八話
仕事、特に交渉事に臨む場合は準備が重要になる。
事前に、なるべく多くの情報を収集し、基本的な内容をシミュレートしておく。派生するもの、話す可能性があるものも会話のベースに混ぜられるようにしておく必要がある。
アドリブほど不安なものはない。なにせ後先考えずにやるのだから、成功の可能性が限りなく低いからだ。
「最後の交渉は半年前、事業打ち切りの理由は国の方針。担当者たちの表情に揺らぎはなし……。雑談や余談もなし……」
同行する企業は、海洋研究開発機構を支援する特殊ガラスのメーカー。国内はもとより海外市場の占有率も高く、ロマノフ側、開発を主導する海洋国立大学へも輸出している。
日本の海洋研究開発機構からの訪問、面談の打診は断られ続けている。会っても話せることがない、というのが彼らの言い分だ。特殊ガラスメーカーならば「今後の話をしたい」と申し出れば会ってくれる。
理由が曖昧でも具体性のない話をされると、人は不安になる。供給素材の値上げ、担当者の変更など挙げ始めたらキリがない。万が一、取引が停止すると致命的ではないにしろ、かなりのダメージがある。そうならないために、何よりも不安を払拭するためには会うしかない。城山英雄が用意したのはそういった筋書きだった。
「会いたくないなら、会いたくなるようにすればいいよ」
朗らかに笑う政治家の言葉には嘆息するしかない。自分も同じ手しか思いつかなかったことも含めて、未熟さを痛感する瞬間だった。
「スタートは無難に時事、あるいは国際情勢、身内の話題、あとは賄賂……」
話題は大切、加えてお土産も重要だ。
特に経済に問題を抱える国においては喜ばれる。生々しい現金ではなく、価値を期待させるものであった方がいい。
「日本といえば浮世絵、焼物、刀。担当者の年齢は四〇代、家族は妻と子供が二人、両親と同居している。普通に考えるなら焼物、飾れる絵皿なんだが……」
家族がいるなら本人の満足度より優先されるものがある。問題は家族間の関係だ。今回はそこまで資料がないので選ばせることにしたい。これを今回会う一〇人分やっていく。
忙しい、とても忙しいのに、
「……しゅっちょうには、なにをもって、いきますか?」
「そうですね、身の回りのものがあればいいと思います」
「ヘイゾウさんが普段身に付けているものはスーツですから、替えのものがあればいいのでは?」
後ろでは日桜殿下、千景、ノーラのちび三人が荷造りをしている。大きめのスーツケースに人の寝室から持ち出してきた衣類から小物までを押し込み、ああでもない、こうでもないと姦しくしている。
「……いっしゅうかんぶんが、はいりません」
「現地で洗えれば半分の量で済みます。ホテルの設備が知りたいですね」
「外国の、欧州圏のホテルならクリーニングしてくれます。二枚もあれば大丈夫ですよ」
自分で荷造りの経験がない殿下、国内旅行がせいぜいの千景をノーラが得意げに諭す。
ノーラのチョイスは色が強いものが多く、海外のクリーニングでは色落ちすることを分かっていない。女性の衣服も大変だろうが、男の装いにもそれなりに苦労がある。
「……これ、きれい、です」
「カフスボタンですね。こちらにはネクタイピンが……」
「ネクタイの種類もたくさんあります。ハンカチもこんなに種類があって、これは綿、麻、絹……」
「……あんごら、です。あんごらひつじのけで、できています。きちょうひん、です」
「よくご存じですね」
「私も初めて知りました」
「……えっへん」
殿下が得意顔で披露した知識は、少し前に献上品に名前が載っていたからだ。それを解説したのも俺なのだが、無粋な真似はしない。
主旨を忘れて小物で遊び始めたちび達を尻目に、資料をまとめていく。同時にブリュッセルにいる騎士王への贈り物も考えなければならない。前回は刀、次も同じものでは芸がない。どうしたものかと考えあぐねていると、
「ヘイゾー!」
蹴り破りそうな勢いで裂海が入ってくる。
最近は鍵を掛けていないのをいいことに出入りし放題だ。プライベートなどあったものではない。
「なぁ、頼むからノックをしてくれ」
「いいじゃない別に、命を預けるパートナーなんだから気にしてたらダメよ」
「まぁ…………いいか」
ケラケラと笑うぺったんこに辟易する。せめて、護衛が直虎さんだったら楽しかっただろうに、真っ平らでは間違いの起こりようがない。
「なによその反応!」
「いや、お前でよかったよ。心から、つくづくそう思う」
「……引っ掛かる言い方ね」
「気のせいだ。それで、何の用だ?」
「副長からヘイゾーと段取りの打ち合わせをしなさい、って。護衛なんだから立ってるだけでいいと思ったのに」
「一応、お前も研修生扱いだからな。話さなくていいかもしれないが、意見を求められることはあるかもしれない。それに、見慣れない顔が二つもあったら相手方が気にする。疑われないためにも口裏合わせくらいしたほうがいい」
「面倒なのね」
「相手のことも考えろ。交渉ってのは自分と相手の意思を交えることだ。一方通行じゃあ成立しない」
「ヘイゾーのくせに偉そうね……」
「専門分野の違いだ。俺のパートナーを名乗りたいなら邪魔をしないでくれ」
「生意気よ」
蹴られるが気にしない。
数少ないアドバンテージなので誇示しておきたいところだ。
「それで、なにが聞きたいんだ?」
「ヘイゾーのことだから事前資料くらい作っているだろうし、会話のシミュレーションくらいしているでしょう? 今出来上がっているものを見せてほしいの」
「資料はあるが、会話のシミュレーションは頭の中だ」
「じゃあアウトプットしてよ」
裂海が隣に座り、作ったばかりの資料を漁る。
コイツの頭は潜水艦のスペックを覚えていたり、米軍艦隊と連携できるくらいだから良い方なのだろう。思考よりも記憶力が良いタイプなら俺自身もやりやすい。
「最初から最後まで説明すると時間が足りないから、要点だけ拾って、あとは直前に打ち合わせをすればいいさ」
「ええ~? そんなにあるの?」
「頭の中を見せてやりたいよ。そうすれば少しは苦労が分かってもらえる」
「遠慮しておく……」
「どうした?」
先細る裂海の声に、視線は寝室に注がれる。
「平蔵のパートナー? ……聞き捨てなりません」
「護衛ではないのですか?」
「……?」
剣呑な目でこちらを見る千景とノーラ、二人の感情をよくわかっていないであろう殿下が首を傾げる。
「ヘイゾー、なんか怖いんだけど」
「安心しろ、俺も同じだ」
嫌な汗が背中を伝う。
その間にノーラが千景に耳打ちをして、二人は視線を交わす。わずかなやり取りを経て、千景が前に出た。
「お二人とも、少しよろしいですか?」
「よろしいもなにも、なぁ?」
「そ、そうね」
「一つ伺いたいのですけれど、お二人の関係は?」
「優呼とは同僚だ。ああ、剣の師匠でもあるか」
「そうね、同僚でもあるし弟子でもあるわ」
「同僚であり師弟……」
察せよ、という俺の視線に裂海も合わせてくれる。
しかし、当の千景はそこに引っ掛かりを覚えたのかノーラに目配せをするが、ノーラは首を振った。二人が知らないのも無理はない。裂海に剣を教わったのは近衛に来たばかりの頃、一年以上も前の話だ。
どう説明しようかと考えていると、殿下が千景の袖を引く。
「……ちかげちゃん、わたし、しっています」
「殿下がご存じということは……」
「……はい。さかきが、ここへきたばかりのころ、です」
ちび殿下の説明に再び千景とノーラは耳打ちをする。
ノーラが小さく首を振り、二人のやり取りは終わった。
「私たちには、まだ知らないことが多すぎるようです。優呼さん」
「な、なに?」
「負けません」
「!」
裂海が驚きのあまり飛び上がり、千景は優雅に一礼をするとノーラに頷き、殿下を優しく抱きかかえると三人で寝室へと消える。この後は、あまり想像したくない。
「……ヘイゾー、あれ、なに?」
「……俺に聞くな」
「……怖かったわ」
「……そうだな」
今は何もなかったことを安堵するしかない。
出発を前に、仕事以外の悩みで頭が痛かった。
◆
物事は一度決まると動きも早い。
初めての国外出張の許可が出てからというもの、近衛はもとより関係各所との打ち合わせで大忙しとなる。出国を間近に控えて慌ただしくなる一方で、外せない仕事もあった。
羽田空港国際線乗り場の一角は、これから訪れる要人の到着を前に厳重な警備が敷かれている。近衛を中心に警察や公安調査庁、外務省の役人まで錚々たる面子が揃っている。その中には我らが日桜殿下の姿もあった。
「いらっしゃった」
数人の警護を引きつれやってきたのは旧大秦帝国皇帝の長子、雨。
艶やかな髪は肩口で切り揃えられ、化粧が施された顔は男児にも見える。背格好はちび殿下よりもさらに小さく、深衣と呼ばれる伝統的な衣装に身を包んだ姿は人形の様だ。
「凱浬」
「雨彤様」
雨彤が白凱浬へと駆け寄り、感極まったであろう当人は遠目から分かるほどに涙をこらえていた。手を取り、再会を喜び合う二人に、周囲までが自然と温かい気持ちになる。
そこへ日桜殿下も歩みを進め、雨へ花束を手渡した。
「ようこそ雨彤様。お手紙を差し上げました日桜です」
「! こちらこそ、ありがとうございます」
二人は手に手を取り、対面を喜ぶ。
殿下は白凱浬の一件があってから、非公式ながら雨へと手紙を送ったらしい。
そこから外務省や城山の働きかけによって欧州連合の一部が動き、人質に近かった彼女を留学という名目で連れ出せた。
「別室もご用意してございます。わずかな滞在ではありますが、お寛ぎください」
「殿下……何から何まで……。このご恩は忘れません」
幼い二人のやり取りに希望を抱いてしまう。
だが、感動ばかりしていられない。殿下には殿下の仕事があるように俺には俺の仕事がある。
人垣から離れ、ロビーの隅まで移動すれば待ち人がいた。
「お初にお目に掛かります。ロメロティア・イクタリア殿」
「あなたがヘイゾウ・サカキ?」
現れたのは騎士王と同じ儀礼服に金髪碧眼、いかにもお嬢様といった出で立ちの女性。腰には細身の剣を携え、明確な敵意を持っていることが伺える。
「ナイアンテール殿からお話は伺っております」
「私も、ジョルジオ様から聞いています」
一定以上の距離を取って値踏みするような目に、内心で笑ってしまう。こうも露骨に警戒されると楽しくなってしまうのが俺自身の悪い癖だ。今は面倒なのでやらないが営業時代からこういうヤツを見ると懐柔したくなってしまう。
「こちらを騎士王殿へお渡しください。私も追ってブリュッセルに向かうことになりましたので、説明はその時にさせていただきます」
「あなたもブリュッセルへ?」
「そう警戒しないでください。一度は刃を交えましたが今は騎士王殿とも友好関係にある、と私は思っております。勿論、騎士団の方々へも同じです」
深々とお辞儀をしても警戒色が薄まることはない。相当に恨まれているか、よほど騎士王に心酔しているのだろう。確かに、あの美丈夫には人を引き付ける魅力がある。ああいった求心力は見習いたいところだ。
「資料は受け取ります。あなたの言葉も信じましょう。ですが、私があなたを信用することはできません」
「それでも構いません」
「わかりました。お預かりします」
封筒を受け取るとロメロティアは行ってしまう。
問題は一気に解決しない。時間も掛かれば労力も掛かる。その先には日桜殿下と雨彤様のような、輝かしい未来が待っていることを願ってやまない。