六話
遊園地におけるコースターは花形である。
空に伸びるレールに金属の摩擦音、それに悲鳴にも似た歓声。多くの人で賑わっているのならばコースターは楽しげに映るだろう。しかし、貸し切りの園内、自分たち以外の誰もいない場所となると話は違うらしい。
「……これ、のりますか?」
今日が遊園地、世にいうテーマパークデビューとなった日桜殿下は尻込みをしている。
知識先行の頭でっかちに遊びという経験の少なさが災いして、念願だったコースターを前にしても一歩が踏み出せない。
「殿下、大丈夫です」
「きっと楽しいですよ」
千景とノーラの二人に促されても眉間に寄った皺がほぐれることはない。
「……さかき」
心細そうな上目づかいに両肩が重くなるのを感じた。
「殿下、そのようなことでは将来が心配になります」
「……わかって、います。でも……」
なにかを口にしようとして躊躇い、俯く。
これはアレだ、察しろということなのだろう。
「ご一緒すればよろしいですか?」
「……おねがいします」
丁寧に頭を下げられてしまう。
こうなっては後に引けない。
ちび殿下の手を取り、コースターの先頭座席へ座ると、
「……よいしょ」
隣ではなく膝の上に乗ろうとする。これもまた仕方ないのかもしれない。
「殿下、こういう場合は御一人で座っていただかなくてはなりません」
「……でも」
「大丈夫です。すぐ隣にいるのですから心配なさらずに」
「……では、てをにぎっていてください」
「承知しました」
隣に座らせ、腹部で固定するタイプの安全バーを下ろして殿下の小さな手を握れば笑顔を見せてくれる。全く、困った皇女様だ。
「……」
「……」
ふと冷たいものを感じて顔を上げれば、千景とノーラが仁王立ちで俺を睨んでいる。
鋭い視線の奥にあるただならぬ雰囲気に背筋が凍った。
「乗らない……」
「私たちは次でいいわ」
「ヘイゾウさん、殿下をくれぐれも宜しくお願いします」
「あ、ああ」
「……?」
二人に見送られながらコースターはゆっくりと動き出す。
街中に作られた施設とはいえかなり高いところまで上がり、スピードだって遅くない。説明書きには時速四〇キロとあったからかなりのものだ。
コースターがゴトゴトと音を立て、お約束の、加速するための上り坂を進む。
「……きんちょう、します」
「殿下が緊張されると私も緊張します。そんなに固くなると楽しくないですよ」
「……でも」
ちび殿下の表情から余裕が消え、足は床を突っ張って、あらん限りの力で俺の手を握っている。
「ダメだったらお助けします。それとも、私では不安ですか?」
「……いいえ」
神妙な顔で頷かれた。コースター如きで大げさが過ぎる。
「それでは前を向いてください。そろそろですよ」
「……わかりまし……!」
殿下が言い終わらないうちに最大高度に達したコースターが猛スピードで走り始める。
驚き、慌てて目を白黒させる姿は年相応、とても第一皇女とは思えない。こうした機会も後の、なにかに役立ってくれればと思ってしまう。
「……!? ……!!」
「大丈夫です。コースターの醍醐味は声を出せることですよ」
耳元で囁けば手を握る力が強くなる。
「……こえ?」
「はい。こんな音の渦の中では殿下の声もすぐに消えます。恥ずかしがる必要はありません」
「……よいのですか?」
「御存分にどうぞ」
「……!」
甲高い金属の摩擦音に殿下の声が合わさり、初めてのコースター、おそらくこちらも初めてとなる歓声が響き渡る。
一分を経て出発地点に戻れば殿下の顔は輝いていた。
「いかがでしたか?」
「……とても、たのしかった、です!」
「それはよろしかったですね」
安全バーを上げて戻ろうとすれば待っていた千景に腕を掴まれる。
殿下もノーラに抱き着かれ、身動きが取れない。
「平蔵、今度は私よ」
「いや、あの、次と申されるならば三人でお乗りになれば……」
「その次がノーラ。三人で乗るのはそのあとでいいわ」
「ち、千景様?」
「文句あるの?」
古の剣豪でもこんな眼はできないのではあるまいか。
本能が危険信号を発して姿勢を正した。
「あ、ありません」
引きずられるように再びコースターの先頭へ乗り込む。すると、千景は先ほどの殿下と同じように膝の上に乗ってきた。まさか、千景まで経験がないはずがない、そう思っていると、
「儀式よ」
「は、はぁ……ご随意に」
凍てつく眼差しで突き刺されてしまう。
「さっきは殿下とどんな会話をしたの?」
「その…………」
その後は一言一句、同じやり取りをさせられる。
続くノーラも同じだった。
「ヘイゾウさん、私にも同じことをしてください」
「ノーラ、君もか……」
「はい。不公平はダメです」
「別に不公平というわけでは……」
「ダメです」
彼女にはネクタイを引っ張られる。
結局、殿下千景ノーラという順番でコースター、観覧車、コーヒーカップと回ることになった。
◆
「はぁ……とんでもない目に遭った」
這う這うの体で抜け出し、園の中央にある広場にあるベンチに腰掛ける。
アトラクションは大したことはないのだが、乗るたびに繰り返されるやり取りには参ってしまった。
「お疲れかな?」
「城山先生……」
隣に座り、缶コーヒーを差し出してきたのは誰でもない城山英雄。
紺色のスーツに赤いネクタイという出で立ちの老政治家の顔には笑みがある。
「君も思い切った男だ。日桜殿下をこういった場所に連れ出そうなどとは、私には思いもつかない」
「恐れ入ります。少し離れた場所も考えたのですが、なにかあったときのリスクを考えると近場が一番かと思いまして……」
「近過ぎると思うがね。御所から二〇分とかからないよ」
今いるのは浅草にある老舗の遊園地、花やしき。
かねてより殿下の御要望だったことと、日頃のストレス発散をかねて手配した。
休日の夜、園内に護衛以外の人影はない。こうした遊園地、世にいうテーマパークのほとんどは貸し切りのプランがある。ここも時間単位で貸切ることができ、比較的安く、警備がしやすいのも有り難い。
「街中ですから外壁も高く、中も見えづらい。怪しまれなくてすみます」
「君の、こうした手配や気配りはは相変わらずだ。我々はこうしたものに疎くてね。ノーラも楽しんでいるようだし、感謝しているよ」
「恐縮です」
「それにしても、懐かしい場所だ」
「ここが、ですか?」
城山が懐かしそうに園内を眺める。
身を屈め、膝に肘を置いて視線を低くした。
「日本最古の遊園地だよ。私も子供の頃に来たことがある。私の叔母、ノーラの曾祖母でもある城山智美に連れられてね。あの頃の父は忙しかったから、相手はもっぱら叔母がしてくれたんだ」
まるで当時の視点で覗き込むかのように低い体制のままぐるりと見渡す。
面影が残っているかどうかは分からないが、城山自身も楽しんでいるようだった。
「そう……でしたか。ノーラはそのことを知っているのですか?」
「今は、まだ早いと思っている。悲しみを思い出すよりもたくさんの喜びを知ってほしいからね」
「先生が気持ちの整理をつけたいだけではないのですか?」
「……年寄りをあまりいじめないでほしいな」
感傷に浸りたいのはいつも年寄りの方だ。
三人を見ていると若さとは未来を見つめる力ではないかと思ってしまう。
「世間話はこのくらいにしよう」
「承知しました」
城山が姿勢を正し、懐から封筒を取り出し、弄び始める。
「菅原参謀長から榊君は担当を外れていると伺ったんだが、そうなのかい?」
「ええ、鷹司副長から言われまして、今は直虎さんが副官の任にあります。今の私は殿下の側役と帝都警戒網の担当官でしかありません」
「ふぅむ」
城山が顎を擦る。
「白凱浬から聞いているとは思うが、向こうのことについて相談があったんだ。だが、担当を外れているとなると鷹司君にした方が良いのかな?」
「そちらの方が無難でしょう。先生もご存じの通り、私は前科がありすぎますから、首を突っ込ませたくないようです」
「前科か、耳が痛いな。それではまるで私にも責任があるみたいじゃないか。私と君は持ちつ持たれつ、貸し借りはないと思うよ」
「……痴呆を患うには早いのではありませんか? 総理になったら国民が嘆きます」
「はっはっは、その時は榊君に介護をしてもらおうかな」
こんな妖怪ジジイの介護なんてしたくない。
どう切り返してやろうか考えていると肩を震わせながら城山が封筒を差し出してくる。
「鷹司君は杓子定規なところがある、九州の麒麟児は事務や交渉事について未知数。私は榊君の復帰を望んでいるよ」
「面倒事は困ります」
封筒の中身は写真が数枚とメモ書き。望遠で撮られた一枚に写るのは黒い軍服姿の男性。
銀髪に碧眼、彫りの深い顔立ちにはいくつかの傷が見て取れた。
「この人物は?」
「雷帝、という噂だ」
「噂とは?」
「彼は公の場所にほとんど姿を見せない。白凱浬でさえ直接会ったのは一度だけ。それもサングラスをかけて首元には布を巻いていたらしいから確証がない。面識があるとすれば鷹司君と騎士王くらいだろう」
「それならば、副長に見ていただいた方がよろしいのでは? 私からだと角が立ちます」
「勿論、鷹司君にも見てもらうつもりだ。しかし、情報は多いほうがいい」
「騎士王にも確認を取りたいと?」
「米国からの情報によれば雷帝はサンクトペテルブルグにいないらしい。議会や国防委員会にも出席せず姿が見えない。さて、どこにいるのかな?」
老政治家が片目を閉じる。
見ていてあまり気分の良いものではない。
「内情そのものが知りたい、と?」
「共和国の背後でロマノフが暗躍しているのは間違いない。だが、その動きが奇妙になりつつある。共和国との窓口になった今、私自身知っておかなければならないことだ」
「探りを入れたいわけですね」
「察しが良い若者は嫌いではないよ。ああ、手段は選ばないけれど情報の流出は極力控えてほしい。白凱浬の身辺が危なくなるからね」
簡単に言うが、行うは難しい。
それに、なぜ俺なのか。
「私も騎士王と親しいわけではありません。それに、鈴木外務大臣を通じて騎士王からはこのような写真を託されたばかりです」
「鈴木が騎士王からの写真を?」
城山に手渡せば老眼を細くし、眉間に皺を寄せて近付けたり遠ざけたりする。まして、白黒となれば七〇には酷だろう。
「これは……どういう状況なのかな?」
「出所はロマノフ内部、私には人が二人、子供と大人が写っているように見えます」
「ふぅむ」
「正直を言えば、城山先生にこの写真のことで骨を折って頂きたいと思ったほどでした。先生ならばどこかしらにコネがあるものと思いましたので」
「残念だが私は騎士王以上の腕を持っていないだろう」
城山が顎を撫で、空を見る。
数分間の静寂ののち、うんうんと一人納得して頷いた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずという。直接出向いてみたらいい」
「ロマノフに、ですか? しかし、あの国に観光目的で行っても……」
「先走ってはいかんよ。少し前になるが、サハリンで日本とロマノフで共同開発していた海底熱水噴出口における希少金属の試掘計画があったことを知っているかい?」
城山の言葉に記憶を探る。
確か、そんな話が新聞かニュースに出ていた。
「確か、ロマノフ側から一方的な中断があった、と」
「政府としてもかなり困ったものだった。あれに私の関係先が一枚噛んでいてね。会社のあるウラジオストクに近々人を送ることになっている」
「噛んでいる、とは?」
「新潟県は日本国内における数少ない産油地だ。その中でも岩船沖には海底ガス田がある。海底の試掘ともなれば技術が必要だろう?」
「関係先ということは出資もしている」
「一人くらいなら紛れ込ませることもできるよ。君は元サラリーマンだし、物腰は全然近衛らしくない。適任だと思ってね。ついでに欧州も見てくるといい」
「……副長の許可が要ります」
「鷹司君には私からも口添えするよ」
城山から先陣を切ってはくれないらしい。
しかし、このままではいられない状況で未知の国の内部へ入り込めるのは一つのきっかけになり得る。足を運んだ方が良いはずだ。
「承知しました。その関係先と渡りをつけてください。打ち合わせの後に副長へ上申します」
「頼んだよ」
背中を叩かれ嘆息する。
どうやって鷹司を説得しようか考えていると城山が目配せをした。
「……さかき!」
「ヘイゾウさん!」
「平蔵!」
御姫様三人が小走りにやってくる。
いくつかのアトラクションを楽しんだ後なのだろう、三人の頬が紅潮していた。
「日桜殿下、お元気そうで何よりにございます」
「……らくにしてください。いまは、ひこうしきのばしょ、です」
「恐縮にございます」
城山は殿下にお辞儀をし、続いて千景とノーラに向き直る。
「千景様、ご活躍の様で何よりです」
「ありがとうございます」
「ノーラ、元気そうで嬉しいよ」
「私もです!」
千景とは握手を、ノーラとは抱擁を交わす。
こうしていると孫に甘い好々爺だ。
「そうだ、ヒデオも一緒に乗りましょう! すごく楽しいんですよ!」
「ノーラ、私はもう歳だ。もう少し労わってほしいな」
「いいじゃないですか。ついでに家族の話もして差し上げればよろしいかと」
「家族?」
ノーラが城山の顔を見る。
政治家でなくなった老人は珍しくバツが悪そうな顔をしていた。
「城山先生」
「し、しかしだね、日桜殿下や千景様もいらっしゃるというのに身内の恥をさらすことは……」
「……かまいません」
「私もノーラのご家族お話、聞いてみたいです」
当然のように殿下と千景が頷く。
これで逃げ場はなくなった。
「さて、城山先生もご一緒ですから、ここは無難にコーヒーカップにでも乗りながら積もる話でもいたしましょう」
「榊君……恨むよ」
「存じません」
いつもしてやられてばかりだ、こうした意趣返しもいいだろう。