一三話
極東ウラジオストクから文化の交易地イスタンブールを経てベルギーの首都、欧州連合の本部があるブリュッセルへと降り立つ。
ベルギー王国はフランス、ドイツ、オランダに接していて、緯度からすると北海道よりも北に位置する。地理からすれば凍えるほど寒い土地なのだが暖流が流れる海に面していることと、偏西風の恩恵によってそれほど気温は低くならない。一二月の平均気温は東京とほぼ同じ、街並みこそ違うものの、親近感を覚えたのは気候のせいかもしれない。
「ワーテルゾーイカルボーナードフリカデル」
先導する裂海が呪文のように口ずさむのはベルギー料理らしい。フランス料理の影響を色濃く受けたベルギーではバターやクリームを使った濃厚なものが多いらしく、大食漢で味にうるさい彼女のお気に入りとのことで、飛行機の機内食も三人前で留めたほどだ。
「プラリネゴーフルミゼラブルマッテンタルトブランシュ」
「優呼、食事を楽しみにするのは構わないんだが、その前にいくつか予定をこなしてからだぞ」
「騎士王への挨拶でしょ? 大丈夫よ、私からも連絡しておいたから」
「……お前がか?」
「私は裂海家の当主よ。それに、不肖の弟子が世話になったんだもの。顔を出さないわけにはいかないわ」
不肖の弟子とは俺の事。
聞けば、裂海家の前当主であり元近衛所属でもあった裂海迅彦と騎士王は顔見知りであり、一族には海を渡って婿入りした人間もいたことから欧州騎士団と関わりが深いらしい。
「任せなさい」
と、薄い胸を叩くのだが、普段の彼女を知っている身としては不安もある。
「ヘイゾー、こっちこっち」
「わかったから引っ張るな」
手を引かれ空港からでると、そこには黒塗りのリムジンが待ち構えていた。直立不動の厳つい運転手に裂海が手を振れば畏まって一礼する。
「お待ちしておりました。どうぞ」
「ご苦労様です」
乗り込むと車は滑るように走り出す。
「知り合いか?」
「う~ん、知り合いというか前にも出迎えてもらった人よ。騎士団と関わりがあるって聞いたわ」
「前?」
「おじいちゃんと一緒に来たときだから、三年くらい前かしら」
「それは仕事で?」
「顔見せというか、挨拶みたいな感じかしら。私が裂海を継ぐことが決まって、所縁のある人たちに会いに行ったの。仕事といえば仕事だけど、家の事でもあるから半分半分ね」
「そういえば、お前は当主だったな」
普段の裂海優呼、食べてばっかりでお気楽で意地っ張りからは想像しにくいが、彼女もまた現代武家の当主。東の裂海、西の立花と称されるほどの名門の出身だ。こうした扱いも当然といえば当然なのかもしれない。
「どう? 見直した?」
「見直すもなにも、お前を侮ったことなんて一度もない」
「その割に扱いが軽くない?」
「だとしたら普段から戦うときみたいに冷静で怜悧でいればいいだろ」
「嫌よ。疲れるの嫌いだもの!」
この温度差こそが彼女が近衛である所以なのかもしれない。
切り替えの早さもさることながら、判断力と行動力はずば抜けている。鷹司は勿論、鹿山翁や伊舞からの信頼も厚い。
「……」
「なによ? あげないわよ」
そう思うと、備え付けの冷蔵庫からジュースを取り出して飲んでいる姿も気品があるように思えるから不思議だ。
「ヘイゾー、なにか私に言いたいことがあるの?」
「ない」
「嘘よ! その顔は不満がある時の顔だわ! 白状しなさい!」
「お前に俺の心の葛藤が分かってたまるか」
「やっぱりあるんじゃない!」
直突きの連打を耐えること数分、車はブリュッセル市内にある大英帝国大使館へと入っていく。すっかり打ちのめされ、歩きたくなくなったところを再び引っ張られ車を降りれば、少し前にも会った儀礼服に身を包んだ金髪碧眼の女性、ロメロティア・イクタリアが出迎えてくれる。
「ご無沙汰しております。裂海優呼様」
「ロメロさんもお久しぶりです!」
「迅彦様やお家の方々もお元気ですか?」
「お陰様で、みな無事に過ごしています」
二人は親し気に握手を交わす。
これも当然なのだろうが、先日俺と会った時とは反応や態度がずいぶん違う。
「ジョルジオ様がお待ちです。どうぞ」
「はーい!」
元気よく返事をして、まるで我が家のように大使館へと入っていく同僚に苦笑いをしていると冷たい視線に気づく。
「私は握手無しですか?」
「手首を切り落としてもよろしいのであればどうぞ」
目が本気なので諸手を挙げて降参の意を示し、頼りになる背中を追いかける。
石造りの小さな城とでもいうべき大英帝国大使館の中は豪奢そのもの。幾人もの執事や給仕が頭を垂れる先、応接室の奥には美丈夫の姿があった。
「やぁ、久しぶりだね」
儀礼服ではなく燕尾服に身を包んだ騎士王ジョルジオ・エミリウス・ニールセンが両手を広げる。
「その節はご迷惑をお掛けしました」
「全くだ。ともあれ、また会えて嬉しいよ」
差し出された分厚い手を握る。皮膚を通して感じるのは鋼のような筋肉と漲る膂力、こんな手と戦ったのだから無謀もいいところだ。
勧められるまま革張りの椅子に腰掛けると、ロメロティアがティーポットを携えて入ってくる。彼女が茶を入れるまでの間に用意されたケーキを裂海が猛烈な勢いで食べていく。
「少しは遠慮したらどうだ?」
「うるはい」
「構わないさ。ロメロティアの手製だ、味は私が保証するよ」
「はぁ、どうも……」
勧められて食べないことも失礼に当たるので口にするが、案の定ロメロティアからは睨まれる。折角のケーキも味がしない。このままでは胃に穴が開きそうなので早々にこちらから用件を切り出すことにした。
「騎士王殿、先日お渡しした資料はご覧になっていただけましたか?」
「ああ、読ませてもらった。ロマノフから貴国を通じて米国への亡命、共和国内の浸透、それに姿を見せない皇帝。実に興味深い内容だった」
「今回ウラジオストクへの訪問で次期国家事業候補でもあった海底掘削が、かなり上からの命令で停止しています。加えてロマノフの内政においても歪みが生じている可能性まであります」
「関連性があるかどうかは不明だが、同様のことが関係各国でも報告されている。諜報員からの報告では黒海でのガス田開発や、ダイアモンド鉱山の計画が止まっているようだ」
「海底掘削事業の停止、内政の乱れ、亡命事件の時期は一致します」
「半年前か……」
騎士王が思案に耽る頃合いを見計らってか、ロメロティアが淹れてくれた紅茶がそれぞれの前に供される。
「半年前ってなんかあった?」
相変わらずケーキを食べ、紅茶をがぶがぶ飲みながら裂海が聞いてくる。
「ロマノフが揺れる様な出来事が外で起こるはずがないから、俺達が知っているような事件が発端ではないだろうな。関連する事件がないかどうかはもう一度調べ直してみる必要があるとは思う」
「まぁ、そうよね。そんなに露骨に姿勢を変えるとすると相当なことだろうし、普通は隠すわよね。となると、どんなことなら隠すのかも考えないとダメね」
「今日は冴えてるな。いつもは口出しもしないのに」
「私だって時間と場所くらい弁えるわ。おじいちゃんの顔に泥を塗ったら家の敷居跨げないもん」
「近衛でもそうしてくれると有り難い」
「だって、ヘイゾーは実戦で役に立たないんだから考えるくらいはしてもらわないと居場所がないでしょ? 役割分担よ」
相変わらずの、太陽をアホにしたような笑顔を向けられる。
否定できないので苦笑いするしかない。
「君たちは面白いな。見ていて飽きないよ」
「お楽しみいただき恐縮ですが、至って真面目です」
「私も真面目です!」
「お前は黙ってろ。話が進まなくなる」
「なによ、考えろっていったのはヘイゾーでしょ!? 師匠を邪魔者扱いするとはいい度胸だわ!」
肝臓を集中的に打突され飲んだ紅茶が逆流しかけたところを、騎士王が差し出したケーキに救われる。ロメロティアは不満そうだが俺は助かった。
「君は少し女性への気遣いを覚えた方がいい」
「そのままお返しします」
「私は留意しているさ」
騎士王様も存外抜けている。
まぁ、人間誰しも欠点があった方がいい。
「話を戻しましょう。先日鈴木から写真を受け取りました。私なりに色々な方面へ探りを入れていますが、あれの意味するところが分かりません」
「あの写真も半年より少し前にロマノフ内部から流れてきたものだ。突然、何の前触れもなく出回ったこともあって最初は陰謀か攪乱工作を疑ったが、その後の動きはない」
「時期だけ見れば写真は発端の前触れとも受けとれます。ですが、それではあまりに……」
「そう、稚拙だ。しかし、誰かが内部告発を考えたが消され、物的証拠だけが浮上したとも考えられる」
なかなか議論の出口が見えない。
情報を引き出すにはこちらもある程度カードを見せる必要がある。互いに信頼できると思わせなければ取引は成立しない。騎士王がどれほど日本と近衛を重要視しているか分からないのがネックだ。
「これは内密にお願いしたいのですが、帝国陸軍の諜報員が白凱浬の伝手で共和国へと潜入しています。彼らの情報と、欧州各国が持つ情報も加味すれば、あるいは見えてくるのかもしれません」
「共和国内部からとは大胆だ。さすがは白凱浬を取り込んだだけある」
「ですが、密告者を逃しています。危険であることに変わりはありません」
「……欧州も一枚岩ではない。ロマノフに近い東欧諸国は資源や燃料などの問題を背景にどっちつかずの態度をとっている。ブルガリアやギリシャでも同じだ。情報を引き出そうとするだけでは徒労に終わるだろう」
「互いに協力できることはあるかと存じますが……」
「そのためには準備が必要だ。騎士団と近衛だけの密約ではか細い、すぐに切れてしまうような糸でしかない」
「現政権は経済を優先し、大陸への道を求めています。今はお約束できるものがありません」
「欧州も今の方針は経済が優先、戦争ができる状態ではない。今は一人の近衛、一人の騎士の会話だ。それに、政権は変わるものだ」
騎士王の意図するところは失脚の恐れの少ない財界同士の結びつきを強くしろということなのか、あるいはもっと上である皇族と王室との関係なのだろうか。それほど強い関係でなければ欧州、大英帝国は秘密を共有できないのだろう。
「もう少し情報が必要なようですね」
「差し迫ったものではないからな。どれほど不気味であっても直接的な害が乏しければ動きようがないのも事実だ」
「承知しました」
一旦は終わりだ。
危機感を共有していることが分かっただけでも良しとしたい。
これからのことを考えながら、すっかり冷めてしまった紅茶を舐めていると応接室のドアがノックされ声がかかる。
「ジョルジオ様、到着なさいました」
「わかった」
騎士王の目配せにロメロティアが姿勢を正し、崩れてもいない身なりを気にする。
「主賓の登場だ。出迎えに行こう」
「騎士王殿、主賓とは?」
「君も無関係ではない」
急かされるように応接室を出れば、大使館の入口に何人もの護衛や衛視が立つ。
人垣の中から現れたのは小柄な、欧州の地では珍しい衣服に身を包んだ旧大秦帝国皇女の姿があった。
「ヘイゾー」
「あ、ああ」
当然のように膝を折る裂海に倣い、姿勢を低くする。
どうしてここに彼女が、と考えもしたが諸々の手配をしたのは騎士王であり大英帝国だ。挨拶くらいはするか、と考えていると足音が近づいてくる。
「榊、平蔵どの」
降ってくる声に顔を上げる。
抑揚のない話し方に、出会った頃のちび殿下が重なる。
「お話は、伺いました。家臣がご迷惑を、おかけ、しました」
「滅相もございません。彼らは国と主を思ってのこと、あなた様が気に病むことではございません」
俺の言葉に小さな体が震える。
「皆さまが負った、傷と痛みを思えば、他人事では、いられません。私でできることならば、如何様にも……」
「ありがとうございます。お気持ち、十分に頂戴をいたしました」
「きっと、ですよ」
差し出された手をとれば、笑顔を見せてくれる。
隣で同僚であり師でもある裂海が必死に殴ってくるが気にしない。欧州に来て、最大の収穫はこれだったのかもしれない。




