三日、平蔵はもうすぐに戻ってきます」
「千景さんの言う通りです。きっとお土産を買ってきてくださいます」
「……はい」
心を通わせる三人に見守っていた直虎は頬が緩むのを抑えることができない。
一方で引っかかることもある。カミツレの花言葉は「逆境に耐える」「苦難の中の力」だったはずだ。持ち込んだ千景とハーブティーにしたエレオノーレはそのことを知っているのだろうか。
「……疑うまい」
よもや、まさか、と妙な勘繰りをしてしまう自分を諫めるのだった。
◆
人相はすべてを物語る。
読んで字の如く、人の外見には様々な要素が隠されている。肌の色つやから目じりの皺までをみれば大体の人となりはわかる。
旧大秦帝国皇帝の長子である雨彤を一言で表すならば生き写しだった。
「榊さまのお話は、凱浬から、聞いております」
目の前にいる雨彤は日本にいる主よりも小さいのに、化粧のせいかずっと大人びている。
上着は華奢な体の線を隠して、弱さを微塵も感じさせない。それがかえってとても痛々しく見えてしまう。
「傷は、大丈夫でしょうか?」
立ち話では、という騎士王の言葉に促され応接室に移った。雨彤は騎士王が用意した席に座らず、なぜ俺の隣にいるのか分からない。
「私は特異体質でして、傷を受けてもすぐ治ります。白凱浬から受けた傷も今は痕も残っていません」
「そうですか。それは、よかったです」
「御心配には及びません」
「ですが、お腹に穴が開いたと聞きましたので、心配しておりました」
似ている。
話し方や容姿の幼さもあるが、雰囲気が日桜殿下そっくりで、個人的にはとてもやりにくい。服越しではあるがぺたぺたと触ってくるのも同じだ。物理的な距離が近い。
「雨彤様、切っても刺しても大丈夫ですよ。なんなら試してみましょうか?」
なぜか不機嫌そうな裂海が茶々を入れる。
雨彤様も目を輝かせるのをやめてほしい。
「おい、優呼」
「なによ、このスーパー人誑し。デレデレしていると殿下と千景とノーラに言いつけるんだからね!」
別にやましいことはないので構わないのだが、パターン的に好きにしろというと逆上することが多い。護衛役で、何かあれば彼女を頼らなければいけない立場だから穏便に済ませたいところだ。
「少しは信用してくれ」
「信用なんてどの口が言うのよ。ロリコンヘンタイスケコマシ」
「……わかったから、ちょっと待て」
溜息しか出てこない。
「雨彤様、僭越ながら何かあっては私が白凱浬に申し訳が立ちません。お控えになっていただきたいと存じます」
「何を、控えるのですか?」
「……失礼します」
「あっ」
脇を抱え、小さな体を持ち上げると、強引に上座に連れていく。周りの従者が驚くが気にしない。今は命と帰国してからの安全が第一だ。
「ふぅ」
自分の席に戻ってから汗をぬぐう。
視線は痛いがひとまず安心といったところだろう。
「榊君、今のはどうかと思うがね」
騎士王の言葉はもっともだが、わが身が可愛いので無視だ。横の裂海は相変わらず不満そうだが額の青筋は消えたように思う。
咳払いをして気を取り直し、姫君に向き直る。
「さて、雨彤様、貴国についていくつかお尋ねしたいことがあります。御裁可いただけますか?」
「勿論です。榊さまには大恩があります。なんでも、聞いてください。ですが、私たちの立場はほとんど一般の方々と変わりません。榊さまが、ご納得いただけるものではないと思います」
「それでも結構です。先ず伺いたいのは貴国の中枢、現在の指導者層はどのような方々なのでしょうか」
「今の共和国は、委員会と、党によって成り立っています。委員会を中枢に据え、それを構成するのは党の面々です。かつては地方の豪族、軍閥だった者たちが多いと聞きます」
「今はかなり安定して、経済に力を入れていると聞き及びますが、今後の方針についてはご存じでしょうか?」
「いいえ。私も父も、新聞で見聞きする以上のことは分かりません。時折、父のもとにはかつての臣下が来ることもあったようです」
まぁ、ここまでは想定通りだ。
旧皇帝一族でも実権を奪われてはどうしようもない。革命や勃興期のどさくさに紛れて消されなかっただけでも民衆からの信頼が伺える。
「最後になります。雨彤様から見て、共和国とロマノフの関係はどのようなものでしょうか?」
最後の質問に幼い顔が歪む。
だが、これからのためにも聞かなければならない。
「主と従者。共和国が従者、ロマノフが主、です」
「辛い質問をいたしました。申し訳ありません」
「よいのです」
やはり共和国の裏にはロマノフがいる。
推察でしかないが、共和国勃興の裏側でも暗躍していたことだろう。戻ってから当時の資料をもう一度漁ってみる必要がありそうだ。
「度重なる無礼をお許しください」
「構いません」
寂しげに、苦し気に首を振る。
その姿が日桜殿下に見えてしまい、次の言葉が繋げずにいると、代わって騎士王が会釈をする。
「雨彤様には、これからたくさんの苦難が待ち受けていることでしょう。ですが、同じくらいの幸福もございます。どうか希望を捨てず、日々を過ごしていただきたく存じます」
「騎士王殿、貴殿の心遣いに感謝します。榊さま、裂海さま、白凱浬や臣下のこと、どうかよろしく願いします」
「お任せください」
裂海の最敬礼に倣い、右手を掲げ、自らの主に誓うように宣言する。
彼女の未来、夜の向こうに光があることを願わずにはいられなかった。