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一一話


 個人情報、というのは重要だ。

 生い立ちから家族構成、趣味、癖、通いの店がわかれば人となりは分かってしまう。そこに実際にあった印象、細かな手や目の動きを見れば確実性は上がる。 


 メンデーレフ・ミハイロヴィッチ・アバーエフは五一歳、ロマノフ第三の都市ノヴォシビルスクで学校の教師をしていた両親のもとに生まれる。国立大学をでてから技術者となり結婚、専門は機械工学。結婚後はモスクワに住むが海底開発のために招致され、三年前からウラジオストクに単身赴任。趣味は時計や文房具の収集、ロマノフ人にしては珍しく酒はほとんど飲まないらしい。


 月橋との面談では手が遊ぶこともなく落ち着いた印象、悩むときは目が泳いで考えが顔に出やすい。典型的な研究者気質、とでもいえばいいのか。とても分かり易くていい。

 そんなことを考えながら、応接室での面談後、両手に紙袋を持ってメンデーレフに続いて会社の中を歩く。


「すみません、わざわざ持っていただいて……」

「こちらこそ、重いものばかりで申し訳ありません」


 隣を歩くメンデーレフの言葉に首を振る。

 持参したお土産、賄賂は職員全員へのものではない。日本ならば提供されたお中元、お歳暮を社内の行事などで使ったりするが、この国では違うらしい。

 特殊ガラスのメーカーからメンデーレフへと渡り、そこから更なる分配がされる。月橋によれば彼の同僚と所長クラスに一つずつが供されるらしい。


「どうぞ、こちらです」

「失礼します」


 案内されたのは彼個人の研究室、ワンルームほどの広さにテーブルと書庫が並び、書類や機材が見えた。


「どこに置きましょうか?」

「ああ、そのテーブルの上にお願いします」


 紙袋から綺麗に包装された箱を取り出し、順番に並べる。その間にメンデーレフはカップを二つ取り、備え付けのポットから湯を注いでティーバッグを入れる。


「簡単で申し訳ない」

「恐縮です。いただきます」


 荷物を運んだことを労ってくれているのだろう。

 俺が紅茶を一口啜る間にメンデーレフは自分の机の上にある箱を確かめ、会社のロゴが入った袋へ詰めると差し出してきた。


「こんなもので申し訳ないが、皆さんで召し上がってほしい」

「お気遣いいただきありがとうございます」


 担当である月橋を思っての事だろう。

 二人にはかなり強い信頼関係が伺える。


「先にいただいて恐縮です。こちらの説明もさせて頂きます。左から缶詰、タオル、お酒、時計です」

「時計があるのですか?」


 メンデーレフが目を輝かせる。


「はい。お好きと伺いましたので、今回はご用意させて頂きました。毎回お持ちできれば良いのですが、予算が限られておりまして、申し訳ありません」

「とんでもない、嬉しいです! 今回は購入が少なかったのでないものと思っていました」


 ばりばりと包装紙を破り、箱を開ける。

 中身は正方形の小箱がいくつあり、それぞれに異なる日本のメーカーのものが並べてある。


「こんなにたくさん!? よろしいのですか?」

「勿論です。ただ、今回の件についていくつかお伺いしたいことがありまして、ご協力いただけませんか?」

「協力、とは?」


 不安げな顔になり、そわそわと体が揺れ、無理難題を押し付けられてはかなわない、という顔をしている。

 まぁ、このくらいの反応は予想済みだ。


「そんなに深刻な顔をしないでください。そんなに難しいものではありません。実は、本社の上が今回の件を強く懸念しております。このまま取引が停止してはこの国へのスタンスが変わってくるだろう、と。そこでできる限り聞いてきてほしいとのことでした」

「……ご心配はもっともです。ですが、私が知っていることなど、高が知れています」

「それでも結構です。決して難しいものでも、メンデーレフさんを陥れるものでもないことはご理解いただきたいのです」

「それは……」


 メンデーレフが逡巡する。

 迷っている、ということはもう決まっている。


「上は安心したいのです。企業というものは先行き不安を嫌います。お聞かせいただければ御社だけでなくメンデーレフさんのことも含めて上申できるのです」

「……」


 目が泳ぎ、頭を小刻みに動かし始める。

 ここまでくればあと一押し。懐に手を伸ばし、切り札に手にすると、メンデーレフに握らせた。


「ナミキの万年筆です。売れば相応の金額になるでしょう。これがあればモスクワのご家族が楽をできます。娘さんは来年ご結婚だそうですね。何かと物入りなのではありませんか?」

「こ、こんなものまで……」

「難しいことではありません。知り得る限りで結構です。どうか……」


 手を離せば万年筆を凝視している。

 漆の地に螺鈿細工が施された万年筆は東洋的で美しい。欧州に近い地域で生まれた人間なら魅力的に映るはずだ。


「……」


 ごくり、とメンデーレフの喉が鳴る。

 手にした万年筆と俺を交互に見つめ、わずかな間を置いて咳払いをする。


「たいしたことは分かりません。それでもよろしいですか?」


 人間、素直が一番だ。

 我慢をしても良いことなんてない。


「勿論です。それで構いません」


 答えれば窓に近付き、カーテンを閉めた。


「どこからお話すればよろしいですか?」

「まずは、計画の中止が決まった頃のことを伺いたいのです。中止は事前に動きなどはなかったでしょうか?」

「ありませんでした。あれは五月の終わり、六月の初め頃だったでしょうか。本当に突然でしたので、我々も驚いたほどです」

「統一エネルギー機構からの通達を、もっと上からではないかと予想された理由は、どのようなものでしょう?」

「そうですね……確信があるわけではありませんが、理由がないことでした。統一エネルギー機構からならば、予算や技術的なもの、人為的なものかなど理由が提示されます。ですが、今回はそれがない。ですから、彼らが口を挟めないような、もっと上からの命令ではないかと思ったのです」


 唇に指を押し当て、視線が動くのは何かを思い出そうとしているときの特徴。言葉に偽りはないのだろう。

 ここからは本腰を入れての切り込みとなる。頭の中でシミュレーションを展開させていく。


「もっと上となると、エネルギー省そのものでしょうか」

「そうかもしれませんし、他にも、非公開ではありますがこの事業には産業貿易省も関わっていますから、そこの可能性もあります」

「産業貿易省ですか……」


 それは初耳だ。

 産業貿易省は航空、造船、電子産業から医療や林業まで、ロマノフのあらゆる産業と貿易の管理を行っている。確かに、海底開発はエネルギーだけではなく将来的な資源の輸出も視野に入っているだろう。介入は否定できない。ここにきて中央省庁が二つも候補になるというのは余程の事態と考えていい。


「ありがとうございます。続いてですが、事業の中止が通達された半年前、なにか変わった事はありませんでしたか?」

「変わったこと、ですか?」

「はい。新聞や報道、あるいは身近に起こったことなど、メンデーレフさんが思った事ならなんでも構いません」

「そういわれましても……新聞は読みますが、あまり出歩きもしません。こちらには仕事できていますので、外に友人もいないんです」


 確かに、変わったこと、というのは範囲が広い。しかし、あまり限定してしまうと怪しまれてしまう。単身赴任中で他人とはあまり話さないというのであれば、方向性を変える必要がある。


「それでは、その頃にご家族からはなにか伺いませんでしたか?」

「家族から……ですか」


 再び視線を泳がせること数分、難しかっただろうかと思い始めた頃、メンデーレフがしきりに頷き始めた。


「そういえば、モスクワ郊外に住む親族から軍の様子がおかしいとは聞きました」

「おかしい、とは?」

「軍人といっても休息は必要です。普段は夜になれば非番の兵たちで街は賑やかなのですが、それがほとんど見られなくなったらしいのです。サンクトペテルブルクには増員が送られたといいますし、他の兵たちもどこかへ送られたのではないかという噂が立っていました」

「サンクトペテルブルクに増員、基地に人がいない……」

「ええ、それ以降はあまり詳しく聞いていません。今が同じ状態なのか、といわれるとお答えできないのですが……」

「なるほど……」


 頷いては見たものの、知識不足で答えが見えてこない。

 これを老人達や騎士王が聞いたら答えを導いてくれるのだろうか。

 一先ず、自分の仕事に専念しようと余計な思考を振り払う。


「これで最後です。メンデーレフさんは、それらの事態と今回の計画中断に関連を感じますか?」

「関連ですか……どうでしょう、今考えれば偶然にしては時期が重なり過ぎているとも思います。ですが、こうしたことは間々あるのです」


 メンデーレフは曖昧な顔をする。

 困っているような、仕方ないというような、諦めにも似た色が滲んでいた。


「間々ある、とは?」

「ご存じの通り、ここは政府の権力が強い国です。政府と密接な関係を持つ特権階級が不利益を被ることになれば色々なことが起こります」

「色々、ですか」

「はい。私は初めてですが、周りでは似たような事例があります。中央も地方も一枚岩ではありません。そうなれば軋轢は生まれ、なにかが作用してこうなることもある。困ったことですが、仕方ないのです」


 国は様々な問題を抱えている。

 俺は、この国が抱える問題を深刻であると受け止めると同時に、日本を憂う。こうした歪みはあるのだろう、と。

 このことは日桜殿下にもお話しなければならない。外交だけの問題とするのではなく、日本国内を見直す切っ掛けになればと考えていた。


「私がお話できるのは以上です」

「無理をお願いしました。申し訳ありません。戻って上には最大限の配慮をするよう申し伝えます」

「ありがとうございます。それにしても、サカキさんはお若いのによくできていらっしゃる。貴方が入られたのなら、ツキハシさんも心強いでしょうな」

「若輩者ですのでご容赦ください。今後とも弊社を宜しくお願いします」

「あなたとも良い仕事ができそうです。なにかあればご連絡ください」

「私もまたお会いできることを楽しみにしています」


 右手を差し出せば応えてくれる。

 壮年の技術者、苦労を重ねたであろう手はごつごつとして、温かかった。



     ◆



 メンデーレフと別れ、ビルを出れば二人が待っている。足早に駆け寄れば、裂海は真剣な面持ちを崩し、体の力を抜いた。護衛役は気苦労が絶えないだろうに、頭が下がる。


「おかえりなさい。大丈夫そうね」

「ああ、お前には苦労をかけるよ」

「そう思うならもっと強くなりなさい。私が護らなくてもいいくらいにね!」

「まぁ、そのうちな」


 頭を撫でてやれば足を踏まれる。コイツの気遣いは嫌いじゃない。

 小さな拳が腹筋に突き刺さるのを見て月橋が笑った。


「お二人とも面白い方たちだ」

「優呼、お前笑われてるぞ」

「ヘイゾーのせいでしょ! このこの!」

「榊さん、そちらの首尾は如何でしたか?」

「用意していただいた資料のおかげで上手くいきました。お礼はまた改めてさせて頂きます。あとはこれを、と」


 受け取った箱を月橋に手渡す。

 ちょっと振ると独特の音がした。


「ああ、プリャーニクですね。蜂蜜が入ったクッキーのようなお菓子ですよ」

「クッキー!」


 裂海が目を輝かせる。


「少し待ってろ」

「早く早く!」


 まるで犬だ。

 尻尾があったら千切れんばかりの勢いで振っていることだろう。


「月橋さん、今回はお世話になりました」

「こちらこそ、ご協力できてよかったです。内容を知ることができないのは残念ですが……」

「提供できるものは城山先生を通じてお渡しします。ご容赦ください」


 どこか悔しそうな月橋に頭を下げ、建物を振り返る。

 窓から手を振るメンデーレフが見えたので会釈をした。


「ねぇ、何か食べに行きましょうよ! クッキーの匂いでお腹すいちゃった!」

「でしたらおすすめのお店がありますよ。ご案内します」

「ヘイゾー!」

「わかったからそんなに引っ張るな。千切れるだろ」


 袖を引く裂海に引っ張られながら歩く。

 早々と傾く晩秋の陽光を背に、一つめの仕事を終えた安堵感が心を満たしていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] こうしてメンデーレフとの交渉を見ると覚めさえしなければ平蔵って会社の結構上の方のポストまで行ってたんやろうなぁ……
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