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三話



 一〇年前の自分はどうだったのか、今ではあまり思い出せない。

 何を考え、何を目指し、どう過ごしていたのだろうか。予想はつくのだが、あまり褒められたものではなかったはずだ。


「榊殿、お久しぶりです。みなさんお変わりありませんか?」

「お陰様で、忙しくはしておりますが無事に過ごしております。学長殿もお元気そうでなによりです」


 千景の通う学校の学長と挨拶を交わす。

 柔らかな日差しの午後、校舎のあちこちからは生徒たちの声が聞こえてくる。窓の外、校庭を走る少年少女の横顔は凛々しく、過去の自分を直視できない。


「千景様の様子は如何ですか?」

「毎日楽しそうにお過ごしになられています。問題はないように思います」

「それはなによりです。幾分か元気すぎるところがある方なので気にかかっていました」

「そう……ですね。とても闊達な方です。霞様……母君のことを思い出します。性格は正反対ですが、意志の強さと実行力は先の陛下に通ずるものがある」

「学長殿は霞様もご存知でしたか」

「ここに勤めて三〇年になりますから、皇族や武家にも教え子がいますな。近衛ですと連城や卯木、裂海優呼も籍がありました」


 一緒に仕事をする連中よりも興味は千景の母親、霞へと向く。


「霞様はどのような方だったのですか?」

「容姿はさほど似ていません。それに霞様は、どちらかといえば寡黙で読書や手芸を好まれる方でした。図書室にいることが多く、深窓の令嬢と呼ばれていたのですよ」


 学長の言葉に京都での日々が思い出される。

 昨年の夏休みのほとんどを千景は図書館で過ごし、飽きることもなく読んでいた。友人は多かったようだが、当時の千景は今ほど闊達という印象はない。


「そんな方が帝国大学に進学され、卒業と同時に結婚なされたことには驚きました。ご挨拶にこられた時の、あの朗らかな笑顔は忘れません。大学在学中に何があったのか、聞いてみたくなったほどです」

「実際に伺わなかったのですか?」

「とても、聞くことなどできません。私のような一介の教師が問うなど……。ですが、あの時の霞様は本当に幸せそうでした」


 学長は立ち上がると、書斎の引き出しから写真を取り出し、見せてくれた。

 長い髪に穏やかな表情、文学少女という印象そのままの女性がそこにいる。隣に佇むのは少し緊張した面持ちの男性。


「ご結婚が決まり、お二人でここに来られた時のものです」

「千景様はこれを?」

「ご覧になられました。お渡ししようと思ったのですが断られてしまいました。ご自分の思い出がある、とおっしゃられまして……」

「そう、ですか」


 あの子らしい言葉なのだが、反面、脆さでもある。

 このくらいは受け入れてもよさそうなものを、困った子だ。


「学長殿の仰る通り、あまり似ていませんね。千景様の方が凶暴そうです」

「お二人とも書道がお好きなところが似ていらっしゃる。千景様は少し突拍子もないお言葉がお好きなようで、先日は没分暁漢とお書きになり、顧問を困らせておりました。どなたのことでしょうな」

「……私には分かりかねます」


 この文脈だと没とは次に続く文字を否定し、分暁は理解という意味。漢は男で、これらをつなげるとあまり良い言葉とはいえない。

 話題を変えようと口が動き出す。


「なにか問題などは起こしていませんか?」

「台風の目ではありますかな。心配ですか?」

「度胸も行動力もある方ですから、少し……」

「そうですね、とても中学生とは思えない発言をされますが、私どもからすれば少しばかり背伸びが過ぎる、というところでしょうか」

「少しくらい鼻っ柱を折っていただけると今後のためになります」

「甘やかすつもりはございません。ただ、我々の想像の上を行く方でして、最近は鉱物の研究にご執心です。ご自身で研究会を立ち上げられ、熱心に活動をされています」

「……寄付を増やした方が良さそうですね」

「そうしていただけると助かります。なにせ、実験には本物が必要となります」


 学長が苦笑いをしている。

 鉱物の研究ということは家業となった灰重石の採掘を継ぐつもりなのだろうが、鉱石というのは

 金がかかる。本物にしても人工にしても用意するのに相応の額が必要となるものだ。学校でやろうと思っても賛同者がいなければ難しい。

 無難なところで鷹司の名義で東洋鉱石工業に依頼をして、廃棄品や純度の低い不適合なものを提供するよう呼びかけることにしよう。

 千景の顔を思い浮かべながら段取りを考えていると部屋のドアが叩かれる。


「学長、お時間です」

「もうそんな時間ですか……」


 顔をだした事務員と学長に目配せをされる。

 今日の目的は学長との面談、ではないからだ。


「お時間のある時に伺います。そのときはまた聞かせてください」

「お待ちしています。鹿山さんによろしくお伝えください」


 立ち上がってから一礼し、学長室をでれば、古めかしい紺色のセーラー服に身を包んだ元主様が腕を組み、澄ました顔をしていた。


「お待たせいたしました」

「別に、待っていないわ」


 人前だからかツンケンしている。

 柳眉を顰め、腕を抱えている姿は年相応だ。


「じゃあ行きましょう」

「はい」


 前を歩く千景に続く。

 今日は学長への挨拶ではなく、千景の三者面談のために来ている。名義上の、帝都での後見人は鷹司になっているが、本人が来るわけにもいかず、千景の要望もあって俺になった。


「千景様。私でよかったのですか? 広重さんをお呼びになってもよろしいと思いますが……。喜ばれますよ」

「夏には帰省もしたし、お爺さまも平蔵でいいといってくれたわ」

「私では助言できる立場にないと思いますが……」

「お爺さまと話して進路はきめてあるの。平蔵は頷いてくれるだけでいいわ」

「左様で」

「嫌なの?」


 足を止め、振り向いた千景に上目遣いで睨まれる。


「嫌ではありません。ただ、心配をしているだけです。なにかあっては広重さんに申し訳がたちません」

「自分の人生は自分で決めるの。お母様もそうだと伺ったから」

「……まったく、貴女という御方は」

「写真、平蔵も見たのでしょう?」

「はい。あまり似ていませんでしたね。どちらかといえば父君の面影がある」

「顔は関係ないわ」


 強い口調。

 千景の言葉には力がある。


「お母様は全部自分で決めたの。進学も結婚も、皇位を捨てることも。全部自分で選んだ。だから、私も……」


 見ていられなくなって小さな頭を撫でる。

 案外、千景の母親、霞さんもこうした気性だったのではなかろうか。 


「千景様、急ぐばかりが良いわけではありません。

少しは立ち止まり、ご自分の足跡を見ることも必要となります。後悔とは先に立たないのが常、覚えておいていただけると幸いです」

「分かっているわ。だから……」


 袖を引っ張られる。

 潤む瞳に絆され、膝を折った。


「勿論、応援します」

「本当?」

「ですが、止めもします。行き過ぎた行動を諫めるのも臣下、保護者としての立場です。よろしいですか?」

「うん」


 頷いてくれる。

 このくらいが中学生らしくていい。


「さぁ、参りましょう。先生が待っていますよ」

「ええ」


 笑顔を取り戻した千景と一緒に歩く。

 いつの間にかつながれた手の温度を意識せずにはいられない。



     ◆



 男には男の聖域がある。

 葉巻の煙るシガーバーから場末の赤提灯まで様々ではあるが、憩いを求めることに変わりはない。自室、それも男同士での飲み会もその中に含まれるだろう。雑多に話し、下らないことで笑う。

 何かにつけて誘ってくれる立花宗忠は近衛の中で数少ない友人の一人。ぽっと出武家の俺にとって話し相手になってくれる存在はありがたい。立花の表裏がない性格にもずいぶん助けられている。

 昼間は千景のことで色々と大変だった。

 心も体も休めたいと思っているのに状況がそれを許してくれない。


「宗忠、あまり味の濃いものばかり食べるな。明太子をこんなに盛って……塩分の取り過ぎだ。それに、酒を飲むときは同じ量の水を飲めといっただろう。二日酔いで辛いのは私ではなくお前なのだぞ」

「あ、義姉上……」


 偶然から近衛本部に居付くことになった立花直虎は何かにつけて義弟を諫める。日々の生活態度から酒の飲み方まで事細かい。

 今日も後から部屋に入ってきてコレだ。


「直虎さん、宗忠も大人ですからそこまでは……」

「なりませんよ榊殿、貴方も立花の家で見たはずです。我が父も、由布正親も大酒のみで遊び放題、いい年をして女子の尻を追いかけ回すことを男の甲斐性と口にする輩なのです」

「は、はぁ……」


 見かねた俺が救いの手を差し伸べようとするとこれだ。藪蛇が怖くて追及ができない。立花本人も腹を括ったのか黙って耐えている。

 バツの悪い飲み会は解散の方向に持っていくのだが、面倒なことに最近はもう一つ頭痛の種ができつつある。直虎さんにくっついて日桜殿下がくるからだ。


「……さかき、これはなんですか?」

「梅水晶です。サメ軟骨を茹でてから刻み、梅肉や調味液とを和えたものです」

「……すっぱい、です」

「それはまぁ……酒肴ですから」

「……こちらは、なんですか?」

「鰯の鈍刀煮です」

「……どんとに?」

「鈍い刀を煮る、と書きます。錆びた刀に似ていることからつけられました」

「……しょっぱい、です」

「酒肴とはそういうものです。鈍刀煮はお茶漬けやおにぎりにしても美味しいですよ」


 俺も立花もこういう殿下を無下にできない。

 純粋無垢な笑顔で普段の食卓に上がらないものを食べる姿は微笑ましい。

 子供心に父親の肴をつまみ、美味い不味いと一喜一憂したことは忘れない。大人はどうしてこんなものを食べるのか、塩辛くて苦いものを旨いと思える舌を懐疑しながら、これが食べられたら大人なのだと手を伸ばしたこともある。

 そうした普通であること、を殿下がすることは重要だ。ただでさえ俗世から離れた生活をしているのだから遊び心があってもいい。

 しかし、


「宗忠、私の話を聞いているのか?」

「義姉上、わかりましたから耳を引っ張るのはやめてください!」

「……さかきが、おさけをのむところ、みせてください」

「見て楽しいものではありませんよ? それでもですか?」


 こんなに味のしない酒もない。

 どう幕切れをさせたらよいものかを考えているとテーブルに置いてあるスマートフォンが震え、見知らぬ番号が表示される。こういう時は出ないのが一般的なのだが、俺の番号を知っているとなると一般人ではない。

 迷っていると視線が集中するのを感じ、仕方なく画面をスワイプして耳を当てる。


「榊です」

『夜分遅くに失礼します。鈴木寿夫の秘書を務めます九野と申します』


 鈴木寿夫は外務大臣、過去の事件を通して何度かの面識がある。


『早速ではありますがお話ししたいことがありましてお電話をいたしました。お時間をちょうだいしたいのですが、よろしいでしょうか?』

「……少し待っていただけますか」


 目配せをすれば直虎さんは目礼し、立花は行ってこいとばかりに手を振る。殿下だけが半眼なので小さな体を抱きかかえた。


「……いいのですか?」


 きょとんとされたので頷き、そのままベランダへと出る。最近の殿下はなにかにつけて俺の心配をするので仕方ない。寝間着姿の殿下を肩に乗せ、スマートフォンを挟むように二人で耳を澄ませた。


「お待たせしました。ご用件というのは……?」

『鈴木が先日欧州から戻りました。その中で興味深い話を耳にしたようでして、どうしても榊さんにお知らせをしたいことがある、と』

「鈴木大臣から直接私に、ですか?」

『欧州全体で蔓延する出所不明の麻薬の件、榊さんのおかげで対応ができそうとのこと。連合議会はベルギーのアントワープが怪しいと睨んでいたようですが、イスタンブールやアルバニアからも入り込んでいることは掴んでいませんでした』

「お役に立てたようなら何よりです。その様子ですと鈴木大臣は欧州でかなりおモテになられたようですね」

『恐縮です。つきましては近日中にもお会いしたいのですが、如何でしょうか?』

「分かりました。場所は……事務所に伺えばよろしいですか?」

『最近は私共の事務所も雑音が混じることがございます。帝国ホテルのレストランならピアノ演奏もありますが……』


 雑音とは盗聴を意味する。帝国ホテルはセキュリティは勿論、ピアノ演奏は盗聴抑制にもつながるものだ。かなり警戒していると思って間違いない。


「承知しました。お伺いします」

『ありがとうございます。では、詳しい日時についてのお知らせは後日係りの者がお持ちしますので、よろしくお願いいたします』


 通話が切れる。

 スマートフォンを閉じると、ちび殿下は俺の頭と肩に手をかけ、胸元まで降りてきた。危なっかしいので腰を抱えればシャツを引っ張られる。コアラにでもなった気分だ。


「……どなた、ですか?」

「外務大臣の秘書官らしいです」

「……まやく、とは?」

「前回事件の折に大陸から我が国経由でかなりの量の麻薬が欧州へ流れていることが分かりましたので、鈴木大臣へお伝えした次第です。欧州各国からはかなり好印象だったようですね」

「……どうして、さかき、ですか?」


 殿下の問いに苦笑いが浮かぶ。

 一度築いた信頼関係というのは滅多なことで切れはしない。加えて、なにかにつけて役に立つ。ただし、それが有益か否かは蓋を開けてみるまで分からないのが難点でもある。今回の件で鈴木大臣は俺に義理を果たそうとしているのだろう。

 ただ、それをどう伝えたらよいものかが悩ましい。


「殿下、男には守らねばならない約束事があります。どのような結果を生むか分からない今、殿下にお話をして巻き込むことは得策ではありません」

「……わたしは、だいじょうぶ、です」

「知れば無関心ではいられなくなります。殿下には殿下のお仕事があります。何かあればまたお知らせいたしますので、今はお許しください」

「……ほんとう、ですか?」

「本当です。私が嘘を付いたことがありますか?」

「……ありません。ですが、かくしごといっぱい、です」


 ジト目で訴え、頬を膨らませた。

 よく観察されている。殿下の言葉を否定はしないが、お子様には経験が足りない。


「心の中はすべてお見せできるものではありません」

「……ごまかして、ます」

「滅相もありません」

「……あぶないこと、だめ、です」


 小さな手が伸びてこちらの頬を引っ張られてしまった。

 まったく、心配性な皇女殿下だ。


「ちゃんとお話ししますよ」

「……やくそく、です」


 小指を差し出されたので応えるように指を絡めた。


「……うそついたら、はりせんぼん、です」

「噛み砕いていいですか?」

「……ばか」


 軽口を叩きながらも思考が巡り始める。

 何かが動き出している。そんな気がしてならなかった。



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